Everyone'll Let You Down
ない腕や足が痛むのは、ひどく厄介なものだった。
サイボーグの体を、生身の心のどこかが拒んでいるのか、いつもかすかにあるその痛みは、この冬は特にひどい。
寒さのせいだと、そう思おうとしながら、それだけではないのだと、ハインリヒは、心の底で知っている。
とうの昔に失った、生身の手や足だけではなく、今は、機械の手足も痛んでいる。
正確には、数ヶ月前に、戦闘中に吹き飛ばされ、新しく付け替えられた右手足と、他の体の部分との接ぎ目が、うずくように痛む。
痛みというよりも、それは、かすかな不快感に近かった。
仕事に差し障りがないのをいいことに、痛みを放ったらかしにして、日本のギルモア博士に、連絡さえ入れることはしなかった。
冬に入って、明らかに、その痛みのせいの熱が続き、それでも、仕事が忙しくて、少しばかり無茶なスケジュールで、走り回っていたせいだと、自分に言い聞かせていた。
そろそろ、そのつけが回って来たのだろうかと、また、うずく右肩を、そっと押さえる。
仕事をしばらく休もうかと、ふと思った。
日本にいて、日本にいなくても、サイボーグの仲間と一緒にいる時は、自分の異質さを、あまり意識しなくてもすむ。
生身でないのは、程度の差こそあれ、みな同じで、自分を機械として話をすることに、誰もがすっかり慣れてしまっている。けれど、普通の生活に戻れば、そこには、メンテナンスや修理という言葉を、自分の体に対して使う誰もおらず、傷ついても、流れる血のない体を隠して、生身の人間の中にひそんだ、半機械のサイボーグだと言うことを、毎日のように、いやでも思い知る。
ない手足と、ある手足の、両方の、別々の痛みに、同時に襲われながら、まるで、ひとつの体に、ふたりの自分を抱え込んでいるように、ハインリヒは、ひとり分以上の苦痛を、それでも、右から左へ受け流していた。
生身の自分---過去---と、機械の自分---今---は、この、半機械の体の中に、同時に存在して、そのせめぎ合いが、実際の痛みよりも、ハインリヒを苦しめる。
それをわかっていて、けれど、それを口にできる相手は、ここにはおらず、気温が下がるごとに深くなる痛みに、ハインリヒは、そろそろうんざりし始めていた。
日本へ行って、しばらくギルモア博士のところで、メンテナンスを兼ねて、イワンの遊び相手にでもなろうかと、冗談のように考え始めると、それがあまり、無茶な思いつきではないようにも思えて、そうなって初めて、自分が少し、気弱になっているのだと気づく。
痛みのために、気弱になっているのか、気弱になっているから、痛みがあるのか、どちらが先か、考え始めると、また、現実の腕がうずいた。
日本の冬は、ここほどは厳しくはない。雪も少ない。何より、機械の自分を、隠す必要がない。
フランソワーズとジョーを眺め、イワンの子守りをして、学会に出掛けるギルモア博士についてゆく、そんな時間も、悪くはないなと、思った。
そんなことを、本気で考え始めた頃、見透かしたように、ジェットから電話がかかってきた。
「よォ、アンタ、元気か?」
昨日、別れたばかりのようなあいさつで、はしゃいだ話しぶりのまま、何の前置きもなく、ニューヨークの話が始まる。
新しく出来たという店の話や、ジェットのアパートメントから、通りを隔てたさらに向こう側の通りに、うまいイタリアンのレストランを見つけたとか、路地裏に、猫が子どもを産んだ話や、その猫たちが消えてしまったことや、そんなことを、あちこちに話を飛ばしながら、弾むように、言葉を送ってくる。
いつもそうだ。ひとりで、言いたいことだけを、好きなように言い散らして、けれどそれに、仕方ないなと苦笑いしか浮かばないのは、やはりジェットの人柄なのかもしれない。
苦笑を浮かべながら、ジェットが話し尽くすまで付き合うと、そろりとジェットが、探りを入れてきた。
「アンタ、こっちに来ないのか。」
それが言いたくて、電話してきたのかと、またさらに、苦笑が浮かぶ。
受話器を抱えた右手が、今は珍しく痛まず、ハインリヒは、そんな自分を、現金だと思った。
日本へ行こうと思っていることを、言おうかどうかと、一瞬迷う。
行くと言えば、オレも行くと、即座に言い出すことは目に見えていて、何となく、今会いたいのは、今一緒にいたいのは、ジェットではないのだと、そう思った自分に、驚いた。
かと言って、ニューヨークへ、ジェットに会いに行く気は、もちろん今はなく、さて、それをどう伝えようかと、言葉を探す。
こうして、電話越しに話すのはかまわないくせに、実際に、ジェットに会って、こんなふうに喋り散らかされれば、気が紛れるよりも、それを鬱陶しく感じるだろうと、そんな気がした。
人恋しい自覚はあるけれど、それでも、放っておいてくれと、思う自分がいる。
わがままだと思いながら、必要な時にだけ、傍にいて、声を掛けてくれる、そんな誰かが恋しいと、ふと思った。
「ニューヨークは、寒いのか?」
「今年の冬は、厳しいぜ。雪だらけで、浮浪者が、いつもよりたくさん凍死してる。」
冬の描写に、浮浪者と凍死者が出てくるのが、いかにもニューヨークらしくて、ジェットらしくて、ハインリヒは、またくすりと苦笑をもらした。
「なあ、来ないのか?」
また、ジェットが尋いた。
声が、少しすねたように、響いた。
「・・・寒いのは、ごめんだな。」
向こう側で、ジェットが唇をとがらせた気配があった。
うそではない。路上で凍死しかねない街になど、今は行く気はなかった。
気温が下がれば、また手足が痛む。どうせなら、もっと暖かいところ---たとえば、日本---へ行った方がいい。
日本へ行くことを決めたら、急に体の調子が悪くなったことにしようと、もう、先回りして、ジェットへの言い訳を考え始めている。
騒々しい愛しさよりも、静かな距離が、今は欲しかった。
ニューヨークへは、夏にでも行けばいいさと、そう言おうとした時、ジェットが不意に、久しぶりに聞く名前を、口にする。
「寒いって言えば、ジェロニモが、馬の世話で忙しいって、手紙よこしてきた。あっちの方があったかいから、手伝いがてら、遊びに来いって言われてさ。」
滅多と喋らない、浅黒い膚の、大きな体が、目の前に、広がった。
武器を抱えた、ハインリヒの重い体を、軽々と抱き上げる、長い太い腕を、思い出した。
「行かないのか?」
「仕事がつまってて、今はムリだな。」
気乗りしなさそうに、ジェットが言う。
そうか、と思った。
陸続きの場所にいるのだと、初めて気づく。アメリカの南側は、日本と同じくらい暖かくて、雪もないのだろうか。ニューヨークへは行ったことはあっても、ジェロニモのいる南の方へまで足を伸ばしたことは、まだない。
ジェロニモのいる場所、と思った。
会いに行ってもかまわないかと、ハインリヒが出した手紙に、ジェロニモから返事が来たのは、それから、3週間後のことだった。
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