Do You Swear



 空気は乾いていて、冬だというのに、体を包み込むように暖かだった。
 やはり、国境が近いせいなのか、ヒスパニック系の顔立ちが多く、ヨーロッパで聞くのとは違うスペイン語が、時折耳に入る。
 スーツケースの中は、本と着替えが半々で、いかにも旅慣れて、傷だらけのそれを、ジェロニモは黙って車まで運んでくれた。
 大きなピックアップトラックは、地味な青で、古いモデルだったけれど、丁寧に扱っているのか、走り出しても、耳障りな雑音もない。
 ハイウェイに乗って、30分も走ると、もう、大きな街は、すっかり背後に消えてしまった。
 まるで、砂漠の中の1本道を、後も先も似たような風景の中、ジェロニモとハインリヒのトラックだけが、真っ直ぐに走ってゆく。
 無言で運転するジェロニモに、ちらちらと視線を投げながら、ハインリヒは、どんな風景にも、まるで空気のように溶け込んでしまう、ジェロニモの浅黒い膚の横顔を、ここに着くまで、何度も思い浮かべていた記憶の中のそれと、ゆっくりと重ねてみる。
 乾いた、南の土地の空気の中に、それはしっくりと馴染んでいるようにも、少しだけよそよそしいようにも見えた。それでも、ここが、ジェロニモの住む場所なのだと、そう思う。
 この国の成り立ちを思えば、自分たちがサイボーグである以前に、ジェロニモが馴染んでしまえる場所は、この大陸のどこにも、ないのかもしれない。
 ジェロニモのために、それを悲しいと、ハインリヒは思った。
 砂漠の景色が切れ、次第に、左右に緑が増える。
 ちらほらと家が見え始めた頃、似たような、けれどもっと古い形のピックアップトラックとすれ違った。
 後ろの荷台には、あふれるほど子どもが乗っていて、そのどの顔も、ジェロニモと同じように、浅黒い膚の、けれど少しばかり違う顔立ちだった。
 刺青がないせいと、髪の形のせいだろうかと、どちらかと言えば、貧しく見える、その子どもたちを、車の窓から顔を出して、後ろに眺める。
 子どもたちも、色素の薄いハインリヒを、もの珍しそうに見返していた。
 「もうすぐ。」
 ジェロニモが、ぼそりと言った。


 平たく、奥に長い家は、地下も2階もなく、ハインリヒが知る限り、この国では、比較的珍しい建て方をした家だった。
 入ってすぐに居間なのは、好みの問題はあっても、珍しくはなく、その奥にキッチンがあって、居間の右側には、ドアが3つ、見えた。
 飾り気のなさは、ハインリヒのアパートメントと、そう大差はない。それに思い当たって、ハインリヒは、くすりと笑う。
 「ここ、居留地。白人、いない。」
 ネイティブ・アメリカンばかりの住む---正確には、おそらく住まわされている---場所なのかと、あの、荷台いっぱいの、同じような顔立ちの子どもたちを思い出して、ようやく合点がゆく。
 「みんな、来る、知ってる。じろじろ見る、気にしない。」
 不躾けな視線には、日本で慣れている。ベルリンの街から、突然ここへ来て、自分がおそらく、たったひとりの白人であることには、少しばかり居心地の悪さを感じるけれど、いわゆる人種差別というものは、あまり心配していなかった。
 両隣りの家とは、少なくとも数百メートルは離れているように見えたから、庭へ出たところで、誰かと会うとも思えない。
 ハインリヒは、右手の手袋を取った。
 ジェロニモが、それを眺めていたけれど、何と思ったのか、その表情からは読み取れなかった。
 運び込んだスーツケースを、また持ち上げ、ジェロニモが、いちばん玄関に近いドアに、歩いて行った。
 「ここ、部屋、好きに使う。」
 開いたドアの向こうには、簡素な調度の部屋があって、ベッドには、ジェロニモが、ギルモア邸でよく使っていた類いの織物が、ふわりとかかっていた。
 普段は使うことがない部屋なのか、人の気配があまりなく、それでも、カーテンを持ち上げた窓から、明るい外が見えて、居心地が良さそうだと思う。
 「何もない。でも、邪魔もない。」
 少しだけ、冗談めかして、ジェロニモが言った。
 ベッドに腰を下ろして、剥き出しの右手を見下ろして、ハインリヒは訊いた。
 「ここに、ずっと住んでるのか?」
 ジェロニモが、深くうなずいた。
 「いない間、誰か、来る。突然いなくなる、心配ない。」
 居留地と言っても、あまり良い印象はないけれど、知った顔ばかりの、小さな村だと思えば、確かに、急に旅立つ時には、便利なのかもしれない。
 それでも、長くいれば、サイボーグゆえに、一向に外見の変わらないことに、誰も疑問を持たないのだろうかと思った。
 ジェットも、ハインリヒ自身も、そのせいで、いつも一定の期間以上は、同じところに住めない。同じ人間たちと、ずっと関わるということもしない。
 サイボーグだと、ばれることはないのだろうかと、そう訊きたくて、今はやめた。
 今は、そんなことは、どうでもよく思えた。
 大事な友人を、訪ねているのだと思って、そして、用意された居心地の良い空間に、ハインリヒは、思わず口元がほころぶほど、感謝していた。
 ここで、ジェロニモとふたりきりなのだと、そう思った。


 キッチンで、紅茶の葉と、ティーポットのありかを教えられ---紅茶の葉を使う習慣は、ほとんどないはずだから、わざわざ、ハインリヒのために揃えてくれたに違いなかった---、手製だという、甘くないクッキーを出され、もの静かに歓待された。
 キッチンのテーブルに、向かい合って坐り、熱い紅茶をふたりですすりながら、ハインリヒが、思い出したように投げる二言三言に、ジェロニモが、静かにうなずくだけだけれど、言葉を交わすだけがおしゃべりでもなく、ふたりで分け合う静けさを、ハインリヒは、思う存分楽しんでいた。
 ハインリヒが、3杯目の紅茶を注いだ頃、ジェロニモは、空にしたカップをキッチンのシンクに置いて、そのまま、テーブルには戻って来なかった。
 「牧場行く。仕事。」
 慌てて、見送るために立ち上がって、ジェロニモの後ろをついてゆきながら、ハインリヒは、ひとり置き去りにされることに、突然不安になる。
 「ここから、遠いのか?」
 ドアで立ち止まって、ジェロニモが、ハインリヒの不安を声に聞き取ったのか、ゆっくりと振り向いた。
 笑顔で首を振って、まるで子どもに言い聞かせるように、低く言った。
 「すぐそこ。車で行く、すぐ。」
 口振りからすると、少なくとも、この居留地の中にあることは、間違いなさそうだった。
 いつか、連れて行ってくれるのだろうと思って、それ以上は聞かずに、留守番を言いつけられた子どものように、ドアから一歩、後ずさる。
 ハインリヒのその仕草を、ジェロニモが、くすりと笑ってから、音も立てずにドアを開けた。
 「暗くなる前、戻る。」
 仕事に出てゆくジェロニモを見送るというのは、何となく奇妙な気分だった。
 ひとりで本でも読もうと、そう思った時に、閉まりかけたドアの向こうで、ジェロニモがまた、振り向いた。
 「明日、いいところ、連れてゆく。」
 思わせぶりに言って、ドアが閉まった。
 聞き返そうと思ったタイミングを外され、それもジェロニモの手なのだろうと思い当たって、ハインリヒは、ひとりになった家の中で、少しの間、声を立てて笑った。
 待っていれば、ジェロニモはここに戻ってくる。
 ジェロニモの家だと、そう思った。


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