「あらし」 - 番外編

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「どんなのがお好み?」
 その若い黒人の男は、しなを作りながら、グレートに訊いた。
 いかにもこんな店にふさわしい、寝室でしか似合わないような、扇情的な格好で、カウンターから笑みをよこした。
 「20前の白人の男だ。色は白い。背は、おれと同じくらいだな。」
 グレートは、表情も変えず、極めて平坦な声で答えた。
 「肌を出したいのかしら? それとも隠したい?」
 「肩と腕は、出来れば隠したい。」
 黒人の、女言葉をしゃべる男は、少しだけ怪訝な顔を見せた。
 「男の格好? 女の格好?」
 重ねて尋かれて、グレートは少しだけ考えた。
 女だな、とグレートがひとりごとのようにつぶやくと、男は、壁際の、ずらりと並んだ革の衣装の方へ、長い腕と指を、優雅に伸ばした。


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 着て見せてくれと言うと、アルベルトは、少しばかり意外そうな、そしてかすかな失望を含んだ視線を返して、その衣装を抱えてバスルームへ消えた。
 20分もした頃---グレートは、煙草を2本吸った---、うつむいて現れたアルベルトは、青白い膚の上に、ぴったりと張りつく黒い革の衣装をまとって、まるで体を隠すように、胸の前で腕を組んでいた。
 「首の、うしろ・・・」
 消え入りそうな声で、アルベルトは、グレートを上目に見る。
 つかつかとアルベルトの傍へ寄ると、首のうしろに手を回して、首輪のように仕立ててある、スタンドカラーの部分の、後ろの金具を止めてやる。
 その首の部分からは、細い、けれど簡単には切れそうにない鎖が長く下へ伸び、先には、革の手錠がぶら下がっていた。
 アルベルトの背後に立って、グレートは、胸の前に回っていた両腕を、後ろへ回させる。
 腰の、すぐ後ろ辺りに垂れた手錠をはめ、軽く引けば、首が後ろへ引っ張られる、その具合を確かめて、グレートは、またゆっくりとアルベルトから離れた。
 もう、上着も脱いで、ネクタイもゆるめてしまっている。
 ここにしばらくいるという、サインだった。
 表情を消したまま、グレートはまた、煙草に火をつけた。
 黒い革の、ドレス。中国服に似た形のそれは、けれど、包んで隠し、体の線だけをあらわにするあの民族衣装とは違って、さまざまな部分が、剥き出しにしてある。
 首の高いえりの部分は太い首輪になっていて、そでは長い。けれど、鎖骨から胸のすぐ下までは、すっかり開いていて。女が着れば、両方の乳房が剥き出しになるようにしてある。
 今は、アルベルトの、細い鎖骨と、右は鉛色の金属が、左は人間の男らしい平らな胸が、そこだけぽっかりと、黒い衣装から浮き上がっていた。
 腰から下のスカートの部分は、すそはひざのすぐ上まであったけれど、両脇は、黒い革を前後に2枚つないだだけのように、腰の線から切れて、細い鎖でつないであった。
 アルベルトが、グレートの視線に、すくんだように、肩を縮めた。
 細く薄かった体には、近頃ようやく筋肉がつき始め、脚や腕や肩の線が、すっかり男らしくなっている。もう、少年ではないアルベルトの体を、グレートは、ふと掌の上に思い出した。
 背も伸び、あと1年もすれば、抱き上げられるのは、アルベルトの方ではなく、グレートの方かもしれない。
 それでもまだ、かすかに怯えの色の残る、淡い水色の瞳が、いまだに小さな生き物の印象を、アルベルトの上に刷いていた。
 女には見えない。けれど、男とも言い切れない、それが少年らしさの名残りだった。
 こんな、痛々しいほど不安定な存在に、それ故に欲情する人間たちがいる。まだ、人としての力を身に付けていない、人とすら社会からは認識されない存在を、踏みつけにすることに、悦びを覚える人間たちがいる。
 汚れていないからこそ、汚してしまいたい。
 わからんでも、ないがね。
 グレートは、胸の奥で、そっとひとりごちた。
 おそらくアルベルトは、グレートがこんなものを好むのかと、意外に思っているのだろうと、グレートは思った。
 説明してやれば、納得はするだろう。けれどそれでは、計画が台なしになる。何も知らせずに、アルベルトは、ただの獲物として、檻の中に放り込まれなければならなかった。
 右腕をつかみ、少しばかり乱暴な仕草で自分の方へ引っ張ると、グレートは、アルベルトをソファに坐らせた。
 さて、どうしようかと、数瞬思いあぐねた後、グレートは煙草を口にくわえたまま、しゅるりとネクタイを解いた。
 一言もしゃべらずに、自分を見上げているアルベルトの頬を、解いたネクタイで撫でる。
 びくりと震えた肩をなだめるように、グレートは、血の気のない頬に手を添えた。
 体を倒し、唇を近づけながら、グレートは、唇が重なったすきに、そっとネクタイで、アルベルトの目元を覆った。
 頭の後ろで、その柔らかく厚い布の重なりを結び、目隠しをする。
 重なった唇が離れると、伸びた舌先から、唾液が糸を引いた。
 「グレート・・・?」
 アルベルトが、初めて口を開いた。
 「動くな。」
 静かに、穏やかに、けれど凄みを一はけ刷いて、言う。
 またおとなしく、アルベルトはソファに背中をもたせかけた。
 何をされるのか、不安になっているのが、頬の辺りの線に現れている。傷つけられることはないだろうと思いながら、それでも、それについて確信は持てず、さまざまな起こりうる可能性について、あれこれ考えている、そんな表情だった。
 グレートは、また新しい煙草に火をつけた。
 「脚を、開け。」
 仕事の時に使う、声。アルベルトには、こんな声で話しかけることは、まずしない。
 アルベルトの頬に、さっと朱色が散った。
 それから、おずおずと、申し訳程度に膝を開くのを、またグレートが言った。
 「もっと、だ。」
 スカートにあたる部分が、こんなふうに前後で分かれているのは、脚を開きやすくするためだと、今になって悟る。グレートは、見えないことに安堵して、苦笑いをもらした。
 ソファの、前面の線に添って大きく開かれた両脚に満足して、グレートは、アルベルトのすみからすみを、ゆっくりと眺めた。
 白い膚に、血の色が上がっている。
 爪先にまで気が回らなかった自分の不粋を咎めて、高いヒールを、今度は忘れずに手に入れようと、ふと思う。
 剥き出しになっている胸元の、濃い金属の灰色と、赤の散った白い膚のコントラストが、奇妙に扇情的だった。
 ため息とわからないように、グレートは、煙草の煙を、大きく吐き出した。


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 「おれは、殺し屋稼業からは足を洗ったと言ったろう。」
 グレートは、薄く苛立ちを込めて、目の前の、大きな机の向こうへ坐った、自分よりは確実に20は年上の男に向かって、静かに言った。
 「ああ、もちろんだとも、ブリテン。おまえさんは、殺し屋を引退するんだ。この仕事が終わったらな。」
 にやりと、男が笑う。
 「おれはもう、とっくに引退してる。」
 「おまえさんがそう思ってても、周りが納得せんさ。」 
 グレートは、煙草を吸いたいと、無性に思った。
 「いきなり、この街にやって来て、人のシマに入り込む気なら、それなりの礼儀と誠意ってのを、見せてもらわんことにはな。」
 「あんたのシマを荒らす気はない。」
 「そりゃそうだろう、ブリテン、でもな、おまえさんがどこかのシマを奪えば、誰かがそこからあぶれる、そうなれば、争いが起こる。俺は、争い事が、大嫌いでね。」
 うそをつけ、とグレートは表情には出さずに、どう毒づいた。
 男の、絡みつくような視線と口調に、胸が悪くなる。それでも、これが避けては通れないことなのだとわかっていたから、グレートは、辛抱強く、この話の行く先を見守るしかなかった。
 「おまえさんが、いくら張大人の客分だからって、はいそうですかと、俺たちがシマを譲るわけにもいかんさ。おまえさんが、この街で商売をしたいなら、商売敵を消すしかないだろう?」
 「あんたの、商売敵を、な。」
 静かに、けれど皮肉を込めて、グレートは訂正した。
 男が、ばんと音を立てて、大きなぶ厚い掌で机を叩いた。
 「俺は、極めて紳士的に、おまえさんの好みに合わせて話をしてるんだ。少しはこっちに対する敬意ってのはないのか? よそから来た若造のひとりやふたり、俺がわざわざいつも直に話をするとでも思ってるのか。」
 「わかってるさ、あんたがわざわざ、時間を割いてくれてるってのは。」
 男の怒気をそらすように、グレートは、男の怒りの度合いに気づかない振りをして、卑屈な笑みを口元に浮かべて見せた。
 「あんたのとこの、始末屋を、借りてもいいのか?」
 納得させられた、というポーズを崩さずに、グレートは男に尋いた。
 「死体の始末まで、おれにやらせる気じゃないだろう?」
 依頼を受けたと、言わずに、相手に伝えた。
 男は、突然顔一杯の笑みを浮かべると、うれしそうに、両手を握りしめる。
 「引退祝いは、盛大にやらんとな。」
 グレートは、頭髪のない頭に手を当て、苦い塊を、喉の奥にそっと飲み下した。


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 少しばかり、体の自由を奪われているだけだというのに、何もされず、何をされるのかわからないからこそか、アルベルトは、時折、喘ぐように喉を伸ばした。
 爪先が、そこだけ表情を持って床の上を動く。
 うっすらと汗の浮いた膚が、鈍く光る。
 さわってくれと、全身が言っていた。
 グレートは、ようやくアルベルトに近づくと、床に片膝をついて、その足首をつかんで持ち上げた。
 悲鳴のような声が、軽くアルベルトの喉からもれる。無言のまま、グレートは、その爪先をそっと噛んだ。
 アルベルトの体が跳ね、ソファが音を立てた。
 剥き出しになった神経に、直接触れたようなその反応に、グレートは驚きを隠せず、自分の好みではないこんなやり方に、心のどこかで怒りを覚えながら、けれどその怒りを、今はアルベルトを苛む方向へ、無理矢理向けようとしてみる。
 どこに触れても、アルベルトは声を上げた。
 知らずに閉じかける脚を押さえ、グレートは、腿の内側の薄い皮膚に、痕が残るほど強く歯列を食い込ませる。
 ふと見ると、スカートの、前の部分が、はっきりとわかるほど盛り上がっていた。
 勃起しているのだと気づいて、こんな眺めも悪くないと、ふと思う。
 触れてほしがっている、そこには視線だけ当てて、グレートはアルベルトの首筋に手を伸ばした。
 右にだけ、今は残っている、薄紅い胸の突起が、硬く尖って震えている。
 一体何を想像して、こんなに欲情しているのだろうかと、意地悪く訊いてみたくなる。
 それともこれも、躯を使われていた、アルベルトの過去の名残りなのだろうか。
 初めてではない嫉妬が、グレートを不意に襲った。
 唇に、咬みつくように、接吻を重ねる。誘う間もなく、濡れた唇が開き、舌先が伸びてくる。誘い込まれたのは、グレートの方だった。
 唇を離そうとすると、ソファから体を浮かせて、アルベルトが追って来る。
 髪をつかみ、耳元に、唇を寄せた。
 「おれの言うことなら、何でも聞くか?」
 何も、言うつもりなどなかったのに、考える前に、舌が滑っていた。
 アルベルトが、一瞬、言われたことを反芻するように、体の動きを止めた。
 「おれのためなら、何でもするか?」
 何か、意味のある言葉なのか、それともこれも、このゲームの一部なのか、見極めようとして、アルベルトが、見せない視線をグレートに当てる。
 する、と、アルベルトが言った。
 「何でも聞くから、何でもするから、あんたのためなら------」
 抱いてくれと、開いた唇が無言で言った。
 浅ましい眺めは、けれど憐憫と欲情を誘った。
 いきなりアルベルトの両脚を抱え上げ、グレートは、何の前触れもなく、その中に押し入った。
 痛みを訴える悲鳴ではなく、悦びの喘ぎが、グレートの頬にかかる。
 勃ち上がって、けれどまだ触れてもらえないアルベルトの熱が、グレートの下腹に当たる。
 それにはわざと手を伸ばさず、グレートは、一心に、アルベルトの内側を苛んだ。
 憐れなのは、どちらなのだろう。また人を殺さなければならない自分なのか、また踏みつけにされる、この銀髪の青年なのか。
 ソファが動くほど強く、アルベルトを突き上げながら、まるで、アルベルトの中に、消えない自分の跡を残そうとするかのように、グレートは、容赦もない動きで、アルベルトを責めた。
 グレートにしがみつきたい両腕は、背中で自由にならず、アルベルトは、グレートが動くたびに、がくがくと頭を揺らす。
 いとしさと自己嫌悪を、胸の中に押し隠して、グレートは、アルベルトの機械の胸に口づけた。
 ひときわ高く、声を放って、押し潰された躯が、ゆっくりと弛緩する。
 グレート、とアルベルトが、細くかすれた声で呼んだ。


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