Make Love Last
電話が来ると、安心する。少なくとも、そうやって、普通に連絡の取れる場所---自宅と、呼ばれるところ---にいるのだと、確認できるから。
空を飛べたり、長距離トラックの運転手をしていたりすると、ちょっと声を聞こうとしても、それがかなわない時もある。
だから、電話をして、相手が向こうにいると、繋がっているのだと、安心する。
いつもより、何となく、声が沈んでいて、どうしたのだろうかと思いながら、世間話の切れ目に、それを問うタイミングを、見計らっていた。
ようやく、ジェットが、アパートメントの裏に見つけた、猫の親子の話を終えたところで、ハインリヒは、そっと息を継いで、何気なく訊いた。
「・・・どうかしたのか? いつもより、おとなしいな。」
おとなしいと言うよりは、正確には、何か隠しているような、何かに戸惑っているような、そんな気配が、ずっと電話の向こうから伝わってくる。
口数が、少し少ないような気もしたし、口ごもる回数も、いつもより多い。何より、何となく息苦しいような、そんな喋り方をする。
いつものジェットらしくないと、そう思って、さり気なく、何かあったのかと、そう尋いたつもりだった。
ジェットが、いきなり、黙り込んだ。
「どうした?」
電話では、伝わらないこともある。表情が見えなければ、声の響きだけでは、読み切れないこともある。何か言って、怒らせでもしたのだろうかと、交わした言葉をひとつびとつ、思い返していた。
ジェットはまだ黙ったままで、ハインリヒは、辛抱強く、ジェットの返事を待った。
たいていのことは、素直に真っ直ぐ口にするジェットには珍しく、あちら側で、言い淀んでいる気配がある。何か、いやなことでもあったのだろうかと、少しだけ、心配になる。
ようやく、ジェットが、オレ、と言った。言って、けれど間を開けて、深呼吸した音が、かすかに聞こえた。
「・・・アンタの声聞いてたら、勃っちまった。」
言われたことが、一瞬わからず、思わず頭を振って、もう一度、聞き返す。
「なんだって?」
ジェットが、もう、遠慮もなく、湿った声を送ってくる。
「アンタの声で、勃っちまったって、言ったんだ。」
ゆっくりと、いつもの、少しばかり下品な英語で、説明される。
どう言っていいのかわからず、ハインリヒは、思わず黙り込んだ。
「・・・黙んなよ、そのまま、しゃべってて、くれよ。オレ・・・」
がさがさと、向こうで音がした。受話器を持ち換えているのだと思って、ハインリヒは、電話の向こうの、ジェットの姿を想像して、うっすらと頬を染めた。
「おまえ・・・電話中に・・・」
「仕方ないだろ、アンタ、飛ばせてくれないし、会えなきゃオレ、こうやってがまんするしかないだろ。」
珍しく、言うことだけ---していること、しようとしていることはともかく---と、妙なところに感心しながら、電話を切ることもできず、ハインリヒは、もっと、ジェットの気配を聞き取ろうと、受話器を耳に押しつけた。
「それとも、アンタ、オレが他の誰かと、アンタとするみたいなことして、平気か?」
見えないのをわかっていて、首を振る。
平気なわけが、ない。
これが、嫉妬や執着心というものなのかどうかはともかく、ジェットが、他の誰かと、同じようなことをしていると思うと、そう考えるだけで、喉の奥が乾いて、痛むような気がした。
「平気では、ないな。」
一瞬、素直にはなりきれないハインリヒの言葉に、ジェットが、それでも安心したような、そんなかすかな吐息が聞こえた。
「・・・だったら、声くらい、楽しませろよ。」
また、何か、ばたばたと小さな物音がして、ごとんと、固い物が転がった音がした。
「・・・何してるんだ?」
「靴脱いで、下、脱いじまった。ソファで、足開いてる。今、自分で、触ってる。」
いちいち、そんなこと言わなくてもいいと、そう言おうとして、黙った。
そうやって、必死に、していることに没頭しようとしているジェットの姿を思い浮かべて、それが、ジェット自身のためだけではなく、自分のためでもあるのだと、そう思い当たって、水を差すのをやめた。
声だけで、そんなふうになるなんて、ハインリヒには考えられないけれど、もっと若いまま、時間を止められてしまったジェットになら、起こることなのかもしれない。
何を考えて、昇りつめようとしているのだろうかと、ジェットの頭の中を、想像する。
もう長い間、ジェット以外の誰とも、そんな触れ方をしたことがなく、想像しようとしたところで、浮かぶのは、ジェットの体ばかりだった。
ジェットもそうなのだろうかと、思って、ふと、頬の辺りが熱くなる。
あまり明るいところで、しげしげと眺めたことはないけれど、それでも、形や手触りは、思い出すことができる。
ひょろ長い、薄い体。手足は長く、指も、細く長い。節は高くて、爪は大きくて形が良い。首筋から鎖骨の線が、見惚れるほどきれいで、そこから真っ直ぐに、胸から下腹へ、硬い、けれどしなやかな線が、滑り落ちる。
肉づきの薄い腿を、手を添えて開いて、唇を滑らせる。
互いに触れ合うこともあれば、どちらか一方だけが、そんな触れ方をすることもある。
ジェットの、小さな喘ぎ声を、受話器越しに聞きながら、掌の中に、ジェットの熱さを思い出していた。
いつもは、ジェットを先に終わらせて、それから、繋がる準備をする。
ジェットが吐き出したそれを、ぬるりと、胸の突起に塗りつけてやると、それだけで、またびくびくと、全身が震える。
左手の指を、浅く沈めて、遊ばせてから、浮き上がるジェットの腰を支えて、次の指を埋める。
唇を重ねると、向こうから、舌を絡めてくる。
貪るように、抱き寄せられて、大きく開いた両脚の間で、ジェットの、内側の熱さを確かめる。
ジェットは、ハインリヒの冷たい右手を、いやがらなかった。
そちらの手で包まれて、固く、けれど優しくこすり上げられて、そうされながら、繋がる躯を、もっと奥へ誘い込もうとする。
胸を重ねて、ゆっくりと動き出す。
ジェットの長い足が、腰に絡んで、もっと近く、躯を寄せてくる。
内側も外側も、揺れながら、触れ合わせて、こすり合わせて、できる限りの熱を、ふたりで生み出そうとする。
耳元で、ほとんど叫ぶように、ジェットが声を上げる。
外へ聞こえることをはばかれば、また、その唇を、自分の唇でふさいでやるしかなかった。
舌を絡めて、唾液を混ぜ合わせて、躯のもっと奥深くで、繊細な皮膚と粘膜を、交じり合わせるように、重ねてゆく。
ハインリヒは、受話器の向こうに、時々、場違いではない程度の、あまり普段は使わない言葉を、なるべく、照れずに、ジェットのために送り込んでやりながら、さり気なく、坐っているソファの上で、足を組んだ。
指では物足りない、というようなことを、切れ切れに言いながら、ジェットが、少し高い声を出した。
それから、ようやく終わったのか、大きく息を吐く音を、切れ目なく送ってくる。
ジェットの、みぞおちの辺りに散った、白い体液を思い浮かべて、その、ぬるぬるとした感触を、ハインリヒは、指先に思い出してみる。
今は何もない、自分の指先を眺めながら、ジェットが、手の届かない場所にいるのだと、急に思う。
固くとがって、触ってくれと主張する、ジェットの胸の突起を、不意に、右の掌に感じた。
ようやく、息をおさめたジェットに向かって、ハインリヒは、平たい声を使う。
「次の休みは、いつだ?」
ジェットが、息を飲んだ音が聞こえた。
「来月の、初め。」
素早く、頭の中で、決まっている仕事のことを思い浮かべ、一瞬で、時間の算段をつけることを、決心する。
平気なわけが、ない。
おまえだけが、我慢してるわけじゃない。
「こっちに来れるなら、連絡して来い。休みを合わせて、待っててやる。」
ぶっきらぼうに、怒っていると、勘違いされそうな無愛想さで、そう伝えて、いきなり弾んだ様子で、連絡すると言ったジェットの声を聞いてから、がちゃんと、少し乱暴に電話を切った。
「・・・おまえのせいだからな。」
ひとりでつぶやいて、それから、そっと、組んでいた足を外した。
頬が赤いのを、ごまかすために舌打ちして、気をつけながら、ソファから立ち上がる。バスルームのドアを開けるまで、我慢できるだろうか、左手でも、うまくできるだろうかと、そんなことを思いながら、忘れないために、ジェットの、湿った吐息を、また思い出していた。
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