The Restless Ones

scene #4



 なあ、とジェットが言った。
 いつも、何かをねだる時に使う声だと気づいて、目の前に立ったジェットに、ハインリヒは、少し冷たい視線を投げた。
 ひょろりと高い体を、ハインリヒの足元に投げ出すように、床に膝を折ると、ハインリヒの足を抱え込み、膝に、大きな音を立てて、口づけた。
 胸板の厚い体を、ハインリヒにすりつけて、まるで猫のように、下から、甘えた仕草で見上げる。
 「なんだ。」
 平たい声で、低く、応えてやった。
 オレ・・・と、珍しく上ずった声で、ジェットが、唇をとがらせる。
 誘うような、その形から、数瞬の後、目を反らして、ハインリヒは、挑発には乗らずに、そのままで続きを待った。
 「タトゥー、入れるんだ。」
 視線を戻して、怪訝そうに、ジェットを見下ろした。
 「この間、背中に入れたばっかりだろう。」
 今度は、どこかもっと目立つところに、下品な絵でも彫らせるつもりだろうかと、彫り師の、あの黒人の男の、端正な横顔を思い出しながら、ハインリヒは、ほんの少し不機嫌になる。
 「今度は、もっといいところに・・・」
 ジェットが、膝を撫でながら、そそるように言う。
 「いいところ・・・?」
 うかうかと、ジェットの挑発に乗って、思わず問い返した。
 「知りたいか・・・?」
 ジェットが、下唇を、舐めた。
 そこから、今度は目を反らさずに、ハインリヒは、別のことを訊く。
 「いつ、やるんだ。」
 「あした。」
 間を置かずに、素早くジェットが返す。急なことに驚いて、ハインリヒは、ほんの少し、鼻白んだ。
 「どこに入れるか、アンタ、知りたいか・・・?」
 ジェットが、体を伸ばして、乗りかかるように、立ち上がって、ハインリヒの坐っているソファに、手を突いた。
 急に、視界を覆った、赤い髪と、白い胸に、ハインリヒは気圧されながら、それでもかろうじて、無表情を保つ。
 「・・・きちんと報告するのは、奴隷の義務じゃないのか?」
 ジェットが喜びそうな、現実味のない言い方をしてやると、ジェットが、にっと、横に広い唇を吊り上げる。
 「すげえ・・・アンタに、そんなこと言われると、それだけでイッちまいそうだ。」
 ほんとうに、今にも、自分の目の前で、自慰を始めそうなジェットに、うるさそうに手を振って見せ、そんな言葉の遊びには付き合わないと、態度に出した。
 ジェットは、薄笑いを消さないままで、ハインリヒの前に立つと、胸を軽く反らして、宣言するように言った。
 「ご主人様に、じゃあ、きちんと報告しなきゃな。」


 バスルームに消えたジェットは、ひげを剃るためのカミソリと、シェービングクリームのスプレーを手に、ハインリヒの目の前に戻ってきた。
 それから、ハインリヒの目の前で全裸になると、下腹に手を添えて、指差しながら、またにやりと笑う。
 「ここに、アンタのイニシャルを、彫るんだ。」
 ハインリヒは、思わず黙り込んだ。
 歯を立てることさえ、すべきでない部分に、針を突き刺して、色を流し込むのは、ひどく無茶に思えた。
 ジェットの背中に、太陽を刻み込んだ、機械の先の針の束を思い出して、ハインリヒは、空想の痛みに、思わずぞっとする。
 「AとH。アンタの、印だ。」
 うっとりと、ジェットが言う。
 そのまま、手を動かし始めるのではないかと思いながら、ハインリヒは、ジェットが見せびらかしている裸身を、表情を殺して凝視する。
 「だから、アンタに、頼みがある。」
 いきなり、頼みと言われ、少し面食らいながら、ジェットの顔に、視線を移した。
 「ここ、全部、剃ってくれよ。」
 赤みがかった、明るい色の体毛を示して、ジェットが、湿った声で言った。
 「アンタが、きれいにしてくれよ。」
 おそらく、まるで子どものような眺めを、楽しむ連中もいるのだろう。ハインリヒには、あまり楽しい眺めとも思えなかった。それでも、そうされながら、溶けそうに瞳を潤ませるだろうジェットには、興味があった。
 ゆっくりと立ち上がりながら、ハインリヒは、低い、平坦な声で言った。
 「・・・坐って、足を開け。よく、見えるように。」
 声が、ほんのかすかに震えるのを、止められなかった。


 硬い筋肉の線の見える、腿の内側を晒して、ジェットが、大きく立てた膝を開く。
 掌に、わざわざ出したシェービングクリームを、指先で、丹念に塗りつける。
 ジェットには触れないようにしながら、ハインリヒは、滑らかな下腹に、カミソリを当てた。
 息が触れるほど近くに、顔を寄せて、無表情に、ハインリヒは手を動かした。
 すみずみまで、きれいに剃り上げてしまうために、ジェットの脚を、もっと大きく開かせたり、位置を変えたりさせながら、少しずつ、淡い紅色に染まるジェットの膚を、間近に観察する。
 時折、深い息に、みぞおちが上下する頃には、ハインリヒの目の前で、カミソリの滑る感触にか、ジェットの熱は、ふくれ上がって、見慣れた状態に、なりつつあった。
 「・・・こんなことで、サカるな、色きちがい。」
 ジェットを見上げることはせず、そういう呼吸が、ジェットの敏感な皮膚をくすぐることを知っていて、ハインリヒは言ってみた。
 震える形を眺めて、黙々と、求められたように、そこにある体毛を剃り落としながら、ジェットの湿った吐息が、耳を甘く撫でる。
 ついには、声がもれ始め、かすかな跡を残して、青白い膚が、あらわになる頃には、ジェットは、腿の内側に添えた手に力を入れ、耐えるように、指先を食い込ませ始めた。
 勃ち上がったそれを、前触れもなく舐めてやれば、あっけもなく果ててしまうように思えた。
 柔らかな膚を滑る、カミソリの刃の鋭さを想像して、それだけでもう、ジェットは、触れて確かめる必要もないほど、濡れていた。
 そこを、拘束されるのも好きなのだから、剃り始める前に、革で縛ってやれば良かったと、自分の迂闊さを笑う。
 眺めて、終わったことを確認してから、白い泡だらけのカミソリを、剃り落とした体毛だらけになったタオルの上に置いた。


 「縛ってやれば、良かったな。」
 思った通りを口にすると、ジェットが、目元を、一刷け、濃く染めた、ひどく扇情的な視線で、ハインリヒを見上げた。
 「・・・今からだって、遅くないぜ。」
 大きく足を開いた、この状態で椅子に縛りつけて、放っておけば、全身を揺すって、触ってくれとねだるだろうと思いながら、ハインリヒは、こっそりと唇を舐める。
 体毛を失って、けれど猛々しさを剥き出しにして、その奇妙なバランスが、ひどく滑稽だった。
 こんな眺めに、わざわざ欲情する人間もいるのだと思って、それを笑う。
 全身を、薄紅色に染めたジェットは、大きく開いた腿に手を添え、物欲しげに、淫らに、ハインリヒを見つめている。
 裸にされたそこは、晒されたための羞恥に欲情し、その欲情に、さらに欲情する。
 ジェットがまた、声をもらした。線の鋭い、喉の線が、動く。喉の突起が上下する眺めも、また淫靡だった。
 欲情している全身で、ハインリヒを誘う。誘い、そそのかし、自分の欲情のために、奉仕させる。
 仕えているのは、奴隷ではない。主人と呼ばれる立場の、自分の方なのだと、ハインリヒも、今はほんとうのことを理解している。
 下腹の、青白い膚が、震えているのが、今はよく見える。
 ハインリヒは、瞬きもせず、凝視した。


 「ここに、アンタの印が入ったら・・・ほんとに、アンタのもんだ。」
 下肢をちらりと見下ろして、ジェットが、潤んだ声で言った。
 所有の印。奴隷の膚に刻む、所有の印。
 あの、ピュンマという名の彫り師が、大きく開いたジェットの脚の間に、あの端正な横顔を埋め、真剣な面持ちで、針を突き立てる様を想像して、ハインリヒは、黒と白の、くっきりとした眺めに、どくりと血が騒ぐのを感じた。
 不意に、思いついたことがあった。
 ジェットの傍へ寄ると、手を伸ばして、上気した頬に触れ、そこから鎖骨をたどって、胸に通ったリングに、指を引っ掛ける。軽くそこで遊びながら、ハインリヒは、静かに言った。
 「入れるのは、Aだけにしろ。」
 指の腹で、さり気なく、硬く尖った突起を玩びながら、ふと怪訝そうに、頬の線を硬くしたジェットを、横目に見る。
 指を外し、また、ゆっくりと、ジェットの脚の間で、床に向かって膝を折った。
 片手で、包み込むように触れながら、ハインリヒは、うっすらと微笑んだ。
 「我慢できたら、次は、フルネーム彫らせてやる。」


 ジェットが、針を突き刺される痛みを想像しているのを、ハインリヒは知っていた。
 厚い胸を上下させながら、ハインリヒの口の中で、いっそう質量を増す。
 想像は、現実よりも、いつもずっと淫靡だ。耐えられる痛みなのかどうか、官能にすり替えられるのかどうか、そんなことは、どうでもいい。痛みが、確実に与えられることを期待して、ジェットは、欲情している。
 その欲情を煽ってやりながら、想像する痛みに欲情するジェットに、ハインリヒは欲情していた。
 果てることは許さずに、ゆるく唇を使って、責めるために、焦らす。
 ジェットが、抗いもせず、全身で身悶えていた。
 「・・・アンタ・・・今度は、一緒に、来てくれるんだろ・・・?」
 自分で、胸のリングを引っ張りながら、空いた手の指を噛んで、ジェットが、切れ切れに訊いた。
 「・・・して欲しかったら、後ろから突っ込んでてやる。」
 そう言った途端に、ジェットが、逃げるように、膝を動かした。
 軽く歯を立ててやってから、唇を外し、ゆらりと立ち上がる。
 とろけたような全身を、投げ出しているジェットの目の前に、ハインリヒは、自分を晒した。
 ジェットの、潤みきった視線が、そこに吸い寄せられ、唇が、ねだるように、軽く開く。
 「・・・すげえ・・・アンタのソレ・・・くれよ。欲しい・・・」
 欲しいと、うわ言のように繰り返して、ジェットが、椅子の背から、体を浮かせた。
 「ご主人様・・・」
 からかうような口調ではなく、従順な、服従の声音で、ジェットが呼んだ。
 爪先を、前へ滑らせながら、吐き捨てるように、侮辱してやる。
 「色きちがい。」
 ジェットの唇が歪んで、凄艶な笑みをつくってから、また、細い声がもれた。
 「アンタが・・・こんなにしたんだぜ、ご主人様。」
 ジェットの、開いた膝に、手を掛ける。
 つるりとした、滑らかに光る、青白い膚に向かって、自分の下腹をこすりつけながら、ハインリヒの口元に浮かんでいたのは、表情のない冷笑だった。
 突き刺される痛みに、上半身をたわめるジェットを、全身で押し潰す。
 硬く、厚い筋肉に、弾き返されながら、ジェットの、柔らかな皮膚に刻まれた、自分の名前を、脳裏に思い描いていた。


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