「あらし」 - 番外編
Letter A
ジェットのシャツを羽織る。
白い長袖のシャツは、すそも袖も、少し長い。ボタンを全部とめ、袖のボタンをとめようとしたら、ジェットがその手を止めて、代わりに袖を折り返した。
そで、ふたつぶん。
「直に、はけよ。」
差し出されたジーンズに、足を入れる。そう言われた通り、下着は着けずに。シャツの下も、何も着けていない。
全裸に、ジェットの服は、もしかすると、膚を晒すよりももっと羞恥を誘うのかもしれない。
少しだけゆるいウエストを、きっちりボタンまでかけて、それでも、手を離すと、少し腰の方へ落ちる。
安物のデニム生地の衣類など、アルベルトのワードローブにあったことはない。硬い肌触りが、どこか、ジェットの掌の固さに似ていると思う。
そう思って、ふと、躯の中心が熱くなる。
それも長い裾を、ジェットが床に膝を折って、足首から折り上げた。
すそ、ひとつぶん。
ジェットと言えば、上半身には何も着けず、似たようなジーンズを、だらしなくはいている。
ベッドの中で躯を繋げるのに飽きたのか、リビングで一度、ゆっくりと脚を絡めた後、何を思いついたのか、シャツを差し出され、着ろ、と言われた。
躯の中心にある、欲情の部分以外の、その外側は、もう履き古されて床に転がる革靴のように、惨めにだらしなく、ひび割れ始めていた。
それでも、そうやって指先や腕を触れ合わせていると、また、躯の中心が疼いてくる。
キッチンのシンクを背にして立たされ、軽く寄りかかったシンクの縁を、両手で握った。
「足、少し開けよ。」
肩幅の分だけ、何の下心もないふりをして、言われた通りに開く。少し胸を反らすようにすると、きっちりと並んだ、シャツの前のボタンの部分が、こすれるように膚に触れる。
そっと喉をのけ反らせて、聞こえないように、息をもらした。
自分の服を着けているアルベルトを、どんなふうに見ているのか、ジェットは舌先で、ちろりと唇を舐める。淡い緑の瞳から、肉食獣のそれのような光が消える気配は、一向にない。
腕を伸ばして、一歩近づく。
胸と腰が触れ合うほど近くに寄って、それでも、紙一重の距離は保って、ジェットは、ゆっくりと、楽しむように、シャツのボタンを外し始めた。
ひとつ、ふたつ、と数える声に、何か意図らしいものが含まれているけれど、アルベルトは、ゆるやかに動くジェットの指先の動きに目を奪われ、そんなことは無視した。
指先の動きが、躯の奥深くに甦る。その指が、どこでどんなふうに動いたか、思い出しながら、また声をもらした。
真ん中辺りのふたつだけを、わざとのようにとめたままにして、ジェットは、ボタンの外れたシャツのすそを、大きく左右に開いた。
それから、同じ動きで、ジーンズのウエストのボタンを外す。それから、ジッパーを、わざと音を立てて、半分だけ、下ろした。
そこから、するりと、両手が滑り込む。腰を滑って、もっと下に触れ、長い腕を伸ばして、腿の後ろにまで指を届かせながら、ジェットの唇が、首筋に触れた。
アルベルトは、シンクから手を外し、ジェットの肩に両腕を回した。
「手、外すな。シンク、つかんでろ。」
鋭く、声が飛ぶ。
はじかれたように、慌ててジェットから手を離し、また言われた通りに、両手を後ろへ戻す。
ぺろりと耳を舐められて、すくめた肩を噛まれ、ジェットが、鼻先で笑った。
両手が、シャツの前を開く。大きく。
両肩を剥き出しにし、襟を、二の腕の近くまで引き下ろして、ジェットは満足そうに笑った。
晒された膚と、包まれた肌。包まれているのは、ジェットの匂いの染みついた、ジェットのシャツにだったけれど。
ゆっくりと、ジェットが離れてゆく。
視線が、全身を舐める。
皮膚の裏側まで、粘膜の内側まで、知られている、視線。体の中心を、突き通るような、視線。体中を覆われ、そこからじわじわと侵入してくるような、視線。
汗を浮かべて、アルベルトは、視線を自分の足元に落とした。
触れられてさえいないのに、片方だけの、胸の薄紅い突起が、埋もれていた頭を、ゆるゆるともたげ始める。全身の皮膚が、ぴりぴりと張り切っていた。
硬い青い布地の奥に、気配を感じて、アルベルトは思わず腰を引いた。
「動くなよ。」
からかうように、ジェットが言う。くすくすと、笑いながら。
アルベルトは、唇を噛む。
こんな、触れ合えない距離を置いたやり方ではなく、もっと直接的な、汗を交じり合わせて我を忘れるようなやり方で、触れて欲しかった。
触れてもらえない欲情は、少しずつ、外へ向かって形を変え始め、触れてくれと、聞こえない言葉を発し始めている。
シンクの縁を、強く握った。
湿った息がもれる。
熱が、腿の内側を伝う。膨れ上がるための場所さえなく、形を変えながら、痛みを訴え始めている。
知らずに、唇を舐めた。
胸と首に、血が上がる。
全身から、細かな針が突き出ているような、そんな気がした。
見えない掌が、全身を撫でる。見えない指先が、躯の内側に入り込む。それが起こっているのは、アルベルトの頭の中でだった。行き場のない、放置されたままの欲情は、満たされるために、淫らな想像を代わりに使う。
ジェットがようやく、腕を伸ばしてきた。
あごを持ち上げられ、こぼれそうに潤んだ瞳を、近々と覗き込まれる。
「・・・・・・サイコーだな、アンタのその、物欲しそうな、ツラ。」
伸びた舌先が、ちろりと唇の輪郭をなぞった。
それを追って、舌を差し出したけれど、意地悪く体を引いて、ジェットはまた、からかうようにアルベルトを避けた。
「手、離すなよ。」
言いながら、腰を抱き寄せる。
片足を抱え上げて、腰に回させると、ジェットは、服の上から体を押しつけてきた。
喉が反って、声がもれる。
焦らすように、ジェットが動く。
鉛色の指先が、シンクの縁に当たって、かちかちと音を立てた。
まるで、躯を繋げているように、ジェットが動く。こすられて、押し潰されて、熱同士が、いっそう煽る。
固い布地を突き上げるように、動く。
じかに触れているのは、互いの腹と胸の皮膚だけだった。
硬く青い布地の中に、声と一緒に、弾けた。
思わず力の脱けた体が、ずるりと落ちる。それをジェットが抱き止めて、また、耳元に囁く。
「・・・汚しちまったか、オレのジーンズ。」
揶揄するように言われ、アルベルトは、考える力もなく、ただ羞恥に、首筋を赤く染めた。
「オレの番だ。」
床に、くたりと落ちそうになったアルベルトを支えて、立ち上がる。
汗に湿った銀色の髪をつかんで、仰向かせると、片手で器用に、ジーンズの前を半分だけ開けた。
「ほら、見えるか? アンタのために入れたんだぜ。」
焦点のまだ合わないアルベルトに向かって、ひどく優しい声で、ジェットは言った。
示されたそこには、小さな刺青があった。
蔦が絡まったような、濃い青の絵柄の上に、深紅の文字が見えた。アルファベットのAが、刻まれていた。
左の腰の骨の、すぐ傍の辺り。全裸にでもならない限り、見えることのない位置だった。
アルベルトは、機械の指先で、それに触れた。
撫で、こすり、色も絵も消えないことを確かめてから、ゆっくりと、舌で舐めた。
歯を立てると、ジェットが頭上で、軽く呻いた。
それから、ジーンズの前を、完全に開けた。
ジェットに触れる。
ジェットのシャツを着て、ジェットに包まれたまま、ジェットを包み込む。
暖かく湿った唾液を舌の上にため、そこに、ジェットの熱を飼う。
なだめるように、あやすように、あおるように、そそのかすように。
もっと別の粘膜でなぞったことのある輪郭を、舌先でなぞる。まるでそこに色を塗り、何かを刻み込むように、アルベルトは執拗に、舌を使った。
気を紛らわせるためのように、ジェットの指が、耳の後ろを這い、首筋に触れる。
唾液が唇の端からこぼれ、喉を伝った。
いずれは自分の内側に入り込む熱を、喉の奥にも欲しくて、アルベルトは、知る限りのやり方で、舌を動かす。
唇を外すと、唾液が糸を引いた。
見せつけるように、上を向いて、唾液と、それから、別のぬるぬるする、自分のものではない体液で濡れた唇を、ゆっくりと舐めて見せた。
ふと、ジェットの瞳に、時折見る色が、走る。眉を寄せ、目を細め、一瞬、アルベルトをにらむように、見つめる。
軽蔑なのか、純粋な欲情なのか、それともある種の感嘆なのか、よくはわからない。理性が---そんなものが、ジェットの中に、存在するのなら---切れる一瞬前に、ジェットはいつもそんな目をする。
床に這えと、手先の動きで示され、それに従う前にもう一度、アルベルトは、目の前の、青と赤の刺青に触れた。
熱を持っているように感じたのは、錯覚だったのだろうか。
床に這い、頭を落として腰を高く上げ、ジェットを待った。
皮膚を剥ぐように、汗に湿った固い布を、ジェットが腰から剥ぎ取る。ようやくあらわになった膚を重ねて、ジェットが入り込んで来た。
押し込まれ、突き上げられて、体から浮いたシャツが、次第にたわんだ背中を滑る。
背中に、ジェットの胸が重なった。
ぎしりと、躯の中がきしむ。
ジェットのシャツが、皮膚に絡む。アルベルトの内側が、ジェットに絡む。
ふたつの体は、布に隔てられながら、奥深く躯を絡める。
まるで、ひとつに溶け合ったように、深く深く絡み合う。
どこまでが自分で、どこまでがジェットなのか、もう、わからなくなる。
汗で滑りながら重なる躯が、ジェットのものであるのを確かめたくて首をねじった視界の端に、ジェットの赤い髪が揺れていた。自分の名の頭文字を刻んだ、皮膚の上の紅い色に、それは似ているように思えた。
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