うわさになりたい - 番外編

「特別な日」



 力の脱けた体を、互いの肩に預けるようにして、正面から抱き合った腕も、うっすらと汗ばんでいる。
 ベッドの上に坐ったジェロニモの膝に乗る形で、ハインリヒは胸を合わせたまま、まだ赤い頬を、ジェロニモの首にすりつけた。
 もう少しだけこのまま、抱き合ったままでいたくて、背中を撫でるジェロニモの手に甘えて、ハインリヒは、ジェロニモの背中にしがみついている両腕に力を込める。
 ジェロニモの、ぶ厚い胸にも大きな背中にも、精一杯伸ばさなければ、両腕が回り切らず、もどかしげに、触れ合わない自分の指先同士を、硬く波打った背骨の辺りに探りながら、けれどそのもどかしさを楽しんでもいる。
 ハインリヒは、ようやく大きく息を吐いた。
 「あんた、クリスマスはどうするんだ。」
 近づいてくるその日までの日数を、毎日数えていたことはおくびにも出さず、努めてさり気ない口調で、やっと悪くはないタイミングで質問できたと、それでも少しだけ心臓が早い。
 ハインリヒは、ジェロニモの肩に頭を預けたまま、耳だけに神経を集中させて、ジェロニモの答えを待った。
 「・・・クリスマス・・・。」
 まるで、外国語のように、ぎこちない発音でそう言ったきり、答えらしい答えが返って来ない。
 何かすでに予定でも入っているのだろうかと、失望を表さないようにしながら、ハインリヒは頭を動かさずに、また訊いた。
 「まさか、いくら忙しいからって仕事なわけじゃないだろう?」
 クリスマス前には---1年の終わりでもある---、たいてい誰もが、終わらせなければならない仕事を抱えて、必死になっている時だ。ハインリヒもだったし、ジェロニモも例外ではなかった。クリスマスを、家族と、あるいは恋人と、あるいは大事な友達と、ゆったり過ごすために、片付けなければならない仕事の山とカレンダーをにらむのが、12月を半ばも過ぎた辺り、恒例のことだった。
 「いや、仕事は休みだ。」
 答え方は早かったけれど、歯切れは悪い。
 ハインリヒの背中を撫でていた手を止めて、言いにくそうに、ジェロニモが声を低めた。
 「ただ、クリスマスを祝う習慣は、おれには関係ない。」
 まずいことを言ったと、ハインリヒは眉を上げた。
 せわしく瞳を動かして、クリスマスのために教会にはわざわざ行かない自分以上に、クリスマスに関わりのない人間もいるのだということを、すっかり失念していた自分の浅墓さを、さてどう取り繕おうかと、宗教の違いは、そう言えばいつだって戦争の原因じゃないかと、そんなことまで考え始める。
 汗が冷え始めて、少し寒くなっていた。
 気まずさをごまかすために、ハインリヒは、もっとぴったりと体をくっつけて、ジェロニモの腰に両足を絡めた。
 「何か、特にしたいことがあるのか?」
 珍しくジェロニモの方からそんなことを訊いてくるのは、やはりぎくしゃくとしたやり取りを何とかしたいからだろうと思えた。
 太い首に両腕を回して、表情を読み取られないようにしながら、ハインリヒは考え込むふりをする。
 したいことがあると言うよりも、単に、一緒に過ごすのだという確認を取りたかった、ただそれだけのことだった。
 自分たちのような種類の人間たちに、家族とほとんど付き合いがないというのはありがちなことで、それでもクリスマスだけは特別に、無理をしてでも一緒に過ごすということも有り得たから、ジェロニモはどうなのかと、知りたかったのはそのことだった。
 けれど、クリスマスを祝わないと言われれば、それは確かにその通りで、世界中---少なくとも、自分の身辺の知人友人たち---、皆がクリスマスを、同じように祝うのだと思い込んでいた自分の無神経さがうっかり露呈した形で、見事に恥を晒したなと、歯軋りしたくなる。
 宗教や政治の話がタブーのように、自分たちのような人間の間では、家族の話は、時に微妙な話題になる。誰もが、自分たちの家族に、きちんと受け入れられているとは限らず---稀と言った方が早い---、受け入れられているということになっているにせよ、その度合いには、様々な違いがあって、その類いのことを口にする時には、細心の注意が必要なことがある。
 だから、わざわざ、クリスマスはどうするのかと、曖昧な尋ね方をしたのに、ジェロニモ---だけではなく---が、クリスマスそれ自体に関わりがないということには思い当たらなかった自分の、視野の狭さを呪う。
 「じゃあ、あんたは、いつも通りに過ごすのか?」
 問われたことには答えないで、また訊いた。
 「・・・だから、何かしたいことがあるのか?」
 ほんの少しだけ、まるで念を押すような口調で、ジェロニモがまた訊いた。
 すれ違って、一向にどこにもたどり着かない会話は、抱き合って互いの表情が見えないまま、いっそう空気を気まずくする。
 ハインリヒは、心の中で、こっそりとため息をこぼした。
 ジェロニモの首に回していた腕を、大きな肩から滑り落として、くしゃくしゃに波打ったシーツの表面を撫でる。鉛色の指先が引っ掛かって、きゅっと、高い音を立てた。
 ようやく、頭を上げて、目の前のジェロニモを見上げる。
 「別に、何かしたいわけじゃない。あんたと、ちゃんと一緒にいたいだけだ。」
 ちゃんと、というところに、ほんの少し力を込めて、目をそらさずに、きちんと言えた。
 ジェロニモは、瞬きをせずに、大きな目でハインリヒを見返して、それから、ハインリヒの額を、大きな掌で撫でた。
 「・・・そういうことなら、わざわざ心配することでもない。」
 ハインリヒを抱いたまま、空いた手を伸ばして、ベッドからずり落ちそうになっている毛布を引き上げると、すっかり乾いてしまった肌をふたり分、一緒にくるんで、ジェロニモは、ハインリヒの額に、自分の額をこつんと合わせた。
 「ベッドに、靴下を吊るした方がいいのか?」
 ハインリヒの肩を引き寄せて、ようやく、眠るために体を横たえながら、小さな声で言った。
 「・・・俺のより、あんたのを吊るした方が良さそうだな。」
 ハインリヒは、毛布の中の、下の方を見ながら言った。
 ジェロニモの肩口に額を寄せて、その太い腕を枕にして、ハインリヒは、初めて大事な誰かと過ごす、クリスマスのことを想像した。
 ジェロニモにとっては、普段と変わることのない日だとしても、自分にだけ特別ならそれでいいと、ハインリヒは、ジェロニモの大きな靴下の中に入れる、小さなプレゼントのことを考え始めた。
 ジェロニモの寝息を、子守唄のように聞きながら、まだ何もしかとは決められないまま、ハインリヒは眠りに落ちてゆく。


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