サイト運営者の日々の日記。2009年01月。
高校時代の修学旅行で得たものなどなかったし、得ようと思っていたものも大してなかったわけだが、それから数年経った今なら当時の記憶を吸い出して情報を得ることができ、現実に行けるならそれなりの情報を得られるだろう。一般論として教養は噛めないうちに与えられても効果薄いんだよな、ゼロではないが。
いかにインターネットがグローバルといえど、現に私が日本語圏のこのサイトでこんな辺鄙な文章を書いているあたり、普通の日本ネットユーザーはネットそのものがグローバルでも、情報を得られるのが日本語圏にほぼ限定されているわけだから、海外旅行に行かないのと大して変わらないオチ。そしてインターネット上の情報は基本的に言語によって記述されているのに対し、海外旅行はその国の言語に精通してなくとも、ビジュアルとしてダイレクトに入力がある。
珍しく面白そうな漫画を見つけ、予算を組んでみる。漫画はビジュアル表現がやや優れているが、あまりに小説ばかり読んでいると、情報量が不足しているように感じて直ぐに買う気が起きない(小説の漫画化とか、劣化データにしか見えないのは気のせいか)。逆に漫画形式であるにも関わらず有り余る情報量を持ったものには惹かれる。
どっかの脳科学的には、自分は思考していると勘違いしているに過ぎないらしい。まぁ実際、思考するのは脳の低レベルで、予め思考結果を出力した上で形成されるのが人格であり"主観的思考"と謂う仮定も成り立つ。ただし、"主観的思考"とやらが自発的である必要はない。意識の存在条件には掠りもないと、この手の話をしていた人たちの会話内容を小耳に挟んでry
自己意識がいかなる高貴な存在かなどさしあたりどうでもいい話で、主観性が存在するのかどうかは、単純にその人がその人でしかない事実を見ればよい。我思う故に我あり仮説において思うことを欺瞞だとしても、少なくとも自分の視点は自分でしかなく、他人の視点にはなれないことは事実だ。
主観性最大の問題は、単一の視点に反して視点を形成している系が十分多い要素から成り立っていることだ。まぁ、世界は素粒子と定義できるもの、よりマクロには多数の原子から成り立っているのだから当たり前であるが。そこで、以前やったかもしれない思考実験。テクノロジーの限界を考えず、工学的ではなく理論的に可能なことを全てできると仮定する。仮定1、自分の脳を2つに割って、それぞれ半分の"完璧なコピー"を再びつなぎ合わせ、2人の頭に納める。仮定2、自分の脳構成粒子を丁度半分だけ新しく置き換え、取り出した構成粒子を使ってもう1個の脳を作り、2人の頭に納める。仮説1,2において、再起動した自分は果たしてどちらの人の視点か?
これは脳細胞を機械的に置換していっても自分は自分たりえるかという問題と似たようなものだが、問題を更に明確化している。自分が自分である証明は基本的に思考によって行われるが、ここでは思考を欺瞞であるとしているため、思考さえ必要ない"視点"の違いから自分が自分であることを示そうとしている。さて、私は基本的にペンローズの意識の量子説を支持しているわけで、その理由となるのがこの仮定だ。自分の脳を意識まるごと2分割して、不足分を補えてしまうと、先に仮定のように、どちらが自分であるかわからなくなってしまう。決定方法が存在できず、状態が考えられない。例えば短絡的な解決策として、脳を分解されたら元あった意識は"死ぬ"という意見があるかもしれない。だが、ここで要求されているのは、途中破壊があるものの、最終的には少なくとも意識発生に必要なレベルにおいて初期状態と寸分違わない脳を復元できることだ。最終状態が全く同じで、それでも以前ではないというならば、今度は意識の同一性が物質の状態に依存していないというとんでもない仮説を立ち上げる必要がある。この問題の理論的な突破方法は、私の考えている範囲では1つしかなかった。即ち先に言った意識の量子説になる。脳をコピーするという行為が可能なのは古典物理学の範囲だけで、量子力学の範囲にまで及べば、同じもののコピーそのものが不可能になる。つまり、仮説の前提としていた"同じ脳を2個にする"ことが崩れてしまう。
コピー問題は強いA.I.を仮定すればより鮮明化できる。人の脳の完全コピーが技術的に怪しいというなら、複製容易なデータによって構成されている強いA.I.を使えばいい。ここでの仮定は古典力学、即ち既存のノイマン型コンピュータによって立ち上げられた人工意識を強いA.I.と定義する。さて、この強いA.I.には主観性が存在し、客観的に見ればこのA.I.はコンピュータという箱の中で動いているようにしか見えない。だが、現実には強いA.I.の主観性は保障されない。このA.I.を構成する構造モデルは、コンピュータのメモリー内に納められており、その一部をCPUを用いて計算していくことで人工知能を作動させる。この作業はメモリー内の構造モデルデータの一部をCPUにコピーし、演算結果をメモリーに上書きする処理の繰り返しになる。だが、仮に構造モデルの上書きが既存のメモリー上のA.I.のデータにできなかったらどうなるだろうか。A.I.を構成する構造モデルが、脳のニューラルネットのような全体で1つを成すものであった場合、CPUが演算したニューラルネットの次のフレームデータを、元のメモリー領域に一度に上書きするというより、他のメモリー領域に書き出した後、前のフレームデータを削除することで1フレームの進行を完了させることになる。問題なのは、1フレーム先のデータが定まった段階で、メモリー上には1フレーム前と後の2つのA.I.の構造モデルが存在することだ。人間で言えば、脳を動かすのに、1秒後の自分自身を隣に作った上で1秒前たる己自身を消し去ることに等しい。この強いA.I.にとって、自身がシミュレートされた環境は1フレーム毎に自分自身を殺しつづけるシミュレーションにしか見えないだろう。更にA.I.の動作を一時中断させる場合も、構造モデルを記憶媒体に移すのではなく、メモリー内のデータを記憶媒体にコピーした上でメモリーを消去する作業になる。このときもさっきと同じように、A.I.が強くて主観性を持っていた場合、一時的に自分自身が別の場所に2つ存在することになり、メモリー上の自分と記憶媒体上の自分の主観の同一性が破綻する。まして、記憶媒体に保管されたA.I.の構造モデルをコピー&ペーストするなど、先の脳のコピー問題そのものだ。
この問題についても、脳のときと同様に強いA.I.が量子コンピュータ上でしか実現できないことにすればよい。量子メモリーのデータは複製できず、メモリーとして利用されている量子そのものを演算に用いなければいけない。量子記憶媒体というものが仮にできた場合でも、原則メモリー上の量子を直接又はテレポテーションさせなければいけない。それ故に量子コンピュータ上の強いA.I.は必ず主観の同一性を保持できる。
欲しいDVDを逃してしまったから、今更超個人的には不要なのだけれど。
停滞した経済活動を活性化させるために、回すべきお金を市場に投入するのが定額給付金の目的だ。だが、要するに市場でお金が回りさえすれば、市場のお金は増えても減ってもどちらでもいいというわけだよな。極端な話、諸々の宣伝込みで何兆円でもいいから大量に市場に資金をぶち込んで、全く同じタイミングで一時的な増税を発動させれば、市場に投入したある程度の期間の後給付金自体は増税分で回収できる上に市場そのものも活性化できることになる。あるいは増税なしでも、給付金分の金額を後の年の税金で補填すれば、負担ゼロどころか市場回復分でお釣りがくる。
注意点1、これは増税による消費活動減よりも、給付した金額による消費活動増が勝らなければいけないが、その点を押さえれば、最終的には諸経費以外のメインの投入額を景気浮上とともに回復できるかもしれない。注意点2、一連の仮定は給付金による経済活性化が給付金を回収できるレベルで達成されている場合のお話で、むしろ給付金に関する最大の議論はこの1点に尽きるんじゃねぇかと。注意点3、前項に反して落ちつつある景気を精々維持することが目的の給付金である場合、資金回収は不可能又は相当後になる。
市場活動というのはお金を増やすことではなくお金を効率よく回すことだ。個人の手元にあるお金は、市場全体を流通するお金の絶対量ではなく、流通速度に比例する。速度さえ加速させれば、給付金そのものが最終的に市場に残っている必要などない。これは税金を回収手段とした資金の貸し付けに近い。
諸経費825億円による国民1人頭の負担は500円で、給付金12000円から差し引いても11500円の負担減。
つーか給付金は兎も角総額70兆を超える経済政策の効果見通しさえろくに伝わってない気がするわ。給付金のGDP引き上げ効果をたったの0.1%と仮定しても、残る73兆円が同レベルの効果をもっていれば計3.75%のGDP引き上げ効果が生じる。ただし、繰り返すがこれは散々効果がないとバカにされてる給付金と"同レベル"の効果が残る73兆円にもあるという仮定の元。現実には解りやすい景気浮上策である給付金よりも、他の73兆円が同じ目的に対して勝っているとも言い難い。GDP+0.05%/兆円に噛み付くヤツはとりあえず残りの70兆円近くの給付金未満の直接効果に噛み付いてからにして欲しい罠。
宇宙5分前仮説というものはもどかしい。例えばある時間に宇宙は5分前にできたと仮定すると、その後5分後にも同じことが言えるだろう。しかしこれはタイムラグが大きいからやや納得できるに過ぎない。ここで改めて宇宙1秒前仮説を立てると、この仮説は1秒ごとに1秒前について仮説を実行できることになる。時間を更に漸近させれば、極端な話宇宙が一瞬前にできたという仮説は、今現時刻の一瞬ごとに更新され、一瞬しか効果をもち得ない。
今現在宇宙10秒前仮説を立て、その後10秒後に10秒前に立てた仮説を破棄した上で新たに宇宙10秒前仮説を立てる。タイムラグが大きい場合は気にならない問題だったものが、今回は宇宙ができる10秒前に、その10秒前に宇宙ができたと説を立ててしまっている。故に少なくとも10秒後にとって10秒前の仮説は虚構で、進行する時間軸上でX秒前仮説を立てつづけることは主観的には限りなく不毛なことのように思える。
ここまで流し書き。説明が何やら微妙で分かりづらい。上手い解はないものか。
我らが長門カレーは哀れな商業主義に関係なくレトルト+大量のキャベツで実現できる。ザマミロ。
というわけで、今日に限って何故か無性にカレーが食いたくなり、キャベツがあったので上記のようなことをやっていたら、なんかカレーの日だったりした。
body要素のマージンを文字数指定にすると、解像度によってテキスト表示領域の割合が小さくなってしまう。文字数指定が絶対指定であるのが原因なので、短絡的にパーセンテージに改訂。現状で問題は確認されていない。
解像度で表示領域が酷く狭くなってしまう指定方法について、現状使用中のCSS群をチェックせにゃいかん。
5分前仮説で満足している連中には発想の転換が必要なのです。実はこの宇宙は5分後に定義され、今体験している世界は5分後に出現予定の宇宙内部の独立で自動的な計算が暗黙のうちに示す過去の領域。
ところで、宇宙が5分後だろうが5分前だろうが、どっちでもいいけど、例えば5分前に宇宙ができたとすると、その宇宙が138億年前から続いているように錯覚できるような意識の在り方を考えるのが建設的じゃあないだろうか。
VOCALOIDの声は歌としては聞き取りにくく、殆ど背景曲に溶け込んだメロディーとして聴いていることに最近気づく。
個人的に高くて透き通った声が好きだから、ある意味丁度ぴったりでいいんだけど。
各種本に手を出した年表でも覚えてるうちにメモ。基本中学入ってからとなるが、それ以前の本棚は百科事典しかない、とても後進的だった昔。
ジーリークロニクル関連を探すが見つからず。代わりに目に止まったレヴェレーション・スペースシリーズ 火星の長城、銀河北極の2冊。長編の啓示空間のほうは適当に捲ってみた結果保留することにした。後日ディアスポラ追加で3冊。ラノベ込みで積み本が山のように・・・
という名のアホ長い文章を書いたが、載せていない。この種の暴走的記事は後で読み返すと個人的に面白いから、自分専用に保存している。ネタ帳。ときたまチャットとかで同様のことをやるが、そちらは保存していないのが悔やまれる。今度からやろう。あれ、前にも書いたっけこれ。
実に1年を費やしたダイヤモンド版の育成体制が完全稼動したところで、連動作業を行うプラチナの体制構築作業を開始。一応戦闘向けの個体群の生産(生産かよ)はちまちま始めているけど、2ロム共環境が整うまでは廃人ロード1年コースとかはやらない。圧倒的に足りないボックス容量を2つのロムで補い、且つ両方のロムで同じレベルのプレイ環境を整えることが当初の予定だ。つか、ここまで念入りに下準備する必須性は正直怪しいが、そういう主義だからということで。
1つのロムに与えられたボックス容量は30匹×18ボックス。全492種類のうち卵育成が可能な種類を更に各種族1体の種ポケだけに絞ったとしても、ボックス7つを完全に消費する。そこに卵のない伝説系に1つを充てて、残り10ボックス。メタモンとシンクロラルトスの保管には2ボックスほど欲しいため、育成に使える環境は最小で8ボックスと考えられる。更に日々の運用に使うボックスを除けば、優良個体と戦闘個体の保管庫は厳しいレベル。実験的に戦闘個体を育成したDPでは優良個体の保存ボックスに相当の容量を食った。一切の余白なしの仮定でこれなのだから、現実の運用としては2つのロムに担当を分けるのが妥当となる(Wiiなしの環境では)。
もはや完成まで時間の問題であるよくあるHTMLリファレンスが、巧いサンプルを思いつかないというくだらねー理由で進んでいない(サンプルは基本ド下手なんだが)。
トップページの第3次デザインを適当に作ってみた。4月までには差し替えるかも。ある程度方向性を絞っているから、大体似たり寄ったりなデザインになってしまう、中身の情報が同じだし。
最近ふと目にした音楽のランキング番組に、着歌**万ダウンロードという表現があった。TV自体見なくなって久しいから、最近では人気音楽のステータス付けに携帯電話の着信音楽の人気を使うのだなぁと。
着歌でもある種の人気度ぐらいは分かるだろうが、それでは楽曲を鑑賞できないじゃん(=本当に楽曲が観賞用という観点で"優良"なの?)と思ったのは、iPodを音質が悪いという理由で蹴った人間の感想。