「あらし」 - 番外編
Bitter Enbrace
ドアを開ければ、見慣れた、赤毛の長身が、所在なさげに立っていて、
「・・・ここまで、来ちまったから・・・」
まるで、ちょっと立ち寄ってみただけだというような、言葉を吐いた。
周囲には何もない、こんな郊外の廃工場に、ちょっと立ち寄るわけもない。わざわざ来たから、グレートが、すでにいると知っていても、顔を見せずにはいられなかったのだろう。
中に入れと言うと、意外そうな表情で、肩越しに、ソファでグラスを傾けているグレートに視線を投げてから、数瞬、切なそうにアルベルトを見つめて、ジェットは素直に、足を前に踏み出してきた。
肩に重たげなジャケットを脱ぎ、キッチンの椅子に置いて、紅茶でも飲むかと訊くと、素直にうなずいた。
さすがに、グレートのいるリビングのスペースへは行きづらいのか、紅茶をいれるアルベルトの背中に張りついて、あちらを、ちらちらとうかがっている。
グレートは、顔の向いている方から、どちらへも視線を反らさず、ゆったりとグラスを傾けていた。
もう、うろたえることもなく、いれたばかりの紅茶を渡してやり、ジェットを、リビングの方へ促した。
グレートは、やっと気づいた、とでも言うよう、ちらりとジェットとアルベルトを交互に見て、目だけで、やあと言い、ジェットはそれに、少しひるみながら、肩をすくめた。
グレートの、正面のソファを目顔で示しておいてから、グレートの隣りへ戻る。
3人で話すことなど、何もない。
ふたりだけなら、グレートとアルベルト、アルベルトとジェットなら、話すこともすることも、それなりに思い浮かぶけれど、3人で、一緒に話をするとか---たとえ、世間話であっても---、何かをするとか、そんなことは、あまり思い浮かびもしない。
居心地が悪ければ、この場を去るだけの話だった。
さて、誰に、どう話しかけようかと、話題を思いめぐらせていると、いきなりグラスを空にしたグレートが、ゆらりとソファから立ち上がった。
グレートが、キッチンへ、自分で酒を取りにゆくのは、別に珍しいことではない。けれど、そちらの方がキッチンへは近いのに、わざわざ、アルベルトの前を通り過ぎて、ソファの端を回り、後ろへ行ったのは、明らかに、ジェットに見せつけるために違いなかった。
ジェットがいると、グレートは、らしくもないそんなことを、よくやる。まるで、子どものように。
ソファの後ろを歩いてゆきながら、グレートの手が、アルベルトの首筋に触れた。
促されたように、上を向いて、ふっと微笑んだ笑顔が、目に入る。
見つめ合って、それから、キッチンへゆく後ろ姿を、見送る。視線を戻すと、じっとこちらを、にらむように見ているジェットと、視線が合った。
もう、罪悪感さえなく、ジェットの視線を受け止めて、自分のためにもいれた紅茶を、一口すする。
キッチンにいるグレートの方へは、もう、ちらりとも視線を投げなかった。
それでも、どうせなら、酒が欲しいなと、思う。酔えば、少しは人間らしくなれるかもしれない。
普通の、人間らしく。
意味もなく、右手に視線を当てて、それからまた、ジェットを見返した。
何か言いたそうに、唇を開いた後、それをぎゅっと結んで、ジェットが目を反らす。
自分が、後から入り込んできた---始まりも、今この時も---よそ者なのだと、自覚していると、横顔に書いてある。アルベルトとグレートが、過ごしてきた時間の長さを越えるには---越えられないからこそ、ふたりには、なれない---、まだ若過ぎる。膚の色と同じだ。それは、変えられることではない。アルベルトは、ジェットに、ほんの少しだけ同情した。
憐れみが、いっそう愛しさを増す。今すぐ、あちらへ行って、抱きしめてやりたいと思ってから、それをできない自分を、心の中で嘲笑う。
こうして、3人で、罵り合わずに、同じ部屋にいられることを、ありがたく思った方がいい。
そう、自分に言い聞かせてから、薄茶の、暖かな紅茶の表面に、かすかに映る自分の顔を下目に見る。
グレートがまた、こちらへ戻ってきて、ソファの後ろへ立った。
そちらへ顔を向けると、どうしてか、グレートの両手は空で、右手が、すいと、あごに伸びてきた。
ゆっくりと、グレートの顔が、近づいてくる。
持ち上げられたあごにかかった指に、少し、力が入ったのを感じた。
目を閉じたグレートの、色の淡い、意外に長いまつ毛が、自分のまぶたに触れそうな近くに、揺れているのが見える。目を細めて、それから、完全に目を閉じた。
人がいる前にしては、少しばかり、深過ぎる接吻だった。
それでも、逆らうこともせず、アルベルトは、素直に唇を開いた。
目を開ければ、ちらりと、ジェットの方を見てしまいそうで、開いた唇とは逆に、目は、しっかりと閉じている。
触れるだけではない接吻が終わり、グレートが、目の前で、ひどく優しく微笑んだ。
また、ソファの後ろを通って、アルベルトの前を通って、さっきまで坐っていた位置に戻ってくる。
そのグレートの動きを、ジェットの方を見ないために、アルベルトは、ずっと目で追っていた。
坐って、足を組み、少し丸めた背中で、上目使いに、グレートがジェットを見た。
口元は、笑っているように、柔らかく上がったままだった。視線が、挑発している。からかうような、そんな視線で、グレートが、ジェットを見ている。
その横顔を見ながら、アルベルトは、ようやく、居心地の悪さを、背中の辺りに感じ始めた。
グレートの視線を、真正面から受け止めて、手の中のマグを、目の前のテーブルに置き、ゆっくりとジェットが立ち上がった。
ひょろ高い体が、流れるように、こちらへやってくる。
アルベルトの隣りに、坐りながら、グレートがそうしたように、あごに手をかけ、自分の方へ引き寄せる。
目を閉じたのは、アルベルトの方が先だった。
まだ、さっきの接吻の名残りをとどめて、濡れたままの唇を、ジェットがどう感じたのかと、背中に怯えが走る。それでも、意外なほど穏やかな、ついばむような口づけに、アルベルトは、数瞬、背後のグレートを忘れた。
革のきしむ音がしたのは、グレートがおそらく、体の向きを、こちらに変えたせいだろう。
深くはならず、けれど、まだ終わらない口づけに、アルベルトは、肩先を、ジェットの方へ向けた。
薄く目を開けると、ジェットが、肩越しに、あちらを見ているのが見えた。
自分の体越しに、絡み合う、ふたりの視線を想像して、アルベルトはまた、ぎゅっと目を閉じた。
にらみつけるような、ジェットの視線を受け止めて、けれどグレートは、おそらく、うっすらと微笑んでいるだろう。
頬に添えられたジェットの手に、右手を重ね、それから、さり気なく、その手を、自分の顔から外させた。
そうしながら、やっと唇を離し、自分に視線を戻したジェットを、真っ直ぐに見つめる。
体を正面に戻して、軽くあごを、胸に引きつけた。
今、ふたりの間から立ち上がったら、ふたりはどうするのだろうかと思いながら、一体、どう収拾をつけようかと、視線を正面に漂わせる。
酒が欲しいなと、また思った。
「My Dear・・・」
声が、呼んだ。瞳だけを動かして、視線をずらすと、また、グレートの手が伸びてくる。
今度こそ、頬に血が上る。
引き寄せられ、ジェットに背を向ける形で、グレートが濡らし、ジェットがさらに濡らした唇を、また、グレートの舌先がなぞる。
目を閉じ、唇を開いて、この場をやり過ごすために、抗うことはしない。
グレートは多分、そうしながら、瞳を見開いて、ジェットにまた、挑発するような視線を投げているに、違いなかった。
息苦しい。接吻のせいばかりではなく、見られているからだけではなく、ふたりになぶられて、自分をはさんで、にらむように見つめ合う、ふたりのエゴに絡め取られて、愛情からだけではない触れ方をされ、そんな自分に、どこかで、惨めさを感じている。
自業自得だと知っていて、これはおそらく、自分に与えられるにふさわしい罰なのだと、わかっていて、それでも、ふたりに玩ばれているのだと、感じることをやめられない。
左腕を、そっと、自分の後ろに、伸ばした。
右腕だけで、グレートに触れ、左の手は、ソファに乗っているはずの、ジェットの骨張った膝を探して、さまよう。
指が泳いで、それから、ジェットの指が、絡んできた。
指に触れられ、掌を這い、手首を滑り、その手を、ジェットが持ち上げた。
手の甲に、さっきと同じ、ついばむような口づけが触れてから、人差し指を、ジェットが、唇の中に差し込んだ。
生暖かい、唾液と舌が、触れる。硬い歯列が、関節を噛んだ。
唇と舌は、グレートに囚われている。声も出せずに、アルベルトは、胸を喘がせた。
指の線を、グレートが唇をなぶるのに、負けない丹念さで、ジェットが舌でなぞる。濡れた唇が、手のあちこちに触れる間に、さり気なく、シャツの袖のボタンが外されていた。
グレートはまだ、知らんふりで、接吻を続けている。
唇が離れ、一瞬だけ、ひとりの呼吸が甦る。けれどまたすぐに、唾液と吐息を分け合うように、濡れた唇で、柔らかくふさがれる。いとしげに、けれど、まるで責めるように、グレートの舌が、アルベルトの舌と喉の奥を、侵す。
ジェットの、指の長い、大きな掌が、するりと、シャツの袖をまくり上げてゆく。
肘を過ぎ、二の腕まであらわになると、袖の下に、ジェットの長い指が滑り込んできた。
二の腕の内側の、薄い皮膚をたどって、腋から胸元に、指先が入り込んでくる。
生身の、左半身の皮膚が、ぞわりと、粟立った。
ソファをきしませて、ジェットが動く。背中に触れる、着やせする胸の厚さと重みを感じて、また、ふるりと背骨が慄えた。
ふたりの視線が、肩越しに絡んだのを、はっきりと感じた。
刺すような視線と、包み込むような視線と、種類の違う、けれど、発した部分は同じ、そんな視線が、音も立てずに、ぬるりと絡む。
嫉妬というには、あまりにも悲しげな、憐憫というには、あまりにも優しげな、憎悪というには、あまりにも親しげな、そんな視線を、ふたりが交わしているのだと、どうしてだか、わかる。
胸の皮膚に触れながら、ジェットが、耳の後ろに、口づけてきた。
知らぬ間に、開いていた膝の内側に、グレートの手が伸びる。
唇と同じほど、呼吸も湿り、アルベルトは、思わず声をもらした。
左腕をねじって伸ばし、ジェットの頭を、首筋に引き寄せた。
耳を舐めて、その耳元で、ジェットが、いつもの言葉をささやいた。
「淫乱。」
言葉に誘われたように、もっと、足を開く。
左足の爪先を、ジェットのふくらはぎに滑らせると、それを催促と読んだのか、ジェットの手が、腿の内側に伸びてくる。
まだ、グレートは接吻をやめずに、誰のためなのか、ゆっくりと、アルベルトのシャツのボタンを外し始めた。
あごの辺りに伸びた、アルベルトの二の腕に、ジェットが、歯を立てた。皮膚を吸い込んで、わざと、跡を残す。
そうしてから、そっとその腕を外し、ソファから床へ、滑り降りた。
ずっと、重なり続けたままの、ふたりの唇を見上げて、ふっと、笑う。軽蔑のようにも、自嘲のようにも見えた。
アルベルトの、誘うように開いた両脚の間に入り込み、グレートがボタンを外したシャツの中に、手を滑り込ませる。
痛いほど尖った、左の胸の突起を、指の腹で転がしながら、腿の内側に、唇を滑らせる。
こんなじれったいやり方が、ふたりの好みなのだろうかと思いながら、スラックスを脱がせたくて、自分のジーンズも脱いでしまいたくて、ジェットがうずうずしているのだと、アルベルトにはわかる。
それでも、事の成り行きを見届けたくて、ジェットは、じっとグレートの出方を、うかがっている。
アルベルトの、下腹に、唇を滑らせながら、ジェットが、意趣返しなのか、挑発なのか、濡れた声で言った。
「アンタのここに、刺青でも、入れてやりてえ。」
グレートの唇が、動きを止めて、それから、ゆっくりと離れた。
ジェットが、ここ、と言った、青白い膚を見下ろして、見上げたジェットと、視線が合う。
アルベルトは、火照った頬のまま、その、視線の絡んだ辺りに、ぼんやりとした、けれど、少し狼狽を含んだ視線を投げた。
グレートは無表情で、そこから感情は読み取れず、ジェットは、その視線を受け止めて、跳ね返しながら、ほんの少しだけ気圧されていた。
ジェットが、ちらりと、アルベルトを見た。
「・・・いい、考えだ。」
視線が外れた瞬間を、狙ったように、グレートが、ふっと微笑んだ。
微笑んだ横顔が、凄みに、かすかに歪む。
ジェットが、低い声の圧力に押され、真っ直ぐに自分を見下ろしたままのグレートから、縛られたように、視線を外せない。
声が、喉の奥で凍りついた。
それでも、何か言おうと、唇を開きかけてまた、グレートの唇に、柔らかく塞がれる。
湿った接吻が、また重なった。
これが、ラインだ。
踏み越えれば、容赦はない。
ジェットの前に、ふたりの前に、グレートが、目には見えずに、示す。
頬を硬張らせたまま、動きを止めてしまったジェットを、促すように、その頬に、左手を伸ばす。
秘め事の報いは、苦いだけとは限らない。けれど、苦くないから、苦痛ではないとも、限らない。
また、自分の舌をなぶるグレートの動きに応えながら、まるでジェットをかばうように、その目の辺りを手で覆った。
ふたりの、また絡まるかもしれない視線が、怖かった。
いろんな意味で、敬愛する、 マツヤマユキさまへ。心の愛人認定のお返しのつもりでした。言い訳すると、見苦しくなるので、あえて言い訳はせず。
服を脱がない3P! 撃沈!
そういうわけで(どういうわけだ)、また説明は、ゆっくりと(意味不明)。
戻る