ここからふたりではじめよう - 番外編その4
掌
ジェットの腕が、おずおずと伸びてくる。振り払われるのを怖がっているのが、一目瞭然だった。
ベッドから追い出せばすむ話だったけれど、何もしないと言ったジェットをベッドの入れたのは、アルベルトだったから、今さら出て行けというのは、何となく気が引けた。
「せんせェ、まだ起きてる?」
小さく、ジェットが囁く。
ベッドが音を立てて、それから、ジェットの体温が、もっと近くへ寄った。
ああ、とわざと眠そうな声を出すと、また少し、ジェットの気配が近づいた。
腰から、胸の前に回ったジェットの腕に、気づかないふりをして、アルベルトはまた目を閉じた。
指先が、戸惑っている。
一生懸命、これより先へ進むタイミングを計って、子どもっぽい仕草で、アルベルトの様子をうかがっている。
ジェットなりに、精一杯、アルベルトを口説こうとしているのだとわかっていたから、アルベルトは心の中でだけ、笑いをかみ殺していた。
「あのさ、せんせェ・・・」
「なんだ?」
今度ははっきりした声で、答えた。
一瞬の間の後、またジェットが言葉を継いだ。
「せんせェってさ、右利きだよね?」
ああ、と答えると、ジェットが、奇妙にためらった後、やっと言った。
「じゃあさ、あの時って、右手使うの?」
「あの時?」
質問の意味がわからなくて、アルベルトは、顔をジェットの方へねじ曲げた。
「・・・自分で、やる時。」
闇の中で、ジェットの顔はよく見えなかった。自分の表情も見えなくて良かったと、アルベルトは思った。
絶句してから、思わずその頭を、右手で叩いてやろうかと思って、やめた。
「どうして、そういうことを、思いつくんだ・・・?」
「だってさぁ、どうしてるんだろうなーって、思っててさ・・・」
単なる好奇心に違いなかったけれど、好きな相手のことが気になるというのも、多分にあるに違いなかった。
もちろん答える気もなく、アルベルトは、赤らんだ頬が、ジェットからは見えないことに感謝しながら、寝てしまうふりをする。
「右手、使うの?」
ジェットが今度は、耳元に唇を触れるようにして、また訊いて来る。
両腕を胸の前に回し、まるで自分を守るようにしながら、アルベルトは、ふてくされたように、短く言い捨てた。
「使わない。」
うるさい、と語尾に、言葉にせずに含んでから、アルベルトは会話が終わったつもりで、固く目を閉じた。
「じゃ、左手?」
今度こそ、目が覚めた。
これは一体、ほんとうに単なる好奇心なのか、誘いのつもりなのか、どちらなのだろうと、もう真夜中も過ぎた頃、軽い頭痛に首の後ろが疼き始める。
「どっちも、使わない。」
薄闇の中で、ジェットが目を見開いたのが、微かに見えた。
「え? じゃあ、どうやんの?」
「しない。」
思わず、右腕を、自分で強くつかんでいた。
「右手は使いたくない。左手だと、うまくできない。だから、やらない。」
一体、何を言っているのだろうと思いながら、ジェットの好奇心を満たさない限り、寝かせてもらえないとわかって、アルベルトはできるだけ、素っ気ない口調で、それだけ言った。
ほんとうのことだった。
機械の手で自分に触れる気にはならず、左手はうまく使えず、実のところ、そんな気も、ほとんど起きなかった。生理現象はあっても、事故以来、体と心は、完全に切り離されてしまっていた。
誰かと、そんなことになるのも、相手が誰だろうと、体を晒すことを考えた途端、気が失せた。
ジェットの腕が、また胸の前に回ってくる。
体の重みが、肩にかかり、呼吸が、耳に届いた。
「オレなんか、いっつもせんせェのことばっか考えてるのに・・・」
まだ稚なさの残る声の甘さに、思わず背筋が震えた。
「せんせェ、自分でやんないんだったらさ、オレにやらせて。」
アルベルトの返事を聞かずに、ジェットの手が、腿を滑る。
その手を慌てて押さえると、ジェットが、耳を噛んだ。
ふっと、体の力が脱ける。
もう、どうにでもなれと、アルベルトは抵抗するのをやめた。
ジェットの指先が、するすると器用に、パジャマの前を開けてゆく。気がつくと、右肩が剥き出しになり、ジェットがそこに唇を押し当てていた。
ジェットの腕に身をゆだねて、もう、考えることを、すっかり放棄した。
あちこちに唇を滑らせながら、アルベルトのパジャマをすっかり脱がせてしまうと、ジェットは自分も裸になった。
アルベルトを膝の上に抱え込んで、大きく足を開かせる。
肌が触れ合うだけで、もう、他の何も必要ないほど、アルベルトは昂ぶっていた。
「せんせェ・・・気持ちいい?」
ジェットの掌が、包み込む。生身の、手。体が跳ねるほど、アルベルトは思わず喘いだ。
久しぶりの、他人の躯。背中に触れるジェットの胸も、時折大きく揺れた。
不安定な体を支えるために、ジェットの首に右腕を回す。ジェットが、首筋を、噛んだ。
腰の辺りに、ふと、ジェットの昂まりが触れる。
それに手を伸ばそうかどうか迷って、また、ジェットの指先に翻弄される。
高く、声が漏れた。
背筋を這い昇る、もう記憶すら定かでない感覚に、アルベルトは、ジェットの手の中に落ちて行った。
ぐったりと、ジェットの胸に背中が滑る。
まるで、初めてこんなことをした少年のようだと、自分の反応を少しばかり恥じながら、それでも、体のどこにも力が入らない。
アルベルトは、そのままベッドの上に、体を丸めて横たわった。
ジェットが、ゆっくりと胸を重ねて、アルベルトを抱きしめる。
汗に濡れた膚が、もう冷え始めていた。
「せんせェ・・・可愛い。」
「そういうことは、別の誰かに言ってくれ。」
声が、まだかすれる。ジェットから顔を隠しながら、明日の朝、どんな顔をして起きればいいのだろうと、アルベルトは唇を噛んだ。
それでも、腰に回ったジェットの腕に手を添え、
「君は・・・?」
消え入りそうに、ようやく訊く。
ジェットが、額をこすりつけながら、笑いを含んで言った。
「・・・オレ、せんせェ見てるだけで、イっちゃった。」
耳の後ろに、また唇が滑る。
ジェットの長い腕の中で、アルベルトは、このまま眠りに落ちてもいいと思った。
「せんせェ、一緒に、シャワー浴びる?」
まだ残った羞恥心が、理性を呼び戻す。それでも、腹も立てずに、アルベルトは穏やかに微笑んだ。
「今度、な。」
ジェットが、くすくすと笑う。筋肉のうねりが、背中に伝わって、ふとどこかの、懐かしい思い出じみた感覚へ繋がってゆく。
「今度、ね。」
ジェットの声を、耳に甘く聞きながら、アルベルトはようやく、眠るために目を閉じた。
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