ここからふたりではじめよう - 番外編その7


誕生日




 バスルームから出ようとすると、ジェットが、ドアの外から怒鳴った。
 「せんせェ、下、なんにも着けないで出て来てよ。」
 長い間、思い出したことすらなかった誕生日をジェットに尋ねられ、何を一体企んでいるのか、9月19日の今日、ジェットはひどくご機嫌に、アルベルトの家へやって来た。
 平日だというのに、泊まって行くから、と言い、けれど別に何かわざわざ持って来た様子もなく、記念日の大好きなジェットには珍しいと思いながら、心のどこかでプレゼントを期待していた自分に気づいて、アルベルトは少しばかり赤くなった。
 バスルームから、言われた通り、パジャマの上だけを着けて出ると、ジェットがひどくはしゃいだ様子で、アルベルトを寝室の方へ連れて行った。
 アルベルトをベッドに坐らせ、自分は床に坐り込むと、ジェットは、へへへと笑って、手を、アルベルトの目の前に差し出した。
 「せんせェ、前の、切っちゃったって言ったからさ。」
 大きく開いた掌の上に、また、新しいミサンガがあった。
 ジェットがクリスマスにくれたミサンガを、うっかり右手の指に引っかけて切ってしまってから、そろそろ1ヶ月になる。
 思わず、ひどく沈んだ声でジェットに電話してしまい、きっとジェットががっかりするに違いないと思っていたのに、がっかりしていたのは、むしろアルベルトの方で、切れた時に願い事がかなうんだから、いいんだよと、逆にジェットに慰められた。
 今日、機嫌が良かったのは、これのせいかと、アルベルトは思わず苦笑する。
 「誕生日、おめでと、せんせェ。」
 にっこりと、下からジェットが言った。
 ありがとうと、少しだけはにかみながら、アルベルトは言った。
 前のものより、長くて、少し幅が広くて、厚みがあるように見える。
 相変わらず、どうやって編んだのか、見当もつかない。三つ編みのように見える模様に、3色、赤と青と白、わざわざまたつくってくれたのかと、アルベルトは、そんなジェットの気遣いがひどくうれしかった。
 ジェットに向かって、左手を差し出すと、
 「違うよ、手首じゃないよ。」
 そう言われ、アルベルトが思わず戸惑った顔をすると、ジェットはアルベルトの足を持ち上げ、自分の膝に乗せた。
 「今度は足首。そしたら、引っかけて切るとか、ないからさ。」
 めくれたパジャマのすそを、慌てて押さえて、アルベルトは、少しばかり赤くなる。
 ジェットは、うれしそうに、アルベルトの左の足首に、新しいミサンガを、ゆっくりと巻いた。
 結び終わっても、また離さず、アルベルトの足首を抱えたまま、ジェットは下から、アルベルトを見上げた。
 「ほんとは、オレ、名前も編み込みたかったんだけどさ、JETって入ってると、あんまりせんせェオレのって、主張しすぎかなって。」
 ふと、照れたように、笑って見せる。
 「そんなことも出来るのか?」
 「ジェロニモは、できるって言ってたよ。次の時はさ、名前入れるよ。せんせェオレのだって、みんなにわかるように。」 
 「・・・・・・切らないようにした方が、良さそうだな。」
 混ぜっ返すように、アルベルトが言うと、ジェットがわざと唇をとがらせて見せる。
 「せんせェモテるから、オレ、心配だよ。」
 「いらない心配だな。そっちこそ、大学で、新しい友達ができたんだろう?」
 「・・・オレが、せんせェしか見えないって、知ってるクセに。」 
 低く言って、ジェットが、アルベルトの足を、引き寄せた。
 骨張った甲の、薄い皮膚に、ジェットが唇を押し当てる。足指の間に指先を差し入れ、優しく撫でるように、触れる。
 アルベルトは、思わず肩を硬張らせた。
 ジェットの唇が、皮膚の柔らかい部分を滑る。ふくらはぎの裏、膝の裏、腿の内側。
 ジェットの頭を思わず押さえ、アルベルトは息を弾ませていた。
 「明かり、消してくれ。」
 やだよ、と言下にジェットが言った。
 「せんせェ、見てたいもん、オレ。」
 着けたばかりのミサンガを、腕を伸ばして、指先に遊ばせながら、顔も上げずに、ジェットが言った。
 息が、かかる。
 いつの間にか、抱え上げられた足が、ジェットの肩に乗り、ジェットの息が、もっと敏感なところへ、近づいていた。
 舌先が、触れる。その先を期待して、思わず腰が浮いた。
 暖かな、ジェットの舌。アルベルトの、敏感な輪郭を、焦らすようにゆっくりと、なぞってゆく。
 声をもらすまいと、止めていた息を、大きく吐き出して、また、肩が震えた。気がつくと、右手で、ジェットの肩を強くつかんでいた。流されないために、自分を、引き止めておくために。
 ジェットが片手を伸ばし、両手を使わずに、器用にパジャマのボタンを外してゆく。
 とがった、小さな突起に、ジェットの長い指が触れた。
 もう、体を支えていられなくて、アルベルトは思わずベッドに倒れ込んだ。
 右手の甲で自分の口をふさぎ、左手は、ジェットの髪をつかんで、アルベルトは、ジェットの背中を、足指でひっかいた。
 それから、大きく浮き上がって、叩き落とされる感覚の後、力の入らない躯を、ジェットが、優しく自分に添わせた。
 足を高く上げた、心許ない姿勢。虚ろに見上げた視界に、ジェットの赤い髪と、ミサンガの白い部分が、ぼんやりと映る。
 こんな形で、所有を主張できるのかと、こんな時に、ふとおかしくなる。
 主張する必要すら、ないのに。もう、ジェット以外、誰も見えないのに。他の誰に触れる気も、触れさせる気も、ないのに。
 ジェットの熱が、自分の中に入る。もう、何度も繰り返して、ようやく躯が馴染み始めた、そんなこと。皮膚だけではなく、躯の奥深く、自分でさえ知らない部分を、他人と重ねる、感覚。
 重ねて、混じり合わせる。ひとつになったと、錯覚するために。ふたりは、ひとりにはなれないから、自分の知らない躯の奥底を、誰かに明け渡す。そうして、ひとつになったと、錯覚する。
 ふたつにまた別れても、その錯覚は、ふと時折、躯の隅に甦る。ひとつではない。純然と、ふたつの体。それでも、ひとつに、限りなく近くなれる、こんなふうに。たとえ、錯覚ではあっても。
 ジェットの首に腕を巻き、引き寄せた。微かに、唇の間からのぞいた、濡れた舌先に向かって、アルベルトは自分の舌を差し出した。
 ジェットが、熱い。
 アルベルトは背骨をきしませて、ジェットの激しさを受け止めようとした。
 天井に向かって、爪先を伸ばしながら、もっと、躯を開く。ジェットのために。
 肩の動きを止め、ジェットが、ゆっくりと、躯を離した。
 放心したような表情で、それでもしっかりと、またアルベルトの足首---ミサンガを着けている方---に、軽く歯を立てると、それからどさりと、アルベルトの横に、体を落とした。
 「せんせェに、殺されそうだよ、オレ。」
 アルベルトの胸の前に、ジェットが腕を伸ばしてきた。
 「それはこっちの台詞だな。」
 そう言って、軽く額をこずいてやる。
 胸に触れるジェットの手首には、去年のクリスマスにアルベルトが結んだミサンガが、まだゆるく巻きついたままでいる。
 「今度は、大事にするよ。」
 そのミサンガに触れながら、アルベルトは言った。
 「いいよ、切れたら、またつくって、今度はもっと別のところに着けるからさ。」
 にやっと笑って、ジェットが、アルベルトの脚の間に手を伸ばした。
 「こことかさ、オレの名前入りの。」
 今度は遠慮なく、右手で、頭をぶってやった。
 いてェと声を上げて、またジェットが笑う。
 「誕生日、おめでと、せんせェ。」
 優しい声で、ジェットが言った。
 唇が、触れる。また、ゆっくりと足を絡め合わせながら、ふたりはいつまでも、くすくす笑いを止めなかった。


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