cheek to cheek

shさま@水の中のナイフ




おずおずと差し出された黒い皮手袋の右手を、しっかりと握って、ジェロニモは立ち上がった。

ハインリヒは、踊りたいだけなのだ。
そうと分かれば、迷うことはない。

今まで誰かと踊ったことなど、一度もなかったけれど、音にあわせて体を動かすことは嫌いではなかったし、このぐらいの速さの音楽だったら、何とかついていけそうだと思った。
滑りやすそうな階段を踏みしめて、そこだけ仄明るいダンスフロアへと、ハインリヒの手を引いて、下りていく。

向き合って、ハインリヒの身体に腕をまわした。
しばらくして、ためらいがちに脇の下をくぐってきた両手が、胸と胸がつかない程度の距離を保ちながら背中にまわり、肩甲骨の辺りをさまようのを感じて、思わず微笑んだ。
ハインリヒも、どうしたらいいのか戸惑っているに違いない。
きつく抱き寄せれば背伸びをさせることになってしまうから、ゆるく腕を絡めて、音楽に耳を傾ける。
聞き慣れない電子楽器の音が次第に音量を強め、それと重なるように何十、何百もの音の層が、それぞれの輪郭をぼやけさせながら、次第に幻想的な音の帯を形づくっていく。
それらが全て、人の声を加工した音だと気づいたのは、歌がはじまってからだった。

I’m not in love
So don’t forget it
It’s just a silly phase I’m going through


ともすれば遠ざかっていきそうなハインリヒの背を、指の先だけで引き寄せながら、1週間前の出来事を思い出していた。



――どこへ行く?
眠っているとばかり思っていたハインリヒの声に、咄嗟に答えていた。
――邪魔する…悪い。

ここは、ハインリヒの部屋だ。
自分が朝まで過ごす理由はなかった。

――邪魔、なんて…。
ハインリヒが小さく呟く。
シャツに腕を通しかけたまま、ジェロニモは、その先の言葉を辛抱強く待った。

ハインリヒは、何も言わない。

あきらめて、ジェロニモは、身支度を整える作業に戻る。
ハインリヒが傷ついているのだ、ということは、何となく分かっていた。
けれども、自分には、どうしようもないことだ。

夜明けまで、あと数時間を残して、何事もなかったように、ジェロニモはドアの外へ出て行く。



And just because, I call you up
Don’t get me wrong, don’t think you’ve got it made
I’m not in love, no, no, it’s because…


ハインリヒは、頭をジェロニモの胸にもたせかけて、まるで立ったまま、眠っているようだ。
長い前髪の陰から、薄い肉付きの鼻梁がまっすぐに伸びて、その下に位置する唇は、ふっくらと赤い。見かけよりも、酔っているのかもしれないと思って、抱き寄せる力を、少し、強くした。
親指を立て、残りの指の腹で、背骨の窪みを押さえる。
ハインリヒが一瞬、身を固くしてから、おとなしく体を預けてくる。
膨張する音楽が、ゆったりと二人を包み込む。

I like to see you
But then again
That doesn’t mean you mean that much to me




ギルモア邸にいる時は、二人きりになることを避けていた。ハインリヒが、仲間達に知られることを極端に恐れていると、知っていたからだ。それでも、あの夜は、危険を承知で、ハインリヒの部屋のドアをノックした。

話をするだけで、よかった。

だが、バスローブ姿でベッドに肘をついて本を読んでいたハインリヒは、一言しか口にしなかった。
――ここじゃ、まずいだろう。
ページから視線を上げもしないで。

その時になって、自分が最初から、そうするつもりだったことを悟った。
無言で、明かりも消さず、男の体を組み敷いた。
バスローブの裾を割り、露わになった金属性の膝に片手をかけて、うつむいた白い顔を覗き込んだ。透き通るような頬に、みるみる鮮やかな血の色が透けてきて、とてもきれいだった。
そんな気はない、とでも言いたげに、わなないた唇を、口づけでふさいだ。


So if I call you
Don’t make a fuss
Don’t tell your friends about the two of us
I’m not in love, no, no, it’s because…



喉を限界までそらせて、ハインリヒが声を殺している。
機械の指が、脇に放り出された本の背表紙を、すがるように掴んだり離したりするのを目の隅で捉えながら、ジェロニモは、ハインリヒを追い立てていく。
決して急がずに、ゆっくりと。
色づいた肌が、次第に汗ばんでくる。冷たい金属の部品をところどころ埋め込まれた肢体が、ジェロニモの愛撫に反応して、ゆるやかに波打ちはじめる。薄く目を閉じて、どこか遠くへ祈りを捧げているような端正な表情からは、想像もできないような淫らな動きに、このまま、顔を見ながら貫きたいと強く思う。

大きく割り開いた脚の膝裏に手を添えて、ばらばらに持ち上げると、ハインリヒが驚いたように目を見開いた。
こちらの意図を察したのか、息を弾ませ、上半身をひねって、押し広げられた部分を隠そうと身をよじる。
もがく肩を正面から、なだめるように押さえつけた。
潤んだ瞳が訴えていることは、実は、たった一つのことだけなのだということを、ジェロニモは知っている。

すっかり入り込んだ後で、大きく息を吸った。
青白く張り詰めた皮膚の内側の、溶けるような熱さに、身震いせずにはいられなかった。
息を切らせ、見つめあいながら、そろそろと動き出す。
ハインリヒのうっすらと開いた口の中で、濡れた歯が白く、光っている。
何か、言おうとしている。
けれども、言葉にはならない。
苦痛のせいではなく、顔がゆがんで、目尻から涙が滴り落ちる。


あまりにも深く繋がって、身動きする自由すら奪われて、何もかも分からなくなる瞬間がやってくる。


動かなくなったハインリヒを、抱き締める。
まるで重さの感じられないハインリヒの鋼鉄の右手が、自分の頭の上に、そっと置かれる。

堰を切って溢れそうになるものを、やっとのことでジェロニモはこらえる。



“Be quiet, big boys don’t cry”
“Big boys don’t cry”
“Big boys don’t cry……”


間奏に挿入された奇妙な囁き声に、ジェロニモは我に返った。
苦い想いが、小さく喉を締めつける。

傷つけるつもりなど、なかった。

音が、広がっていく。
反響し、拡大する和音の中へ、野放図に飲み込まれていきそうな気がして、恐怖を感じた。
ふらり、と体の軸がぶれて、完全に自分を見失いそうになる。

棒立ちになりかけたジェロニモの脚の間に、ハインリヒの膝がやわらかく割り込んだ。

ハインリヒが、なめらかにリードを奪う。
満ち足りた音量の中へ、易々とジェロニモは、引き戻されていく。
機械の心臓の鼓動が、上昇する旋律に吸い込まれていくようで、体の芯から力が抜けていく。

ハインリヒの腕が、腰から離れて、自分の首に巻きついてくるのを、ジェロニモは、半ば不思議な思いで待っていた。

Ooh, you’ll wait a long time for me
You’ll wait a long time
Ooh, you’ll wait a long time for me
You’ll wait a long time


しなやかで力強い腕に引き寄せられるまま、体を折る。
胸と胸を重ねる。
互いに肘を折り曲げ、これ以上できないほど近くに。
頬と頬を、ぴったりとくっつけあって。

「動かなくていい」

静かに、ハインリヒが言う。

「ただ、こうしていたいんだ」

ジェロニモは何も答えられずに、ハインリヒの肩に顔を埋める。


I’m not in love, so don’t forget it
It’s just a silly phase I’m going through
I’m not in love.
I’m not in love…



もはや、音の一つ一つがきらめく粒子に変わって、螺旋状に二人を取り巻いているかのようだ。
圧倒的な空気の流れが、耳の中でこだまする音の奔流に変わったかと思うと、急激に引いていく波のように、遠ざかっていく。

抱き合う二人を残して。


ハインリヒは多分、踊りたいだけなのだ。


それでも、かまわない。
心の中で呟きながら、ジェロニモは目を閉じる。





444を踏ませていただいて、54でリクエストさせていただきました!
狙って日に何度も行ってたとか内緒。
踊る54!周りの目は気にしなくていいよふたりとも!どうせひとりずつでもじろじろ見られるに違いないふたり、開き直って一緒にいればいいじゃない!内心いろんな言い訳を考えてるんだろうなふたりともと、考えれば考えるほど萌えも妄想も広がるステキなふたりを、どうもありがとうございました!
目を閉じるジェロたんにうっとりしながら、大事に愛でさせていただきます。重ねて、shさまほんとうにどうもありがとうございました☆


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