「あらし」 -
番外編
Blue Dress
いらっしゃいと、彼女は、手招きした。
淡く光る、ピンクの爪が、攻撃的には見えない程度に、きれいに伸ばされている。
どこに魅かれたのか、よくはわからなかった。男ばかりのこの学校で、周りは誰も、彼女の胸や脚に、いつも露骨な視線を投げていたし、誰もが、彼女を魅力的だと、そう言った。
背は、あまりアルベルトと変わらない。色の薄い髪は、耳とうなじを覆っていて、いつ見ても、つやつやと、光を集めて、輝いていた。
彼女を、盗み見る。産毛の光る、ミルク色の肌や、ふっくらと盛り上がって、濡れているように艶を帯びている、下品ではないけれど、挑発的な紅い唇や、張り出すように丸い、腰の辺り。
長いまつげにふち取られた、大きな茶色がかった緑の瞳は、真っ直ぐに人を見つめながら、どこか不可解な色を浮かべていて、その瞳に出会うたび、アルベルトは、意味もなく頬を赤らめて、いつも慌てて目を伏せる。
彼女が動くたび、甘く、空気が動く。
指や腕が動く、その様を眺めながら、彼女の匂いを、こっそりと、胸いっぱいに吸い込んでみる。
柔らかそうなその膝に、顔を埋めてみたいと、何度も思った。
この国の歴史に、興味はないけれど、それを教える彼女に、気に入られたくて、アルベルトは、いつも熱心に勉強した。
盗み見る視線を、彼女が盗み返す。そうして、視線が合うたび、彼女は、アルベルトを咎めるようではなく、じっと見つめて来た。
視線の絡み合いに、不自然な熱がこもる。次第に、彼女の瞳は濡れ、アルベルトは、胸の動悸を、金属の掌に持て余す。
そんなことが、一体いつから始まったのか。
彼女が、アルベルトの、制服の上着の襟を、自分の方へ引っ張った。
開いた唇の間に、舌先が見えた。それを見下ろしながら、アルベルトも、舌を伸ばしながら唇を開く。
唇に乗った口紅の、香料の匂いが、鼻先をかすめた。
伸びた喉が、するりと滑らかで、思わずそこに、左手を添える。
彼女の手が、上着を脱がせにかかった。
右の肩に伸びかけた手を、とっさに止める。
どうしたの?
柔らかい、高い声で、彼女が、不思議そうにアルベルトを見た。
触れられたくないのだと、言う代わりに、その手をつかんで、口元に引き寄せる。マニキュアの光る指先に、そっと唇を押し当てる。
その指が、頬へ滑り、また、唇が重なった。
唇が、少しべたつくのは、彼女が塗っている、紅い口紅のせいだ。その唇に、じかに触れたいのに、その、ぬらぬらと紅い色が、それを阻んでいる。
彼女の両腕が、背中と腰に回った。這い回る指先に促されて、自分で、上着を脱いだ。
女の人と、寝たこと、ある?
アルベルトの頬に、掌を添えたまま、下から、彼女が、すくい上げるように、見上げてきた。
瞳が、ゆらゆらと揺れて、濡れていた。
爪を伸ばした指先は、ほっそりとしていて、掌は小さく薄い。銃を握るには、華奢すぎるように思えた。
骨の細い手首は、へし折るのも簡単そうで、薄いミルク色の肌に、青い血管が、細く浮いて見える。その手首を、そっと握った。そっと、壊さないように、握った。
彼女の問いに、首を振る。
振って、その手首に、口紅の移ってしまった唇を、押し当てた。
舌を出して、舐める。
彼女が、びくりと肩を震わせて、腕を引こうとした。そうさせずに、舐めながら、斜めに彼女を見た。
初めてなの?
一瞬、どう答えるべきか、逡巡して、それから、素直にこっくりとうなずいて見せた。
嘘ではない。女に、こんなふうに触れるのは、生まれて初めてだ。
こんなことには、慣れているのだろうか。後ろ手に閉めたドアを、ロックするのを忘れなかったし、ここには、ソファまである。
もちろん、教師たちが、自分の個室に、何を持ち込もうと、スペースがある限りは、勝手だけれど。ソファを持ち込んでいるのも、何も、彼女だけではない。
それでも、アルベルトを誘った、彼女の手際の良さには、どこか、馴れがにじんでいた。
それを読み取れる自分に、心の奥でうんざりしながら、アルベルトは、引かれる腕に従って、そのソファの傍へ、彼女と一緒に歩いて行った。
床に落ちたままの上着を、ちらりと振り返って、それから、ソファにゆっくりと横たわる彼女の上に、そっと覆いかぶさってゆく。
首筋に顔を埋めると、いつも、彼女の周りから立つ、甘い匂いが、強く香った。
胸が、ぴったりと重ならない。自分の下にある、奇妙に頼りない、柔らかな感触に、思わず怯えて、体を浮かせる。
どうしたの?
彼女が、いたずらっぽく笑って、頬を赤らめたアルベルトを、また、自分の上に引き寄せた。引き寄せながら、左手を取って、自分の胸に触らせた。
濃い青に、淡いクリーム色の小花の散った、その安っぽいドレスは、彼女の体温を吸って、ひどく生暖かかった。大きく開いた胸元には、ほとんど想像の必要もなく、胸の形が浮き出ていて、肌の白さは、けれど、その乳房のすべてを、伝えてはくれない。
ドレスの、胸元から裾まである、長いボタンの列を、アルベルトは、さり気なく彼女の乳房から手を外し、上からいくつか、外してみた。
その手を止める様子もなく、彼女は、アルベルトの下で、うっとりとした表情のまま、ボタンを外す指の動きを、目で追っている。
狭いソファの上で、体を重ねて、彼女にかかる、自分の体の重みを気にしながら、アルベルトは、開いたドレスから、こぼれるようにあふれ出た、彼女の白い肌に、顔を埋めた。
邪魔な下着が、まだその先を覆っていて、初めて見る、白いつるつるとした手触りの、女性の下着に、アルベルトは、ほんの一瞬、目を見張った。
彼女が、うっすらと、ひどく蠱惑的に微笑んでから、軽く体を起こして、背中に両手を回し、何度か肩を揺すってから、その、白い下着を外した。
肩から落ちたドレスの襟元の、しどけない胸元に、剥き出しの乳房が、現れた。
キスして。
誘うように、彼女が、囁いた。
どこにと、問うべきではなかった。
彼女が、突き出すように、胸を張った。唇を、そっと、触れさせた。
自分の体とは、違う。同じ生きものだと、信じることが、不可能に思えるほど、彼女の、女の体は、アルベルトのそれとは違った。
柔らかな乳房に、唇を寄せて、そんな自分を、まるで赤ん坊のようだと思う。
アルベルトのシャツを、脱がせようとした彼女の手が、ふっと、右腕で止まった。
あ、と思った時にはすでに遅く、そこをつかんだ指先が、明らかに戸惑って、シャツの下の感触を、もっと探ろうと、動いていた。
腕が、変なの?
おずおずと、彼女が訊く。
嫌悪の色はない。けれど、好奇心の浮いた、その瞳の中に、アルベルトは、もうひとつ、別の色を読み取った。
何か、うきうきしたような、昂揚したような、そんな色が、浮かんでいた。
それはちょうど、珍しい動物を眺める、人間の目の色だった。
すっと、背骨の奥から、いきなり熱が引いた。血の下がる音が聞こえ、それなのに、彼女は、うれしそうにアルベルトを、また引き寄せる。
彼女に重なってゆく、自分の姿を、上から眺めている自分がいた。
ドレスのすそを持ち上げて、彼女が、脚を開く。開いた脚の間に、アルベルトを引き寄せる。
ほら、と、彼女がまた、アルベルトの左手を取った。
白い腿の内側から、その手を、導いてゆく。
導かれて、逡巡していると、彼女が、アルベルトのズボンを引っ張った。
滑らかな、細い指が、触れた。
大丈夫だから。
優しく、彼女がささやいた。ささやかれて、冷えた心を置き去りにして、体だけが、溶けるほど熱を持った。
繊細に、指が動く。
さっき、指が触れそうになった、彼女の中へ、もっと親密な形で、触れ合うために、入り込んでゆく。
熱い、濡れた筋肉の中に、くるみ込まれる。
彼女の両腕と両脚が、アルベルトの体に、絡みついた。
小さく声を上げると、誘われたように、彼女が、子犬のように、細く鳴く。
首筋の左側に、彼女が軽く噛みついた。
ほとんど、余裕すらなく、彼女の中にいたのは、ほんの数分だったのか、掌とは違う感触に負けて、アルベルトは、体を引いた。
その中に、もっといたいと、どうしてか、思えなかった。
それでも、彼女の、柔らかな腿の上に、白く熱を吐き出して、アルベルトは息をついた。
彼女が、唇を噛みながら、潤んだ目で、アルベルトを見ていた。
紅の落ちた唇が、奇妙に青白く見え、いきなり汗が冷える。
突起のない、滑らかな喉を、左手で撫でた。そのままあごに触れ、彼女が、キスを期待しているのが、わかったけれど、紫色に色の変わったその唇に、どうしても触れる気にならず、指先でだけ、唇の線をなぞった。
くしゃくしゃになった、ドレスの濃い青が、視界いっぱいに広がる。それに包まれた白い体にはもう、熱を生む力はなかった。
魔法の時間は終わった。
白昼夢、と思いながら、彼女の白い首に食い込む、自分の鉛色の指先を、思い浮かべていた。
震える右手を、胸に引き寄せて、シャツの上で、ぎゅっと握る。
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