俺たち、ボグミン
-白と紫のちっちゃな物語-






 空が暗くなって、明るい太陽がなくなってしまうと、紫はいつも地面に小さな穴を掘る。その穴に爪先だけ埋めて、眠る。今は俺も、同じことをする。
 土の中は、なんとなくあたたかくて、俺はたいてい、紫に寄りかかって目を閉じる。
 暗くなると、俺たちの頭のてっぺんのはっぱは、まるで俺たちと同じように、眠っているみたいにぺろんと下にたれる。
 土から引き出された時には、ろくに見えないほどちいさかった俺のはっぱも、今は大きくなって、てのひらからはみ出すようになっていた。
 その夜は、奇妙に明るくて、俺は眠れずに、はっぱをいじりながら、隣りの紫に話しかけた。
 「なんで、土に足をつっこむんだ。」
 「土、元気くれる。土、おれたち、励ましてくれる。土、いつもおれたちにやさしい。」
 「なんでそんなことがわかるんだ。」
 土の下に埋めた爪先は、いつもほこほことあたたかくなって、元気になるのが自分でもわかる。でも、土はそれだけではないという紫に、俺はなんとなく、眠れない意趣返しに突っかかった。
 紫は、いつものように俺を見下ろして、ほんの少しだけ考え込むような顔つきになってから、また顔を上げた。
 前を向いたままで、
 「土と話す、わかる。」
 俺は、思わず地面を見下ろした。
 土と話すなんて、やっぱりへんなやつだ。土が、一体どこから声を出すっていうんだ。
 でも、と俺は思った。
 ほんとうは、へんなのは、俺の方なのかもしれない。
 そうかもしれないなと、思いながら眠った。

 朝になって目が覚めると、いつものように明るい日で、俺はまぶしさに目をこすって、隣りの紫を振り返った。
 紫は、もうとっくに地面から足を抜き出していて、俺が起きるのを待っていたらしかった。
 あくびをしながら、爪先を土から出して、まだ地面に腰を下ろしたままの紫の隣りに、ゆっくりと立ち上がる。
 大きく伸びをしようとして、それから、俺はそれに気がついた。
 紫の頭のてっぺんにあったはっぱが、なくなっている。今そこにあるのは、ピンク色の、先のやわらかくとがった、小さな---俺には、大きい---つぼみだった。
 あ、と思わず、そちらを見上げて声を出すと、紫が、不思議そうに俺を見上げて、俺の視線の先をたどってから、ああ、とうなずく。
 「つぼみ。」
 俺は、紫の声と同時に、自分の頭のてっぺんに腕を伸ばして、今はぴんと伸びかけたはっぱを、急いで探った。
 残念ながら、そこにあるのはいつものはっぱで、俺にはまだつぼみはなく、俺は、がっかりして腕を下ろす。
 もしかすると、ほんとうにへんなのは、紫ではなくて、俺の方なのかもしれないと、俺はその時、心の底から思った。
 肩を落とした俺に、紫が、
 「土から元気もらう、つぼみになる。」
 「そうだと、いいな。」
 信じていないぞと、声にむき出しにして、紫の、ピンク色のつぼみを見上げている俺に、紫は、首を折って、つぼみを差し出した。
 目の前で揺れるつぼみは、はっぱよりも、ずっと重そうに見えた。
 両手をそっと伸ばして、さわる。ひんやりと冷たくて、少しかたくて、でもてのひらにふわふわとして、そのつぼみは、土と話せるという紫が、紫だけがもらえる、褒美のような気がした。
 つぼみから、手を離しながら、紫はやっぱりへんなやつだと、俺は仕返しのように思った。




 つぼみとはっぱを揺らして、またどんどん歩いて行きながら、肩は並ばないけれど、白の足が、前よりも強く、早くなっていることに、とっくに気づいている。
 頭に揺れるはっぱも、前よりもずっと大きくなっていて、色も、前よりもずっと鮮やかに見える。
 白はけれど、そんなことには気づいてもいないのか、まだつぼみにならないはっぱを、悔しがっていることを隠さない。
 土から出た時が違うのだから、しかたないじゃないかと、そう思うのだけれど、白は、そんなことは関係ないと思っているのかもしれなかった。
 つぼみになったことが、そんなにすごいことだとは思わなかったし、それはただ、時間が経って、変わってしまっただけのことだと、そう思う。けれどふたりの成長の違いを、白はあまり快く思っていないのだと、それがほんの少し悲しかった。
 今は、めったと遅れなくなった白を見下ろして、白がこちらを見ていないのを確かめてから、うっすらと微笑む。
 いつか、こうして、一緒に歩き続けているうちに、もっと仲良くなれるのだろうかと、考えた。
 土に訊けば、そんなこともわかるのだろうか。
 白の瞳と同じ色の、高い空を見上げて、それから、このまま仲間が見つからなくても、悲しくはならないだろうと、そんな気がした。
 下で揺れる白のはっぱは、輝くようにあおあおとしていて、指でつまめば、決してちぎれずに、どこまでもやわらかく、強く、ひっぱったら怒るかもしれないけれど、さわってみたいと、不意に思う。
 そう言えば、雨に濡れた時の白のはっぱは、きらきらとしていて、とてもきれいだったと、思い出して、また雨が降らないかと、そんなことを思った。
 白が、視線に気づいたのか、いきなり上を見上げてきた。
 「なんだ?」
 「・・・なんでも、ない。」
 はっぱが、とても元気そうで、さわってみたいと思っていたのだとは、どうしてか言えずに、少しだけ口ごもる。
 首を思い切り伸ばして、見上げたままで、
 「・・・へんなやつだな。」
 白が、薄い唇をへの字に曲げて、そう言った。
 へんなやつと、言われたことに驚いて、大きく瞬きした。
 顔を前に戻して、また一生懸命歩き始めた白を見下ろしたまま、でも、別に嫌われたわけではなさそうだと、白の声と表情を思い返しながら思う。
 なんとなく楽しい気分になって、そうすると、まるで、土に元気をもらった時のように、つぼみがゆっくりと、頭の上でぴんと立った。




 野原が終わる頃、他に仲間は、まだ見つからなかったけれど、俺たちは、森を見つけた。
 俺たちふたりは、一緒に驚いて、一緒に足を止めた。
 どうしてなのか、自分ではわからず、俺は森に向かって駆け出していた。紫を放ったまま、ひとりで、森に向かって走り出していた。
 森の中から流れてくる風の中に、俺を呼ぶ声がまじっているような気がして、それが何なのか確かめたくて、俺は一生懸命走った。
 そこは、うっすらと暗くて、空気もひんやりとしていて、俺は肩をすくめて、やっと足を止めた。ずっと上には、頭にあるのと、よく似たはっぱが幾重にも重なり、そのかすかなすき間から、空から注ぐ日差しがこぼれている。地面に揺れるその光を目で追って、俺はひとりで目を細めた。
 空気の中に、かすかに聞こえる声に誘われて、俺はまた、今度はゆっくりと歩き出す。紫はやっと、俺を追って、森の入り口にたどり着いたところだった。
 探し当てたそれは、声ではなかった。森を吹く風に乗って、どこかへ飛ばされてゆく、大きな2枚の花びらが、こすれ合って立てる、やわらかな音だった。
 地面から、いくつも生えたそれは、紫よりも背が高く、巨大な花びらは、俺たちふたりをすっぽりと包む込む影を、地面に落としている。その花びらは黄色く日を透かして、とても薄く、そこから、甘い匂いがこぼれていた。
 紫は、俺の後ろから、背伸びをして、腕を伸ばして、その花びらを下に向けて引っ張った。
 花びらは、花からちぎれ取れてしまい、紫が手を離すと、そこからふわふわと、風に乗って飛び去ってゆく。
 紫は、また巨大な花を見上げ、今度は、花びらよりも丈夫そうな茎に手を掛ける。薄い緑色の茎は、くいっと曲がって、そうしてようやく、俺にも花の中が見える。
 甘い匂いは、花の中心でいっそう強く香り、大きな白い丸い頭---としか、俺には見えない---を、ぐるっと、たくさんの小さな薄茶の頭が囲んでいる。
 紫が茎を支えている間、俺は、その白い丸い頭に、くっつきそうなほど顔を近く寄せた。
 指を伸ばして触れると、湿っていて、その指を、俺は少しだけなめた。
 「・・・甘い。」
 「あまい?」
 「甘い。」
 紫が、大きな花びら越しに、ほんのちょっと首をかしげて見せる。
 俺は、もう一度、自分の指をなめた。
 その途端、ぴんと頭のはっぱが立ち上がり、何だか、体がとても大きくなったように感じた。
 俺は、掌の指全部を花の白い頭に押しつけ、それから、紫の方へ歩いて行った。
 両手で茎を押さえている紫に、濡れた指を差し出すと、紫はほんのちょっとためらった後で、俺の指をいっぺんにぱくんとなめた。
 「・・・あまい。」
 「甘い。」
 紫が、ほんの少し目を大きく見開いて、ちょっとだけうれしそうな顔を見せる。
 紫の頭のつぼみが、俺のはっぱと同じようにぴんと立ち上がって、気のせいか、色がもっと鮮やかになったように見えた。
 俺は、得意になって、指を甘くするために、また花の方へ戻って行った。




 森は、思ったほど大きくはなく、辺りが暗くなって、何も見えなくなる頃には、また別の野原へ出る辺りへたどり着いた。
 白は、ほんの少し休んだだけだと言うのに、まだまだ歩けそうに元気で、そのまま歩き続けてもよかったのだけれど、今夜は森の中で休もうと、白と一緒に、大きな木の根元に並んで腰を下ろす。
 木の幹はひんやりとしていて、けれど、そこに背中をもたせかけると、ほんわりとあたたかくなる。
 ここにも、元気があふれていると思って、どうやら、土の中に爪先を埋めなくても、大丈夫そうだった。
 たくさん歩き続けた後だというのに、まだまだこんなに元気なのは、きっとあの大きな花の、甘い水のせいに違いなかった。
 森の中には、相変わらずやわらかな風が吹き続けていて、他には誰もいないように、静かで、穏やかだった。
 眠る時には、たらんと背中にたれてくるつぼみは、前よりも少し大きくなっていて、触れると掌に硬い。細い茎が折れないかと、ほんのちょっと心配になる。
 つぼみをつついてから、目を閉じようとして、その前に、隣りの白を見下ろした。
 白は、まだ眠れないのか、上を見上げて、ごろごろと頭の後ろを、ごつごつとした木の幹にこすりつけている。頭が動くたびに、今はずいぶんと大きくなった白のはっぱが、ふらふらと揺れる。そのはっぱから、なんとなく甘い匂いがしてきたような気がして、そんなはずはないと、思わず首をかしげた。
 白は、しばらく上を眺めていたけれど、ようやくあきらめたように、小さくため息をこぼして、そっと目を閉じた。それを少しの間見守ってから、追いかけるように、眠るために目を閉じた。
 風が、音を立てて吹きすぎてゆく。ざわざわと、頭上で、木の葉が触れ合って、おそろしげに鳴る。
 土に埋まった石以外見当たらない野原で過ごす夜とは、違う。
 空気は、常に元気に満ちているけれど、夜になると、それが重く濃く、肩にのしかかってくるような気がする。
 土の中に、すっぽりと埋まっているのと、少し似ている。けれど、土の下で眠る、あの安らぎはここにはない。
 包まれ、守られているのだと思える土の中では、いつもいつも、土と言葉を交わしていたような気がする。けれどここでは、森の空気は、今は息苦しいほど重く、語りかける言葉は、宙にふわふわと浮き上がり、風にまぎれ、応えるものは、ない。
 ここは、少し違う、と思って、朝を待ち遠しいと思った。
 眠りに落ちながら、そう思うのは夢かもしれないと、そんな考えが頭のすみをかすめた。
 風はまた、少しおさまり、森は静けさを取り戻し、木の幹のあたたかさを背中に感じながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
 肩が重かったのは、こちらに寄りかかって眠る白のせいだったのだと気づくのは、朝になってからだった。




 朝、目が覚めると、空気はしめってひんやりしていて、森の中は、ぱたぱたという音に満ちていた。
 きょろきょろする俺に向かって、
 「雨。」
 紫が、夕べそこで眠りに落ちた時のまま、今は胸の前で腕を組んで、上に向かってあごをしゃくる。
 森の中では、たくさんのはっぱにさえぎられて、雨の大きなつぶは、ここまでなかなか落ちて来ない。俺は、思わず頭のはっぱに伸ばしかけた腕を、そこで止めて、また下に降ろした。
 「森の外に、行けないじゃないか。」
 「やむまで待つ。」
 紫は、そう言いながら、俺のはっぱをひどく優しくなでた。
 紫を見上げながら、今なら俺のはっぱも大きくなっていて、雨に当たっても痛くはないかもしれないと、その時思ったけれど、こうしてこのまま、ここでじっとしているのも、悪い考えではないような気がした。
 ぼんやり、木に寄りかかって、俺はずっと上ばかり見ていた。
 雨のつぶに当たって、重なり合ったはっぱが、音を立ててゆれる。そこで砕けた雨のつぶは、はっぱの重なりの間から、ふわふわとこちらに落ちてくる。濡れてしまったはっぱの上にたまった小さな雨のつぶは、また元通り、そこで大きく重くなると、つるんと滑り落ちてきて、たどり着いた地面ではねて、また小さく砕ける。
 俺は、上を見上げ、地面を見て、それを飽きずに眺めていた。
 たらんとたれた、頭のはっぱがふるえて、それと一緒に、俺も肩をふるわせる。空気だけではなくて、俺の体も、ひんやりしめっぽくなり始めていた。
 「寒い。」
 思わず口に出すと、紫が俺を見下ろして、俺も紫を見返した。
 「さむい。」
 「寒い。」
 同じことを言って、何となく見つめ合って、首に巻いた赤いひらひらでも肩に掛けてみようかと、俺が思いつくよりちょっとだけ早く、紫が俺を抱え上げた。
 どうするのかと思っていたら、そのまま俺を膝の上に乗せて、俺たちがそうやって、ずっと木に寄りかかっていたように、今度は俺が紫に、背中を乗せて、寄りかかる。
 木の幹よりもずっと、紫はあたたかかった。
 「さむくない。」
 「・・・そうだな。」
 ごろごろと、平らな紫の胸に頭のうしろをこすりつけて、寒さをそうやってしのぎながら、俺はまた、降る雨を眺め始める。
 紫の胸の奥のどこかから、とくとくとやわらかく響く音が聞こえて、俺は眠気を誘われながら、どうしてか頭のはっぱが、むずむずするのを感じていた。


    目次