Domination
薄暗い、朽ちかけた屋敷だった。腐って、半開きのドアを通り、埃くさい廊下を進み、一度か二度、右と左に曲がった。
そして、声が、耳に届いた。
呼吸の混じった、熱の込もった声。
するりと、汗が頬を伝った。
声に導かれて、さらに奥へ進む。
狭い廊下が切れて、灰色の壁に囲まれた部屋に着いた。
右の壁際に、彼がいた。
最初に目に入ったのは、くしゃくしゃに乱れた銀の髪と、苦痛に歪んだ彼の表情だった。
彼が、声を上げた。
防護服の残骸は、すぐ傍に放り投げられている。
彼の首と肩の隙間から、同じ顔が、にいっと笑った。
体が、硬直する。
004の腕は、両方なかった。明らかに、引きちぎられたか、吹き飛ばされたかのどちらかのように見えた。左足は、腿から下がない。胸や腹にも、ひっかいたような傷があり、顔や首筋は黒く汚れ、けれど肌は、いつもより白く見えた。
壊れた機械の体を晒して、004はそこにいた。
そして、彼が漏らす、声。
彼のそれとそっくりな手が、肌---と呼べるなら---を滑る。明らかに、目的を持って。
彼の背後にいるのは、彼とそっくりな、誰かだった。
「おまえは、誰だ・・・?」
ようやく、疑問を口にする。不意の光景に、凍りついていた舌が、やっと少し動き出す。
また、004の肩越しに、その顔がにいっと笑う。
004と同じ、けれど違う、誰か。004よりももっと、鋭い殺気の、誰か。
冷や汗が、背中を伝った。
004が、体を反らして、呻く。
床に坐り込んだ、誰かの膝の間に抱えられ、抵抗も出来ずに、玩ばれる。
切断面から漏れる茶色オイルが、ぬるぬると、彼の肌も床も、濡らしていた。
開かれた、両脚の間。もっとも、片方は、もう足とも呼べない、ただの残骸だけれども。
誰かの手が、動く。伸ばされ、指先を絡みつかせ、うごめく。
「おまえは、誰だ?」
また、訊いた。
オレハ004。
声が、頭の中に響いた。
コイツハ、オレトタタカウタメニ、ココヘキタ。ソシテ、イマハ、コンナザマダ。
004は、誰がここにいるのかも、よくはわからないようだった。背後の、自分も004だと名乗る誰かの指先に翻弄され、きれぎれに声を漏らすだけだった。
快感のためでなく、完璧な屈服のために、玩ばれる。
けれど、004が耐えているのが苦痛だけではないのが、そこでは明らかだった。
あ、と、004がひときわ高い声を上げた。
もうひとりの004が、指先に少々力を込めたのが、見て取れた。
004の、嬌態。自分の秘密を、目の前に突然暴かれたように思えて、抑えようのない躯の疼きをもてあます。
唇を、噛んだ。助けるべきなのに、目の前の光景から、目が離せない。
不意に、もうひとりの004---偽者、とでも呼ぶべきなのだろうか---が、004の髪をつかみ、喉を反らさせ、そこに噛み付いた。
ぎりぎりと歯を立てるのが見える。血は出ない。けれど、004の悲鳴の後、そこから皮膚は、喰いちぎられた。
また、あらたに覗く、鉛色の機械。偽者は、ちぎれた布切れのような皮膚を、歯の間からぶら下げたまま、またにいっと笑った。
それを床に吐き出すと、さらに004の両脚を大きく広げ、見せつけるように、またそこへ手を伸ばす。
オマエノホシイモノハ、ワカッテイル。
悪魔が人を誘うのは、こんな声なのだろうか。体が、しびれるような気がした。
スキニスレバイイ。コイツハモウ、ドウセ、テイコウモデキナイ。
ふらふらと、足が前へ出た。引き寄せられるように、少しずつ、ふたりに近づき、手を伸ばす。
そうだ、いつも考えていた。004に触れることを。もちろん、こんな形ではなかったけれど。
何故それを、この偽者が知っているのかと、訝るよりも、自分の中に湧き上がる、暗い衝動を吐き出したくて、004の白い頬に手を伸ばす。
床にひざまずき、最初に接吻した。薄い、冷たい唇。舌はまだ残っていて、それを絡めとって、奥へと誘い込む。
偽者は、その間にも、せわしなく指を使い、004を翻弄していた。
手を、滑らせる。頬と首筋、肩から腕へ、そして、切断された部分へ指を伸ばす。ちぎれたワイヤーがたれ下がり、人工筋肉は、今はぴくりとも動かない。中心にある、骨の代わりの太い金属。歪んで黒ずんで、冷たかった。
それから、胸をたどり、腹を下りて、腿の内側へ、すうっと、指を走らせる。半分は金属の、半分は皮膚のままの、初めて見て、触れる、004のからだ。
スキニスレバイイ。
また、偽者が言った。
そそのかすように。
熱が、指先から噴き出すような気がした。頬が紅潮しているのが、自分でわかる。
ついに、ゆっくりと、指先を、伸ばした。
おそるおそる触れ、流れるオイルの助けを借りて、ぬるりと指先を沈める。
奇妙な感触。生身とも金属ともつかない、冷たくも暖かくもない、感触。けれど、それだけが、彼がまだ生きている証しのように、確かに粘膜の感触が、指を覆う。
ゆっくりと、指を2本に増やし、もう少し奥まで、侵入させる。
あ、と、004が声を漏らした。苦痛のない、声。不意の快感に、戸惑う声。
それに煽られて、少しばかり性急に、指を動かす。
声が、呼吸ばかりになる。意味のない言葉を発しながら、004の躯が、今まで見たこともない動きをする。
体を支えようとでもするように、腕の残骸が揺れ、そのたびにオイルが飛び散った。
防護服の前を開け、もう我慢する気もなく、004の中に、入ろうとする。
偽者は、それを見ながら、わざわざ助けるように、004の腰を持ち上げた。
繋がるのは、容易ではなかったけれど、偽者が、うまく導いてくれた。
いつも、考えていた。こうして、004と躯を合わせることを。
口にしたことはなかった。自分だけの、汚い秘密。彼が、ほとんど人目に晒さない体を想像して、何度も切ない思いをした。そこに触れることを想像しながら、自分に触れて慰めた。
今、こうして、004に触れている。恐らく、まだ誰も触れたことのないだろう、彼の奥深くに入り込んで、粘膜と体液を絡め合わせている。
傷ついて、抵抗すらできない彼の無力な姿に、よけいに煽られて、後先も考えずに、彼の中を、侵す。
ハインリヒ、と、切れ切れに名を呼んだ。
彼の躯が、突き上げられて、がくがくと揺れる。反った喉から、声が漏れる。
それから、不意に彼が、目覚めたように、目を開け、けれど焦点も合わず、霞んだような視線を向けた。
「ジェ、ット・・・・・・・・・。」
それは、助けを求める視線だった。怯えた、哀願するような、そんな目の色だった。
背中に、いきなり冷水を注がれたように、躯の動きを止めた。不意に湧き上がってきたのは、罪悪感だった。
004から離れようとした時、偽者が、004の顔に手を伸ばしてきた。
004の目元を覆い、それから、金属の指先を、両方の瞼に押し付け、まるで、そこから004の中に入り込むかのように、指先を押し込んだ。
悲鳴が、目の前で上がった。
004は、血---濃い茶色のオイルは、確かにそう見えた---の涙を流した。
ゆっくりと、見せつけるように、指を2本使って、眼球をえぐり出す。
モウ、ナニモ、ミエナイ。
また偽者が、にいっと笑う。
オイルにまみれた両方の眼球を、偽者は、部屋の向こうに向かって放り投げた。
カツンと音を立てて、転がってゆくのを、目で追った。
まるで、あちらから見られているような、そんな気になる。
スキニスレバイイ。
また、偽者が言った。
顔中を、オイルまみれにした004の頬に、そっと接吻する。それが、最後の良心の証しだとでも言うように。
また、彼を侵す。今度は、もう、ひるむこともなく。
助けを求める色の瞳は、もうない。
さっき襲われた罪悪感は、えぐり取られた瞳と一緒に、床のどこかに転がっている。拾い上げる必要はなかった。
偽者が、しっかりと004の体を、後ろから支えている。
まるで、壊すためのように、躯を動かす。激しく。悲鳴も、もうなかった。
力なく、上下左右に揺れる004の躯。オイルが、流れ続けている。
偽者が、にいっと笑った。
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