「あらし」 - 番外編

Bitter Sweet




 シャツのボタンを、いちばん下までとめたところで、後ろから、シャツの裾をつかまれた。
 「なんだよ、服着て、どこ行く気だ。」
 乱れた髪のまま、腰に抱きついてくるジェットを、軽く振り返ってから、アルベルトは、かまわずに、袖のボタンを続けてとめる。
 「・・・・・・帰るに、決まってるだろう。」
 まだ、他は何も着けていないシャツの下に、ジェットの手が滑り込む。
 「まだ、早いぜ。」
 答えずに、アルベルトはただ首を振った。
 とめたばかりのシャツのボタンを外そうとするジェットの指を押さえ、そこから、離れようとする。
 ベッドから1歩遠去かると、シャツをかすめて、ジェットの腕が離れる。床に点々と散らばって、この部屋の外にまで続いている、丸まった布の小さな山を、アルベルトは薄い闇の中で、視線の中に追った。
 後ろで、ジェットがごそごそと服を来ている気配があった。
 振り返らずに、服を拾い上げながら、アルベルトは、さり気なく部屋を出る。
 ジェットの前で、服を全部身に着ける気にはならず、脱ぎ捨てたものを集めたところで、バスルームへ行くつもりだった。
 案の定、部屋を一歩出たところで、またジェットの腕が絡みついてくる。
 「・・・・・・誰が、帰っていいって、言ったよ。」
 甘い、けれど凄んだ声で、ジェットが首筋に息を吹きかけた。
 背筋をぴくりと伸ばし、アルベルトは、抱えた服を強く握りしめ、唇を噛む。
 「いちいち、許可がいるのか。」
 「帰りたくないのは、アンタの方だろ?」
 断定するように、きっぱりとジェットが言った。
 するりと腰に手が伸び、腿の内側を撫で上げる。まだシャワーを浴びていないために、すっかり乾いたジェットの体液が、かすかにぬめる感触を残している。
 顔をしかめ、アルベルトはまた、ジェットの腕を振りほどこうとした。
 ジェットが執拗に、アルベルトに触れてくる。
 耳に舌先を差し入れ、皮膚の柔らかな部分に、指を絡みつかせる。
 また、躯が疼き出す。
 膚の境い目さえも、しかとはわからないほど、散々絡み合った後なのに、躯のどこかが、まだ足りないと、ジェットの指に応え始めていた。
 「まだ、帰るって言う気か?」
 からかうように、ジェットが囁いた。


 リビングの真ん中に置いた椅子に坐らされ、目隠しをされた。
 動くなと、呪文のように言われ、喉を撫でながら、さらにジェットは、両腕を椅子の背中に縛りつけた。
 肩をゆすって、形ばかりの抵抗を示すと、またジェットが、なだめるように、静かに、という意味の音を、突き出した形にした唇から出す。
 足首を、それぞれ、椅子の、後ろ側の脚にくくりつけ、ついでのように、掌で、ふくらはぎを撫で上げる。
 ジェットの背の高い体が、後ろでゆらりと立ち上がった。空気が耳の後ろで揺れ、思わず、うなじの辺りがそそけ立つ。
 「アンタも、大したタマだよな。他の野郎の匂いさせて、オレとヤりに来て、また戻って、あのオヤジと寝る気か?」
 黙れと言いたくて、唇が動く。動くだけで、けれど声は出ない。
 グレートのことを、こんな時に思い出すのはやりきれない。
 頭を垂れ、ジェットの、蔑みの言葉を、必死で右から左へ聞き流す。
 きっちりとボタンをとめたままのシャツの上から、いきなりジェットが、少しだけまた、硬くなり始めている胸の突起を、きつくつまみ上げた。
 驚いて、椅子が後ろに傾くほど肩を引いて、アルベルトは声を上げた。
 指を外さずに、ジェットがまた、そこに軽く爪を立てる。
 「・・・・・・道具か何かあったら、アンタに、痕でも、つけてやれるのにな。」
 ぞっと、背中に悪寒が走る。額に、冷たい汗が浮いた。
 また、空気が動く。
 ジェットが体の位置を変えたのが、気配でわかる。
 椅子に縛りつけられている足に、指が触れた。足指を撫で、甲を這い上がり、同時に、膝の内側に、唇が滑る。
 時折、まるでいとおしむような仕草で、筋肉に、歯列が優しく食い込んだ。
 指が触れ、唇が撫でる。舌が滑り、歯が噛んだ。
 ジェットの唾液の生暖かさが、躯の奥底に包み込んだ熱の形を思い出させる。
 喉を鳴らして、アルベルトは、隠す気遣いすら忘れて、椅子の上で、焦れったそうに腰を揺すった。
 「しんぼうねえな、アンタ。」
 馬鹿にしたように、ジェットが嗤う。
 喉に伸びた指が、まるで締め上げる形に首に添えられて、それから、ゆっくりと、過ぎるほどの時間をかけて、ボタンをいくつか外した。
 掌が滑り込み、その部分だけシャツをはだけて、わざと、右肩と胸を剥き出しにする。
 今さら、見られて困る体ではないはずなのに、どうしてか今、アルベルトは、全身が朱に染まるほど耐え難い羞恥に、うなだれて顔を伏せた。
 機械と生身の部分の接ぎ目に、ジェットの視線を痛いほど感じた。
 まるで焼き尽くそうとするかのように、ジェットがあの淡い緑の視線で、アルベルトの、いちばん醜悪な部分を凝視しているのが、なぜだかわかる。
 沈黙が、膚に突き刺さる。
 何か、はっきりと嫌悪を示す言葉でもかけてくれるなら、言い返すこともできるのに、ジェットの無言を、アルベルトは無言で受け止めるしかなかった。
 気味が悪いとでも、思っているのだろうか。化け物と、罵りたいと思ってでもいるのだろうか。
 舌の先を噛んで、身内に湧き上がる感情を殺そうとして、果たせずにまた、唇を噛む。
 鎖骨のくぼみに、いきなり舌が触れた。骨を噛み、痛い接吻に、アルベルトは声を上げ、喉を反らした。
 開いた足の間に、ジェットの、細い薄い腰が触れる。
 抱き寄せたくて、腕は背中でいましめられたまま、指先が、もどかしげにあがいた。
 右肩を、ジェットが噛んだ。歯が立つわけもないそこで、かちかちと硬いもの同士が触れ合う音を立て、ジェットは、その感触で、そこが間違いなく生身ではないことを確かめようとするかのように、執拗に歯を立て続ける。
 それから、ジェットが、ゆっくりと立ち上がった。
 髪をつかんで引き寄せられ、ふと、唇に触れる生暖かさがあった。
 「しゃぶれ。しゃぶってイかせろ。オレがイったら、ちゃんと飲めよ。」
 冷たい声が、頭上から降ってきた。
 ためらってから、舌を伸ばし、ゆっくりと唇を開く。押し込まれて、引きかけた頭を、ジェットがしっかりととらえた。
 「どうせ、こんなこと、アンタにはどうってことないんだろ?」
 揶揄するように、ジェットが、軽く喉の奥に突き上げてきた。
 腕が伸びて、縛られた手首が痛む。
 自分で体を支えられないもどかしさを、アルベルトは、かすかに首を振って伝えようとしたけれど、ジェットは容赦もなくそれを無視した。
 頭を振るたび、椅子がきしむ。椅子の脚が床をこすり、いやな音を立てた。
 唇を濡らして、ジェットの熱の形をなぞる。硬く勃ち上がってゆく輪郭を、舌の上であやしながら、喉の奥を、必死で大きく開いた。
 形を変えて、熱を増す。唾液をあふれさせながら、ジェットに引き寄せられるまま、アルベルトは、顔を動かした。
 強さと速さを変え、上で、次第に荒くなるジェットの呼吸に、合わせながら、外しながら、ジェットが言った通りに、舌と唇を使う。
 喉の奥を侵されながら、背骨の内側が、少しづつ泡立ってゆく。そこから、深い疼きが広がって、アルベルトの下肢を、ゆるゆるとしびれさせてゆく。
 頭の後ろから次第に、真っ白になってゆく。こめかみから額にかけて、何か熱いものが膨張して、まるで自分が、熱い粘膜だけの、肉の塊になったような気がした。
 ジェットの手が、あごの辺りで動いて、それから、低い声が、聞こえた。
 頭を押さえつけられ、喉の奥を、熱い体液が叩く。
 舌の上で、ジェットが、何度か、それ自体が生き物のように、うごめいた。
 唇を外され、うまく飲み込めなかった、白いどろりとした体液が、唇の端からこぼれ出る。口の中の残りを、舌を動かして喉の奥に送ると、アルベルトは、何も考えずに、それをごくりと飲み下した。
 神経のどこかが切れたように、吐き気も、嫌悪感もなかった。
 それでも、唇の端をこぼれた残滓を、舌で舐め取る気にはならず、冷たい水で顔を洗いたいと、アルベルトはぼんやりと思う。
 「しゃぶってるだけで、勃つのか、アンタ。」
 また、馬鹿にしたように、ジェットが言った。
 いつの間にか、すそ近くのボタンが外され、開いたシャツの前に、ジェットが両手を添えてくる。
 欲しい強さも激しさも、わざと避け、ジェットの指先は、ただ、撫でるように触れる。また腰を揺らして、アルベルトは、もう恥ずかしげもなく、ジェットの掌をねだった。
 「手首、外してやるから、アンタ、自分でやれよ。」
 声のする方を見下ろして、アルベルトは激しく首を振った。
 この右手で触れる気には、とてもなれなかった。欲しいのは、今はジェットの生身の掌と指だった。
 躯を、できる限り前に突き出すと、ようやくジェットが、欲しいやり方で触れてくる。安堵したように、アルベルトは、椅子の背に体を投げ出した。
 「シャワー浴びて帰ろうなんて、思うなよ。このまま、オレの匂いつけて帰れよ、アンタ。」
 両脚を大きく開き、そこから、ジェットがアルベルトを見上げているのが、見えなくてもわかる。その瞳が、かすかな怒りを浮かべているのも、わかる。そしてそこに、同時に痛々しさの影があるのを、アルベルトは、ジェットが触れる膚の上に感じた。
 アルベルトは、べとつく唇とあごを、冷たい右肩で、首を曲げてぬぐった。生身でないそこに、ジェットの吐き出した、生身の匂いをすりつけるように、何度も何度も、首をねじる。
 唇を舐めて、舌の上で、まだ残るジェットの苦さを転がしながら、アルベルトは、うっすらと淫蕩な笑みを浮かべた。


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