「あらし」 -
番外編
Black Dress
グレートが、平たい四角い箱を手に現れた時、アルベルトは、シャワーを浴び終わっていて良かったと、面には出さずに、安堵した。
ソファに坐って、ジーンズだけの半裸で、ジェットは、アルベルトのいれた紅茶を飲んでいた。
軽いノックの後、ドアの向こうから現れたグレートに、ジェットが驚いて、立ち上がりかけたのを、アルベルトは目顔で制した。
ふたりとも、服を着ていた。ソファに一緒に、坐ってさえいなかった。
何も言うなと、軽く唇を突き出して示し、アルベルトは、ジェットがここにいることについては、何の言い訳もせず、ことさらにこやかに、グレートに微笑みかける。
グレートも、帽子を脱ぎながら、ジェットの方へちらりと視線を流しただけで、眉一筋動かさず、にっこりとアルベルトに笑い返す。
「少しばかり、お遊びでも、と思ってたんだが・・・」
いきなりそんなことを言いながら、アルベルトに、その箱を差し出した。
白い、つるつるした箱は、手の上に軽く、身に着ける類いのものだと、開けなくてもわかる。
お遊び、というグレートの言葉を頭のすみに聞いて、アルベルトは、戸惑いを眉の間に浮かべた。
重たいコートを脱ぎ、グレートはもう、上着を脱ぎ始めていた。
ネクタイをゆるめる手つきは、この箱を置いただけで、ここから立ち去る気はないと言っている。
アルベルトは、肩越しにジェットをちらりと振り返り、それから、どうする、とグレートに視線で訊いた。
両手を、ズボンのポケットに軽く差し入れて、まだにっこりと笑ったままで、グレートが軽く肩をすくめる。かまわんさと、口元が言っていた。
「着て、見せてくれ。」
箱を、グレートの、細い指がつついた。
「これの中身を、全部。」
言ってまた、にっこり笑う。視線が、箱からアルベルトに移り、それから、肩越しに、ジェットをちらりと見た。
目元は笑っていたけれど、口元には、笑みのかけらすらなかった。
箱を受け取って、ソファで、背中を丸めて坐っているジェットに、出て行かなくていいと目くばせして、バスルームへ入った。
ドアを、ほんの少しだけ開けたままにして、部屋の中の気配が、きちんとわかるようにしておいた。
罵り合いや殴り合いが始まるとは思わないけれど、ジェットが何をするかわからない。
話し声もなく、足音も聞こえず、グレートが、ジェットに背を向けて、キッチンで自分で紅茶をいれているらしい様子だけを確かめて、アルベルトは、箱を開けた。
開いて、息を飲んだ。
黒い、ドレス。それから、下着とストッキングとガーターベルトが、一揃い、全部黒で。下着の、腰に当たる部分が、細い紐になっているのに、目をむく。
お遊び、とグレートがつぶやいた意味を、ようやく悟って、アルベルトは思わず頬を染める。
手触りの柔らかな、明らかに、体に合わせて伸びる素材のドレスを持ち上げ、息をこぼした。
外で言い争いの始まらないうちにと、アルベルトは、あきらめたように、シャツのボタンに指を伸ばす。
「グレート。」
キッチンのシンクにもたれて、紅茶を飲んでいたグレートを、ドアから顔だけのぞかせて呼ぶ。
カップを置きもせずに、バスルームのドアのところへやって来て、グレートは、すきまから中を覗き込むふりをする。
「あんた、よく俺のサイズを見つけて来たな。」
たかが、こんなお遊びのために、と皮肉の部分は口にはせずに、声音に込める。
まだ、バスルームからは、足を踏み出さず、言われた通り、箱の中身を身に着けた姿を、グレートにだけ見せた。
首を動かすと、所在なさげに、ぬるくなってしまっているだろう紅茶を、ぼんやりとすすっているジェットの半身だけが、ちらりと見える。
慌ててジェットの視界の外の位置に戻り、また、グレートの方を見返した。
ぺったりと平たい、光沢のない黒。さらさらとした肌触りは、けれど心地が良かった。
腰をかろうじて覆う、小さな下着とガーターベルトはレースで、ドレスの上からは見えるわけもないけれど、女の、繊細な肌になら、さぞかし映えるだろうと思われた。
ストッキングは、黒い膜で両脚を覆い、膝よりちょっと長いドレスのすそから伸びている足の筋肉を、うまく隠している。
ドレスは、胸元でふたつに分かれていた。胸---女ならちょうど、乳房を隠す辺り---から脇に下り、腰近くまで、背中は全部開いている。そこから膝下まで、ドレスの線は真っ直ぐに落ちている。両脇の深いスリットが、動けば、脚のほとんどを露出させた。
胸元からは、チョーカー状になっている首回りの部分に向かって、透明なガラスのビーズが、5本、伸びている。首輪のようだと思った、そのチョーカーは、首の後ろで、金具で止められている。
首から、ドレス全体を吊っている形で、胸や腰の大きな女なら、さぞかし男どもを、うっとりさせられるだろうと思えた。
腰の線は、隠しようもなく男で、肩や首の線の硬さが強調されはするけれど、それでも、醜くもない程度に、アルベルトの白い膚によく映えた。
「・・・黒が、甘かったな。」
残念そうに、グレートが言った。
あごに折った人差し指を当て、上から下まで、繰り返し繰り返しアルベルトを検分する。
「俺が男だってこと、次の時にはよく覚えててくれ。」
「男だからいいのさ。女に着せたら、見え見えで冗談にもならん。」
「・・・俺にだって、冗談にならない。」
ジェットに聞こえないのをいいことに、少しだけ甘えるように、唇を突き出して見せる。
右手を、掌を上にして、肩の線まで上げる。
ドレスの、柔らかな質感と、鉛色の腕の、金属の光沢の対比が、妙にあやうい。
「おまえさんには、冗談じゃなくていい。」
その右手を、グレートが取った。
腕を引かれ、ドアの外へ出て行くグレートの背中を見て、アルベルトは慌てて腕を引こうとした。
「冗談だろう、ここには俺たちだけじゃないんだ。」
ジェットがいるのに、とストッキングに包まれた足を止めると、グレートが優雅に振り返った。
「せっかくの艶姿だ、あのボウヤにも見せてやればいい。そうすれば、自分がどれくらい幸運か、あのボウヤも思い知る。」
グレートの口元がほころぶと、まるで、魅入られたように、アルベルトは、ゆっくりと爪先を前へ滑らせた。
全裸と、滑稽な女の姿と、どちらが恥ずかしいだろうかと思って、思った瞬間に、ドアをすり抜けていた。
こちらを見ているジェットが、いきなり視界に入る。
緑の瞳が、口元に寄せたカップの上で、大きく見開かれたのが見えた。
背中に、ぴったりと胸を添わせて、グレートの指が、髪に差し込まれた。
後ろに引かれ、逆らわずに、喉を反らす。うなじと肩に、そっと、グレートが歯を立てた。
もう一方の手が、するりと、脇のスリットから忍び込む。
腿の内側を撫でられて、思わず、膝が軽く開いた。
レースの手触りを楽しむように、ガーターベルトを、指先がゆっくりとなぞる。
からかうように、ストッキングの、いちばん上の部分から、滑るその薄い膜を繊細に持ち上げて、手が滑り込む。
真正面にいるジェットが、それを、黙って見ている。
グレートの膝の上に坐る形で、執拗に、無防備な脚を撫でられ、アルベルトは、声を殺すのに必死になった。
ソファの背に、裸のままの上半身を投げ出し、ジェットが、唇を何度も何度も噛む。頬に、うっすらと朱が散り、ばさりと落ちた前髪の間から見える瞳が、紗のかかったように、ぼんやりと頼りない。
剥き出しの背中を、グレートの舌が、舐める。
グレートの膝の上で、アルベルトは、思わず体をのけ反らせた。
体の力が脱けた瞬間を狙って、グレートの両手が、アルベルトの脚の間の滑り込み、大きく開いた。
両脇のスリットの間から、足が出る。
抱え上げられ、開かされ、ドレスに覆われた、両脚の間に、グレートの指が、絡みついた。
それを見ているジェットの喉が、ごくりと動く。
ジェットから、視線を反らせるために、顔をねじ曲げ、グレートの方へ向く。グレートの唇に噛みついて、舌でその、赤い柔らかな皮膚をなぞった。
ざらざらとした、レースの小さな下着は、今はアルベルトを苦しめるだけで、そんな、身にそぐわない布越しではなく、直に触れて欲しくて、アルベルトは、知らずに腰を揺する。
ストッキングに包まれた足の指先が、ひくひくと、死にかけた小動物のように動く。
撫で上げられ、そこから、背骨に突き抜ける感覚に、また、背中が反る。
右肩を、かちりと、グレートが噛んだ。
腰に流れた指が、下着を、かろうじて膚の上にとどめている、細い紐を引いた。しゅるっと、小さなかすかな音がして、ほどけた紐が、ぱらりと腿の辺りを滑る。ドレスに隠れて見えないその下で、少しずつ、剥き出しにされてゆく。
グレートの指が、レースの内側に入り込んだ。
どくんと、躯のどこかで、血がはねた。
あ、と声をもらして、頭を振る。汗が、かすかに散る。
前髪越しに、こわごわと、ジェットを盗み見た。
自分を、じっと見つめている、どこか焦点のぼやけたジェットの視線に、出逢う。
視線を絡めて、それから、濡れた唇の間で、見せつけるように、舌を動かした。
ジェットが、欲しがっている。皮膚が、びりびりと、音を立てそうに張りつめて、アルベルトを欲しがっている。
誘うように、視線を動かした。
ゆっくりと、泣きそうに潤んだ目で、瞬きを繰り返す。
ジェットが、吸い寄せられるように、ソファから、ふらりと立ち上がった。
その時、グレートの手が、少しばかり乱暴に、ドレスの下で、むりやり下着を剥ぎ取った。
びりっと、どこかで、布の裂ける悲鳴が聞こえる。こすられた皮膚の痛みに、アルベルトは肩をぴくりと引きつらせる。
ジェットは、立ち上がっただけで、まだ、傍へは寄って来ない。
かすかに失望を浮かべて、ふと意識が漂った合間に、また、グレートの手が、アルベルトを苛んだ。
声を殺せず、大きく胸を反らせた。
首筋に、柔らかく唇が当たり、それだけで、びりびりと皮膚が震える。
グレートが、ドレスを支えているチョーカーの金具に、かきんと歯を立てた。
ぱちりと音がして、ぱらりと、チョーカーが、首から外れた。
乳房のない平らな胸を、ドレスの、さらりとした布が、滑り落ちる。
それでも脇に、かろうじて引っかかったドレスを、グレートの手が、一気に腰の辺りまで、引きずり下ろした。
赤く染まった胸と、喘ぎにうねる腹が、ジェットの目の前に晒される。
ドレスの黒と、皮膚の白と、緋い血の色と、ジェットの瞳に、色が、あふれた。
ぎりっと、唇を噛む、白い歯列が見える。
ドレスに覆われている、大きく開いた両脚の間で、何が起こっているのか、もう、想像だけしか余地はない。想像すら、必要はなかったけれど。
さり気なく、前を開いて、グレートが、下からアルベルトに繋がりに来る。
軽く浮かせた腰に、確かな熱さを感じて、アルベルトは、受けとめるために、姿勢を整えながら、また、ジェットを見た。
そこにいるジェットの、痛々しいほど強く握りしめた、拳が見える。
唇と舌が、また、誘うように動いた。
熱く押し込まれ、腰が泳いだ。上半身を支えながら、もがくように、足が動く。
もう、すっかり覚えてしまっているグレートの形が、内側を侵す。侵されながら、躯は、苦もなく添ってゆく。
声を耐えるために噛みしめた唇を、不意に、グレートの指先が撫でた。
唇の間を滑り、歯列を割り、差し入れられた2本の指が、舌を捕らえて、なぶるように動く。
「唇が、淋しそうだ、My
Dear。」
囁く声では、なかった。
自分の体越しに、視線が鋭く絡み合ったのを、アルベルトは膚の上に感じた。
「我々の、大事な友人に、慰めてもらうといい。」
唾液に濡れた指が、唇を離れ、あごから首を滑り、胸元を落ちて、尖った、薄赤い突起を捕らえた。
さっき、舌先をなぶったように、濡れた指が、そこで動く。
声を放つために、唇を開いた。
「・・・ジェット・・・ジェット!」
目の前の長身が、ゆらりと動く。
長い、節の高い指が、ようやく頬に触れ、ジェットが、アルベルトのあごを、自分の方へ引き寄せた。
熱を、包む。
欲しくてたまらなかった熱を、お互いに与え合う。
突き上げられ、前にのめった体を、ジェットの体で支えた。
右手を、固い薄い腹に添えると、その手の冷たさに、ふとジェットの体が泳ぐ。
上目に、浮かされたように見上げると、まるで、夢見るようなジェットの視線が、自分に注がれていた。その唇が、聞き慣れた言葉を、形にするのを見た。淫乱、と舌が、ゆっくりと、音もなくはねるのが、見えた。
喉と、躯を開く。
奥深い粘膜の内側と、舌の上に熱を転がして、ふたりを同時に受け入れる。
突き上げられながら、頭を振る。
今は腰にだけ絡まる、黒いドレスが、さらりさらりと皮膚を撫でた。
自分の爪先と同じように、ジェットが、喉の奥で、ひくひくと震える。
いずれ喉を叩く、ジェットの体液の熱さを想像しながら、自分に添えられて、ドレスの下で優しく動き続けているグレートの手に、アルベルトは左手を重ねた。
誰もみな、同じことを求めながら、違う形で繋がっている。
意識をどこかへ飛ばしながら、ふたりの男が、奇妙な笑みをたたえた視線を交わしたことに、アルベルトは気づかなかった。
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