傷跡


 協力する気配もない代わりに、抵抗する様子もない。
 弾丸もはじき返す装甲は、すべて人工皮膚の下に隠されていて、半分は、機能上、人工皮膚で覆えず、銀色の機械の部分が剥き出しになっている自分の体と、こっそり見比べて、思わずわいた惨めさに、ふと顔を伏せる。
 けれど、人工の、恐らく、改造以前に忠実に再現された浅黒い皮膚は、傷跡だらけだった。
 爪先立ちになっても、唇には届かない、岩のような大男の、そこもまた傷跡に覆われたみぞおちに、ハインリヒは、そっと唇を当てた。
 戸惑ったように、固い体が、震える。
 嫌がられてはいないのだと、恥知らずな自分を励ましながら、濡れた舌を、盛り上がった胸の形に沿って、わざと音を立てて滑らせる。
 どこに触れても、舌に触れるのは、くぼんだ、あるいは不自然に盛り上がった、醜い傷の、引きつれた跡だった。
 そこだけ、ぬらぬらと光る、膚の上に刻まれた線は、つるつるとした感触が、奇妙に可愛らしい。ひとつびとつを、確かめるように、丹念に、舐めた。
 それから、頬に、手を伸ばす。
 鉛色の右の掌の、冷たさと硬さを気にしながら、頬を、両手で包んで、今は上向かせた顔を、じっと見下ろす。
 濃い茶色の瞳が、かすかに揺れていた。
 あごから、額を過ぎて、きれいに剃り上げた側頭部を通って、項にまで伸びている、彫りこまれた線を、ゆっくりと舌でなぞる。他の傷跡と違って、凹凸のない、色を流し込まれたその線に、1本1本、まるで、新しい色を塗りつけるように、舌先を滑らせる。
 目を閉じると、長いまつ毛にふち取られた、薄いまぶたが震えていた。
 眼球の形に盛り上がった、その丸みを、まるで、舌先でえぐり出すように、またなぶる。
 額まで、丁寧に線をなぞり終わると、太い腕が腰に回った。
 もう、拒まれる恐れはないと確信して、頬に添えていた左手を、そっと唇の方へ、移動させる。
 ほとんど、開かれることもなく、常に真一文字に結ばれている、皮膚の色と、あまり違いのない唇を、指の腹で撫で、合わせ目に、指先を潜り込ませる。
 意志の強さと同じほど硬い歯列に、かちっと、爪の先が当たる。
 開いてくれる気はないかもしれないと思いながら、差し入れた指を、唇の端に動かしながら、自分の唇を押しつけた。
 頑固な唇を濡らすように、舌を差し出し、舐める。歯列に舌先が触れたと思った時、向こうから、いきなり舌を誘い込まれた。
 思いの外長い舌が、器用に動いて、こちらの舌を絡め取る。
 さっきまでの、非協力的な態度がうそのように、膝の上の体を抱き寄せられ、後ろ髪に、太い指が、差し込まれた。
 どこかの女のことでも、不意に思い出したのかもしれないと思って、それは自分も同じことだと、うっすらと開いていた目を閉じる。
 戦車を持ち上げる両腕は、その気になれば、ハインリヒの背中も、やすやすとへし折ってしまえる。
 けれど今は、その腕が、自分を抱きしめ返していることに、気持ちが奇妙に弾んでいる。
 開いた唇に、行き交う唾液が、絡んでゆく。
 飢(かつ)えているのは、自分だけではないのだと安堵して、ハインリヒは、回りきらない両腕を、広い大きな背中に伸ばした。
 指先にまた、無数の傷跡が触れる。
 文字通り、傷を舐め合っているのだと思って、奪われていた舌先を、むりやり奪い返した。
 唇の重なりだけは、片時も離さずに、体の位置を変えては、互いの背中や腰に手を伸ばす。
 紛れもなく、人の形はしているけれど、生身とは言い難い、ふたつの体だった。
 ようやく唇を外して、ハインリヒは、ジェロニモの膝の間に、這い寄った。
 拒まれないことを、確認しながら、そろそろと手を伸ばし、それから、ようやく決心したように、唇を寄せる。
 舐めるとか、しゃぶるとか、耳でしかよくは知らない表現が浮かんだけれど、具体的にはどういうことかわからないまま、顔を伏せて、歯を立てないように、唇で包み込む。
 ふっと、ジェロニモが、深く息を吐いたのがわかった。
 自分が、そうされたいだろうと、思うやり方で、舌を動かす。
 不様なのは、お互い様だろうと、心の中で自分に言い聞かせながら、ジェロニモに触れて、昂ぶってゆく自分の躯からあふれる熱に、そっと手を伸ばした。
 そこを使うために、指で慣らす。
 唇で形を確かめながら、それを受け入れられるように、ひどく焦って、指を増やす。
 考えてみれば、無理をして、どこかを破損して困るのは、ハインリヒ自身よりも、それを修理するギルモア博士の方なのだと思って、むりやりに気分を楽にした。
 馴染みのない異物感に、できるのだろうかと思いながら、指を外し、唇を外した。
 視線を合わせないようにしながら、濡れた唇を拭うと、その手を、ジェロニモが引き寄せた。
 向こうから唇が近づいて来て、その、ぶ厚い体の下に、敷き込まれる。
 伸びた腕が、膝を割って、さっき、ハインリヒが自分で慣らしたところへ、大きな指が、ひどく繊細に触れる。
 奥歯を噛みしめて、声を殺した。
 大きな手が、驚くほど手馴れた様子で、狭い入り口を慣らして、同時に、もう少し前にも触れる。
 こんなやり方を、まさか知っているとは思わずに、ハインリヒは、立ち止まる間さえなく、その手に翻弄された。
 体中に散る傷跡と、何か関係があるのだろうかと思って、関係があるなら、それを問うのは無礼だと、いつもの礼儀正しさが、頭の隅をかすめる。
 呆気もなく、その掌の中に果ててしまう前に、気を散らそうとしているだけだと知っていて、そんな愚にもつかないことを、つらつらと考え続けていた。
 けれどそれも、あまり長くは続かず、ついには、自分からジェロニモの手を止めさせて、大きな肩にしがみついて、押し潰される、小さないきもののように、手足を広げた。
 「・・・声、出す。」
 耳元でそう言われ、素直にうなずくと、ゆっくりと、繋がってくる。
 もう、痛みも異物感も、どちらとも見極めもつかないまま、躯の奥がきしむのに合わせて、言われた通りに声を上げた。
 ハインリヒの呼吸に、息を合わせて、痛めないように、そっと、ゆっくりと、入り込んでくる。
 大きな、浅黒い体に視界を覆われて、どうしてか、ひどく安堵していた。
 高く持ち上げた、脚と腰が、もう痛み始めていて、何をどう考えても、思惑通りとは思えない成り行きだった。
 不様で滑稽で、笑い出したくなるほど必死で、だからこそ、こうすることが、自分には必要だったのだと思える。何もかもが、冗談めいてしまえばしまうほど、自分の中のいとしさが増してゆく。
 動きを止めたジェロニモが、そのまま、ハインリヒを抱きしめた。
 短く息を吐きながら、次に来る痛みに耐えようと、奥歯を噛んだけれど、それきり、ジェロニモは動かない。
 「・・・俺が、動いた方が、いいのか・・・?」
 ついに耐え切れずにそう訊くと、ジェロニモが、何も言わずに首を振る。
 もう少しこのままでいようと、そう言っているのだと悟って、それも悪くないなと、額に汗を浮かべて、微笑んだ。
 背中を抱きしめて、また、傷跡が触れる。
 ひどく親密な形で抱き合ったまま、どこへも行かずに、ただ、繋げた躯を重ねている。
 一度、ゆっくりと瞬きをして、ジェロニモの肩に口づけを落とすと、わざと、跡を残したくて、右手の指先を、強く背中に滑らせた。
 人工心臓の音が、色違いの皮膚と装甲を隔てて、小さな音で、重なり始めていた。




 こそこそこっそりと、さく弓さまに捧ぐ。
 「無題」へのオマージュ、にするべく、悪あがきした結果、ということで・・・。
 54エロは、難しい・・・(落涙)。書きたい気持ちだけで、暴走・・・。


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