「あらし」 - 番外編
Riverside Hotel - Day 2
バスに揺られて、やはり寝入ってしまったアルベルトは、頭を乗せていたジェットの肩に揺さぶられて、目を覚ました。
その街のバスターミナルは、出発したところよりも数倍小さく、明かりも少なく、街の中心であるはずのその辺りをうろつくこともせず、ジェットは、下りたバスのすぐ傍へ停まっていたタクシーを勝手につかまえると、アルベルトにあごをしゃくる。
ジェットは一体行き先をどう伝えたのか、疲れた横顔の中年の白人男は、無言で車を走らせ、20分も経たずに、よくある眺めのモーテルの駐車場で車を停めた。
車の通りの多い道路と、駐車場からも見える高速の、その角に立つモーテルは、見上げたところ3階立てで、暗くてよくわからないけれど、薄汚れた壁にいくつも並んだ窓とドアが、とても退屈な眺めに見える。
古ぼけた看板を見上げて、来る途中で通り過ぎた、もう少しまともそうなホテルの方が良かったと、一晩泊まって気に入らなければ言ってやろうと、アルベルトは思う。
少なくとも、部屋がないという心配はなさそうだった。
傍にある3つのガソリンスタンドが、やけに白々しく明るい。そんなところで働くジェットの姿よりも、自分の姿の方が簡単に想像できて、アルベルトは、ちょっと眉を寄せる。
道路側にあるオフィスのカウンターには、東洋人の男がいた。グレートと似た年恰好に、アルベルトはちょっとだけひるんで、けれどどちらかと言えば甲高い声の、張大人とも少し違う英語の訛りに、安堵して足を踏み出した。
「角の部屋がいいな。」
ジェットが物怖じもせず、ひとなつっこい笑顔で言うと、主人らしい男はにこにこしながら、カウンターに鍵を出し、今夜の分は先払いだと言って、小さな紙切れとペンを差し出す。
手荷物もない自分たちのことを、一体どう思っているのだろうかと思いながら、こんな場所では、どんなことも起こりうるのかもしれないと、アルベルトは、その紙片に名前や住所---ほんとうのことかどうかは、注意すら払わなかった---を書き込むジェットの隣りで、また懐ろから取り出したクレジットカードを、男に手渡す。
「何日、いるつもりだ?」
訊くと、ジェットが唇を突き出して、考える表情を作って、
「とりあえず3日。」
時間も掛けずに答える。主人は、うなずいたアルベルトにうなずき返して、アルベルトはもう投げやりに、全部先に払っておくからと、主人に向かって革手袋の右手を振って見せた。
与えられた部屋は、2階のいちばん端で、建物の外側についた階段を上がって行くと、部屋の前から高速に飛び降りてしまえそうな、そんな位置だった。
人気はなく、ドアを開けて、中へ入って閉めてしまえば、いよいよふたりきりで、一応清潔そうに見える、質素な部屋の中を見渡して、アルベルトはちょっとだけ、自分はここで何をしているのだろうかと、数時間前までいた、自分の街のことを思い出した。
外からはかすかに車の音が聞こえ、入って真正面にある小さな窓は、ひっきりなしに車のライトに照らされている。
ジェットは、部屋の鍵を、入ってすぐの右手にあるテーブル---と2脚の椅子---に放り出し、フードのついたパーカーを脱いで、ベッドの上に放り投げた。
ベッドはふたつ、どうせひとつは使うこともないだろうと、アルベルトは奥にある方のベッドから視線を外して、やっと、すぐ後ろに立ったジェットに振り返る。
ドアと並んだ、テーブルのすぐ傍の窓には、ベージュのカーテンが引かれていて、明かりがついたままでは、角度によっては外から丸見えだという可能性もあったけれど、そちら側には高速しかないはずだったから、アルベルトは立っている位置を変えないまま、ジェットの首に両腕を回した。
わずかに、自分が興奮しているのがわかる。欲情ではなくて、何も言わずに飛び出して来たのだという、不安と恐れと、弾むような期待の混じった、興奮。これから一体どうなるのか、何をするつもりなのか、まったくわからないジェットに引きずられた形で、けれどその手を振り払わなかった自分の大胆さを、アルベルトはひとり胸の中で笑い、そして驚いていた。
唇を重ねて、珍しく穏やかな仕草で、ジェットの腕が肩や背中を撫でる。
いつもの、時間や他の誰かの気配に追われての口づけではなく、何にも邪魔されることはないのだという、安っぽい驕りに満ちた、穏やかな接吻だった。
唇が湿る。もっと何か別に、ジェットに問い質さなければならないことがあるような気がして、けれど口づけに遮られて、アルベルトは何もかもを後回しにしたかった。
何も考えたくない。何も考えなくていい。グレートがここにやって来ることはない。ジェットと、正真正銘、ふたりきりだ。
それは、とても間違ったことのような気が、ちらりとして、アルベルトはいっそう強く目を閉じて、胸をすりつけるように、ジェットにさらに体を寄せた。
シャワーを浴びてくると、長い接吻とアルベルトの腕を解いて、ジェットは服を脱ぎ散らかしながら、奥のバスルームへ消えた。
ドアをきちんと閉めもせずに、すぐに水音が始まり、湯気が漏れ始める。
アルベルトは、ジェットの服を拾い上げようかどうしようか迷ってから、何もしないことに決めて、やっとコートを脱いだ。
ジェットのパーカーとまとめて、奥の方のベッドに置くと、ベッドとベッドの間に足を投げ出すように、まだ乱れのないベッドの上に腰を下ろし、意味もなく、入り口のドアの方へ、一度だけ振り返る。
さて、と、やっとジェットの体温が遠去かって、改めて、とんでもないことをしていると、心が現実に飛ぶ。
グレートは、もう自分を探し始めているだろうか。ベッドの傍のテーブルの上の時計は、まだ深夜にすらなっていない。少しばかり早すぎると、そう思って、時計の後ろにある電話から、視線が外せなかった。
ベッドの上で腰を滑らせて、サイドテーブルの、もっと近くへ寄った。
右手を、上げかけては下ろし、受話器に手を乗せても、そこから持ち上げる決心はつかず、手を伸ばし、受話器に触れ、並んだ数字を、グレートに繋がる番号の順に目で追って、また手を離し、そんなことを繰り返していて、ジェットがいつの間にか、全裸にタオルだけを引っ掛けた姿で、目の前に近づいているにさえ気づかなかった。
「よけいな真似すんな。」
そう声を掛けられて、アルベルトはびくりと右肩を硬張らせて、まるで隠すように、右手を背中の後ろへやった。
「油断もスキもねえな、アンタ。」
口元は笑っている。けれど目は笑っていない。すり切れた薄いカーペットを、ジェットの爪先が滑る。形のいいジェットの脚を、床から眺め上げていると、伸びてきたジェットの手が、アルベルトのネクタイをつかんだ。
そのまま引き上げられ、ジェットはネクタイを軽くゆるめると、くるりとアルベルトの体を回しながら、ネクタイの先を背中の方へ垂らす。そうして、アルベルトをうつ伏せにベッドに押しつけると、左腕を背中にねじり上げて、手首を素早くネクタイで縛る。
首の後ろから手首を吊られた形で、また首をつかまれ、ジェットはアルベルトを床に引き倒すと、自分が代わりにベッドに坐った。
「・・・ったく。」
苦々しげな舌打ちと裏腹に、見上げたジェットは笑っていて、けれど淡い緑の瞳には、意地の悪い影が浮かんでいる。
「来いよ・・・。」
軽く開いた脚の間で、勃ち上がりかけているそれに、知らずに視線が吸い寄せられる。
アルベルトは、狭いベッドとベッドの間を膝と右手を滑らせて、ジェットに這い寄った。
唇を触れもせずに、けれど呼吸のかかる近さで、目の前でみるみる形を整えてゆく。
ねじり上げられたまま縛られた左腕の重さで、締まる首の苦しさも忘れて、アルベルトは、慄える唇を開いた。
へへっと、ジェットが満足げに笑いをこぼす。アルベルトの右手を取り、革手袋を外す。剥き出しになった鉛色の手を、そのまま自分の胸に這わさせる。
まだ、ボタンのひとつも外さないまま、床に這いつくばって、全裸のジェットの脚の間で、アルベルトは淫らに顔を振る。
舌を全部使って、丁寧にジェットの熱の輪郭をなぞった後を、今度は、きれいに並んだ歯先に追わせる。甘く噛むように、時折歯を立てて、まるで、食むように。
アルベルトの頭を抱え込んで、ジェットの長い足が、時々アルベルトに触れた。うねる背中や腰や、あるいは腿の後ろを、からかうように、蹴るように。
じれったいと思うのは、けれど、今はあまり本気にはならない。時間だけは、無限にあったので。
アルベルトは、飽きずにジェットを舐めて、ジェットも、飽きずに、そんなアルベルトを見下ろしている。
時間と、今この空間だけが、ふたりにあるすべてだった。
ジェットを夢中にさせようと、アルベルトが少し激しく舌を使うと、すぐにジェットが逃げる。まるで、わざと長引かせようとするかのように、ジェットはアルベルトの思う通りにはさせず、浅く唇を侵しては、追いすがる舌先から、すぐに逃げてゆく。
次第に、体温の上がる体を包む服が、窮屈になる。脱いで、脱がされて、自分を解放してしまいたくて、アルベルトは、知らずにすがるようにジェットを見上げていた。
ジェットは、にやにやと笑うだけで、そんなアルベルトの様子には気づかないふりで、アルベルトが自分で服を脱ぐことも許さないように、今はふたり分の体温で生ぬるいその右手を、しっかりとつかんでいる。
どうしたら許してもらえるかと、媚びるように、ジェットを上目遣いに見つめながら、いつもより何倍も丁寧に、舌と唇を使う。頬まで、唾液---と、もっと別の、ぬるぬるしたもの---でべたべたにしながら、アルベルトは、ジェットを満足させるために、何度も何度も、吐き気をこらえて、それを喉の奥に飲み込んだ。
床に折っていた膝が、次第に大きく開いて、まるで触れてもらえないそこを、床にすりつけるように、アルベルトの腰は、いつの間にか、恥ずかしげもなく、淫猥に揺れ始めていた。
縛られた左手の痛みよりも何よりも、解放されたい身内の熱が理性を食い散らかして、アルベルトはついに、半分泣き出しそうになりながら、ジェットの形に唇を開いたまま、懇願の言葉を示して、舌を蠢かせた。
「一生、そんなツラしてろよ、アンタ。」
優しい声で、残酷な台詞を吐いて、ジェットはまた、アルベルトの後ろ髪をつかんで、自分の方へ引き寄せた。
唇に押しつけられて、けれど今度は、ジェットが思うままに動き始める。
ベッドから立ち上がったジェットに、あごをつかまれて、喉の奥を侵されながら、まだ乱れることの許されない服の下で、けれどアルベルトは、とっくに乱れきっている。
上向いた喉に、ジェットが容赦なく突き立ててくる。
床に膝をついて、大きく開いてしまっている脚の間を、ジェットの爪先が、ゆるゆるとなぶる。
もうそれだけで、果ててしまいそうになりながら、アルベルトは、躯のもっと奥へたどり着かせるように、苦味の増すジェットの熱の形を、喉の奥深くへ飲み込んでゆく。
「淫売。」
唾液---だけではなくて---で汚れたアルベルトの顔に、もっと汚れた言葉が落ちてくる。
あごにかかったジェットの手は、どうしてか、暖かく優しかった。
時計の、デジタルの表示は、とっくに深夜を過ぎていた。
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