秘密を守る夜うぐいす by shさま@水の中のナイフ

 厚手のカーテンの向こうが、ぼんやりと白くなってきた。ジェロニモは読みさしの詩集を枕元に置いて、そっと寝床を抜け出しにかかる。目が覚めたのは30分ばかり前だ。それからは眠らずに、起きていた。

 夜明け前に、森で会おうと約束していた。

 ハインリヒの口から、はっきりと時刻を指定されたわけではないが、白っぽい物の形の見分けがつくようになってから、ということだと、正確にジェロニモは理解していた。
 夜の間に物音をたてれば、聴覚の鋭敏な少女に、いらぬ不安を与えてしまう。
 明るくなってしまうと、二人きりで過ごせる時間は、皆無だ。






 
 小道には、雨の匂いが立ち込めていた。粒子の細かい霧が漂っている。まるで、生まれたばかりの朝のようだ。混沌とした世界の中で、辛抱強く色がつけられるのを待っている ――。
 青みを帯びた静けさの中に、藪を踏み分けて行くジェロニモの足音が響く。
 どこかで、鳥が鳴いていた。夜明け前に鳴く鳥も確かにいる、と思いながら、ジェロニモは途切れることのない歌声に聞き惚れる。澄んだ口笛のような鋭い音だ。単調なリズムを幾つか刻んだかと思えば、力強い高音が伸びて、目眩ましのような闇に切れ味のよい弧を描く。
 枝に止まっている姿を見つけられると思ったが、ジェロニモの目に映るのは、蒼ざめた樹木のシルエットだけだ。




 一際、大きな菩提樹の幹に軽くもたれかかるようにして、ジェロニモの恋人は佇んでいた。
 見慣れた黒いタートルネックに顎を埋めて。



 「ハインリヒ」
 足を速めながら、小声で呼ぶ。
 彫像のように整った白い顔が、遠目にもぱっと輝くのが分かった途端、ジェロニモは走り出していた。
 太い腕を差し延べて、愛する男の体を軽々と掬いあげる。戦闘用サイボーグの筋骨たくましい体を、こんな風に扱えるのは自分だけだという自負がある。一瞬だけ力いっぱい抱き締めて、それから木の根元にそっと靴の裏をつかせてやった。
 「…待たせたか」
ずっと頭の後ろで気になっていた問いを口にする。
「いや、俺もさっき来たばかりだ」
即座にハインリヒが首を振る。それが真実でないことを、ジェロニモはすぐさま見抜いた。顎先に触れるハインリヒの頭髪は夜露でしっとりと濡れていたし、ジェロニモの胸におかれた鋼鉄の右手は、氷の塊のようだった。
 嘘をつけ、と詰る代わりに、ジェロニモはハインリヒの、その手を優しく握り締める。待ち切れなかったのは、ハインリヒも同じなのだと思うと、満ち足りた思いがじん、と体中に広がっていく。
 思わず、覆いかぶさるようにして抱き締めた。
 ハインリヒが小さく喘ぐ。わずかに顎が仰向いて、もの言いたげに唇がほころびる。呼吸が苦しいのだと見せかけて、本当は誘っているとしか思えない。そのくせ、近づいていけば、急にひるんだように背をそらす。
 普段は穏やかな触れ合いを好むジェロニモの本能に、火がついた。荒々しく抱き寄せるが早いか、最初から獣のように歯を噛み鳴らして挑みかかる。生きもののような舌が自在にくねり、戸惑うハインリヒの舌を根元から絡め取る。喉を犯す深い動きに、こらえきれない呻きが漏れて、泡立った互いの唾液が顎を濡らす。
 「ん…はぁっ…ジェロ、ニ、モ…」
 いつの間にか、ハインリヒの鋼鉄の掌が、強く肩に押し当てられていた。
 離れた唇の間で一瞬、光る糸が伝って、切れた。
 くたん、と膝からくず折れたハインリヒに、慌てて手を差し延べる。中途半端に腕がからんで、ジェロニモも湿った土の上に膝をついた。
 中腰のまま、胸の中に抱き寄せる。おとなしく身をまかせるハインリヒだが、ジェロニモの広い胸に頬をすりつける格好で、乱れた呼吸はなかなか治まることがない。忙しなく上下する背中を、ジェロニモは夢遊病者のような手つきで撫で下ろす。なだめるつもりが、指先自身が快楽を追い求めてさまよい始める。
 「駄目だ…」
 つぅっと背すじの窪みを辿られて、ハインリヒが口走った。
 裾をまくれば、セーターの下は、すべすべした素肌の感触だ。ハインリヒの、いつもの習慣だと分かっていながら、ジェロニモの体は熱くなる。這うように指を進めれば、肩甲骨の辺りで冷たい金属の部品に突き当たった。柔らかな皮膚との境目を上から何度も撫でてみる。
 「駄目だ…こんな、外で…こんなこと…」
 顔を見られたくないのか、必死にハインリヒが首にしがみついてくる。心地よい重みに身をかがめて、ジェロニモは再び、恋人を腕の中に抱き上げた。
 この男の全てを、剥ぎとってしまいたい。
 あと、ほんの少しで消えてしまう月の光の中で、ぼぅっと青白く輝く肢体を、心ゆくまで眺めたい。
 ごくり、とジェロニモは喉を鳴らす。


 


 あぁ、あぁ、とハインリヒが切れ切れに呻く。

 一杯に広げられた仄白い両脚の間では、はちきれんばかりに盛り上がった褐色の背中が、ゆるやかな律動を繰り返していた。ざらついた皮膚から汗がにじみ、冷え切った夜明けの空気との間の境界線をぼやけさせている。まるで過酷な苦役に喘ぐ輓馬のようだ。

 まばらなヒースの茂みに身を寄せて、生まれたばかりの姿で抱き合っていた。

 湿った黒土の匂いと獣たちの体臭を、冷たい風がひそやかに運んでくる中で、折り重なって求め合う。

 見えない手綱をぐい、と引かれたかのように、ジェロニモのぶ厚い上半身が反り返った。強く押し付けられた下腹部の震えが、ハインリヒの体内に伝わってくる。
 きつく締まった内部が、やがて弛緩し、幾らか湿りを帯びてきた。
 再び、ジェロニモは動き出す。
 仰け反ったハインリヒの白い喉が、ひくひくと震え出した。
 「やめて、くれ…頼むから…っ」
 苦しげに、ジェロニモは眉間を寄せる。それでも素直に体を引こうとすれば、すかさず背中に機械の両脚が絡みついてきて、ぞくり、と肌が粟立った。
 「あぁっ」
 細い銀の足首を鷲掴みにされ、更に辛い体勢を強いられて、ハインリヒが声をのむ。だが、ジェロニモを見上げる顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。やんわりと開かせた両膝ごと抱き寄せた。そのまま頭を低くする。前のめりになって胸を合わせ、次第に体重をかけていく。
 平たく押しつぶされる形になって、ハインリヒの呼吸が浅く、早くなる。途方もない重みに息が詰まり、体の奥へ打ち込まれた欲望の形が、薄い皮膚を突き破らんばかりにどくどくと脈打っているだろうに、ジェロニモの太い首にまわした腕の力を緩めようとはしない。
 間近で、濡れた瞳が瞬く。
 抱いているのは自分なのに、自分も、また、ハインリヒに抱かれているような錯覚が襲いかかってきて、荒々しい咆哮にも似た衝動が、ジェロニモの体を突き抜ける。
 つい、手加減を忘れたのは、一瞬のことだ。
 それでも、ハインリヒに叫び声をあげさせるのには、充分だった。


 二人の、重い体の下で擦り潰された草の葉が、滲んだ汁の匂いを辺りに色濃く撒き散らす。








 鳥の声が、聞こえてくる。





 ゆらめく音の形が、ジェロニモの耳を奇妙に引き付ける。どこか哀しげにも聞こえる旋律で、さっきと同じ鳥だということが分かる。
 夜通し、姿の見えない相手に求愛を続けてきたのだろうか。


 もう、日が昇る頃だ。
 明るくなる前に、戻らなければならなかった。


 「鳥が鳴いてるな…」
 掠れた声で、ハインリヒが呟いた。けだるい動作で衣服を身に着けている。白い息を吐く横顔は淡々として、さっきまでの激情を微塵もない。

 いつもの、ハインリヒだった。
 いつになく乱れた髪や、上気した目元には、隠しきれない名残が現れていたけれども。

 「なんの、鳥だ」
 「知らないのか?」
 驚いて、ハインリヒが聞き返してくる。黙っていると、
 「そうか…アメリカには、いないんだな」
と頷いてから、
 「ナイチンゲールだ。この辺じゃ珍しくない」
と、教えてくれた。
 「そういえば、さっきも、鳴いていた」
そう言うと、
 「夜の間と明け方に鳴くのさ。昼はどうしているのか知らないが」
歩き出したハインリヒから、返事が返ってくる。ジェロニモは、動かなかった。もう少し、ナイチンゲールの声を聞いていたいと思ったからだ。
 「どうした。行かないのか?」
ハインリヒが振り返る。
 「まだ、しばらく、森にいる」
子供のような言い方をしたジェロニモに、ハインリヒは理由を尋ねなかった。
 「そうか。好きにするといい」
軽く、肩を竦める仕草をしてみせただけだった。

 ゆっくりと、足音が遠ざかっていく。



 じっと、ジェロニモは耳を澄ませていた。
 ナイチンゲールも、巣に帰ってしまったようだ。
 それでも、あの鳥は、知っているのだと思った。
 自分とハインリヒが、この場所で、どんな風に愛し合ったかということを。


 
 それだけで、ジェロニモは、満足だった。

うひょー!!
ニヤニヤしながら読ませていただきました! 愛し合う54!愛し合う54!
次の日の昼間に、ひとりでジェロたんは森のパトロールにやって来て、ひとりで赤くなってればいいよ!
素敵な54を見せていただけるのは、いつもいつもものすごい天国です。
ほんとうにどうもありがとうございます。またニヤニヤさせていただきます。
萌え死にながら退場 ⊂⌒~⊃*。Д。)⊃~

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