「あらし」 - 番外編
Vivid Yellow
少し熱があると電話で言われ、受話器を置いた瞬間に、つまらない冗談が浮かんだ。
アイスクリーム。子どもの熱冷ましにはいちばん。
くつくつと、ひとりで素晴らしい思いつきを笑いながら、バニラにしようかチョコレートにしようか、それともチョコレートチップがいいかなと、楽しく迷いながら、上着を取って、袖を通した。
床の上で交わした、不様な交わりを思い出す。服もろくに脱がず、ほとんど力づくで、その躯を押し開いた。
終わりはどうあれ、始まりは、確かに無理強いだった。
乱暴はしないでくれと言われ、それから、力を脱いた。
大きく開いた足の間に入り込み、そこから、もっと奥へ躯を繋いだ。
内側の、熱さの記憶が、体のどこかを疼かせる。
熱を出したのは、そのせいだろうかと、心の隅がちくりと痛んだ。
ドアを開けると、はにかんだような笑顔がそこに浮かんでいた。
右の、鉛色の手を伸ばし、胸に触れ、それから、唇をとらえるために、首を伸ばす。
もう、ほとんど背丈の変わらない体を押しつけられて、片手に重い、アイスクリームの大きな箱のせいで、グレートは思わず後ろによろけた。
唇が熱いのは、熱のせいなのか、それとも自分のせいなのか。問いは唇に封じ込められ、行き支う呼吸が、ゆっくりと湿る。
会いたかったと、無言で語る舌先がようやく離れると、わずかに見下ろす位置に、水色の瞳が潤んでいた。これもまた、熱のせいなのか、それとも他の何かか。
心臓が、静かに跳ね上がった。
滅多と口を開かない少年---というには、少々大人に近すぎるけれど---は、感情をすべて表情に込めて、また、物言いたげな瞳で、グレートをじっと見る。
そこから視線を反らして、グレートは、そこに含まれる色の意味に気づかないふりをしながら、抱えてきたアイスクリームの箱を、少年に指し示した。
かすかに、唇の端が上がる。
その笑みを、もっと大きな笑顔にしたくて、また、さらにいたずらを思いついて、グレートは、皿をスキップして、開けた箱に、そのままスプーンを突っ込んだ。
ふたりで、声を立てて笑いながら、アイスクリームを、箱から直接、一緒に食べる。
たまに、スプーンが触れ合い、かちんと音を立てる。
少年が、声を上げて笑う。
冷たい箱を、順番にひざの上に抱えて、ふたりは、笑いながら、チョコレートチップのアイスクリームを食べ続けた。
いいかげん、舌が白く染まり、冷たさにしびれた頃、少年は、スプーンを置いて、満足した表情で、グレートのひざに、冷たい箱を置いた。
ずっとふたりがかりで抱え込んでいたせいで、箱の周囲は少しぬるあたたかく、中身も、すっかり柔らかくなっている。
スプーンが中に入ったままで、グレートは箱のふたを閉めた。
「熱は、まだあるのか?」
そんなはずはないだろうと思いながら、訊いた。
少年は、細い銀髪を揺らして、こくこくと、小さく首を縦に折った。
額に手を伸ばし、熱を計るために触れる。
確かに、ほんの少し、熱いような気がする。けれどそれは、ふたりで散々つつき合った、アイスクリームのせいかもしれない。
まだ、深い甘みが、舌の上に残っていた。
「熱があると、こっちの手も、熱くなるのか?」
今はベッドに腰かけているグレートの目の前に立って、少年が、小首をかしげた。
金属の腕を取り、また同じ問いを繰り返す。
「この腕も、熱くなるのか。」
ひんやりと、掌に冷たい、鉛色の腕。熱くなるはずもない、機械の腕。
ふとこの手を、熱く疼く自分の体に、触れさせたいと、頭の片隅で思った。
頬に重ねると、期待した通りに冷たい。硬い膚触りは、手の中に握った、銃身に似ている。
ああ、そうかと思って、硝煙の匂いの染みついていた自分の指先を、ふと懐かしく思い出す。
冷たい掌に、口づけた。
されるままになっている少年を見上げてから、また、他愛もないいたずらを思いつく。
笑って見せてから、アイスクリームの箱を、再び開けた。
すっかり柔らかくなっている、薄黄色い砂糖と脂肪のかたまりを、スプーンですくって、グレートは少年の掌に乗せた。
熱くならないし、冷たさも感じない。
少年は、驚いて手を引き寄せようと一瞬もがいて、グレートの思いつきに思い当たったのか、くすくすと笑いながら、またおとなしくなった。
溶けかけて、なめらかになった辺りに、舌先を伸ばす。
甘く、触れる。それから、グレートは、そのまま少年の金属の掌から、アイスクリームを舌でなめ取り始めた。
犬か猫が、飼い主の手から餌をもらうように、丁寧に、その柔らかな固まりを、ゆっくりと崩して口の中へ運んだ。
少年の手首をつかみ、時折触れる舌先に、金属の、突き刺さるような味が広がる。目を閉じると、まるで、少年の肉を食らっているような、そんな錯覚に陥る。
その錯覚は、けれどあまり現実とは、そうかけ離れていないような気がした。
すっかりアイスクリームを食べてしまっても、まだ残る白い筋まで、丁寧に舐め取る。
少年が、びくりと体を震わせた。
生身の手が、白いシャツの裾を、しっかりと握りしめているのが、視界の端に映る。
何かを耐えているような表情が、上目に見えた。
水色の瞳が、もっと色を薄めて、こぼれそうに潤んでいる。
首筋の辺りに、血の色が上がっていた。
わざと音を立てて、ようやく掌を舐め終わると、少年が、細く息をもらした。
おいで、と言って、腕を引く。引き寄せると、床に膝をついて、胸に倒れ込んでくる。
抱きしめて、髪に唇を寄せる。少年の腕が背中に回り、グレートのシャツを、強く握った。
熱があるのは、一体誰なのだろうかと、グレートは思った。
髪をつかんで仰向かせ、唇を重ねる。いきなり、深く。
差し入れた舌を拒みもせず、少年は、誘われるままに、舌をうごめかせた。
甘い匂いと、舌に残る、濃厚な、獣の味。
まだ、いたずらの続きのような気さえする。
唇を外し、頭を軽く押さえると、少年は、グレートの意図を察して、自分から頭を下げ、グレートの腿の間にゆるりと手を這わせた。
右手は、使わずに。
銀色の髪が、動く。
熱があるのは、どちらだろうかと、また思った。
皮膚の内側は、いつもこんなに熱いのだろうか。包まれて、そう思った。
舌が、ゆるやかに形をなぞる。軽く歯列が当たるたび、背骨が細かく砕けるように感じた。
音も立てずに、少年がグレートをあやす。舌の上で飼い慣らし、からかうように、舌先を使う。
思わず体が動くのを止められず、グレートは喉の奥でうめいた。
声が聞きたいと、思った。
少年の体を引き上げ、必要な部分だけ、服を脱がせた。
されるままに、グレートの膝にまたがり、導かれる通りに、ゆっくりと躯を重ねに来る。
正面に向き合う形で抱き合って、少年は、眉を寄せながら、少しずつ、グレートを飲み込んだ。
肩に置かれた手が、時折、爪を立てる。片方の手には、爪はないけれど、代わりに、金属の指先が、持ち主の意志も知らずに、シャツ越しに、皮膚に食い込む。
すっかり躯を沈めてしまうと、少年は、唇を噛んで、グレートの背中にしがみついた。
動くように促すと、頬を薄く染めて、うつむいてしまった。
それでも、息を吐きながら、グレートの熱をなぞるように、ゆっくりと動き始める。
こんなことも、体が覚えているのだろうか。おそるおそる動き始め、それから、次第に浮かされたように、喉を反らして、肩を揺する。
熱い、と思いながら、グレートは、少年の腰を抱きしめた。
また、ろくに服も脱がずに---少年もまだ、シャツを身に着けたままでいた---、少年と交わっている。
まるで、すっかり裸になってしまうには、親密さと感情が、まだ足りないとでも言うように。
恐れている。心のどこかで、ほんとうに、全裸になって、少年と抱き合うのを、怖れている。
布越しに触れ合って、熱を重ねてこすり合わせ、自らを晒すことをせずに、少年にも、させずに、どこかにまだ、逃げ道をつくっている。
これは、本気ではないと、そう言い訳したがっている自分がいる。
年若い男を抱く趣味はない。だからこれは、ほんの一時の気の迷いなのだと、こんなふうに半端に交わることで、自分自身に言い聞かせようとしている。
魅かれているのだと、認めたくない自分がいる。
溺れそうになっている自分を、否定したがっている。
恋と言うには、あまりにも即物的で、非日常的で、この気持ちにつける名を、グレートはまだ持たない。
恋ではない。まだ、少なくとも、ない。
ふたりで、熱に浮かされているだけだ。甘さだけを、味わおうとしているだけだ。
躯を繋げて、自分の内側を覗かれるのが、怖かった。皮膚を重ねて見える、心の扉のその奥を、少年に明け渡すのが、恐かった。
自分の目の前で、赤く膚を染める少年を見ながら、こんなことは戯れ事に過ぎないと思いながら、同時に、誰にもこんなふうに触れさせたくないと、思う。
自分だけが、少年の、内側の熱さを知っていたいと、強烈に思う。
少年が、声をもらした。噛みしめていた唇が、緋い。その声に誘われて、狭く包む熱の中に、別の熱を解放する。
声が、また、ひときわ高い。
少年を抱いたまま、ベッドに倒れ込んだ。
自分の上に乗った少年の、汗に濡れた額を、ひどく間近に見る。
互いに息を切らせて、ふと見つめ合った後、また唇を重ねた。浅く、優しく。
まだ、舌の上に、甘みが残っている。
グレート、と少年が、呼んだ。まぶたに、息がかかった。
ゆっくりと、目を閉じ、そして開け、それから、グレートは、返事を返すように、アルベルト、と少年の名を呼んだ。
グレートと、また少年が返した。
これは恋だと、グレートは思った。
苦さと甘さが、同時に胸の中に広がる。ふとした哀しみと、喜びが、喉の奥を締めつける。
守りたいもの、失いたくはないもの、手に入れるべきではない、そんなもの。今まで、何の苦もなく、拒んできたのに。
目を閉じ、喉を反らして、少年を視界から消した。わき上がる涙を、見られたくはなかったので。
鉛色の掌が、唇に重なる。舌を伸ばし、触れると、まだ、あのアイスクリームの味がした。
熱を持たないこの手は、それでもゆるやかに、グレートの心を溶かしてゆく。
目尻を伝って、涙が一粒、こぼれた。
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