The Restless Ones

scene #11



 部屋を連れ出されて、ジェットに連れてゆかれたのは、店の裏口だった。
 小さな通りに面して、他の建物と共有している駐車場の中には、まばらな車と、ごみを放り込んでおく、大きなコンテナがあるだけだ。
 ドアも窓も見当たらない、建物と建物のすきまに、ハインリヒの腕を引いたまま、ジェットが入り込んでゆく。
 そこを抜けてゆけば、表通りへたどり着く半分ほどのところで、ジェットが足を止めて、ハインリヒを引き寄せた。
 壁と、ジェットの厚い胸に挟まれて、上背のあるジェットに、両腕を取られ、まるで壁にはりつけにされたような格好で、ハインリヒは、ジェットの、静かに怒りに満ちた瞳を見上げる羽目になる。
 「あいつとヤったのか?」
 どこまでを、やったと定義するのだろうかと、その場しのぎに考え込んで、出てくる答えにかまわずに首を振る。
 おまえだって、あの男と寝てるんじゃないか。
 そう反駁する手もあるけれど、そう言えば、ジェットは、プレイはするけどファックはしないと、何がどう違うのかわからない説明で反論してくる。
 自分がしようとしていたのは、あれはプレイなのだろうか、"ファック"なのだろうかと、使い慣れない卑語を、口の中で思わずつぶやいていた。
 「アンタも、油断もスキもねえなあ。」
 瞳の表情はそのままで、けれど口元だけが、まるで安堵したようにゆるむ。
 見上げて、思わず、その唇に引き寄せられるように、自分も唇をうっすらと開いて、ピュンマと抱き合いながら、思い出していたのはこの唇ばかりだったと、そんなことを思い出す。
 ジェットの唇が、今はひどく懐かしかった。
 「アンタ、オレがきらいか?」
 いきなり、確信を突いてくる。そんな感情とはまるきり無縁の、欲情の部分ばかりで抱き合ってきたじゃないかと、言い返しかけて、言葉を飲み込んだ。
 違う。
 頭の中で声がした。頬を上気させて、ジェットを見上げて、見つめていることに、ハインリヒは気づかなかった。言葉も仕草も、ジェットの問いに答えてはいなかったけれど、ジェットに向けた瞳が、何よりも正直に、ハインリヒの感情を表している。
 好きでもない男と、あんな触れ合い方ができるほど、自分はさばけた、出来た人間ではない。
 けれどそれがすなわち、ジェットとあんなことをしたがっている、ということにはならない。
 だからと言って、ジェットとごく普通の"ファック"をしたいわけではない。
 「・・・アンタ、ほんとに隠し事もウソもヘタだな。」
 やっと、ジェットが、瞳も一緒に笑みを浮かべる。
 「オレは、アンタが好きなんだ。」
 ハインリヒの腕を離して、ジェットが頬に触れてくる。まるで、口づけるような近さで、ささやきが続く。
 「アンタが、役立たずのマゾでも、ゴムフェチのサドでも、ストレートの退屈野郎でも、何でもいい。オレは、アンタが、好きなんだ。」
 触れた指が、頬を撫でる。
 まるであやされているような心地良さに、ジェットを見つめたまま、ハインリヒはゆっくりと瞬きをした。
 俺が、と唇を動かしてから、ジェットが聞いていることを確かめて、言葉を継いだ。
 「正常位しかやったことのないような、マスターベーションも滅多としないような、ゲイなんて想像もしたことないような、つまらないヤツだったらどうする?」
 ジェットの唇の端が、おかしそうに上がる。瞳に、いつもの、挑むような光が宿った。
 「アンタも、つくづく往生際が悪いなあ。同類をかぎ分ける、オレらの鼻をなめるなって。」
 言いながら、両足の間に、ジェットの膝が割り込んでくる。膝で押されて、思わず声を上げた。
 まだ、ジェットの唇は触れては来ない。呼吸だけにくすぐられて、まるでその時を待ちわびるように、ハインリヒは、自分の唇を舐めて湿す。
 ジェットが、やっと唇を近づけてきた。閉じた瞳の、驚くほど濃く長いまつ毛に見惚れて、唇に触れる暖かさを期待して、けれどまるでそんなハインリヒをからかうように、ジェットの腕が肩を滑って、ハインリヒを抱きしめてくる。
 唇は重ならず、けれど首筋に、まるで甘えるように、ジェットの唇が触れた。
 「帰ろうぜ、ご主人様。」
 まるで、置き去りにされていた犬のように、ジェットの全身が、ハインリヒに覆いかぶさる。肩を抱いたジェットの腕に応えるように、ハインリヒも、少しだけ背伸びをして、ジェットの背中を抱き返した。
 「・・・帰って、ブっ飛ぶくらいに、ヤリまくろうぜ。」
 下品な物言いが、ひどく切実に、真摯に聞こえる。
 中途半端に服を脱いだだけのジェットを、床の上で揺すり上げているところを想像して、ハインリヒは、うっかり欲情しかけた。
 それを悟られないために、冷静なふりをして、ジェットの背中から腕を下ろす。
 「・・・声も出ないようにしてやる。」
 にやっと、ジェットが唇を歪めた気配が、右肩に伝わった。
 「何でも、アンタのなすがままだぜ、ご主人様。」
 少し弾んだ、けれど相変わらずの、挑むような口調で、ジェットがようやく胸を離す。
 裏口の方へ戻ろうと、あごをしゃくるジェットの後ろを、歩き出すその前に、ハインリヒは、ジェットの手を握って、下を向いて、わざと上目に、低く言った。
 「・・・手のつけられない色きちがいだな・・・」
 体半分で振り返って、胸を反らすように、腰に手を当て、ハインリヒが触れた手で、強く握り返してきながら、こちらに向いた横顔が、不敵に笑う。
 「アンタにだけな、ご主人様。」
 ハインリヒの反応を見届けずに、手を離して、そのままジェットが歩き出す。
 長い、形のいい足と、肩と背中の線の動きに一瞬目を奪われ、ジェットが、かすかに見えるうなじに、鎖のついた、太い革の首輪をはめているところを想像して、その鎖の端が、まるで手の中にあるように、ハインリヒは、さっきまでジェットに触れていた掌を見下ろして、2度、開いて、閉じた。
 手の中で、鎖の幻が、じゃらりと音を立て、けれどその音に、眉をひそめる代わりに、ハインリヒの口元にはっきりと浮かんだのは、ジェットのそれを写したような、不敵な笑みだった。
 爪先はもう、迷うことなく、前に踏み出されている。
 ジェットに追いつくために、ハインリヒは、歩幅を広げて、そして、ジェットの肩に向かって、思い切り腕を伸ばした。


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