ここからふたりではじめよう - 番外編その6

まどう



 こんな日がある。何となく、体のあちこちが熱っぽくて、皮膚が、妙にひりひりする。髪が首筋に触れるだけで、思わず全身が震える。小さな刺激が、そそのかすように、膚の薄い部分を責めてくる。まるで、皮膚を失くして、神経が、すべて外に剥き出しになっているような、そんな感じ。
 集中力がない。板書中に、何度も文字を間違えた。授業に使う教材を、職員室に忘れ、2度も取りに戻る羽目になった。いらいらするというのではないけれど、こんなふうに落ち着きのない自分が、やはり腹立たしい。
 ようやく授業を終えてほっとすると、皆が帰ってしまう時間を待って、アルベルトは、ジェットを探すために、体育館へ向かった。


 ジェットが、部活が終わった後も、ひとりで残って練習しているのは、別に珍しいことではない。
 そうして居残っていれば、アルベルトと一緒に帰れると思うからなのか、ほとんどいつも、ひとりでまだ、この時間もボールを追い駆けている。
 それを知っていて、アルベルトも時折、人気のないのを見計らって、体育館へ足を運ぶ。
 ジェットがボールを追う姿を見るのが、アルベルトは好きだった。
 長い手足が、しなやかに動く。窮屈そうに机に坐って、ノートを取っている時よりも、やはり生き生きと、伸びやかに見える。汗に濡れた横顔が、妙に大人びて見えるのが不思議だった。
 「せんせェも、やる?」
 笑いながら、アルベルトに向かってボールを投げてこようとする。
 「いい、遠慮する。」
 笑い返すと、にぃっとジェットも笑顔を返してきた。
 また、ふと、皮膚の下が、騒めいた。
 まるで、末梢神経の、細い一本一本が、さわさわと波を立てるように、皮膚の下に、静かな騒々しさが広がる。アルベルトは思わず、自分の両腕を抱きしめた。
 ジェットが、飛んだ。
 体、宙で伸びる。長い手足が、まるで、高く飛ぶためだけに造られた、生きたオブジェクトのように見える。完璧な、その形。
 ぞくりと、背中が震えた。
 その感覚は、まるで墜落するように、すとんと下へ落ちて行った。
 肩を、思わず後ろに引いた。そうすれば、まるで、変化し始めた自分の体の一部を、振り払えるとでも言うように。
 「せんせェ、どしたの?」
 アルベルトの様子がおかしいのに気づいて、ジェットがこちらに近づいて来た。
 気づかれないために、体を隠そうとして、ますます不自然な仕草をする羽目になる。
 「何でもない。」
 声の震えを、隠せなかった。
 ジェットに腕をつかまれ、そこからまた、びりびりと皮膚がしびれる。
 火にでも触れたかのように、アルベルトはその手を振り払おうとした。
 「せんせェ、どうしたの?」
 本気で心配そうに、、ジェットがもっと顔を近づけてくる。
 何故か、泣き出す直前のように、潤んだ瞳を、アルベルトは慌ててジェットから反らした。
 腕をつかんだままで、ふと、ジェットの動きが止まる。それから、容赦のない力を込めて、ジェットはアルベルトの腕を引っ張った。
 「こっち、せんせェ。」
 腕を引かれ、まるで、仕置きをされる子どものように、ジェットに引きずられて行った先は、体育館のいちばん奥にある、用具倉庫だった。
 重い鉄の扉を難なく開け、ジェットは中に、アルベルトを連れて滑り込むと、明かりをつけて、そして後ろ手に、扉を音を立てて閉めた。
 「ジェット・・・。」
 「ここなら、誰も来ないよ。」
 壁際に、背中を押しつけられ、抱きすくめられた。もがく間もなく、膝の間に、ジェットが手を差し入れようとする。
 「言えばいいのに。」
 耳元で囁かれ、アルベルトは、全身の力が脱けるかと思った。
 気づかれていたのだとわかって、頬が羞恥に染まる。
 「こ・・・こんなところで」
 形だけ、弱々しく抵抗を示すと、それをあやすように、揶揄するように、ジェットがまた囁いた。
 「だって、せんせェ、こんなになってて、歩くのもつらそうだよ。」
 言葉で、そんなふうに言われれば言われるほど、躯は昂ぶってゆく。前よりも、いっそう激しく。
 ネクタイが外され、いつの間にか、シャツの前を開いて、ジェットが唇を滑らせていた。そんなことだけで、もう、立っているのもつらいほど、躯ががくがくと震える。
 不躾けな明かりも、倉庫の中の埃くささも、もう、何も知覚できない。躯の奥底の疼きを静めて欲しくて、それだけが欲しくて、他のことは一切が消え失せてしまっていた。
 ベルトを外す音が微かに聞こえ、それから、ジェットの生暖かい舌が、触れた。
 「あ・・・・・」
 ジェットの体温に包まれて、思わず声を上げる。
 ずっと、触れてほしかったのだと、ようやく気づく。誰でもよかったのか、それともジェットにそうして欲しかったのか、よくはわからない。けれど、ジェットにようやく与えられて、腹立ちにも似た神経の尖りが、少しずつ融けてゆくのを、アルベルトは頭の後ろ辺りで感じていた。
 まるで、キャンディでもしゃぶるように舌を使うジェットを、時折下目に見下ろしながら、乱れた自分の姿に、もっと欲情してゆく。
 漏れるのは、湿った重い吐息ばかりで、もう、声も出ない。
 ジェットがようやく、唇を離した。
 「ねえ、せんせェ、オレの、欲しい?」
 立ち上がり、アルベルトの左手を導きながら、ジェットが囁きを耳に注ぐ。
 掌に触れるジェットの熱に、また、浮かされたように、アルベルトは喘いだ。
 「ねえ、欲しい?」
 うなずくのが、精一杯だった。
 自分がどんな乱れた姿でいるのか、もう考える余裕もない。
 開いた両脚の奥深くに、ジェットの熱を受け入れるために、アルベルトは、ジェットが促すままに、躯の形を整えた。
 床にしゃがみ込んだジェットの膝の上に乗る形で、ジェットと冷たい固い壁に挟まれ、アルベルトはその間で躯を揺らした。
 ジェットが突き上げるたびに、肩が壁に当たる。けれど痛みよりも、ジェットと繋がった部分の熱さに、神経がすべて集中していて、他のことは何も感じない。
 アルベルトは、どこかに放り出される感覚に、思わず怯えて、ジェットの背中にしがみついた。
 「せんせェ、オレのこと考えて、こんなになってたの? それとも、他の人のこと?」
 動きを止めずに、けれど速さを少し変えながら、ジェットがからかうように訊く。
 「他の、誰も・・・そんな、の、い、ない。」
 うわ言のように、それでも切れ切れに言い返すと、ジェットの肩が、大きく動いた。
 思わずうめいて、またジェットの背中にしがみつく。
 「ほんとに、オレだけ? ほんとにせんせェ、オレだけ?」
 こんな場所で、こんな抱き合い方をしているせいなのか、ジェットはいつになく、執拗に、アルベルトに話しかけ続ける。まるで、問い詰めるように。
 「オレの他に、誰も、せんせェの、こんなこと、知らない?」
 アルベルトは、ジェットの動きに夢中になりながら、それでも、必死に首を振った。
 「こんなに、欲しがってるせんせェのこと知ってるの、オレだけ?」
 ほんとに、とまた、ジェットが重ねて訊いた。
 言葉で、アルベルトを煽る。声をかけるたび、必死の面持ちでうなずいたり、首を振ったり、アルベルトはまるで子どものように反応を返す。躯は、まるでジェットを逃がすまいとするかのように、苦痛に近い狭さで、ジェットに追いすがる。
 アルベルトは、もう、おしゃべりをやめてほしくて、ジェットの首を引き寄せると、乱暴に唇を重ねた。
 舌を差し入れ、しゃべるためではなく、唾液を絡め合うために、動かす。
 紅い、その柔らかな筋肉が、濡れた音を立てて重なると、不意に、ジェットが、アルベルトの中で硬さを増した。
 ひ、と喉の奥で悲鳴を上げて、アルベルトは脚を突っ張らせた。
 ジェットが、先に、アルベルトの中で果てた。それから、アルベルトも、もう自制も効かず、自分の下腹とジェットの胸の近くを、知らずに汚していた。
 ぐったりと、体の重みを預けてきたジェットと、自分の体温と摩擦で、暖まってしまった壁に挟まれたまま、アルベルトも、すっかり弛緩した体を、投げ出すようにしていた。
 呼吸を整えるために、胸をあえがせる。
 まだ繋がったまま、けれどふたりの熱は、ゆるやかに消え去ろうとしていた。
 冷静になるに従って、自分が取っている姿勢と、過ぎるほどの明るさが、羞恥を呼び戻す。ジェットの体の下で、少しでも乱れた服を整えて、体を隠そうと、アルベルトは、無駄な努力をしてみる。
 ジェットがそれに気づいて、そうさせまいと、アルベルトをまた抱きすくめながら、くすくす笑った。
 「こんなとこ見つかったら、オレ、退学だね。」
 「その前にクビになって、教師の免許を取り上げられる。ついでに、警察行きにもなる。」
 「それでも、オレと、したいんでしょ、せんせェ?」
 図星かどうかはわからなかったけれど、否定はできなかった。
 頬を染め、怒ったような顔つきで、アルベルトはジェットの肩口に歯を立てた。
 「オレとだけ、したいんだよね、せんせェ?」
 熱っぽく、冗談めかした口調で、けれど目の色は真剣に、ジェットがアルベルトを見つめた。
 そのまぶたに触れ、アルベルトはまた、ジェットの口を塞ぐために、Yesの代わりに、接吻を重ねた。
 いつの間にか、ジェットに馴らされてしまった、躯。ジェットの熱さと形を、躯の奥底に思い出して、舌を絡めながら、アルベルトはまた、どこかが疼き出すのを感じていた。


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