The Restless Ones

scene #3



 ジェットが帰って来た時、ハインリヒは、ベッドで本を読んでいた。
 ばたばたと部屋にやって来て、ハインリヒを見つけて、子どもっぽく笑う。
 それに視線を投げてから、また、本へ戻った。
 「すんだのか?」
 本から目を離さずに尋くと、ジェットが、ぽんと、ベッドの上に、飛び乗ってくる。
 「ああ、見るか?」
 本を膝の上に置いてうなずくと、ジェットが、またうれしそうな表情で、立ち上がり、ハインリヒに背中を向けて、いつもの革のジャケットと、白い、ぴったりと体に張りついたTシャツを脱ぐ。
 両手を、首の後ろに当てて、必要もないのに、後ろ髪を押さえると、へへ、と笑う声が聞こえた。
 あの、太陽を形づくった青い線が、赤と黒に満たされている。禍々しい太陽の印は、けれどジェットの膚に、よく映えた。
 どうだと言いたげに振り向くジェットに、ハインリヒは、特別な表情も返さず、また、本に視線を戻す。
 上半身に何もつけず、滑らかな裸身を晒しているのを、気づかれないように、視界の端におさめて、ハインリヒは、努めて関心のない風を装った。
 「・・・また、サカってたのか・・・」
 ジェットが、あごを突き上げるようにして、ははっと笑う。
 「アンタが、一緒に来ねえって言うから・・・ひとりでサカってたさ。」
 刺青が仕上がって、上機嫌なのか、ハインリヒの皮肉に、突っかかりもしない。
 「ひとりでサカって、あの男に、やらせたのか・・・?」
 刺青の、赤はジェットの髪を、黒は、あの男の膚の色を思わせて、ハインリヒは、そこから浮かぶ想像に、かすかに腹を立てていた。
 彫り上がったそれは、ジェットに似合っていたし、けれど、だからこそ、よけいに、見苦しい嫉妬がわく。
 ジェットが、今度こそ、頬の線を硬くして、ハインリヒを、下目ににらんだ。
 ハインリヒは、本から顔を上げ、自分の不様さから目を反らすために、真っ直ぐにジェットを見返した。
 にらみつける瞳には、憤りが浮かんでいたけれど、口元に刷かれていたのは、淋しさだった。見透かされているのだと気づいて、ハインリヒは、慌てたように、視線を反らす。
 ジェットが、どこか、呆れたような、諦めたような苦笑をもらした。
 「・・・ホンモノは、プレイはしても、ファックはしないって、何べん言ったらわかるんだよ。」
 求めるのは、与えて、与えられる苦痛---さまざまな様式の、造形された、洗練された暴力による---であって、躯の繋がりではない。
互いの妄想を、互いに補完するために、与えて、与えられ合う。
 苦痛は、すなわち快楽であり、その快楽を求めて、限界を追求する。
 互いの妄想を、構築した世界に解放して、そこでさらに肥大した妄想を取り込んで、自己完結する。
 ジェットが住んでいるのは、そんな世界だ。ハインリヒは、自分が、そんな世界の住人だとは、どうしても思えない。けれど同時に、ジェット自身と、ジェットが見せてくれる、危うい世界の綾に、魅かれているのも事実だった。
 痛みを与えられるたびに、目元を染め、瞳を潤ませて、ジェットは、ハインリヒを見上げる。そんなジェットを見て、もっと踏みにじってやりたいと思いながら、いつも、そんな自分に怯えている。
 何も言わず、ジェットを無視して、ハインリヒはまた、本に視線を戻した。
 ジェットが、ベッドの端に腰を下ろして、かまわずに話を続ける。
 「・・・アンタ、オレの遊びに付き合ってやってるって思いながら、ほんとは、オレと遊ぶの、好きなんだろ? オレが、痛めつけれられて、悦んでんの見るの、好きなんだろ?」
 ジェットの声が、湿って、絡みつく。
 声が、膚の上に滑る、ジェットの濡れた舌を、思い出させた。
 「アンタは、自分の手を汚すのはいやなんだ。オレを、自分で痛めつけるのはいやなくせに、オレが誰かとプレイしてるの、見るのは好きなんだ。そうだろ?」
 ハインリヒは、どくどくと、早足になる心臓の音を聞きながら、平たい声で問い返した。
 「どうして、おまえに、そんなことがわかる?」
 精一杯、下手くそな軽蔑のふりを、口調に込めた。
 「アンタ、怖いんだ、オレに引きずられて、ほんもののサディストになっちまうのが。でも、心配すんなよ、アンタは、そういうタイプのサディストじゃない。」
 ジェットの声が、いつの間にか、真剣味を帯び始めていた。
 ハインリヒは、相手になどしていないと、態度に表しながら、視線で、続きを促していた。
 ジェットが語る自分を、おそらく、いちばん知りたくもない自分を、知りたい欲求が、抑えようもなくあふれてくる。
 「アンタは、自分じゃやらない。自分で痛めつけるよりも、痛めつけられてる人間を眺めて楽しむタイプだ。だから、オレはどっかで、別のヤツと楽しむしかないだろ?」
 「ずいぶんと勝手な言い草だな。」
 「勝手じゃないさ、勝手なのは、きれいな手のままでいる、アンタの方だ。」
 勝手な人間だと言われて、一瞬で頭に血が昇り、考える間もなく、手を振り上げていた。
 肉を打つ、鈍い音が、右手からこぼれて、ジェットが、殴られた頬に指を添えて、ハインリヒを横目に見る。
 見る見るうちに、頬には、掌の形が赤く浮き出て、口の中を切ったのか、頬の内側を舐めているらしいジェットの舌の動きが、ちらりと見えた。
 「いてえ・・・」
 どこか、茶化すように、ジェットの瞳が光った。
 ジェットの表情に、欲情が、うっすらと浮かぶ。その貌を、もっと見たいと思った時に、ジェットがベッドに足を上げて、ハインリヒの上にまたがった。
 膝に乗っていた本を放り、素早い動きでハインリヒの両手を、壁に縫いつけてしまうと、唇が触れるほど近く、顔を寄せて、ジェットが、ひどく淫蕩な表情で、ささやいた。
 「なあ、ご主人様。」
 声が、耳に絡みつく。
 息が、湿っていた。
 「アンタ、オレを、ファックしたい? それとも、オレに、ファックされたい?」
 ジェットの手に、力がこもった。
 「・・・オレが、どんなふうに感じてるのか、知りたいんだろ、アンタ。」
 決めつけるように言われ、反論しようとして、やめた。
 代わりに、顔を背けて、目を閉じた。
 ジェットには、隠せない。あの、真っ直ぐにこちらを見つめる、緑色の瞳で、心の底まで見透かす。自分の欲望に、忠実で正直だからこそ、押し隠した、他人の欲情に、敏感に反応する。
 ジェットが、自分に求めていることを、ジェットにされたいわけではなかった。それでも、自分の足元で、踏みつけにされて、恍惚とした表情を見せるジェットの、その皮膚の内側を、感じてみたいと、いつも思っていた。
 唇が、柔らかく重なった。
 舌がうごめいて、湿った、柔らかな口内を、すみずみまでまさぐる。誘われて、同じように、ジェットの口の中を侵しながら、ハインリヒは、いつの間にか、抵抗する気を、完全に失っていた。
 ジェットの、長い指が、服を脱がせながら、膚を滑る。
 溶かされて、いつも、ジェットがそうすることを好むように、無防備な姿を、晒させられる。
 「すげえ、アンタ、熱い。」
 目元を、酔ったように、ぼうっと赤らめたジェットが、開いた両脚の間で言った。
 内側に、慣らすために埋め込んだ指を、傷つけないように、動かしながら、片手で、自分をこすり上げている。
 「・・・ちくしょう、アンタのこれ、欲しい。」
 下品な言い方で、投げ捨てるように言うと、そこを、唇で包み込んだ。
 粘膜を触れられ、粘膜で触れられて、ハインリヒは、思わず声をもらす。
 ぴちゃぴちゃと、音を立てながら、ジェットが舐めるのに合わせて、ハインリヒは、腿の内側を痙攣させた。
 ハインリヒの足を、限界まで開かせると、ジェットの厚い、背高の体が、覆いかぶさってくる。
 ハインリヒと、自分のとを、重ねて、触れさせて、唾液と体液とを、ぬるぬると、そこで混ぜるように動く。
 それから、突き刺すように、ジェットが入ってきた。
 肩の辺りに、ジェットが体を支えている両腕に、思わず指先を食い込ませる。
 押し広げられる躯と、慣れない形に開いて、もう痛み始めている両脚の、その違和感に、ハインリヒは戸惑いながら、痛みの中に、自分を投げ込んでいた。
 躯の内側に、打ち込まれる異物感、引き裂かれる痛み、苦痛を訴える声と、さして変わらないうめきを、動きながら、ジェットが絶え間なくもらす。
 膚に針を刺し、色を流し込む。痛みの後に訪れる、自己満足の芸術のために、それとも、受ける痛み、そのもののために。
 その、突き刺す痛みが、重ねた膚から、ハインリヒに流れ込む。
 ジェットが、受け止めて、悦びにのたうった痛みが、ハインリヒの、内側と外側に、注がれる。
 素肌に刻まれた、赤と黒の太陽。
 痛みと、快楽と、悦びの象徴。歪んだ形の、自己主張と自己満足。
 ジェットが、痛みを受ける時と同じ表情で、ハインリヒの上で、喘いでいた。
 膝を引き寄せて、ジェットの腰に回す。もっと近く触れ合うために、そうして、ジェットの腰に、自分を押しつける。
 ジェットがまた、喘いだ。
 うっすらと、潤んだ瞳が開いて、食い入るように、ハインリヒを見つめる。
 「・・・アンタがオレで・・・オレが、アンタだ。」
 答える代わりに、血の色に染まったジェットのみぞおちに、掌を当てた。
 いつもそうするように、滑った指を、ジェットの胸に通った銀のリングに、引っ掛ける。
 引きちぎるように、手前に引いてやると、声を上げて、ジェットが喉を反らした。
 ジェットに侵されている。けれど、コントロールしているのは自分だと、そう思った。
 厚い胸が、激しく上下して、口元に、淫蕩な笑みを浮かべて、ジェットが、にやりと唇を歪めた。
 服従するものの笑顔は、支配者に媚びるためではなく、互いの間に生まれた、痛みによる快楽への、賞賛のためだ。
 大きな体に押し潰されながら、ハインリヒの口元に、いつの間にか、ジェットのそれに、よく似た笑みが浮かぶ。
 ジェットの喘ぎが、いっそう大きくなると、ハインリヒは、ジェットの下で、汗にまみれた顔を、にやりと歪めた。


戻る