戻る / index

* 54へのお題は「好きを好きと言えたら」です。3時間以内に9RTされたら書きましょう。
* RE54、ヴェネツィアにでもいると思って下さい。
* 作中のジェロニモの母語は完全捏造です。

Darlin'

 昔は、ふたりきりの時だけのことだった。照れくさそうに、ドイツ語で何やら聞き覚えのない言葉をつぶやいて、もちろんそれは即座にジェロニモの脳の中には英語に変換されて聞こえるのだけれど、ジェロニモはハインリヒの舌が直接奏でる、ドイツ語の硬い響きが好きだった。
 音楽的とは少々言いかねるし、風景をうっとりと描写するのに適した言葉には聞こえなかったけれど、それでもハインリヒの唇が音にして紡ぐそれらは、あの頃のジェロニモには、十分音楽らしく聞こえた。
 愛する人とか大切な人とか、そんな風に相手を表す言葉だった。普通は男なら女に対して、女なら男に対して使うために、きちんと相手の性別による違いがあるらしいその表現を、ジェロニモはドイツ語それそのものとして聞き取ることはできず、ハインリヒが何となく発音しづらそうに口にするそれが、本来は女が男に対して使う語彙だと知って、いやなら男から女へのそれでも構わないと、特に頓着もなく言ったのだけれど、それもまた何か違和感を拭えるわけではなかったらしく、ハインリヒの唇が、それ言う前に必ず数拍ためらいを見せるのは変わらなかった。
 時代が変わって、今では同性同士での結婚すら認められるようになって、そうなれば当然人の使う言葉も変わってゆく。男から女へ、女から男へ、そうして交わされるはずの愛の言葉──と思うたび、ジェロニモは面映ゆくなるのだけれど──も、今ではどんな間柄でも使えるように汎用性を強めて、それはもちろん悪いことではなく、けれどそのために、少しだけ、特別なふたりの間の特別な言い回し、と言う空気が薄れてしまって、それを使うことにそれほど胸の高鳴りを覚えなくなってしまったのも事実だった。
 そんなことをわざわざ口にして語ることはないにせよ、自分のそんな風な面倒くささをやれやれと思って、そして同時に、30年近い歳月の過ぎた後のハインリヒの、あれこれの煩いをさっぱりと捨て去ったような清々しい開き直りの態度を、少しばかりうらやましいとも思っている。これももちろん、誰にも言わないジェロニモのひとり思いだ。
 紙の隅に、Hと書いても頬の赤らんだ頃の、彼に送る手紙の最後に、Gとだけ書き記す時の目の奥の熱くなるざわめき、素っ気ないイニシャルに、だからこそあふれるほどこもる、様々の想い。自分をAとHで記すことはあっても、ハインリヒはジェロニモの名前は必ずきちんと書いて来た。それは彼の律儀さであり、同時に、滑るペンと一緒にジェロニモの名を呼んで、隔たる距離を一瞬でも忘れようとしていたのだと、つい止められずに手紙の中にまるで叫ぶように書いて来たのは、あれはいつだったろう。
 数限りない言葉たちと、相手の名と、それらを色々に変えた互いだけに通じる呼び方と、別に世間に流布する愛の言葉やら愛の囁きとやらに従わなくても、自分たちで考えればいい。何か思いついて、口にしてみて、好きに選べばいい。
 ハインリヒをHと呼んで、ジェロニモをGと呼んで、そのあまりに記号に徹した呼び方が互いの間では親密さの表れになるなら、それはそれでいい。極端なことを考えながら、結局はハインリヒと、きちんと呼ぶ時に自分の声の底へ流れる、何とも形容しがたい響きにジェロニモ自身よりもハインリヒが先に気づいていて、お互いそれを短く略す愛称など考えもしないほど、互いの名と、それを名乗る相手の声すら何よりいとおしいのだと、結局結論はそこへ行き着くだけだ。
 そうして何やら、互いを呼び合うたびに跳ねる心臓と付き合うのには骨が折れると思ったのかどうか、ハインリヒはやや趣旨替えをして、惚れたを惚れたと表に出すのに遠慮や斟酌はいらないと言う、今時の世の中の流れに従った方が楽と悟った──もちろんこの男だから、従うではなく、喜んで乗ってついでに茶化しもする、だ──のか、ある日突然、ジェロニモをダーリンと呼んだ。
 ドイツ語でではない、そのまま直接、ドイツ語訛りのまったくない、なめらかな英語でだ。ジェロニモはきっと何か別の言葉を聞き間違えたのだと、ハインリヒを見つめて動きを止め、ハインリヒが別の言葉を言うのを待ったけれど、
 「何だ、照れるおまえさんも可愛いもんだな。」
 いや可愛いのは私ではなく君の方だったはず──と、今は心臓ではなく人工脳の方がチタンの頭蓋骨の中で跳ね回って、ふた呼吸の後で、全身がすでに刺青だらけなのに気づいた。
 今のところはふたりきりの時に、ジェロニモをからかいたい気分の時にだけ、のようだけれど、そのうち皆の前でも口を滑らせるに違いないとジェロニモは思っている。
 だからと言ってやめろと言う気はなく、何しろ半ば冗談と分かっていても、自分を見上げてダーリンと、RとLの音を混ぜて、いちばん最後の子音を省いてNで終わらせる、異様に甘ったるいその呼び方を、ハインリヒがするたびに、ジェロニモの鋼鉄の心臓は溶けそうになるし、ハインリヒだけがこの世で自分をそんな風に呼ぶと言う特別さに、少しばかり酔ってもいる。
 もちろん今のハインリヒなら、実は自分の生徒たち全部をダーリン呼ばわりしていても驚かないと思いながら、それでも自分をそう呼ぶ時とは絶対に違うはずだと、ジェロニモには信じられた。
 それなら、と、とりあえず16拍子の連打で跳ねていた心臓が、2拍3連くらいに落ち着いた最近は、お返しに、自分もハインリヒを同じような呼び方をすればいいと考えている。
 英語ではなく、ジェロニモの母語で。今では恐らく、ジェロニモとその言葉で会話をできる人の、この世にはひとりもいないだろうジェロニモの母語で、ハインリヒを特別な人呼ばわりしてやればいい。
 ジェロニモの母語を、ハインリヒはどんな風に聞き取るのだろう。何かの唄のように思うのか、風のささやきのように聞くのか、それとも、祈りとも呪文ともつかない、音のひとつも聞き取れない音(おん)の連なりのように、その耳には届くのか。
 ジュドゥルクェゥィカゥンナ。
 世界すべてから隔てられることになっても、すべての人に後ろ指指されても、何ものにも代えがたく、世界にただひとつの宝よりも貴い、自分の命すら石粒に感じられる、とてもとても大切な人、と言うような意味だ。
 ジェロニモたちは、この言葉を習いながら、恐らく一生使うことはない、それほど重い言葉なのだと同時に言い含められた。深く愛し合う者同士すら、この言葉を口にすれば相手に蔑まれかねない、つまりは、知ってはいても使う機会などあるはずもない、それほど相手を大事に思うことを表すための言葉だった。
 この言葉のことを、忘れてはならない。けれど絶対に軽々しく使ってはいけない。この言葉にふさわしいほど大事な相手なら、口にしてその想いを汚してはいけない。相手を大切にするなら、絶対に口にはできない言葉だ。
 その矛盾ゆえに、この言葉はますます秘められて輝きを増し、ジェロニモも、忘れてはならないと言われた通りに、時々心の中でつぶやいて音の連なりを忘れまいとはしたけれど、口に出して使おうと思ったことは一度もなかった。
 つぶやくたび、思い浮かべていたのはいつもハインリヒだった。いつからそうなったのか、もう憶えてはいない。今では、ハインリヒのために、絶対に忘れてはならない言葉になってしまった。
 この世の何よりも、自分の命よりも大切な人。そんな風に表現されることを、ハインリヒは恐らく好まないだろう。ジェロニモの想いの深さを知ってはいて──それは同時に、ハインリヒ自身の想いの深さでもある──も、それをあっさりと言葉にすることの軽さを、良しとはしない男だった。
 あの言葉とハインリヒは、何となく似ている。使わないことに深い意味を持つ、言葉。使われないためにある言葉。武器であるからこそ、役に立つことに人として喜びを感じても、戦闘用サイボーグである彼にとっては常に悲しみばかりが先に立つ。使われない方がいい、役立たずである方がいい、けれど、鉄屑まがいの自分を、悲しいと思わずにはいられない。
 ダーリンと言う、恐ろしく甘ったるい、軽薄にも程がある語彙を彼が選んだのも、結局のところはそんな部分の裏返しなのだろう。
 誰もが気安く口にする言葉。砂糖菓子のように、口の中で一瞬に溶けて失くなる、甘いだけの言葉。
 錆び果てて朽ち果てて、土に還るまでに無限の時を必要とするサイボーグたちの、通い合う心を表すためには、そんな無意味さが逆に必要なのかもしれない。
 ジュドゥルクェゥィカゥンナ──この世の何にも代えがたく、大切な人。今だけ、ジェロニモは、懐かしいその言葉を声に出してつぶやいた。
 スプーンを洗っていた手元へ向かったその声は水音に紛れ、その音に紛れて、裸足の足音が後ろから近づいて来る。振り返るジェロニモへ向かって、下着だけ最小限着けたハインリヒが、乱れた短い髪を鉛色の指先でかき上げながら、
 「おはよう、ダーリン。」
 声は寝起きで少しかすれていたけれど、からかうように目元は確かに笑っている。
 ジェロニモは水を止め、濡れた手を拭き、ハインリヒの方へ大きな歩幅で歩いて行った。
 「おはよう、ダーリン。」
 ハインリヒの言い方をそのまま口移しに、けれど慣れない舌は強張って、大根役者の台詞どころでない棒読みになった。生真面目な顔もそのままだったから、面食らったハインリヒがぎょっと目を見開いて、けれど次の瞬間弾けるように笑い出す。
 「おまえさん、熱でも、あるのか。」
 熱なら、もうこの恋を自覚した時からずっとだ。ジェロニモは声に出さずに、胸の中でひとりごちた。
 笑い続けるハインリヒの両頬に手を添え、
 「──それは、私の台詞だ。」
 バカ笑いを止めるために、ハインリヒの唇を塞ぎにゆくその手前で、ダーリン、とまた棒読みで言い足した。
 その砂糖菓子のような呼び方をして、ジェロニモの頭の中には、また母語のあの言葉が流れている。大切な、とても大切な人。その言葉の重さに、押し潰されはしないだろうハインリヒだった。
 重なった唇の向こうでハインリヒはまだくつくつ笑い続けていて、それでもジェロニモの全身が刺青だらけになる頃には、両腕でジェロニモを抱きしめていた。
 濃いコーヒーの香りが漂う、卵とベーコンの焼ける匂いもじきそれに続くはずの、ふたりのいつもの朝だった。

戻る / index