森の中で


8) ありがとう

 もうすぐ、お別れになる穴の中で、ハインリヒは、体を丸めて、手足を縮め、長い大きな耳で、小さくなった体を覆いました。
 外では、また雪が降り始め、ひゅうっと、時々、冷たい風が吹き込んで来ます。
 あくびをして、それから、ゆっくりと目を閉じました。
 どのくらい、遠くへゆくのだろうかと思いながら、その場所に、たくさん食べるものがあればいいなと思って、それから、森の中に、今はひとりで眠るジェロニモのことを、また考えました。
 雪に覆われた土の下で、もう、二度と目を覚ますことのない、ジェロニモのことを、考えました。
 あたたかかった茶色の毛は、ぱさぱさと固く、もうぬくもりもなく、濃い茶色の丸い目は、二度と開くことはなく、ジェロニモは、あのまま春を迎え、夏を迎え、また秋がやって来て、冬も過ぎてゆき、自分と同じほど、ジェロニモもひとりぼっちなのだと、ハインリヒは思いました。
 また、冷たい風が吹き込んできて、体を縮めた途端、おなかが、くうっと鳴りました。
 もう、何も残っていない穴の中で、ハインリヒは、からっぽのおなかを抱えて、寒さに震えながら、眠るために、ぎゅっと目を閉じました。


 雪に覆われた森の中を、ひとりでとぼとぼと歩きながら、あるはずもない、ブルーベリーやクランベリーを探しています。
 森の中の、一体どこへいるのかもわからず、ついにあきらめて、そこへ坐り込んでしまいました。
 おなかが空いていて、寒くて、雪が冷たくて、大きな耳で体を覆いながら、はあっと白い息を吐きます。
 まぶたが、どんどん重くなり、そこへ倒れ込んで、どうしてか、暖かな雪の中で、もう、村に帰る道もわからず、道を探す気も起こらず、ハインリヒは、眠るように目を閉じました。
 ふわふわと、暖かくて柔らかな雪にくるまれ、夢の中にいると思った途端、体が宙へ浮き、何か固い、暖かなものが、自分を抱きしめてくれました。
 なんだろうと、そう思いながら、まるでゆりかごのように、ゆらゆらと揺られるのが心地よく、ハインリヒは、そのまま、眠りの中にとどまってしまいます。
 どれほどそうしていたのか、うっすらと目を開けて、ごしごしと目をこする、前足の向こうに見えたのは、傷だらけの、茶色い毛に覆われた、ジェロニモの顔でした。
 驚いて、体を起こすと、ジェロニモが、自分を抱えて、森の中を歩いているのだとわかり、ハインリヒは前足を伸ばして、ジェロニモの首に、しがみつきました。
 「戻って来たの?」
 落ちないように、自分の体を支えてくれるジェロニモの、暖かな首筋に顔をうずめ、ハインリヒは、泣きそうな声で訊きました。
 ハインリヒの、小さな体を、いっそう強く抱きしめて、ジェロニモが、そっと首を振ります。
 「また行っちゃうの?」
 見上げたジェロニモの、濃い茶色の丸い目が、優しくハインリヒを見下ろしていました。
 ジェロニモは、何も言わず、ハインリヒを抱えて、どんどん森の中を歩いてゆきます。
 次第に、周囲が、見覚えのある、村の近くの風景に変わってきました。
 ジェロニモの、暖かな腕の中で、ハインリヒは無言のまま、時々確かめるように、前足を伸ばして、その頬や口元に触れます。そうして、ジェロニモが、確かにここにいるのだと確かめては、ふうっと、小さく息を吐きました。
 ざくざくと、雪を踏みしめる音を聞きながら、首をねじって前を見ると、村へ続く森の入り口は、もうすぐそこでした。
 「一緒に、ボクの村へゆくの?」
 ジェロニモの頬を撫でながら、訊きました。
 「おまえ、村へ帰る。」
 「ボクだけ?」
 ほんの数歩で、森の外へ出る手前で、ジェロニモが足を止めました。
 「ジェロニモは、また、行っちゃうの?」
 黙ったまま、ハインリヒを地面に下ろす前に、ジェロニモが、一度だけ、ぎゅっと抱きしめてくれました。
 自分の前に立った、大きなジェロニモを見上げて、ハインリヒは、答えてはくれないのだろうと思いながら、それでも、返事を待ちました。
 「おれ、どこにも行かない。」
 どういう意味なのかわからず、ハインリヒは、くしゃっと顔をゆがめて、また泣きそうになりました。
 ジェロニモが、大きな体を折り曲げて、雪の上に片膝をついて、間近に顔を寄せて来ました。
 額のくっつくほど近く、ハインリヒの、以前、空と同じ色だと言った瞳をのぞき込んで、ゆっくりと、深い低い声で言いました。
 「おまえとおれ、ともだち、だから、いつも一緒。」
 ハインリヒの、真っ白な胸に、ジェロニモの、茶色い前足が触れました。
 「おれ、いつもここにいる。」
 ジェロニモの触れたそこから、あたたかさが広がり、そこからゆっくりと、わき出るように、光があふれ始めました。
 柔らかく、金色がかった光に包まれながら、ふたりは見つめ合って、けれどまた、ハインリヒは、悲しさに耐えきれずに、目を伏せてしまいます。
 「でも、ボク、ひとりぼっちだよ・・・」
 金色の光に包まれたジェロニモが、ゆっくりとまた、立ち上がりました。
 一度離れた前足が、今度は、ハインリヒの頭に乗り、優しく撫でてくれました。
 「おまえ、ひとりぼっち、ない。仲間いる、赤い鳥のともだち、いる。」
 言いながら、ジェロニモの姿が、金色の光の中に、溶け込んでしまい始めます。
 驚いて、それを止めようとしても、追いかけようとしても、体が動きません。
 「でも、村を出たら、ジェットともお別れだよ!」
 叫ぶように言うと同時に、光の中に姿の消えたジェロニモの、声だけが聞こえました。
 「心配ない。」
 その声は、どうしてか慰めだけではないように聞こえ、それに戸惑いながら、ハインリヒは、まだ動かない体のまま、そこへ立ち尽くしていました。
 「・・・行かないで・・・」
 光の消えてしまったその後には、雪に覆われた森の、見慣れた風景があり、すぐ後ろには、村の入り口が見えています。
 気がつくと、左の前足の中に、クランベリーが3粒、ありました。
 真っ赤な、その実を見下ろして、
 「ジェロニモ・・・」
と呼んでも、もう、応える声も気配もありません。


 ぴくんと、騒ぎを聞きつけて、耳が立ち上がります。
 何だろうと、外から来るたくさんの声を聞きながら、ハインリヒは、ゆっくりと目を開けました。
 寒さは変わらず、けれど、もう夜は明けていて、いつもと変わらない朝のように思えるのに、穴の外では、がやがやと、村のうさぎたちが騒ぐ声が聞こえます。
 ふるふると、目を覚ますために頭を振って、ハインリヒは、起き上がって、外へ出ました。
 村の真ん中にある畑の回りに、みなが集まり、その中には、コズミさんの姿も見えます。
 どうしたんだろう。
 さくさくと、雪を踏む足音に、コズミさんが振り返りました。
 「どうしたんですか?」
 コズミさんが、白いひげを忙しく撫でながら、畑の方へ、首を振りました。
 昨日まで、雪に覆われていた畑に、その雪の中に、ちょこんと顔をのぞかせた、にんじんやきゃべつが見えました。
 村中の、畑という畑すべてに、冬の、雪の最中だというのに、にんじんときゃべつが、実っています。
 「今朝、起きたら、こうなってたんじゃが・・・」
 不思議そうに、戸惑ったように、けれどうれしさを隠せずに、コズミさんが言いました。
 ずっとおなかを空かせていた、どこかの子どものうさぎが、がまんできずに母親や父親にねだり、誰かがやっと、雪の中から、にんじんを引き抜きました。
 雪の中から現れたにんじんは、今年とれたにんじんよりも、ずっと大きくてりっぱで、それを手渡された子どものうさぎは、両手いっぱいに抱えて、思わず後ろによろけたほどでした。
 にんじんを一口かじって、子どものうさぎは、
 「おいしい。」
と、顔いっぱいの笑みで言い、それを合図に、村のうさぎたちは、こぞって畑の中に入って、にんじんやきゃべつを取り始めました。
 にんじんは、どれも大きくて長くて、きゃべつは、ひとりだけでは運べないほど丸く大きく、雪の中で、うさぎたちは、ほんとうに久しぶりに、心からの笑顔を浮かべています。
 そんなみんなを、うれしそうに眺めているコズミさんが、傍にいるハインリヒに、小さな声で言いました。
 「どうやら、ここで、このまま冬を越せそうじゃな。」
 雪の上に、どんどん集まる、見事なにんじんやきゃべつの山を見上げて、ハインリヒは、そっと森の方へ、目をやりました。
 どこかに、ジェロニモがいて、村のうさぎたちの、うれしそうな顔を見ているような気がして、ハインリヒは心の中で、何度も何度も、ありがとうと言いました。
 なんとなく、ひとりになりたくて、にんじんを1本だけもらうと、ハインリヒは、それをかじりながら、自分の穴へ戻りました。
 にんじんは、甘くておいしくて、ずっとからっぽだったおなかを、ゆっくりと満たしてくれます。
 村から離れなくていいのだと、安心して、けれどどうしても、ジェロニモのいないことが悲しくて、ハインリヒはまた、泣きそうになりました。
 自分の穴に入ろうとして、穴の入り口の右側に、小さな小さな木が、雪の中から顔をのぞかせているのを見つけました。
 風が吹けば、ぽきりと折れてしまいそうな、その小さな木には、淡い緑の葉と、真っ赤な実が揺れています。
 ハインリヒは、木の傍にしゃがみ込んで、驚きに目を見開きました。
 真っ赤な実は、3粒。
 今すぐ食べてしまえそうに、雪の中で、真っ赤に熟しています。
 クランベリーだ。
 小さなその実を、そっと撫でながら、ハインリヒはまた泣きました。けれど今度は、泣きながら、うっすらと微笑んでいました。
 春には、この小さな木も、ずっと大きくなることでしょう。
 もっとたくさん実が増えたら、森に帰って来たジェットと一緒に食べようと、そう思いました。そして、森の中で、石の下にいるジェロニモにも、たくさん持ってゆこうと思いました。
 ジェロニモが触れた、胸の辺りに前足を当てて、ハインリヒは、止まらない涙を拭わずに、口元は微笑んだまま、また、何度も何度も、ありがとうと繰り返しました。
 雪の中で、3粒の真っ赤な実が、まるでハインリヒに笑いかけるように、静かに揺れています。


        後書き↓

























 ケモノ化して書きたいな〜と思ったのは、元はと言えば、某ミュージシャンだったんですが、あらすじを話すと、当時の友人に、「そんなのおとぎ話じゃない」と一蹴りされ、長い間、ネタとしてだけ、自分の頭の中にあったえせメルヘンでした。
 オチは、元々のものとはちょっと違いますが・・・元ネタは、実はもっと救いようがなかったり(苦笑)。
 とりあえず、毎度のことながら、お付き合い、どうもありがとうございました。
 せつねー、と言っていただけて、でもって、切なくなく終わったと思うんですが、どうでしょう(いや、どうでしょうと言われても・・・)。
 思ったより長くなってしまい、 思ったより(怠慢で)時間がかかってしまいましたが、最後までお付き合い、どうもありがとうございました。
 また、バカネタ書き出したらすみません(先に謝っておく)。