「あらし」 - 番外編
Tell Me
やっと、手に入れた本だった。
開いたページから、一向に目を反らす気配もないのを、さすがに読み取ったのか、ジェットは、キッチンで、グラスにふたつ、酒を注いで---グレートが持って来た、ジンの残りだった---、機嫌を取るように、ひとつをアルベルトに手渡した。
アルベルトは、それに生返事を返しただけで、また、ジェットを放っておいた。
相手にしないから、来るなと言ったのに、店からついて来たジェットを、そう言った通り、アルベルトはかまわずにいる。
紅茶をいれて---ジェットの分も---、それからソファで本を開いて、もう、ジェットが話しかけても、ろくに返事すら返さなかった。
無理についてきたのだとわかっているから、ジェットも、少し不機嫌になりながら、それを口には出さない。
気を引くように、空になった紅茶のマグを、キッチンへ運んで、頼んだわけでもないのに、新しい紅茶をいれて、持って来た。
それにはさすがに、ありがとうと言って、けれどそれきり、また、本の世界に没頭する。
その間、アルベルトの向いのソファから、じっと、恨めしげな視線を投げ、立ち上がって、用もないのにキッチンへ行き、煙草を吸いにか、外へ出て---帰ったのかと思ったけれど、わざわざ確かめることはしなかった---、すぐに戻ってきて、バスルームへ消え、姿を現して、部屋の中を、少しごそごそと歩き回り、ついには、本棚の本さえ取り出して、ぱらぱらと、ページをめくることさえした。
それを、横目に見て、そう言えば、ジェットは字を読めるのだろうかと、アルベルトは思った。
必死に、退屈だと見せて、アルベルトの罪悪感に訴えようとしていたけれど、アルベルトは相手にしなかった。
ジンを注いだグラスを持って、今度は、ソファに坐ったアルベルトの、足元の床に坐る。
膝に手を乗せて、足を撫でていた。それから、足首に触れて、靴を脱がす。
アルベルトは、下目にそれを見ただけで、止めようとはしない。
素足を出して、革靴の中で、丸まっていた足指を、ジェットの掌が撫でる。
ひやりとした空気に触れた、小さな足指に、暖かなジェットの掌が重なる。
ズボンのすそを軽く持ち上げて、掌が、もっと上に、進む。
軽く開いた膝の間に、ジェットが、体を滑り込ませてきた。
坐り込んだ床で、体を伸ばして、縮めて、アルベルトの足を持ち上げて、足の甲や、骨の形のくっきりと浮いた足首や、なだらかな線のふくらはぎに、手を滑らせながら、唇が、その後を追う。
上目に、アルベルトの様子をうかがいながら、ジェットは、次第に大胆に、アルベルトに触れ始めた。
アルベルトは、相手にせずに、好きにさせながら、本から視線を外さない。
けれど、ジェットの顔が、腿の間に入り込み、ズボンの上から、そこに歯を立てた時には、大袈裟に声を上げた。
「読書の邪魔だ。」
素っ気なく言って、ジェットの肩に抱え上げられた右足を、軽く振る。
ジェットが、アルベルトを見上げて、唇を突き出した。
ジェットから足を取り上げ、肩を軽く蹴る仕草をする。いつもよりも子どもっぽく、ジェットが、アルベルトをにらんだ。
読みかけのページに、指を差し入れて、本を脇に置き、体を前に倒して、首を伸ばす。触れるだけのキスをして、ジェットをなだめるように、目の前で微笑んだ。
ジェットの唇からもれる、ジンの匂いに誘われて、自分のグラスから、透明な酒を、一口飲んだ。
それから、ふと思いついて、自分のグラスを、両足の間に坐り込んでいるジェットに、少し傾けて差し出す。
それに向かって手を差し出したジェットから、そうではないと、グラスを遠去けて、手を使うなと、目顔で言うと、また、ジェットが唇を突き出して、それでも素直に、手を下ろした。
横に広い、形のいい、ジェットの唇に、ジンのグラスの縁が触れた。匂いも味もきついそれを、注ぐように、グラスを傾ける。軽く開いた唇の間に、液体が流れ込んで、ジェットの喉がごくりと動く。
ふたすじ、飲みきれなかった酒が、唇の端とあごに、こぼれる。
アルベルトは、グラスを遠去けて、ジェットのあごに手を触れた。
こぼれた酒を、舐め取る。ジェットの汗の匂いと、酒の味が、舌の上で混じる。
一瞬、読んでいた本のことを、忘れた。
ジェットが、先を求める視線で、熱っぽくアルベルトを見つめてくる。
けれど、そこから先に、まだ進む気にはならず、また、アルベルトは本へ視線を流した。
ジェットが、濡れた唇をぐいと腕で拭って、また、アルベルトの膝の上に顔を伏せてくる。
グラスを、ジェットの肩越しにテーブルに置いて、その手で、頭を撫でてやった。
それを、どう取ったのか、ジェットがいきなり、ズボンのウエストに手をかける。
「おい、何してる?」
思わず声を上げて、頭を押し返そうとすると、ジェットはそれにもかまわず、勝手に服を脱がそうとし始める。
「おい!」
ジェットの手を押さえて、肩を軽く突き飛ばした。
ジェットが、ふてくされたように、自堕落に、床の上で、軽く肩を揺すった。
上目に見るその瞳が、挑発している。軽蔑しきった表情で、アンタだって、やりたいくせに、上品ぶりやがってと、口元が歪んで見えた。
アルベルトは、本をまた置いて、ネクタイを、ゆっくりと外した。
ジェットを手招きして、寄ってきたジェットの肩を引いて、こちらに背中を向けさせると、そこで、ネクタイを使って、両手首を縛ってやった。
「なんの真似だよ?」
ジェットが、肩を振って、軽く抗って、とがった声を上げる。
「手が使えなきゃ、少しはおとなしくなるだろう。」
肩越しに、アルベルトをにらんでから、ふっとジェットが、表情をやわらげた。
淡い緑の瞳が、一条、光る。
冗談のつもりだった。強く縛ったわけでもない。解こうと思えば、アルベルトの手を借りなくても、自由になれる程度の、拘束だった。
ジェットは、口元に、薄く笑みを刷いて、またアルベルトの正面に向き直ると、体を曲げ伸ばして、立てた膝の上に、アルベルトの足を乗せる。
横目に、ちらりと、また本を読み始めたアルベルトを見てから、ジェットは、アルベルトの足指に口づけた。
小指は、小さな爪が、ひどく柔らかい。そこに、きりきりと歯を立てて、指の間に、舌を滑り込ませる。
くすぐったくて、アルベルトは、ジェットを蹴らないようにしながら、軽く膝を曲げた。
ジェットが、そこから唇を外さずに、上目にアルベルトを見て、へへと、鼻で笑った。
足の指を、ジェットの舌が、丹念に舐める。
体の位置をずらし、もどかしげに、肩をゆすって、危なげな仕草で、アルベルトの足裏に、頬をすりつける。
土踏まずに、唇が滑って、歯列が立った。
腕が使えず、体のバランスを崩しながら、それでも、アルベルトの足を肩に乗せて、今度は、膝の間に、顔を押しつけてくる。
背中に回った両腕が、不器用にうごめく様を、アルベルトは、気づかれないように、凝視していた。
体を起こし、膝立ちになって、腹から胸へ、頬をすりつけてくる。
もう、本を読むこともやめて、アルベルトは、ジェットを、下目に眺めていた。
首筋に顔を埋めて、もう、遠慮もなく、体の重みをアルベルトの投げ出してくる。受け止めて、抱き止めながら、アルベルトは、唇を重ねた。
「・・・まだ、終わってない。」
ジェットの頬の両手を添えて、ちらりと、傍の本に視線を流して、小さく言った。
目の前で、ジェットが、アルベルトの視線の動きを追って、揶揄するように、にやっと笑う。
また、ぶつけるように唇を重ねてきて、ジェットが、アルベルトを黙らせた。
ネクタイのない、シャツの襟元を、ジェットが噛む。それを押しやって、腕の使えないジェットに抱きついて、アルベルトは、首筋や胸元に、唇を滑らせた。
ジェットを、コーヒーテーブルに坐らせ、それから、ソファを下りる。床に膝をついて、ジェットの膝に、顔を近づけた。
右手で、わざと触れてやる。
柔らかな皮膚に、冷たくて硬い手で触れられ、びくりと皮膚が波打つのが見える。唇で、暖かく包むと、上で、ジェットがかすかに声をもらした。
いつもなら、アルベルトの髪や首筋、背中や、届くなら腰の方まで伸びてくる、長い腕が、今はない。
腕を軽く縛られただけで、思うようには動かなくなった体を、じれったそうに、ジェットが揺する。その不自由さを、楽しんでいるのだと知っているから、アルベルトは、縛ったネクタイを解いてやろうとは、ちらとも思わない。
いつもとは逆に、ジェットを責めているような、そんな気になりながら、いつもよりも丁寧に、からかうように、舌を使う。
唇を外すと、上気したジェットの顔が、汗を光らせて、怒ったように、アルベルトを見下ろしていた。
テーブルとソファの間の床に坐り込んでいる、アルベルトの前に体を落としてきて、いきなり首筋に咬みついてきた。
狭い空間に、胸を合わせるように向かい合って、坐り込んで、ジェットの細長い足が、アルベルトを引き寄せる。
「・・・とっとと下脱いで、乗れよ。」
命令するように、頭を振って、肩を揺すって見せる。
ジェットの肩に手を置いて、言われていることがわからないと、そう表情をつくると、ジェットが、少し焦れたように、唇をひずめた。
「アンタが、自分でやるんだろ?」
自分の肩越しに、ジェットがあごをしゃくる。
「腕使えなくしたの、アンタだぜ。」
横顔が、意地悪く笑う。
そんなつもりではなかったと言っても、もう遅いのだろう。
少し強く腕を揺すれば、解けてしまう程度にしか縛っていないのに、それさえしないのは、もちろんわざとに違いなかった。
アルベルトは、羞恥に薄く染まった頬を、隠すために顔を横に向け、首を折り、なるべく小さな動作で、言われた通りに、服を脱いだ。
ジェットの首に両手を回し、体をぶつけるようにして、抱きつく。
右手で、額を撫で、両目を覆い、そこから、左の頬に、指を滑らせた。
見下ろすジェットがまた、にやりと、不敵に笑う。
アルベルトは、ジェットから視線を反らさずに、左手を、そっと下へ伸ばした。
まだ、自分が舐めた跡で濡れている、ジェットを、慣れない動きで、導く。
違う角度で触れる熱に、知らずに腰が逃げる。
また、ばかにしたように、ジェットが笑った。
思わず、小さく怒りがわいて、右腕で、絞め殺しそうに、ジェットの首を引き寄せると、乱暴に唇を重ねた。
唇を開いて、舌を絡め、そちらで熱く吐息を重ねながら、ぎこちなく、ジェットと躯を繋げてゆく。
やっと、目的を果たして、アルベルトは、押し開かれる感覚に、唇を噛んで、ジェットの肩に、額をすりつけた。
「・・・ほら、動けよ。早く。」
ジェットが、腰を揺すって、先を急かす。もちろん、意地の悪い仕草で。
固い床についた膝が、痛かった。ジェットにかかる、自分の体の重みを気にしながら、アルベルトは、悪態を飲み込んで、ゆっくりと、ジェットのために動き始めた。
息が、すぐに乱れた。主には、慣れない動きと、不自然に押し開かれた、圧迫感のせいで。
それでも、必死に、ジェットを終わらせようと、下目に、動く自分に目を凝らしているジェットを盗み見ながら、アルベルトは、内側の感覚に、意識を集中した。
「いいな・・・アンタのツラ・・・。」
ぼそりと、ジェット言う。
思わず、顔を背けて、固く目を閉じた。
ジェットがあまり感じていないだろうと、思う以前に、自分がつらすぎて、アルベルトは動くのをやめて、ジェットの首に、しがみついた。
甘えるように、首筋に頬をすりつけると、ジェットが、もっと体を密着させるように、軽く胸を張る。
「・・・もう、ギブアップかよ、だらしねえな。」
そう言いながら、ジェットの声も、少しかすれていた。
「自分で動くの、いやか?」
こくこくと、ジェットの肩の上で、うなずく。
「オレにやられる方が、いいのか?」
子どものように、また、こくこくとうなずいた。
「だったら・・・そう、ちゃんと言えよ、淫乱。」
首に回した腕に、力を込めた。
「オレにやられるのが大好きですって、言えよ、淫売。」
言葉は滑稽なのに、口調の真剣さが、空気を冷たく凍らせた。
淡い緑の瞳に、金色の光が、混じる。冷ややかな凶暴さが、底に沈んだ。
欲情は、薄められた殺意なのかもしれない。それとも、殺意のない欲情が、あり得ないのだろうか。
腕をゆるめ、ジェットの、底光りする瞳を、弱々しく、けれど真っ直ぐに見つめて、アルベルトは、卑屈な言葉を口にした。
「・・・・・・やられるのが、大好き、です。」
語尾と同時に、ジェットの肩に、押し潰される。
柔らかなソファと、硬いジェットの体に挟まれて、押し上げられる。
ジェットの首に両腕を回し、腰に、両脚を絡めて、アルベルトは、貪るように、しがみついた。
ジェットから、決して離れないように、外れないように、ぴったりと、胸と腹を合わせて、ジェットに、精一杯しがみついた。
突き上げられて、揺さぶられて、腕を使えないジェットが、ただ、力任せに押し込んでくるのに、アルベルトは、悲鳴を上げながら、応えていた。
ジェットの首に、指先を食い込ませそうになって、右手を外した。頭上に伸ばした指先に、さっきまで読んでいた本が、触れる。
まるで、火にでも触れたように、びくりとその手を引き、アルベルトは、ためらいながら、また、ジェットの首に、右手を戻した。
ジェットに、また、強くしがみつく。
もう、一生離れないとでも言うように、アルベルトは、絡めた手足に力を入れる。
誰かに、何かに、謝らなければならないような、そんな気がしていた。
気づかずに、目尻をこぼれていた涙を、見つけたジェットが、赤い舌で、舐めた。
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