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30の感情に関する一文字の御題1@6倍数の御題 / 2012年年越し企画

The Restless Ones

23. 快

 両脚を奇妙な形に開いて、片膝を持ち上げて腰の辺りを触れ合わせるように、躯を揺する動きがなめらかなのはジェットの方だ。ハインリヒはどこかぎこちなく、表情にもためらいを浮かべて、馴染みのない異物感と姿勢に、何とか躯を添わせようとしていた。
 こんなやり方を思いつくのは、いつもジェットの方だ。なぜと訊いたら、アンタとお揃いだからだと、にいっと笑いを浮かべた。
 確かに、どちらがどちらを抱いていると言うわけではなく、こうやって、滑稽な形のディルドで一緒に躯を繋ぐのは、同じ立場になれると言う点ではいいアイデアかもしれない。確かこれは女同士のやり方ではないかと、ハインリヒは乏しい知識を総動員して色気もなく考えている。そうしないと、今にもジェットの方から伝わって来る慄えで、呆気なく達してしまいそうだからだ。
 ジェットの手指、ジェットの膚、ジェットの唇、ジェットの舌、そしてジェットの躯の奥深く、何もかもが容易にハインリヒをあやして昂ぶらせて、どちらが飼われているのかわかったものではないと思いながら、今もジェットの舌の濡れたぬくもりを想像して、自分の腹を叩きそうになっているそれが、危うく果てる直前へ達し掛けたところだった。
 慌てて我に帰る。ジェットと時々腿が触れ合い、ねじ曲がった脚の投げ出された辺りを荒い息の間に眺めると、自分とジェットの中に入り込んでふたりを繋げている、双頭のディルドの、ピンクがかった肌色が見える。
 玩具であると言う衝撃をやわらげるためのはずのその色味は、けれど生々しさが逆ににせものめいてしまって、そんなものを使っている──しかも、自分自身にも──と言う羞恥をいっそう煽るだけだ。そこまで考えられた挙句のことかもと、ジェットのような人種の、ハインリヒには想像もつかないその心の内をちょっと深く読み取った。
 ジェットが遠慮なく喘ぐ。喉と胸を反らせて、そんな風にすると、ひどくきれいな骨格と、より美しい筋肉の線が、ほとんど芸術作品のような陰影を生み出し、ハインリヒは自分が動くことを束の間忘れて、ジェットに見入ってしまう。
 ハインリヒを、彫刻向きだと称した美術愛好家の友人──彼にはこの手の趣味はないし、ジェットとのことは完全に内緒だ──は、ジェットを見て、動く映像向きだと感嘆するように言った。
 音楽はいらないな。彼自身が音だ。あごに指を添え、付け加えた友人のその口調に、純粋に美を讃える響きをきちんと聞き取ったくせに、ハインリヒは、彼のジェットを眺める視線に嫉妬していた。
 同時に、ジェットの、彼を値踏みするような視線にも、静かに腹を立てていた。
 ジェットの価値判断はシンプルにひとつきり、自分が欲情する相手かどうかだ。そして、その欲情に付き合ってくれる相手かどうかだ。
 ジェットを縛り、革を巻き付け、鎖であちこち引きずり回す。犬のように扱って、きちんと命令口調で、ジェットのしたいことを、まるで自分がしたいことのように導びき出されて、開かせた口や躯をただ欲情のためだけに犯す。
 それは好意でも親愛の情でもなく、ただ相手の躯にそうやって触れたい、触れられたいと言う、単なる衝動だった。
 それでも、ハインリヒを勝手にご主人様と呼んで、ハインリヒの手に鎖を握らせ、それを引っ張るように指示して、ああしてくれこうしてくれと、次から次へと言う。下手に出たおねだりの振りの、それはけれど命令だった。
 最初の戸惑いが去ると、ジェットの反応に慣れ、足蹴にするような扱いにためらいがなくなった。痛めつければつけるほどジェットは悦んだし、悦べば悦ぶほど、ジェットのハインリヒを見る目に、何か欲情だけではない色が浮かぶようになって、そうしていつの間にか、ジェットを抱くのはハインリヒだけになっていた。
 痛めつけてくれる他の誰かは相変わらずどこかにいる。しかも複数だ。ジェットにとってそれはただのプレイで、プレイにセックスは含まれないのだそうだ。
 触れるし触れさせるし、彼らの凶器のようなあれこれを口に含んで、たまには吐き出されたそれを飲み込むこともするくせに、躯を繋ぐセックスは、ハインリヒとだけと決めたのだそうだ。
 アンタはオレのご主人様だから。
 ハインリヒの方はと言えば、一体ジェットに対してどんな気持ちを抱けばいいのかいまだわからず、縛り付けて痛めつけるどころか、普段は人の肩に触れるのすらおっかなびっくりだと言うのに、今は開いた脚の間に奇妙な玩具を挿し込まれて、ジェットと同じ格好で、一緒に淫らに揺れている。
 そうして、ハインリヒの躯は、確かに痛いほど反応していた。
 ジェットといると、限界を忘れてしまう。どれほど淫靡なことを考えようと口にしようと、ジェットは驚いたりはしないし、むしろハインリヒが垣根を取り払ってしまったことを喜ぶように、次々にハードルを示してはそれを飛び越えさせる。
 今もそうだ。本来ならジェットにだけ使われるはずのおもちゃで、アンタも一緒にと、下唇を舐めながら言われて、素直に脚を開いた自分の気持ちが、ハインリヒには理解もできればできないままでもいる。
 ハインリヒに抱かれることを常に考えながら、同時に、時々ハインリヒを抱いて見下ろして、喘ぐ様が見たくなるのだそうだ。だからジェットはこんな方法で、同時には行えないことの代わりを求めている。
 ジェットが喘ぐ。ハインリヒも一緒に同じように喘ぐ。押し拡げられてこすり上げられて、このやり方に慣れないハインリヒは、ジェットにこうされていると言う一点のみで、この苦痛を快感へ転化していた。
 ジェットが不意に脚を下ろし、ハインリヒから遠ざかるように躯を引いた。ジェットの方に引っ張られ、ぬるりと、中で引っ掛かりながらも玩具がハインリヒから外れてゆく。ジェットは自分の手を添えて、そちら側の半分を自分の躯から抜き出した。
 「後は、アンタので。」
 火照った頬の、甘く伸びた声が言う。
 どうするかを決めるのは、一応はハインリヒのはずだけれど、時々こうして弁えない指示をしてハインリヒを怒らせるのも、もちろんジェットの手だ。
 まだ痺れたような腰回りが言うことを聞かず、すぐには体の起こせないハインリヒが、上半身だけ起こしてジェットをにらみつける。
 「奴隷の分際でいい度胸だな。」
 「アンタの気持ちが読めるだけさ。」
 長い手足を優雅に滑らせて、しわだらけのシーツに仰向けになって肩だけ上げた姿勢は、ジェットの肩幅の広さと胸の厚さを強調する。見れば誰もが触れたくてたまらなくなるに違いない、ジェットの美事に均整の取れた体だった。
 爪先まで完璧な姿を惜しげもなくハインリヒには見せつけて、ジェットは腰の裏から回した指先を、玩具の形にまだ開いたままのそこへ2本揃えて突き立てる。指をほどいて開き、もっとよく見えるように、腰を軽く浮かせた。
 「アンタだって、オレの方がいいんだろう。」
 ほら、と腰を揺すって、ゆるく浅く出し入れする長い指に、筋肉の襞が絡みつく様が、異様なほど猥褻だった。
 ハインリヒはようやく手足を集めて体を起こし、ジェットの上へ移動する。何の手助けもいらず、するりとジェットに繋がってゆく。
 もっと醜悪な形や、もっと恐ろしい大きさの卑猥なおもちゃを、難なく飲み込むジェットの躯だ。指先で触れるだけでも苦痛が想像できそうな、本物を模した玩具だけではなくて、ハインリヒはねだられるまま、時々自分の腕さえ与えた。
 腕を包む、不思議なぬくもり。ジェットの、非常に正確な体温にくるみ込まれて、このまま腕を進めれば、何か秘められた、ジェットの核のようなものに触れられる気にすらなる。限界はきちんとあるのに、それが信じられなくなる。ジェットの躯の奥深くに消えた自分の腕が、感触があるにも関わらずそこにあるのだと信じられず、もっとどこか別の、ジェットの本質のあるどこか別世界へ連れて行かれたのだと、馬鹿げたことを考え始める。
 腕を使われて、一体何が面白いのかと思っている間は、まだ脳は健やかに保たれていたのだ。今ではジェットの吐き出す強烈な麻薬のようなものに、始終酔っ払っているような気分だ。
 ジェットが明け渡した躯の中を探りながら、そこに触れていることを不思議に思って、そうして、その不思議をもっと求めたくなる。直にジェットに触れている。ジェットの中に触れている。
 ジェットを腕で犯しながら、ハインリヒの脳はジェットの毒素に侵されていた。
 そんな風に開き切っても、終わった後には何の痕跡も残さない、凄まじいジェットの健やかさだ。
 熱を与えられて柔らかくなり、相手に思うままに形を変えるくせに、冷える頃には元の形に戻っている。ジェットは何にも染まらない。どんな型にはめようと、はまっているのは単なるジェットの意思だ。もういいと思えば、そこからあっさりと飛び出て、ジェットは元のジェットに戻る。
 今も、正面から激しく揺すぶられながら、隙間なくハインリヒを押し包んで、玩具に犯されていた名残りなどどこにもない。自分の痕も決して残らないのだと、ハインリヒの胸の隅がちくりと痛む。
 その痛みの仕返しに、ハインリヒはジェットの胸に手を伸ばした。ふたつの突起の両方にそれぞれ通された金の輪には、細い鎖が通してあって、今はそれはジェットの汗に湿った筋肉の盛り上がりに沿って、小さな川の流れのように見える。それを指先でつまみ上げると、ハインリヒはジェットの口元へ持って行った。
 「くわえてろ。放すな。」
 唾液に濡れている口の中へ、ほとんど指を突っ込むようにすると、ついでのようにジェットがその指先を舐めて来る。鎖だけ唇の上に残し、ハインリヒは冷たい仕草で指を引いた。
 鎖の長さは充分ではなく、ジェットがそうして鎖を引っ張る羽目になると、頬の線に新しい苦痛の表情が浮かぶ。いい様だなと、笑みに言わせて、ハインリヒは全身を叩き込むような勢いで躯を揺さぶった。
 終わりの近いのを予感して、ハインリヒはジェットに向かって体を倒し、胸を近寄せた。そして、ジェットの耳の、これも金色のリングへ向かって唇を突き出す。耳朶を噛みながら、まるで食むように、全部を口の中に入れて、そしてリングに舌先を差し入れて、そこも思い切り引っ張ってやった。ぎりぎりと歯を立てて、与えられる痛みの種類と量に、ジェットの内側の熱がきちんと応えて来るのに、これをこんな風に感じられるのは──ジェット曰く──世界で自分ひとりなのだと、こうする時には感じずにはいられない優越感をきちんと抱いて、ハインリヒはジェットの耳から唇を離さず、そうして果てて行った。
 ジェットも、いつの間にか自分の腹の上に吐き出していて、ゆっくりと熱の引いてゆくジェットの躯を見下ろしながら、そこへ刻まれた自分のイニシャルへ、ハインリヒは心の端が柔らかくほどけてゆくような気分に襲われる。
 こいつは俺のだ。ハインリヒが知っているのはジェットの言葉だけだ。躯は確かに正直にハインリヒに応えているけれど、他の誰かと同じことをしていないと言う保証はどこにもない。それでも、奇妙に真摯なジェットの言葉の重さを、ハインリヒは心の中では素直に信じ切っている。
 まだ唇の間にある鎖を外してやってから、ハインリヒは珍しく、自分からそこへ穏やかな口づけを落した。
 「もっと。」
 子犬めいた甘えた表情で、ジェットが唇をもっと近く寄せて来る。
 「図に乗るな。」
 「アンタが図に乗らせるんだ。アンタ優しいからな、ご主人様。」
 「・・・誰と比べて優しいんだ。」
 そんな言葉尻をとらえるつもりはなかった。躯を合わせた後の、まだ熱の冷めない間に、そんな風にジェットの口から他の誰かの気配を感じたくはなくて、ハインリヒは意地の悪い訊き方で、ジェットを本気で咎めるように見下ろす。
 「アンタが一番だよ。知ってんだろ。」
 子どもっぽさはかけらもないのに、どこか稚ない笑顔がまったく邪気なく返って来た。毒気を抜かれて、ハインリヒはちょっと言葉に詰まり、結局自分は具体的なことなど何も知りたくはないし、ただジェットの言葉を素直に受け入れていたいだけなのだと、改めて気づく。イカれてやがる、とハインリヒはちょっと思った。
 ジェットの長い腕が、首の回りへ伸びて来た。
 「色んなヤツとヤらなきゃ、アンタが一番だって分かんなかったんだぜ。」
 ささやく声が、伸びて来た舌先と一緒に、ハインリヒの唇に触れる。引き寄せられ、促されるままジェットを抱き返して、それでもまだ毒のある口調は消さずに、
 「屁理屈ばっかり言いやがる。」
 ちくりと言い足しておくことは忘れない。
 ご主人様、と甘えた声が後を追った。重なった唇の間で声が消えて、それきりになった。

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