降る雪
空港でジェロニモを見つけて、30分後にはホテルの部屋に、ふたりで転げ込むように到着して、雪を心配して昨日からハインリヒが泊まっていたのは、こんなことを予想してではなかったけれど、結果としてはそういうことになった。会うのが久しぶりなのはいつものことだ。下手をすれば、間が数年開くこともある。それでも──あるいは、それゆえか──仲違いも大きなすれ違いも行き違いもなく、細々と続いているふたりの仲だった。
知り合ってからは気が遠くなるほど長いと言うのに、一緒にいる時間がひどく短いせいか、ふたりきりで会うと言えば、飽きもせずにまずは抱き合うと言うことになるけれど、こんな性急に、そんな気分になったのは初めてだ。
何かのスイッチが入った音がふたつ同時に聞こえて、欲しい、と通じ合ったのは、空港で目が合った瞬間にだった。
行こう、とハインリヒは短く言って、ジェロニモはそれにうなずいて応えただけで、部屋に入るまで交わした言葉はそれだけだった。
前泊していた部屋の鍵はすでに手の中にあったし、フロントへ顔を出す必要もなく、空港から20分と掛からないホテルの駐車場へ車を滑り込ませ、そこからほとんど脇目も振らずに、上へ上がるエレベーターへ向かった。部屋のドアを開けるまでは、それでも冷静さが残っていた。ドアを閉めてしまうと、ハインリヒの手から使ったばかりの鍵が落ち、ジェロニモも、手にしていたカバンをそこへ落とした。
靴を脱いだ──脱がせた──のはベッドの中でだった。
ジェロニモのいるアメリカの南部よりも、ここはずいぶんと寒い。雪は滅多と降らない土地からここへやって来るのに、記憶にあるよりも重ね着が増えていて、脱がすのにハインリヒは少しばかり手を焼いた。着慣れていないジェロニモも、脱ぐのに手間取っていた。
そうやって、いつもよりも手数が掛かる分だけ、ふたりの間で行き交う熱が上がる。狭い機内に、雑多な人間たちが持ち込んだ雑多な匂いが雑多に交じり合い、それが、ジェロニモが服を脱ぐたびに強くなったり弱くなったりしながら、ふたりの間の熱にあたためられて、様々なことが、わずかにいつもと違うと、いやでもハインリヒに思い知らせて来る。
今すぐ肌を合わせたいと、そう思うのに、いつもよりも数の多い服に邪魔され、いつもよりも手間と時間が掛かり、そしてそのせいで、もっと欲しくなる。今、すぐに。
必死の度合いは同じはずだったけれど、普段から慎み深いジェロニモが、途中で一度ハインリヒの手を止めようとした。
シャワーを。
長旅の疲れは隠しようもないし、疲れている分だけ、必要以上に自分が薄汚れているように感じるのは、ハインリヒにも覚えがあった。けれどハインリヒはジェロニモの手を逆に押さえて、後で一緒に、と短く遮った。こうやって自分のところへやって来たばかりのジェロニモを、今は一瞬でも離したくなかった。
無理矢理脱いだり脱がせたりした服は、ベッドの回りに乱雑に散らばり、靴は脱いだ記憶はあったけれど、どこへやったものか、その辺りには見当たらない。
ジェロニモの上に覆いかぶさって、ハインリヒはやたらと躯を揺すった。
ジェロニモの大きな掌が、躯のあちこちに触れる。今は人工皮膚をきっちりとかぶせてある腿の裏側や、腕を精一杯伸ばして、ふくらはぎから踵にまで掌が乗って来る。皮膚の下が薄い部分は、ジェロニモなら装甲のつなぎ目も辿れるだろう。
互いに遠慮も躊躇もなく触れながら、けれどわざと避けるように、勃ち上がったそれには触れない。
会えなかった時間のせいか、それによる禁欲のせいか、あるいはたまたまそうなっただけなのか、いつもよりもそれは硬く、ごつごつと互いの躯に当たる。
自分の腹や腿の付け根に、ジェロニモのそれをわざと当てて、掌や粘膜で直に触れたいのを我慢すればするほど、自分の内側が昂ぶってゆく。
それに触れる代わりのように、唇を深く重ねた。ほとんど貪るように、舌を絡め取って放さない。触れる躯の、どこもかしこも異様に熱い気がして、ジェロニモがそうなっている原因は自分だし、自分がそうなっている理由はジェロニモだと、そう思うといっそう背骨の付け根が熱くなった。
平たく重なる胸。かぶせられた皮膚の下にあるぶ厚い装甲のことを知っているのは互いだけで、生身の人間に触れるたびに、怪我をさせないかとひやりとする気遣いは、互いには必要がない。今勃ち上がっているそれも何もかも、にせものだ。けれど、それが触れ合いそのものをにせものにするわけでもなく、こうなった最初の頃は、サイボーグ同士の滑稽さにひとりでいやな笑いばかりをこぼすこともあったけれど、今では、自分にこうやって応え続けてくれているジェロニモに、心の底から感謝するばかりだ。
自分だけがこうしたいと思っているわけではないだろうし、躯は素直だと、陳腐なことを言うつもりはないけれど、それでも、今自分の躯にごつごつと音を立てそうに当たっているジェロニモのそれを下目に見て、ハインリヒは口には出さずに少しばかり安心する。
始まりが、単なる欲情だったのだとしても、今ではすっかり変質してしまったそれは、普通になら情だとか恋だとか、そんな風に呼ばれるものでもあるのだろう。
排泄だとか単なる処理だとか、いくら普段がドライな性格でも、そうきっぱりと割り切れるほど他人に対して冷淡でもなく、むしろ思い込めば人一倍情が細やかなのだと、自分のことをそう思い知らせてくれたのはジェロニモだった。
きちんと、言葉にして伝えたことはない。伝える必要はないと、そう思っていることがひとつ、それから、伝えてしまった途端、言葉がその意味を違(たが)えてしまうことに対する恐怖がひとつ、そして恐らく、伝えてしまえば自分の手元には戻せないから、いつまでも自分の手の中でだけ、その気持ちをもてあそんでいたいのだと言う、奇妙に稚ない気持ちがひとつ。ようするに、簡単に言えば、伝えてしまってジェロニモにその気持ちを強制したくない、それだけだった。
無口で無表情で、自分の意志を主張するなどしたこともないジェロニモが、これで案外と頑固──言葉が少し悪い──で、やりたくないことはまず絶対にやらないのだと、付き合いがこんな形になってから知った。だから、いくらハインリヒが誘ったところで、いやだと思えばドイツくんだりまで出掛けて来たりはしないのだと知っている。それでも、何か同情のような気持ちで自分にいやとは言わないのではないかと、そう思うのを止められない。
自分の一方的な気持ちだと思う方が気楽ではあるけれど、同時に、これは双方同じ気持ちでいるのだと、そう願う気持ちもある。
ジェロニモの、固い太腿に触れた。ようやく唇を離して、躯の位置をずらそうとした時、ふと流した視線の端に、カーテンも引かないままの大きな窓が映り、そこにちらちらとひらめく、白い影を見た。
「雪だ。」
思わず声に出すと、ジェロニモもそちらへ首をひねり、いかにも珍しそうに眉を上げる。
「・・・雪だ。」
ハインリヒが言った通りを口移しにして、そうして、ハインリヒの首の後ろに掌をそっと置き、まるで雪に触れているような仕草で、ハインリヒの後ろ髪を指先に探る。
「積もる・・・?」
少し離れた体の間に、部屋の中の空気が入り込んで、熱くなり過ぎていた皮膚の表面をそっと冷やしてゆく。それは不快でも残念でもなく、ハインリヒはようやく少し落ち着いた気分で、ジェロニモの胸に耳を寄せた。
「どうだろうな。でも多分、街が全部白く見える程度にはなる。多分。」
ジェロニモの言う積もると、ハインリヒの思う積もるには、些か違いがあるようだったけれど、ふたりはそうして抱き合ったまま、しばらくの間窓の方を眺めていた。
どんどん視界を塞いでゆく雪の量に、ハインリヒは思わず喉の奥で小さく声を立てた。
「あんまりひどくなると、車が動かせなくなる。そうしたら、どこにも行けなくなる。」
それを心配して、空港近くのこのホテルを取ったのだ。けれどジェロニモが目の前にいる今、この部屋にふたりきり閉じ込められてしまうことなど、ハインリヒにはどうでも良かった。いっそもう、飛行機すら飛ばなくなるかもしれない。ありそうもないことだからこそ、ハインリヒはわざわざそう考えた。
ハインリヒの頭の中を読んだ──そんな能力(ちから)はない、はずだ──のか、ジェロニモが苦笑のような薄い笑みを刷いて、自分を見つめているハインリヒを両腕でぎゅっと抱きしめる。
「・・・シャワーを・・・。」
ジェロニモの胸に頬を乗せ直して、
「ああ、そうだな。」
今度は素直な返事を返して、ハインリヒは、右手をジェロニモの頬に伸ばした。
それでも、ふたり一緒にすぐには動かず、降り続ける雪を見ていた。
ふたりきりの短い休暇が、始まったばかりだった。