trifle -up to you-
物音と気配に気づいて、シャワーを止めないまま、シャワーカーテンを開けた。
グレートが、にやにやしながら、ドアのところに立っている姿が、目に飛び込んで来て、ハインリヒは、濡れた頭を、犬のように振ってから、にやりと、笑い返した。
裸を隠す必要のない間柄というのは、時折、失くなった羞恥を、呼び覚ます必要があるらしい。
濡れた全裸を、わざわざ晒しはしないまでも、隠さずに、ハインリヒは、開けたカーテンに手を掛けて、グレートの方へ、体を向けた。
「遅かったな。」
少し、赤くなったグレートに、そう、笑いかける。グレートが、ふふっと、首を振った。
酒の匂い。水の匂い。煙草の匂い。それから、ふたりには、馴染みの深い、ほんとうに、かすかな、ある匂い。
それに気づいたろうかと、ハインリヒは、グレートに左手を差し出して、自分の方へ招きながら、思った。
軽く酔っているらしいグレートは、あまり深くも考えずに、招きに誘われて、素直にハインリヒに腕を伸ばす。
上着も脱ぎ、もう、ゆるめたネクタイも見当たらない---ここへ戻ってからではなく、とっくに、どこかで失くしてきたのかもしれない---グレートの手を取り、ハインリヒは、笑顔を消さないまま、降り落ちるシャワーの下へ、グレートを誘う。
少し怪訝な顔つきで、それでも、何やら面白いことになりそうだと、そんな好奇心を、目元に浮かべて、グレートは、少しよろめく足元で、低いバスタブの縁をまたぐ。
抱き寄せて、抱きしめて、シャワーの下で、濡れながら、唇をまず重ねた。
背骨をたわませて、グレートを強く抱く。回した両腕に、思い切り力を込めれば、即メンテナンスが必要になるけれど、それは加減しながら、あくまで、熱い抱擁程度にとどめて、ハインリヒは、噛みつくように、グレートの舌先を奪った。
頭髪のないグレートの額は、遮るものがなく、だらだらと水を滴らせて、薄い、あるかないかほとんど見えないほどの眉で、目をよけて、湯が、頬や口元を濡らす。
湯気のこもる、小さな空間で、同じほど熱くなる、体を寄り添わせて、ふたりは、シャワーの下で、ふざけ合った。
音を立てて、接吻を繰り返しながら、水を吸って、膚に張りつくシャツはズボンの上から、グレートの体を撫でた。脱がそうとしても、グレートがいやがらないと知っていて、それでもハインリヒは、自分を試すように、焦らすように、シャツのボタンにさえ、触れずにいる。
「おまえさん、湯当たりしちまいそうだな、ハインリヒ。」
下から、今は酒の酔いばかりのせいではない赤みを見せて、グレートが見上げる。
白い湯気越しに見える、はしばみ色の瞳が、先を誘うように、潤んで見えた。
「あんたの帰りが、遅かったからな。」
正確には、答えになっていない言い方で、言い返しながら、ハインリヒは、グレートの腕を引いて、体の位置を入れ替えると、グレートの背を、濡れて滑るタイルの壁に、少し強く押しつけた。
生暖かい、剥き出しの頭皮に、唇を滑らせながら、ハインリヒは、まるで酔ったように、ささやきを滑り出す。
「酔っ払い・・・役に立つのか?」
ひどく際どい、蓮っ葉な言い方をされて、グレートは、おや、とほとんど見えない眉を吊り上げる。
ハインリヒは、少し皮肉に、唇を歪めて見せた。
「そりゃ・・・役に立つかどうかは、おまえさん次第だ。」
皮肉を薄めて、意地悪にして、グレートが、唇の端を上げる。
「酔っ払い。」
また言って、グレートの耳を噛む。
背中に回ったグレートの手を、取った。
自分の声が、どんなふうに、グレートの耳に響くのか、知っている。少し低く、細い声は、耳から首筋を通って、背骨にしみ通ってゆく。
グレートが、酔いと湯気のせいではなく、また、頬に赤みを一刷け、濃くした。
なあ、と耳に、また唇を近づける。
手首を取ったまま、少しばかり、神経を疑われそうな要求を、してみる。
「して・・・見せてくれよ。」
何をとは、グレートは聞かなかった。
口元に、憮然とした表情が浮かんで、それから消えた。
怒らせたろうかと、そう思い始めた時、グレートが、色のない唇を開いた。
「あんまり、楽しそうな、見世物でも、ないな。」
「そうか?」
即座に、薄い笑みを返す。
羞恥心は大事だけれど、卑屈になる必要はない。何しろ、生身に見えるグレートと違って、ハインリヒは、人間にすら見えない体を、今、グレートの目の前に晒している。
グレートが、その笑みを映したように、うっすらと微笑んで---苦笑めいていた---、取られた手を外すと、ズボンのベルトに手を掛けた。
流れる水の下で、ベルトの金具が、かすかに音を立てる。
下着ごと、濡れた服を下ろして、それから、グレートが、両手を添えた。
ハインリヒを見上げたままで、肩が、ゆるく動き始める。
グレートの、はしばみ色の瞳をのぞき込んで、ハインリヒは、グレートのシャツのボタンを、全部外した。
濡れたシャツに透けていた膚が、あらわになる。
ハインリヒのそれよりも、やや肌色の濃い、膚。張りも艶も、確かにハインリヒほどではないけれど、それでも、触れれば、掌に暖かく張りついてくる。
筋肉がやや衰え、柔らかさを増して、押さえれば、指が、するりと沈み込む、体。
首筋から、胸元に、そこからみぞおちへ、そして、形を変え始めた、グレートの下腹に向かって、水が滴り落ちてゆく。水の流れを目で追って、ハインリヒは、グレートの手元を凝視した。
実際に、目の前になくても、こまごまとした部分まで、すっかり覚えてしまっている、グレートの一部。
何度も、手や唇で、触れてきたから。グレートしか知らない---自分でも、よく知らない---躯の熱い内側で、形と質量を、それから、それが生み出す熱を、何度も測ってきたから。
くたりとした、普段の姿から、グレートが動かす手の中で、ハインリヒの目の前で、ゆっくりと形を変えてゆく。ハインリヒには馴染み深い、その姿に。
自分を見つめるグレートに、また、視線を戻した。
唇を引き結んで、少しばかり必死になっているのが、瞳の色で読み取れる。
過ぎる羞恥心は、卑屈さを呼び込んで、気を殺ぐだけだろうか。
ハインリヒが、近くにいない時に、グレートは、こんなことをするのだろうか。
ハインリヒが、グレートが帰ってくるほんの少し前に、ここで、そうしたように。
グレートのことを、思い出しながら、左手を使った。右手で自分に触れるのは、好きではないから。その手で触れられるのを、グレートは嫌がらないけれど、自分に触れるのは、少しだけ、怖い。
自分に触れるグレートを、思い出して、掌の柔らかさと、唇の滑らかさを思い出して、流れる水の下で、手の中に吐き出した。
目の前で、少し必死になっているグレートが、奇妙にかわいらしく、記憶の中の、いつも、穏やかに自分を導いてくれるグレートの、余裕ぶりとの差に、ハインリヒは、いきなり欲情する。
また、下目に、グレートの手元を見た。
壁についていた手を、肘まで滑らせ、もっとグレートに近づくと、その唇に、いきなり接吻した。
濡れた胸が触れ合って、グレートから、舌を絡めてきた。
ハインリヒは、左手を下に伸ばし、自分に触れた。少しだけ、体の位置をずらして、グレートと、触れ合わせる。
驚いて、軽く腰を引いたグレートを追い駆けて、指先がぶつかり、水ではない、ぬめりが、そこで混ざる。
グレートの指を取り、手探りで、自分のごと、握らせる。腰を押しつけて、促した。
張りつめた皮膚が触れ合って、グレートの熱が、少し増した気がした。
重ねた唇の間で、舌が、濡れた音を立てて絡む。絡み合っているのは、今はそこだけではなく、ハインリヒは、グレートを助けるように---ほんとうは、焦れただけだった---、グレートの手に、自分の左手を重ねた。
舌を絡めて、指を絡めて、もうひとつ、形の違う熱を絡めて、負けたのは、ハインリヒの方だった。
力の抜けた肩を、壁にぶつけるようにして、体を落とし、左手はそのまま、グレートの手の上に、残していた。
「・・・どうやら、役立たずらしい。」
自分の肩に額を乗せているハインリヒに、少しだけ、淋しそうな声で、グレートが言った。
片手を外し、喘いでいるハインリヒの背中を、なだめるように撫でて、終わりの合図を出してくる。
ハインリヒは、首を振って、また、グレートに接吻した。
「あんたが、欲しい。」
グレートが、困った顔をする。
「至極光栄な仰せだが、無理なものは、無理だ。」
目顔で、下を見るように、ハインリヒを促す。
まだ、グレートの手の中にあるそれは、すっかりおとなしくなっている。
「じゃあ、俺が、やる。」
ひどく難解な謎解きを、横からいきなり現れた、子どもにされてしまった、そんな風に、グレートはハインリヒを見つめた。
泣き笑いめいた、その表情を、真剣な顔つきで受け止めて、ハインリヒは、また、あんたが欲しいと言った。
「おまえさんは、役に立つのか。」
下に向かってあごをしゃくって、グレートが訊いた。
「それはあんた次第だ、グレート。」
自分が、意地悪く言われた台詞を、そっくりそのまま返してやる。
一本取られたグレートが、呆気に取られて、口をぽかんと開けた。
それから、唇が、苦笑いの形に変わった。
「・・・荷の勝ちすぎる役な気もするが・・・まあ、とりあえず努力してみるさ。」
くすりと笑みのもれた唇に、また、接吻する。
上唇を、柔らかく噛みながら、濡れたシャツを、やっと、グレートの肩から引き下ろした。
74fes
で、ゆうこさまが書かれた「trifle」と、同タイトルのマツヤマユキさまのイラストへの、オマージュとして。もしかして、すごい失礼かと思いつつ〜。
とりあえず、自爆しつつ、
ゆうこさま
と
マツヤマユキさま
へ、捧ぐ。
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