サイト運営者の日々の日記。2009年05月。
菅野よう子"スペース バイオチャージ"を買った。攻殻機動隊のOP3本を揃えるために9000円以上かかったものが、40曲以上のおまけつきで4000円。まぁショート版だから前者3枚買っててもさほど気にはならないが。
とりあえず流してみて、"ライオン"なる曲にえらくはまった。調べたらマクロスFのOP。これは私に観ろと言っているのだろうか。
最近になって遂に最後のセンター試験イヤホン(意外に高音質)が破損。今まで使わずにとっておいたノイズキャンセリングイヤホンを投入したが、性能が感動的。地下鉄の騒音を駆逐できるとは。ただ、当然のようにWalkmanの特定機種専用のため、そこそこ音質に優れた通常のイヤホンないしヘッドホンを買う必要が出てきた。けいおん!とか見てないけれど、デジタルサラウンドヘッドホンとかほしーな。
主題はずれるが、エヴァのBD版が観たい。しかし、BDドライブが高すぎる。まだ待ち。
見方によっては被害を最小限に抑えるために先制したようにも見える。現実と妄想の区別がつかない政府の連中に対策法案なんて作られた日には、1割どころかざっくり8割は禁止されかねない。
馬鹿か、捻くれ者か、それとも言語の不完全性を研究した末真偽の区別のつかなくなった狂人でもない限り、現日本国憲法を読んで敵地への攻撃が可能であるどころか自衛隊保有が可能だなんて解釈できない。改憲さえできない及び腰で敵地攻撃力を手に入れるぐらいなら、改憲で戦争を明文で合法化したほうが余程平和的判断を下せるだろう。
政治家が一々できるとかできないとか、口頭で法律を定義する状況が、そもそも規律を文章によって記述・固定化する法律の存在として誤っている。どうせ憲法9条は死体同然、さっさと改憲してほしいものだが、不思議なことに、9条の解釈改憲同様になし崩し的に憲法の他の条文も壊されそうでまるで信用できない。
今年のアニメは多分これ1本。ところでこの作品、時間遡行を単なる手段ではなく、一応それ自体の問題点に首を突っ込む程度には重視しているのだから、最終的には不完全性定理で誤魔化さずに、真っ当にその構造を明らかにしてほしいとか思ってるSF屋。ま、それはまだ遠い先の話だから、今はゆきりんを見れればいいということにしておく。
というわけで最速で視聴してみた。
このサイトは現時点で安全。愛用のFirefoxにAdobe ReaderとFlash Playerを入れていなかったから。NoScript搭載はデフォ。ただ、Webサイト乗っ取りは、こちらが信頼したサイトを上書きされる可能性があるから怖い。昔一度、その手で信頼したサイトから直撃を受けたことがある、防御したけど。
ふと、このサイトがフルXHTMLだったら、ラフな攻撃コードを仕込むと閲覧不能になって感染を防げるんじゃね、と。
ああ引きこもりたい。アメリカが国内侵入から2週間でえらいことになった実例を例に挙げてみれば、最初の侵入から1週間半で大流行モードに入るのは想像に難しくなかった。関東圏でも数日の間に隠蔽してた感染者数が出るやもな。満員電車に乗る羽目になる前にさっさと休みにしてくれ。
大規模な宇宙進出でもすれば核兵器は要らないんではないかと、5日の記事に基づいた原理として思いつく。太陽の重力井戸を十分に無視して推進できる宇宙機を仮定するなら、惑星表面への攻撃の破壊力は核よりも軌道爆撃(位置エネルギー攻撃)のほうが大きくなる。加えて、宇宙空間における核兵器の効力は電磁パルスに限定される。また、爆心地から一定距離内の地域を確実になぎ払う核兵器に対し、宇宙空間上の施設群は核で一掃できないほど広範囲に拡散しており、逆に、個々の施設群に対して核攻撃を加えるまでもなく、運動エネルギー兵器が極めて有効になってくる。よって、このような状況では核兵器の優位性は薄い。
1週間前よりPtの図鑑集めを開始、DP492/492,Pt489/492。DPの援護で異様に早く完成へ。
今年の映画はエヴァとポケモンあたりか。後者をこの歳で観に行くのはアレだが、観賞用アルセが欲しい。
GTSで適正レートの名の下に、結構本気で時間とアイテムを消費して作ったLv.100戦闘用を幻系要求で募集してみたり。一応、全て正規品幻系が届いた。伝説系氾濫の時代に適当に手を抜いてもいけるんだろーけど、届いた伝説が全部正規品だったのは、まともに使えるポケで募集をかけたからだと、自努力を肯定しておきたい。
ktkr。出るまでにPtをDPと同質環境にせにゃな。
金銀といえば今のように数値競争なんて時間と労力の物量戦をやらずに、至極純粋に育てたシリーズであり、同時に最速でデータが飛んで涙目なシリーズ。俺のバンギラスがあああってオチ。当時小学校高学年ぐれー、トゲピーがあんな悪魔になるとは思わなかった10年前。
日記のリンクアンカー部分で、HTMLを解釈するときのスペース除去が十分行われていないのではないかと思ってソース開いたら、メモ帳じゃなくて驚いた。
よく戦争の悲惨さや恐怖を伝えて戦争抑止を訴えるというものを見かけるが、そもそも現代の戦争抑止戦略からみて、この主張はどのような意味を持つのか。
人間が武器を持った最初の根拠は、自己保身と他人征服の2つなのは間違いない。そして武器の特性は、それを最初に手に入れた数千年前から何一つ変わっていない。つまり、生命に対する攻撃だ。武器に強制力がある最大の理由は、人間を含めた生物が生命維持を最優先とするからだ。言い換えれば、生命の危機に対する恐怖心が実質的な武器の能力であって、生命を奪う能力は武器の2つ目の使い道に過ぎないとも言える。この恐怖心故に、攻撃機能しかもっていないはずの武器は、抑止力としての防御機能を生じさせることができる(警察官の拳銃は犯罪者を射殺するためのものではない)。これを前提に構成された現代の軍事的戦争抑止策から考えて、戦争の悲惨さや恐怖を訴えるということは、単に軍事的な抑止戦略が真に有効であることを繰り返しているに過ぎず、その考えから武力放棄に繋がるための完璧な論理は存在しない。武器に対する恐怖自体が、戦わないために武器を持つ最大の理由なのだから。
武力の存在理由が生命に対する恐怖心であるならば、武力を取り除く方法論は2通り考えられる。1つは武力に対する恐怖心そのものを取り除く何らかの技術的、心理的策を実施する。この場合、武力による戦争抑止は働くなり、武力に代わる代替抑止力を考えざるを得ない。例えばすべての攻撃兵器を完璧に迎撃できる純粋防御技術があれば、攻撃を恐れる必要はない。もう1つは、抑止力として使用する恐怖心を、生命の危機以外のものに代替し、それを物理的な武力以外の何かで実施することだ。例えばそれは国際関係における地位や利益だったり、経済力であってもいい。
これらの方策は安定性を目的として、何れも一定以上の強制力を持たなければいけないことを前提にしている。ちなみに全く別系統の抑止力候補として、相互信頼というものがある。思いついた中で現実的なものとしては、国境を区別しないインターネットインフラ上の言語障壁を技術的に取っ払って、国民間の直接通信を常態化させる。十分多くの構成員がネットインフラに接続された前提で、文化集団の混合が起きれば、まぁ人権を停止しない程度の小競り合いや多少の武力保有は続いても、少なくとも当初の目的である"悲惨"な戦争は抑止できるかもしれない。ただし、信頼に強制力はないし、お互いが十分賢明である保証もない。
IT技術の発達によって、漢字が書きにくいという問題は克服されたのだから、今や意味と表現を犠牲にして画数を減らし書き易くする処理も、不必要なものとなりつつあるのだろうな。
ここで、ペンで文字を記述することについて、IT技術が漢字を書けなくしたという意見があることの面白さに気づく。私としては文字の記述法が変わっただけで、文字自体の情報記録能力は変わっていないし、前述のようにむしろ豊富にさえなると考えている。極論、出力インターフェイスの変化だけで脳は相変わらず同じ言語を表現している。これは将来的にブレイン・マシン・インターフェイスが実現され、物理的な記述手段が失われても同じだ。文字表現は出力部分にその範囲を制限される。3次元空間に描く文字が今まで存在していないのは、物理メディアの性能が20世紀に至るまで貧弱であったことが原因であり、理論的にこの限界を突破できるIT技術の進歩は、文字としては喜ばしい変革に思える。
物語の主題が知的生命体同士の友好から、惑星生態系の保護を訴えた内容に変わったせいか、俗に云う宇宙人の主張が全く知的に見えなくなった。
Wikiなどと同じように、文章中の言葉に該当するページに自動的にリンクを記述する処理をXSLTで実現できないものか。無理ならば単純に、適当なプログラムでも組んで実行させたい。
閲覧者サイドの視点では、XHTMLであることを活用できる点は確かにほとんど存在しない。が、多くの閲覧者にとっては、表示されているページがどのような言語に基づいていようが、原則ブラウザによって一様に整形され差異がなくなったものを利用している以上、特定言語を利用するメリットの薄さはXHTML以外でも全く同じことが言える。数多のプログラミング言語のうちどれを用いて開発しようが、最終的に操作するユーザーにとっては全く関係がないことと同じだ。こう考えると、XHTMLがHTMLに比べて大したことはない、と論ずるために、閲覧者側の視点を挙げること自体が無意味なことのように思える。
最終表示結果に大差が認められないなら、もはや製作者の都合で使いたければXHTMLを使えばいい、という流れになってくる。一般ユーザーにとってXHTMLで実現できる機能に馴染みはないのは事実だが、そういう機能を使うユーザーも当然いて、そこまで行って初めて、HTMLでは不便な状況が出現する。これはHTMLの仕様に含まれる装飾系要素とCSSとの対立にも似ている。CSSで実現できることは装飾系要素を用いても実現できてしまうが、CSSの表現技術を一定ラインまで踏み込めば、明らかにCSSの装飾能力のほうが勝っているため、HTMLの装飾系要素に不利な状況になる。HTMLとXHTMLでは、現状のWebでは踏み込むラインがやや専門的で深いだけで、関係そのものは(ブラウザの対応までも)装飾要素とCSSの関係と同じものだ。
光円錐の外側同士では、因果律という概念が原理的に存在しないため、時間の前後はもはや関係ない。量子エンタングルメント状態にある2個の粒子をお互いに光円錐外側に配置したとき、光円錐の外側の因子によって影響された片方の粒子の状態は、時間の前後に関係なくもう片方の粒子の状態に現れても因果律を侵さない。
4月末に日本国憲法は9条以外存在しねーのかと書いてたが、全くそのままだ。
第1章、権威を肯定する、人として。現状において数多の政権や戦争を超えてまで維持してきた天皇制をわざわざ自滅させるメリットも皆無。
第2章、私としては憲法第9条のシミュレーションは警察予備隊が創設された段階で終了したと思ってる。施行から10年で事実上崩壊した憲法なんぞ現実に即したものに修正を施すべきだ。ついでに、憲法はいつやってくるかもしれない理想を描くためのものではなく、現在の国家を規定するために存在すると考えている。理想なら理想って条文に書け。更に条文に書かれている規定が解釈で変わるなど、もはや規定ではない。
第3章、逆に改憲と同時にいじられて、それまで認められてきた自由の一部が無効化されるのではないかと危惧している。改憲しようと言っている連中ほど、国民の自由を制限したくて仕方がないようだ。
古いDVDを見ようとしたら、一部読み込みに失敗してビュアーが立ち上がらない。オリジナル盤は保存してコピーディスクでメディアを消費する形式を、DVDにも適用すべき頃合か。かれこれ9年使っているアプリケーションも、オリジナル盤が再生不能になって複製ディスクを使っているもの多し。更にHDDを使えば、物理媒体の劣化はコピーディスクを使用するよりも低い。HDDは現状で3重バックアップしている。