「あらし」 - 番外編

Black Leather




 グレートが、額にキスをした。
 それから、後ろに立っていた男の手で目隠しをされ、腕を引かれて、どこかへ連れて行かれた。
 黒い、厚い布の目隠しは光を通さず、聞こえるのは、音ばかりだった。
 両腕を頭上に伸ばして、どこか高いところからぶら下がっている、あまり太くはない鎖に繋がれる。指を伸ばして触れると、少しくらい暴れて切れるような、おもちゃではないことが知れる。
 グレートはどこだろうと、アルベルトは思った。
 どこか、部屋なのだろうか。人の気配がする。4人か5人か、煙草の匂いと煙に満ちているのを、皮膚の上に感じた。
 女の格好をさせられたのは、初めてではない。ごくプライベートに、革の拘束衣を着せられて、縛られたこともある。けれどこんなふうに、こんな格好で、何かのパーティーらしい場所へ引きずり出されたのは初めてだった。
 黒い革。袖は長く、けれど手首に届くには、ほんの少し短い。すそはみぞおちを覆う辺りまでしかなく、そこから胸にかけて、3本のバックルで前は閉じられていた。胸から鎖骨にかけては、肌が剥き出しになり、あまっている胸の辺りが、これが、本来なら胸の大きな女が身に着けるものなのだと、無言で示していた。首はスタンドカラーで、あごを埋めると、少しばかり肌に痛む。
 下は、また短いスカートのなり損ねのようで、2枚の黒い革が、前後に、横についたバックルでつながり、かろうじて腰の辺りに引っかかっている。
 足元は、無理矢理にはかされた、細い高いヒールで、さっきから爪先が痛み始めていた。
 足音が近づいて来て、胸に触れた。
 胸の、開いた部分から指を差し入れ、その奥にまだ埋もれている、薄紅い突起を探る。
 「で、何が出来るんだ、この小僧は。」
 足音の主が、つまらなそうな口調で、部屋にいる誰かに訊いた。
 「壊さん程度なら、何でも好きにすればいい。」
 グレートの声が、そう答えた。低く、感情のこもらない声だった。
 声のする方へ顔を向けようとして、髪をつかまれる。そして、シガーのきつい匂いのする唇が、べったりと唇に押し当てられた。
 足音の主が手を離すと、背後から、別の足音がやって来て、後ろから手を差し入れた。
 「後ろも使えるのか?」
 言葉と同時に、するりと指が滑る。奥深い粘膜に触れようとする指が、少しばかり乱暴に動いた。
 やめろと声を上げて、体をねじる。逃れようとすると、前後から、大きな体に挟まれてしまった。
 「とりあえず、口を使わせろよ。鎖を下ろせ。」
 前の男が、下卑た笑いを含んで、誰かにそう言った。
 じゃらりと音がして、上から伸びた鎖が緩む。男の手に、床に引きずり倒された。
 肩をつかんで引き上げられ、膝立ちで、あごとつかまれた。
 鼻につく、見知らぬ男の体臭。それにかぶさる、きつ過ぎる、コロンの匂い。
 男の意図を悟って、逆らわずに口を開いた。
 何か理由がある。こんな目に遭うのが、グレートのせいなら、きっと何か理由がある。そう思いながら、吐き気をこらえて舌を動かした。
 男が、乱暴に銀の髪をつかんだ。
 喉を突かれ、必死で喉の奥を大きく開いた。
 「おまえも物好きだな、こんな片輪のガキを拾って、義手までつけてやるなんて。それともおまえ、フリーク趣味があったのか。」
 新しい声が、そう言った。
 片輪と言われて、頬の辺りが硬張る。思わず、金属の方の掌を、背中で握りしめた。
 「腕があろうとなかろうと、大した違いはねえさ。」
 頭上で、男が言った。
 男は不意に体を外し、何か濡れた音をアルベルトの目の前でさせて、それから、アルベルトの頬と首の辺りに向かって、べちゃりと熱を放った。
 肩を突き飛ばされ、床に倒れる。
 別の誰かが、鎖をまた、天井に向けて引っ張ったのか、体が一直線につり上がった。
 高いヒールをはかされた足でよろめきながら、アルベルトは、伸びた腕に痛みを覚えた。
 「ちょっと、後ろに仕込んでやれよ。その方が楽しめる。」
 誰かが、そんなことを言った。
 足音が背後から近づいて来て、腿の内側を撫でた。
 するりと指先が滑り、柔らかな粘膜の入り口に触れる。そっと入り込んだ指先は、何かに濡れて冷たかった。
 思わず体を硬張らせると、指が、遠慮もなく中で動いた。
 へへっと、後ろの男が、卑しい嗤い声を立てる。ヘロインか何かだと悟って、アルベルトはぞっと膚を粟立てた。
 痛みを消して、皮膚と粘膜の感覚を、異常に高める。しばらくの間、男たちのおもちゃになって、自分もそれを楽しむことになる。そんな自覚すら、なく。
 汗が浮いた。
 右肩の、腕と生身の接ぎ目の辺りが、ぎしりときしんだような気がした。
 声をもらして、体を揺すると、男たちが、一斉に声を立てて笑った。
 じゃらりと鎖が鳴る。
 無数に伸びる手。汗の浮いた膚に触れ、舐める。
 革が、濡れた皮膚をこすり、それさえ、熱のこもった躯に、別の熱を運んでくるだけだった。
 立ったまま、入り込まれ、突き上げられる。
 床に這いつくばり、剥き出しにされた腰に、重く、誰かの躯がのしかかる。
 開いた唇も、存分に侵され、唾液が、喉と胸元を、汗と区別もつかないほど濡らしていた。
 粘膜が、こすれてきしんだ。それでも躯は、もっと奥へ、侵入してくる熱を誘い込もうとする。
 背中や腹に、男たちが、白濁した体液を吐き出す。アルベルト自身のそれも、混じっていた。
 背中を痛いほど反らして、淫らな声を上げる。男たちの手と、濡れた革。体のあちこちに当たって鳴る、重い鎖。
 グレート、とアルベルトは、喉の奥で呼んだ。
 声には出さず、彼が、すぐそこにいることを確認したくて、見えない視線をさまよわせた。男たちの汗の匂いと、下品なコロンの匂い。煙草の匂いと、吐き出した体液の匂い。その間に、かすかに漂うはずの、いとしい男の体臭を、アルベルトは必死で探した。
 見られているのだと、思う。
 自分の嬌態を、彼は、静かに見守っているのだと、知っていた。どうしてなのかは、わからなかったけれど。
 どうしてこんな目に遭うのだろうかと、アルベルトは、誰かの膝の上で揺すり上げられ、喘ぎながら、また思った。
 彼は見ている。おそらく、胸の前で両腕を組んで、身じろぎもせず、視線を据えて、アルベルトを見ている。他の男たちに、押し開かれ入り込まれ侵されているアルベルトを、見ている。
 心は冷えている。けれど、躯の内側は、こもった熱で、爆発しそうだった。
 大きく開かされた両脚の間に、誰かの、無骨な手が伸びる。形をなぞり、優しく解放するためではなく、屈伏のために、アルベルトを高みに引き上げようとする。
 その時、空気が動いた。
 ゆらりと、体温でぬるんだ空気が揺れ、かちりと、金属の触れ合う音がした。
 銃声が、5回。ほとんど間を置かずに、すぐ近くで、アルベルトの鼓膜を、振動させた。
 アルベルトを抱いていた男の体が、ぐらりと傾き、どさりと床に崩れる音を聞いた。
 また鎖に支えられ、アルベルトは、何を考える余裕をもなく、ただ、ぐったりと頭を垂れる。
 今度は、自分が撃たれるのだと、意識のかたすみで思ったけれど、そんなことすら、逃げる気力を与えてはくれなかった。
 硝煙の匂いのする指先が、頬に伸び、そして、ゆっくりと目隠しを解いた。
 目の前に、グレートが、うっすらと微笑んでいる。
 突然の光に、アルベルトは目を細めた。
 見回すと、血まみれの部屋の中に、動かない体が、5つ。
 どれも、突然に訪れた死の暴力に、目を閉じる間さえ与えられずに、肉の弾けた体から、血を流していた。
 男たちの体臭と、煙草の匂いと、鼻につく体液の匂い。血の匂いと、何かが焦げる匂い。その中に、グレートは、静かにたたずんでいる。
 鎖に繋がれていた腕を外して、グレートは、そっとアルベルトを抱きしめた。
 その腕にすがって、アルベルトは、ようやく声を殺して泣き始めた。
 「いやだ、あんた以外とは、いやだ。もう、誰にも触られたくない。あんた以外の誰にも、もう触られたくない。」
 グレートが、なだめるように、アルベルトの、かすかに湿った髪を撫でた。
 「悪かった。」
 一言きり、そう言って、グレートは、濡れて汚れたアルベルトの体を、そっと抱きしめていた。
 腕を伸ばし、グレートは、アルベルトの爪先から、黒のヒールを外した。
 狭く押し潰されて、真っ白になった爪先に、少しずつ、血の色が戻る。冷たい爪先を、グレートの掌が、ぬくもりと与えるように包み込んだ。
 それから、されるがままのアルベルトから、血と体液と汗で汚れた革の拘束衣を、すっかり脱がせてしまった。
 「こんなことは、これっきりだ。」
 グレートが、まるで、ひとりごとのように、言った。
 アルベルトの裸の肩に、着ていたコートを羽織らせ、それから、腕の下と膝裏に両腕を差し込んで、ゆっくりと抱き上げる。
 不意に包まれた、懐かしい香りを、アルベルトは思わず、胸いっぱいに吸い込んでいた。
 アルベルトを抱いて、部屋を出て行くグレートの胸に、涙をぬぐうように頬をすりつけながら、追いすがってくる血の匂いに、こみ上げる吐き気を、必死に喉の底に押し隠す。
 人殺しの、いとしい男の腕の中で、アルベルトは、もう何も見たくなくて目を閉じた。


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