The Restless Ones
scene #2
出掛けるのに、付き合ってくれと言われて、ジェットに連れて行かれた先は、小奇麗なビルディングの中の、小さなタトゥーショップだった。
間口は狭いくせに、奥行きがあるのは、おそらく、外から中をのぞいても、誰がいるかわからないようにという配慮だろうと、ハインリヒは、こっそりと、きょろきょろしながら思った。
カウンターにいる、刺青とピアスだらけの若い女は、ちらりとジェットを見て、腕の時計で時間を確かめてから、
「いちばん奥よ。」
と、素っ気なく言った。ジェットはそれに、サンクス、と短く返して、ハインリヒにあごをしゃくってから、通路の奥へ向かって歩き始めた。
真っ白い内装の、その店は、壁という壁に、あらゆる種類のタトゥーの写真が貼ってあり、それから、消毒薬の匂いがした。
写真さえなければ、まるで病院のようだと思う。
通路のいちばん奥の、半開きのドアを軽くノックして、ジェットは、中へ入って行った。
中にいたのは、ハインリヒよりも、少し背の低い、ジェットよりも薄めの、けれどきれいな体をした黒人の男で、思わず舐めたくなるような、チョコレート色の膚をしていた。
やあ、と笑顔でジェットに言ってから、その後ろのハインリヒを見て、品定めするような目つきをした。
男は、椅子を、ふたつ引いて並べ、ジェットが、背もたれのある椅子の方に、背もたれを抱くような形で、腰を下ろす。
そこで、革のジャケットを脱ぎ、下に着ていた---さすがに、外に出るのに、素肌のわけにはいかない---白のタンクトップを、片手でまくり上げた。
無造作に、それらを足元に置くと、肩越しに、自分の後ろに立って、準備をしている男へ、馴れ馴れしい笑顔を向ける。
「線は今日、もう、入っちまうのか?」
「そうだね、色入れに、少し時間がかかるだろうから、それは今度。」
男は、壁際にしつらえた小さな棚の上に並んだ、さまざまなものに手を伸ばし、ジェットの、裸の背中をちらちら眺めながら、両手に、ぱちんと、薄い、医療用に見える、白いゴム手袋をはめた。
銀色の、膚に彫りを入れるための機械は、複雑な外観をした、マシンガンのように見える。
ドアのところに、所在なさげに立っていたハインリヒは、男が、ジェットの背中に手を添え、機械のスイッチを入れた時、その、動く機械の先端が、ジェットの膚に食い込み始めたらしい様を見て、一瞬、顔を背けた。
男の端正な横顔が、微動だにせず、ジェットの背中------正確には、右肩の後ろ、肩甲骨の上辺りを、見つめているその真剣さに、ようやく、顔を正面に戻した。
ジェットは、パイプ椅子の背にあごを乗せ、背もたれを、両腕で抱え込んで、唇を引き締めていた。
痛みはあまりないと、話だけは聞いているけれど、機械に装着した針の束で膚を彫られるのに、痛みがないはずもない。
ジェットの頬は、少しずつ上気し始め、時折、声をもらすように、唇が開く。
男は、ジェットの背中を、数回刺すごとに、血なのか、それとも、彫った膚に流し込む染料なのか、黒っぽい色の液体を、タオルで繰り返し拭う。
男の額に、汗が浮き始める頃、ジェットのあごの辺りにも、滴る汗が見えた。
ふたりが入り込んでいる世界に、ハインリヒは、はっきりと邪魔者で、痛みを与える男と、痛みに耐えるジェットを眺めながら、ハインリヒはいつの間にか、爪が掌に食い込むほど強く、拳を握りしめていた。
ジェットが、初めて、ちらりとハインリヒを見た。
口元が、へへへと笑う。瞳が、潤んでいた。
「ピュンマ。」
そういう名前なのか、ジェットが、肩越しに、男を呼んだ。
「ちょっと止めてくれ。右腕、動かすから。」
男は、言われた通りに機械を止めて、それを見届けてから、ジェットは、ハインリヒに向かって、右手を伸ばした。
手招きするその腕に、ハインリヒは、戸惑いながら、ゆっくりと近づく。そんなハインリヒを、男が、ジェットの後ろで、少しにらむように見ている。
「手、握っててくれ。」
ジェットが、笑って言った。
男の目が、すっと細まったのが、視界の端に引っかかった。
その目つきに、抗うように、ハインリヒは、右手を、ジェットに伸ばした。
また、針が、膚を彫り始める。
ジェットの指が、絡んできて、ぎゅっと、ハインリヒの手を握る。前よりもいっそう、首筋に濃い血の色が上がり、長い睫毛が、大きく震え始めた。
かすかな声が、その、厚い唇の奥にもれ始め、潤んだ目が、斜めに、ハインリヒを凝視する。
ハインリヒは、いつものよりも、少しだけ気後れしながら、それでも、ジェットの体を眺めていた。
腹筋の震え方や、腕の筋肉の緊張の仕方で、今、ジェットがどんな状態なのか、大方予想はついた。
ジェットの膚の上に刻まれる絵に興味はなく、ハインリヒは、針を突き刺される痛みの中に沈んでいるジェットを見て、ジェットをそんな状態にできる、黒人の男に、嫉妬した。
ジェットの、指の長い手を、強く握ると、ジェットが、汗の浮いた赤い顔で、また、へへへと笑った。
作業が終わって、立ち上がったジェットの背中には、濃い青で、太陽のように見える絵が、刻まれていた。
そこには、やはりジェットの髪の色と、同じような赤が入るのだろうかと思いながら、ハインリヒは見上げた目を、ふと細める。
ジェットは、服を着け終わると、またハインリヒの手を取り、それからまた、男の方へ振り向いた。
「また、来週。」
男が、奇妙に艶のある声で言った。
ああ、とそれにうなずいたジェットに向かって、男の首が伸びた。
顔が近づくのと同時に、ジェットの長い腕が、その首に回る。男の手は、ジェットの背中に触れ、それから、腿に落ちて、そこからまた、腰に滑るように上がった。
ハインリヒは思わず、ジェットと繋いだ手を、振り払おうとした。
男と、ハインリヒの目の前で接吻しながら、ジェットは力を入れて、ハインリヒの手を逃がさない。
互いを食むように、絡めていた、舌と唇が離れると、ふたりは、にっこりと見つめ合ってから、何事もなかったように、じゃあ、と言った。
「行こうぜ。」
自分を、呆気に取られてにらみつけているハインリヒを、からかうような目つきで見つめてから、ジェットは、そのままハインリヒの手を引いて、部屋を出た。
店を出て、手が離れてから、ハインリヒは、掌を眺め下ろして、低い声で言った。
「あっちが・・・恋人じゃないのか・・・」
駐車場へ向いた足を止めて、ジェットが、無表情に振り返る。
「オレ、アンタが思ってるほど、色キチガイじゃねえぜ。」
どうだか、と吐き捨ててみた。
「タトゥー入れながら・・・どうせ、サカってたんだろう?」
今度こそ、顔だけではなく、体全体で振り返って、ジェットは、ジャケットのポケットに、両手を差し入れて、見せつけるように、胸を張った。
威圧感に、気圧されながら、ハインリヒは、目を反らさずに、ジェットの、その挑戦的な視線を受け止める。
「・・・アンタに、しゃぶってもらうか、アンタのをしゃぶりたいとは、思ってた。」
開いた唇の奥で、舌が、卑猥に動く。
「アンタだって、オレが感じてるの見て、オっ勃ててたんだろ?」
揶揄するようでも、咎めるようでもなく、淡々と言われ、ハインリヒは、無意識に頬を染めた。
「他にサカるなって、アンタが言うなら、あんなので埋め合わせするしかないだろ? アンタ、あんまりサドっ気ないしな。」
肩をそびやかして、また、ジェットが歩き出す。
揺れるその背中を見ながら、ハインリヒの唇は、白っぽく、血の気を失っていた。
アパートメントに戻ると、ジェットは、床に服を脱ぎ散らかしながら、ベッドルームへ入って行った。
その後を追った時、もう、心は決まっていた。
思うことはあっても、実行したことはない。いつだって、誘うのはジェットで、ハインリヒは気乗りしないふうに、その誘いに乗るだけだった。
部屋に飛び込むと、ベッドの傍で、シャワーを浴びるためなのか、全裸になろうとしていたジェットを突き飛ばして、背中を押さえ込んだ。
抗うように、背中をよじるジェットの腰に、自分の腰を押しつけ、頭を押さえつけながら、ベッドの下から、手探りで、ジェットを拘束するための道具を探す。
手に触れた、金属の感触を取り出すと、ジェットの背中に放り出す。
冷たさに、粟立った膚が見えた。
ハインリヒは、必死だった。ジェットを押さえつけて、身動きできないようにする以外、頭にはなく、つかんだ手首に、その手錠をはめ、ジェットがすでに脱ぎかけていた服を、引きずり下ろしながら、ジェットが肩越しに、憐れむような視線を投げているのに、気づかなかった。
筋肉のついた、広い背中を見下ろしながら、後ろから、何の前触れもなく、犯した。
シーツに、ジェットのかすかなうめきが、こもった。
むりやりに侵入し、引き裂くように突き入れると、そのたびに、ジェットの、肩や背中の筋肉が動く。
それを、きれいだと思いながら、ハインリヒは、いつの間にか、うっとりと、ジェットの躯の内側に溺れていた。
痛みにうめく声は、最後まで変わらず、それでも、腰は、ハインリヒを貪るように、勝手に動く。
喉をあえがせながら、ハインリヒは、ジェットの膚に浮き上がった、あの、太陽を形づくる青い線に、嫉妬していた。
そこに、爪を立てて、皮膚を引き剥がしてやりたいと、真剣に思う。
それでも、色が入って完成したそれが、ジェットの、白い、張りのある膚を飾って、髪の色と並ぶのを、どうしても見たいとも、同時に思う。
横を向いて、痛みに顔を歪めているジェットが、目を開いて、ハインリヒを見た。
赤く染まったその目元と、蔑むようなその視線に、ハインリヒは、欲情を誘われて、耐える間もなく、ジェットの内側で、果てた。
床に、ずるりと坐り込むと、必死で、荒い息をおさめた。
濡れて汚れた自分の躯を見下ろして、いきなり、死にたいほど、自分が恥ずかしくなる。
ベッドの上に、まだ体を伏せたままのジェットが、
「外してくれよ、これ。」
と、言った。
慌てて、体を起こして、ベッドサイドの引き出しから、手錠のカギを取り出し、後ろ手になったジェットの手を、解放してやる。
ジェットが、半端に脱がされた服も引き上げないまま、体を起こして、舌打ちしながら、手首を撫でる。
「・・・すれちまった。」
口元に運んだ手首を、ぺろりと舌先で舐める。かすかに赤い線が、そこに見えた。
おそらく、死ぬほど場違いで、不様な台詞なのだろうと、思いながら、ハインリヒは、耐えられずに、唇を開いた。
「悪かった。」
ジェットの、表情のない頬の上に、目の色だけが、強く光る。
その瞳の色の意味を、軽蔑と取って、ハインリヒはまた、恥ずかしさに頬を染める。
消えてしまいたいと思ってから、革靴の足元に、目を伏せた。
「大したことねえ、こんなの。」
投げ出すように言ったジェットが、自堕落に、ベッドの上で、膝を崩す。
立ち尽くしているハインリヒに向かって、ジェットの右腕が、ゆっくりと伸びてきた。
「・・・サカってんのは、アンタの方じゃねえか。」
手を取って、からかうように、ジェットが言う。
ベッドから足を下ろし、ゆらりと立ち上がりながら、ジェットの口元に、いつもの、驕慢な、淫蕩な笑みが浮かぶ。
取られた手と手の間に、鎖がたれている、そんな幻が、見えた気がした。
囚われているのは、一体どちらなのかだろうかと、自分が飼っているはずの、若い男の笑みを見上げながら、ハインリヒは思った。
「一緒に、シャワー浴びようぜ、ご主人様。」
頭の後ろで、じゃらりと、鎖の鳴る音がした。
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