「あらし」 - 番外編

Touching Slowly



 「今日は、ゆっくりやろうぜ。」
 何を言われているのかわからないまま、ああ、と生返事を返した。
 バスルームのドアに、背中を押しつけられ、手は、軽く腰に添えられただけだった。
 いつもなら、その手が、荒々しいほど動き回って、なるべく手早く、服を脱がせようとするのに、今日は、シャツのボタンさえ、まだ外そうともしない。
 触れ合わせるだけのキスを、何度も何度も繰り返して、唇を開いて、舌を差し出すのに、軽く噛むだけで、絡め合わせようとはしない。
 濡れた下唇を、優しく噛む。
 そうして、また、触れる。
 まるで、肉親同士か、子どものようなキス。焦れて、もう、唇を閉じることさえしない。
 口づけながら、胸をすり合わせるように、肩を動かす。シャツの下で、張りつめている皮膚や、固くとがり始めた胸の突起が、すれて、よけいに熱をあおる。
 背中や腰に回らない、長い腕に焦れて、自分から、背伸びをして、ジェットの首に両腕を巻きつけた。
 唇を開いて、舌を絡め取ると、胸を押され、ジェットが、にやっと笑った。
 「あせんなよ。」
 馬鹿にしたように言われ、ぱっと、一瞬で頬に血が上る。
 「あんまり、先に急ぐと、縛っちまうぜ。」
 そうしてくれてもいいとは、さすがに言えず、目を伏せて、おとなしく、ジェットの首から腕を外した。
 「・・・アンタみたいな淫乱は、ガマンできないか。」
 言いながら、まぶたにキスが降る。
 喋る息が、熱く、薄い皮膚をなぶった。
 「・・・たまには、ゆっくりやろうぜ、バージンみたいに。」
 下品に唇を曲げて、くすくすとジェットが笑った。
 抱き寄せられ、体を押され、ずるずると、背中が、ドアを滑った。床に、向き合って坐り込む形になると、ジェットが体の位置を変え、今度は自分がドアに寄りかかると、開いた膝の間に、アルベルトを抱き寄せる。
 背中に胸を重ね、首筋に、顔を埋める。
 シャツ越しの体温が、もどかしい。肩を揺すって、不満を示しても、ジェットは素知らぬふりで、相変わらず、服を脱がせる気配も見せない。
 腹と胸の前に腕が回り、シャツの上から触れてくる。それでも、シャツの合わせ目は、指先が器用に避けて、素肌には、うっかりでも触れない。
 シャツの上から、指先が、胸の突起を、弾くように動いた。
 胸を反らせ、思わず、うなじが、ジェットの肩に乗る。
 左腕を持ち上げ、唇を噛みながら、ジェットの肩へ回した。
 伸びた喉に、ジェットが、唇を当てる。舌を滑らせ、隠すことなどできないそこに、跡を残さない強さで、噛みつく。
 ゆるんだ膝を、ジェットの手が、大きく開いた。
 腿の内側を、その、指の長い掌が、滑る。
 動くにつれ、布が波打ち、もどかしさに、拍車がかかる。
 アルベルトは、自分から、もっと大きく足を開いた。
 掌は、膝から腿を、まるで、いとおしむように、ゆっくりと、優しく撫で続ける。
 そうしながら、ジェットが、首筋に触れていた唇を滑り上げて、耳の後ろを舐めた。
 耳のすみずみを、歯で、噛む。
 歯並びがいいとは、お世辞にも言えないその歯列で、ぎりっと、音がしそうに、少し強く、耳の軟骨を噛む。
 そうして、舌先が、耳の流線を、そろりとなぞった。
 耐えられずに、体が跳ねる。
 ジェットの、ジーンズの右膝に置いた、硬い指先が、知らずに、骨張ったそこに、食い込む。
 逃がさないためにか、ジェットの指先が、髪の毛に入り込み、強くつかんだ。
 また、ぎりぎりと、耳の軟骨を、噛む。
 肉の、まだうっすらと残る、骨でもしゃぶっているように、ジェットは執拗に、アルベルトの耳をなぶった。
 髪から手を離し、アルベルトの右手に、掌を重ねる。指の間に、指を滑らせ、それから、やっと、シャツの袖のボタンを外した。
 開いた袖を、滑らせる掌で、ゆっくりと引き上げる。肘まで剥き出しにすると、掌を持ち上げ、指先を口に含んだ。
 指を、一本一本、舐める。
 まるで、甘いキャンディーでも食べるように、指先---ほんとうなら、爪のある辺り---から根元まで、舌を這わせる。
 口の中に、全部入れて、そこで舌を使う。
 生身ならありえない、くぼみや接ぎ目の線を、丁寧に、舌でなぞる。触れるジェットの粘膜に、冷たい表面が、ゆるゆると暖まる。
 親指のつけ根に、まるで、傷でも残すように、ぎりっと歯を立てた。
 かちかちと、指先を噛んで、機械の腕が、ほんとうに機械の腕だと、確かめるように、執拗に、歯列を当てる。
 右腕に飽きると、今度は左腕に移り、皮膚の薄い二の腕の内側に、唇を当てた。
 「・・・アンタ、どこでもいい匂いがするな。」
 小さな快楽に、ぼつぼつと食い散らされた正気の向こう側で、ジェットの声を聞く。
 使っている石鹸は、無香料のはずなのにと、そんなことを思いながら、また、薄い皮膚を噛まれて、喉の奥で声を立てた。
 膚に触れるジェットの息も、もう、湿って熱い。
 どんなに引き伸ばしたくても、そろそろ限界だろうと、そう思った。
 左腕を伸ばし、ジェットの後ろ頭を引き寄せる。開いた唇で誘って、舌を奪った。
 腿の内側をさまよっていた掌が、また膝まで逃げて、それから、開いた両脚の間に、伸びた。
 思わず、腰が前に揺れる。
 布の上から、すり上げる仕草をされ、もう、恥もなく、腰を前へ滑らせて、ジェットの膝の上に、自分の膝を乗せた。
 唾液を行き交わせ、まるで、互いの舌を食い合うように、唇の中を侵し合う。
 ジェットの手が、動きを早め、それにつれて、爪先が震えた。
 「は・・・早くっ」
 唇を外して、見上げて、言った。
 布越しでは、行き着けず、けれど、このままでは、解放される前に、勝手に暴走してしまいそうだった。
 ジェットが、上気した頬で、また、にやりと笑う。
 「・・・アンタの、欲しがってるツラ、サイコーだな。」
 言いざま、あごをつかんで、また唇を重ねる。
 舌で、アルベルトをなぶりながら、動きを止めた左手を、アルベルトの右手に伸ばした。
 さっきまで、自分がそうしていたように、アルベルトに、自分で触れさせ、重ねた手を、一緒に動かす。
 アルベルトの、鉛色の手が、勝手に動き出すと、ジェットは、そっと自分の手を離した。
 「そのまま、自分でやってろ。じかには触るなよ。」
 焦りと苛立ちと、軽い失望と、そして期待と、さまざまな色で満ちた、アルベルトの瞳を見返して、ジェットは、ゆっくりと床から立ち上がる。
 アルベルトをそこに残して、数歩前に、立つ。
 ジェットの動きを、目で追いながら、アルベルトは、もう、浅ましさにもかまわず、大きく開いた脚の間で、手を必死で動かしていた。
 ジェットは、アルベルトの手の動きを見下ろしながら、ジーンズの、ウエストのボタンを、ゆっくりと外した。
 視線が吸い寄せられて、手の動きが、一瞬止まる。
 「やめるな。」
 静かに低く、言われて、また、こすり上げる動きを、始める。
 ジェットも、アルベルトの目の前で、自分に触れた。
 似たような動きを、けれどもっと、器用に、慣れた仕草で、ジェットが始める。
 ぴったりと、体に張りついたシャツの下で、ジェットが吐く息と声に合わせて、筋肉が動くのがわかる。
 アルベルトも、濡れた息を吐いた。
 触れ合わずに、自分で、さわる。
 けれどアルベルトは、素肌に触れることは許されず、見せつけるように、目の前に立つジェットに、視線を奪われながら、ジェットの熱が、せめて、自分の躯のどこかに触れてくれないかと、思う。
 服さえ、ろくに脱がずに、触れ合うこともせずに、ただ、互いの姿を視界におさめて、慰める。
 首筋が、真っ赤になっているジェットの額に、汗が浮いているのが見えた。
 濡れているのは、そこだけではなく、ぬるりと、舌を絡ませれば、苦味が広がるのを知っていて、アルベルトは、思わず唇を開いて、舌を動かしていた。
 浅く、短い呼吸を繰り返しながら、ジェットが、ようやく顔を上げて、アルベルトを見た。
 潤んだ瞳に浮かんでいたのは、欲情よりも、もっと稚なげな、ただ、触れたいという、単純な欲求だった。
 耐えているのは、自分だけではないのだと知って、アルベルトは、ジェットを誘うために、もっと大きく、躯を揺する。
 淡い緑の瞳が、揺れ、唇を噛むのが、見えた。
 腕を伸ばせば、触れる近さに、ようやくジェットが近づいて来た。
 「さわるなよ。」
 湿った声で、威嚇するように言いながら、手の動きは止めず、アルベルトの目の前で、ジェットが、全身を硬張らせて、小さく叫んだ。
 口元とあごに、ぴちゃりと、ジェットが吐き出した。
 そむけた横顔に、また、かかる。
 ぬるりと、体温と同じ暖かさが、流れ落ちた。
 動きを止めて、ジェットを見上げた。
 汚された顔を、拭うこともせず、自分を、精一杯、威圧的に見下ろそうとしている、若い男の、上気した顔を見上げた。
 瞳に、かすかに、気圧された色が浮かび、口元が歪む。歪んで、自嘲めいた笑みに、さらにひずんだ。
 「やっと、淫売らしくなったな。」
 虚勢に違いなかった。
 それでも、自分に降りかかる、汚い言葉に、躯の奥が慄えるのを、止められない。
 シャツのボタンを外すために、ようやく、長い指が、喉元にかかる。


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