In The End



 本を読んでいると、何故かいつも、ジェットが邪魔をしに来る。
 今日も例外ではなく、邪魔する気ならどこかへ行け、と言ってやると、
 「いいよ、アンタは本読んでりゃいいんだ。オレのことなんか、ムシしてりゃいいからさ。」
 そう言って、にやにや笑って見せた。 
 何をする気かと思えば、予想にたがわず、いきなり床に坐り込んで、ハインリヒのズボンに手を伸ばしてきた。
 「何の真似だ?」
 少しばかり低い、凄んだ声を使うと、それでもジェットはひるみもせず、
 「アンタは、ご本と仲良くしてりゃいいんだ。オレはこっちと仲良くしてるからさ。」
 慣れた手つきで前を開けると、ハインリヒに反論する間も与えず、ジェットはそこに唇を寄せた。
 どこでどんなふうに、こんなことを学んで来たのかと、ふと思う。
 暖かく湿った舌が、敏感な皮膚を撫でると、背骨の奥にしびれが走る。
 こんなことでジェットの誘いに乗るのも業腹で、ハインリヒは、奥歯を噛んで、まだ本から視線を反らさなかった。
 「本は、こんなこと、してくれないもんな。」
 からかうように、くぐもった声でジェットが言った。
 この野郎、と喉の奥で呟いて、それから、
 「色キチガイ。」
 短く吐き捨ててやった。
 ジェットの舌が動く。どこをどうすれば、ハインリヒが悦ぶのか知り尽くしていて、始末が悪い。
 長い間の馴れ合いの結果とは言え、こんな弱みをつかれるのは、ハインリヒの好みではなかった。
 本を置き、椅子のひじ置きを、つかんだ。
 喉を反らして、タイミングを計る。楽しみながら、けれど、流されないように。
 調子に乗ったジェットが、少しばかり速さを変えた。
 あふれた唾液が、生暖かく、包む。
 鉛色の指先が、椅子に食い込んだ。
 赤い髪が、足の間で揺れる。前髪の影から時折のぞく、落ちた睫毛の影が、奇妙にそそった。口で言うほどは冷静でもなく、ジェットの頬も、上気している。
 時折、がらにもない嫉妬が湧くことがある。
 ジェットを、こんなふうにした、誰か。ジェットの、過去のどこかに存在した、誰か。ハインリヒの知らないジェットを、知っている、誰か。
 おしゃべりなジェットが、訊かれても、あまり細かに話したがらない、過去の一部分の話。
 すき間を、想像で埋めるのはそう難しくはない。ジェットの躯のあちこちが、言葉よりももっと赤裸々に、それを語ることさえある。
 それでも、ジェットの口から聞かされるのでない限り、ろくでもない想像は、よけいな方へ広がって、あらぬ向きへ、ハインリヒの感情をこぼれさせる。
 たとえば、嫉妬。
 それは、時々、ハインリヒをひどく凶暴な衝動に駆り立てたから、あまり歓迎すべき客ではなかった。
 その客が、今、扉を叩いている。
 誘ったのは、おまえだからな。
 そう、頭の後ろでひとりごちてから、ハインリヒは、いきなりジェットの肩をつかんだ。
 これはゲームだ、とハインリヒは思った。
 ジェットは、自分の疼きを静めたくて、ハインリヒは、破壊のための衝動を解放させたくて。
 目的は違うのに、求める行為が同じなのは何故だろう。その皮肉を、ハインリヒは冷笑にまぎらわせた。
 ジェットを、たった今空いたばかりの椅子に押さえつけると、ハインリヒは、下半身を剥き出しにかかった。
 頭を押さえつけてやると、腕を振って、ジェットが抗った。
 「自分で脱ぐから、どけよ。」
 暴れるジェットを、難なく押さえ込むと、そんな声は聞こえないとでも言うように、するりと服をはぎ取る。
 「黙ってろ。」
 わめこうとするジェットに向かって、とびきりの冷たい声で、ハインリヒは言った。
 そうなるように仕向けておきながら、乱暴にされるのは好まない。優しく扱えば、もの足りない表情をするくせに、こうして少しばかりの暴力のエッセンスをたらしてやると、途端に顔色を変えて抵抗する。そんな抵抗が、もっとそそるのだと、心のどこかでは知っているくせに。
 そんな、無意識の手練手管が、また、ハインリヒの嫉妬をあおるのに。
 招かれざる客は、今はもう、ハインリヒの中に、どっかりと腰を下ろしていた。
 ジェットの唾液に濡れたそれは、もう何も必要もなく、するりとジェットの中へ入ってゆく。
 自分で育てた熱の塊に侵されるのは、どんな気分だと、意地悪く尋いてやりたくなった。
 それでも、完全には入り込まずに、またジェットを焦らす。
 ジェットが、重い湿った吐息を漏らした。
 「勝手に、イクなよ。」
 触れて、機械の指先を絡めつかせて、耳元で囁く。
 軽くジェットの中で動くと、耐えきれないようにジェットが声を上げた。
 背中に乗ったハインリヒが重いのか、押しつぶされた胸から出る声は、ひずんでいた。
 「この・・・くそったれの、サディストやろう。」
 「始めたのは、おまえだろう。」
 言うのと同時に、躯を進めた。
 ひ、とジェットの喉が悲鳴に裂けた。
 「ちゃんと、終わるまで付き合えよ。」
 言い捨てて、今度は、自分の快楽にだけ、心を傾ける。
 もう、ジェットの痛みにはかまわず、包まれた粘膜を、押し開いて、突き上げる。
 使われるためにつくられたからだ。使われることをほしがるからだ。
 その中に入り込んで、踏みつけにする。
 ジェットがほしがっているのが、愛なのか苦痛なのか、時々わからなくなる。
 わかる必要はないさとうそぶいても、理性の一片が、こんなことは間違っていると、ハインリヒに囁き続ける。
 痛めつけても、拒むよりも、もっと求めてくる。躯が言葉を裏切っている。
 ハインリヒを全身で誘いながら、けれど瞳の色は、いつも悲しげなのは、どうしてだろう。
 憐れまれていると、感じることがある。ジェットを侵す自分を、ジェットが憐れんでいると、感じることがある。
 あれは、ジェットの誇りなのだろうか? 人間としての尊厳? ここまで貶められた存在に、尊厳が存在するのか?
 ジェットの意志はどこだ? こいつは、侵されたがっているのか? それとも、意志に反して使われるのを、あきらめとともに受け入れているのか? それとも、受け入れているふりをして、自分を踏みつけにする連中を、嘲笑っているのか? 自分に溺れる愚か者どもに、憐憫の視線をくれてやるのが、復讐なのか?
 ジェットの中が、熱い。
 心と躯は、別なのだろうか。
 躯を開きながら、心を開ききらないジェットに、翻弄されているのは自分なのだろうかと、ふと思う。
 誘われて、ジェットの掌の上で遊んでいるのは、ハインリヒの方なのかもしれない。
 躯の疼きを静めるために、必要なおもちゃ。抱き人形のふりをして、ハインリヒを抱き人形にする。
 使われているのは自分の方だと、唐突に理解する。
 すべては、筋書き通りに。
 言われた通りに耐えているジェットの中に、自分の熱を放つ。
 鋼鉄の胸の下で、抗うようにジェットが跳ねた。
 その首に両手を添えて、絞めてやりたいと思った時に、ジェットがふと顔を上げ、ハインリヒに肩越しの視線を投げる。
 憐憫の色。
 その瞳に、嘲笑を浮かべた自分の貌が映るのを、ハインリヒは見た。 


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