Shattered



 ぴくりとも動かない体。ようやく、震える手を伸ばし、ジェットは触れた。
 息をしていた体。動いて、喋って、走っていた、体。
 瓦礫から、やっと見つけ出して、抱いて運んだ。
 ジェットは、疲れていた。
 ひとりきりで、彼と一緒にいて、疲れていた。
 正確には、彼の残骸、彼だった、彼と呼ばれていた、破壊された機械のなれの果てと一緒にいて、疲れていた。
 もぎ取られた部分を探す時間はなかった。立ち去らなければ、ジェット自身が危なかった。
 だから、彼を、半壊した彼を見つけ出し、彼だけを見つけて連れて、逃げ出した。
 体の半分近くを失って、なお彼は重く、空を飛ぶのに難儀した。
 そして今、ふたりは地上にいる。ひとりと、壊れた機械は、薄暗闇の中で、向き合っている。
 もっとも、彼にはもう、ジェットは見えないのだけれど。
 ジェットは、暗闇でも視える眼で、彼を仔細に見た。
 左腕は、肩からなかった。右腕は、肘でほとんと切断され、数本のワイヤーと、人工筋肉の残骸で、かろうじてぶらぶらと繋がっている。指先は、5本すべて、先が吹き飛ばされていた。左脚は腿から下がなく、右足は、足首はなかった。腹部は、左側がごっそりとえぐられ、剥き出しになった、歪んだ小さな金属の配線や部品が、焦げた臭いをさせている。それから、頭の左半分が、ない。左の眼球のあった部分と頬までが、まるで切り取ったような、つるりとした断面を見せている。
 もう、流れ出るオイルも循環液も、なかった。ほとんどが、ジェットの防護服と地面に吸い取られ、恐らく彼の中には、もう一滴も残っていないに違いなかった。
 彼はもう、動かない。ジェットを見つめることもない。その唇が動き出す奇跡を信じて、ジェットは彼を連れて逃げたのだけれど、その望みは、どうやらかないそうにはなかった。
 ハインリヒ、と、かつてこの、破壊された機械の名だったそれを、ジェットは呟いてみる。
 呟きながら、ジェットは、彼の動かない体に、まだまとわりついたままの、赤い防護服の切れ端を、ゆっくりと剥ぎ取り始めた。
 ほとんど、人目に晒すことのなかった体。こんな間近で見たことは、一度もなかった。直接触れたこともない。
 動きを止めてようやく、彼はジェットの腕の中にいる。
 黒光りする、上半身のほとんどを覆う、金属。白く、奇妙に頼りなげに見える皮膚の部分は、ところどころ破れ、中の機械の部分が、顔をのぞかせていた。
 焼け焦げ、半分だけ残ったマフラーだけは、首に巻いたままにしておいた。
 「ハインリヒ・・・。」
 それから、彼に触れる。オイルに汚れた髪に始まり、額から鼻筋、頬と唇---そこでしばらく指は止まった---、あごに下りて、首をたどり、胸に滑る。そこから、すいと脚に手を伸ばし、右足の、足首の切断面を、掌で覆った。
 ぎざぎざの、金属やワイヤーのちぎれた残骸が、指先に触れる。
 その指先を数瞬見つめてから、ジェットは、ゆっくりと、防護服を脱ぎ始めた。
 身に何もまとわずに、ジェットは、ゆっくりと、彼の体に接吻した。
 煤と泥とオイルに汚れた、彼の体のすみずみを、丁寧に、唇でたどり始めた。
 この腕が、両方揃っていて、するりと伸びて、自分の背中を抱きしめてくれることを、夢見ていた。
 片方の腕は、瓦礫のどこかに転がったまま、恐らく錆びて、そのまま朽ち果ててゆくのだろう。誰も、知らないところで。
 ジェットは、彼の唇に、自分の唇を重ねた。
 弾力も色も、変わらないのに、けれど確実に、その唇が再び開くことは、もうない。
 ジェットを見つめる両方の瞳さえ、もう揃ってはいない。
 残った、右腕の名残りを、ジェットは愛しさを込めて撫でた。
 これは、彼ではない。破壊されてしまった彼の、残骸でしかない。けれどそれでも、ジェットは愛しさを止められなかった。たとえもう、彼が生きてはいないのだとしても。
 胸を重ねる。体を合わせ、ジェットは動くのを、一瞬やめた。
 抱きしめても、抱き返しては来ないからだ。それでも、ジェットの腕の中にある、からだ。
 「ハインリヒ・・・。」
 また、名を呼んで、それから、ジェットは視線を、別の場所に移動させた。
 そこに、掌を重ねる。どんなに、自分の熱を分け与えても、もう、反応することはない。それでも、指先を添えて、ジェットは少しばかり必死に、同じ動きを繰り返した。
 彼を昂めようとして、昂ぶってゆく、自分の躯。
 もう一度、優しく唇に接吻してから、ジェットは、彼の重い両足---もし、まだそう呼べるなら---を、抱え上げた。
 触れてから、そうして、彼の中に、入り込もうとする。
 狭く、反応もなく、熱くも冷たくもない、感触すらさだかではない、彼の内側。それでも、こんなふうに繋がりたくて、今、ようやく彼と繋がっていることに、ジェットは満足していた。
 動くと、彼の首が、あちこちに揺れた。
 狭くしめつけられる痛みにもかまわず、彼の頭を抱え込み、ジェットは動きを激しくした。
 がくがくと、胸の下で揺れる躯。外に晒された機械の、ざらざらした切断面が、ジェットの皮膚をこする。
 彼の内側に、自分を沈め、ジェットはその中に、疼きを押し込めてしまおうとした。
 熱く、息づく躯。冷えた体を侵す、熱い躯。
 喘いで、呻いた後、ジェットは深く息を吐いた。
 まだ、彼の内側に入ったまま、ジェットは彼の胸に顔を埋めた。
 頬に手を伸ばし、撫でながら、
 「オレも、もうすぐ行くから、淋しくなんか、ないだろ?」
 泣いていた。
 二度と、この体に熱が戻ることはないのを、はっきりと思い知って、ジェットは泣いた。
 残したままにしておいた、黄色いマフラーを握りしめ、ジェットは、声を放って泣き続けた。


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