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#サイボーグ009版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負@2016/7/31 / お題: 「半袖」

半袖

 自分の洗濯をしようと、洗濯室へゆく。まとめて洗わないのは効率が悪いけれど、人の汚れ物と一緒にしたくない仲間もいるから、各自洗濯は自分でと、ギルモア邸ではそんな風になっている。
 ハインリヒは一応ごそごそとあれこれのポケットの中身を全部確かめて、それなりに大事なものは裏返して、濃い色物ばかりの衣類をまとめて洗濯機の中へ放り込んだ。
 終わるまで紅茶でも淹れて、本でも読むかと、ちらりと乾燥機の方を見てから、やたらと嵩高いシャツが数枚、機械の上部分のほとんどを占領して置かれていることに気づく。
 誰かが、他の誰かの少量の洗濯を一緒にして、その分だけここに置いて行ったものかもしれない。自分の邪魔にならないかどうか確かめるために、ハインリヒはそちらへ数歩寄った。
 大きさですぐに予想のつくそれは、間違いなくジェロニモのもので、長い間着ているらしいチェックのネルのシャツは、膚に馴染んだ柔らかさを洗われても失ってはいず、襟のいちばん上のボタンだけを残して、後はきちんと前は閉じられて畳まれていた。この丁重さはきっとピュンマだ。
 ピュンマが、自分のそれと一緒に洗ったらしいジェロニモのシャツたち、そのことを考えて、ハインリヒはちくっと胸のどこかが刺されたように痛んだのを忌々しく思いながら、ネルのシャツの下の、普通のTシャツの折り目へ右の指先を伸ばして行った。
 こちらはごく普通のコットンの手触りの、これも選ぶと言う意識もないまま着続けて、すっかりジェロニモ自身の皮膚のようになって、ハインリヒはジェロニモの着ていたシャツだと考えながら、ふっくらと丸い折り目へ、人差し指の先を滑らせる。
 それだけでは足りずに、いちばん上のネルシャツを持ち上げて、その下からそのTシャツをするっと引き抜く。もう1枚下は、同じ見た目の白いシャツだった。こちらは下着のように見えたから、少し慌てて視線をずらして、ハインリヒは手に取った灰色のシャツをばさりと自分の顔の前に広げる。
 せっかく丁寧にたたまれていたのに、同じようにたたみ直せるかどうか、広げてしまってから考える。無理なら、自分ののついでのように、後でジェロニモに直接届けに行けばいい。
 すまん、取る時にうっかり落としそうになって──。
 いや、別に。
 そんな会話がすらすらと脳裏に浮かぶ。ジェロニモの、きれいに洗われたたまれたシャツを届ける、ただそれだけのことだ。同じ家に滞在していれば、そんなことは起こりがちだ。特別なわけではない。
 手渡すシャツの下で、受け取る手と触れ合うかもしれない。仲間たちといる時はほとんど剥き出しのままの、マシンガンの右手。それに不意に触れても、ジェロニモは驚きもせず、冷たさに眉を寄せることもなく、シャツの柔らかさとは対象的なその硬さを、ジェロニモはもうハインリヒの単なる一部として受け入れ切っている。
 広げたシャツは、ハインリヒの視界を全部覆ってしまった。一体こんなサイズをどこで見つけて来るのか、体が大きいと言うのは面倒なことだろう、ここでは自分すら巨人と言うのにと、ハインリヒは胸の中でひとりごちた。
 思っただけのつもりで、ぶつぶつと小声が漏れているのに気づかず、生地のやや薄くなり掛けているそれへ目を凝らして、そうして、丸い襟と袖口へ、それがシャツではないように視線を滑らせた。
 これが包む、ジェロニモの体。触れても生身と変わらない皮膚は、刃物や火にびくともせず、皮膚を少々裂いたところで、その下にはぶ厚い装甲が傷もつかずに現れるだけだ。
 ラベルを見なくても、コットン100%だろうと思われるこのシャツとは対極の、ジェロニモの体。そして、ハインリヒの体。戦闘用サイボーグの体。
 深くは考えず、勝手に腕が動いて、ハインリヒはジェロニモのシャツを自分の体に当てて、余る肩と腿の半ばへ落ちる裾と、そして着ればきっと肘を覆うだろう、半袖のはずの袖の丸みへ目を当てて、自分が着れば半袖にはならないと、冗談めかして考えて、そのままひとり笑った。
 半袖など滅多と着ないし、膚を出すのは元々好きではない。今では体を隠す理由があって、ハインリヒの鎖骨すら他人は滅多と目にはしない。
 それへ埋まるように添えられる、ジェロニモの指。首筋に触れるのは、急所を探るためではなく、そこへ手を掛けられても、恐怖も感じないハインリヒだった。
 人工皮膚で覆わないハインリヒの体へ、まるで彼自身がその皮膚であるかのように、馴染み切って寄り添って来る、ジェロニモの大きな体。
 ジェロニモの着るこのシャツのように、ハインリヒを覆って来る、ジェロニモの体。
 そのシャツを抱きしめたいと思った。抱きしめたかったのは、ほんとうはジェロニモだったけれど、今日は張大人が店の用があるとジェロニモを連れて出掛けて行って、ハインリヒはひとりきり──イワンは眠っている──だ。
 がたがたと、洗濯機が回っている。ハインリヒの分だけの衣類が、泡の立つぬるい湯の中でざばざばと泳いでいる。
 ひとりには慣れている。ひとりだから何だと、また小声が漏れていた。
 自分の紅茶は自分で淹れる。それだけのことだ。
 ハインリヒはジェロニモのシャツを返さないまま、それを手に、洗濯室を出て行こうとした。
 後でたたんで返せばいい。ただそれだけのことだ。
 自分の手が、大きく開いた襟や少し余裕のある袖口から入り込んで、ジェロニモの皮膚を探る感触を、頭の中から振り払えないまま、ハインリヒは大股に廊下を進んで階段を上がる。
 玄関のドアはしんとしたまま、誰かの出入りする気配はなく、ハインリヒはちょっとだけ唇をねじ曲げて、今から淹れるつもりの紅茶の葉選びへ、無理矢理心を飛ばす。
 ひとり分の紅茶よりも、ふたり分の方が美味い。量のせいではなく、それはそれを差し出してくれるジェロニモのせいだ。
 ジェロニモの外出を、心から忌々しく思って、ハインリヒはばさりとジェロニモのシャツを肩に掛けた。握っていた部分がすでにしわになっている。
 それについてする言い訳も思いつかず、いい気味だとシャツに八つ当たりして、しながら、前へ垂れた部分を気がつくと撫でている。
 だらりと下がった半袖の口が指先に引っ掛かった。その丸みへ、指を差し込んでぐるりと撫でて、ジェロニモの腕の円周分をそこで開いた手で表してから、空っぽの、今は主のないシャツをまた撫で、まるでお互いの孤独を分かち合うように、ハインリヒはシャツへ向かって笑い掛けた。
 「ま、いいさ。」
 意味のない、だからこそ意味深い自分のつぶやきへの、ばつ悪げな色をその苦笑に添えて、ハインリヒはジェロニモのシャツを連れにキッチンへ向かう。
 気づかず、足取りが、今は少しだけ軽い。

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