the way i feel


(1)

 ひねったこちら側の半身は無事だったけれど、そちら側は、手足が吹き飛ばされてしまった。体は大丈夫だ。原爆を抱えている身で、そう簡単に爆発しては困るし、そう簡単には破壊されないように、丈夫に造られている体だった。
 生身ほどは痛みを感じないのも、こんな時にはサイボーグであることの利点だ。
 吹き飛ばされ、人なら、砕けた肉や骨が剥き出しに、血まみれになっているだろう右手と右足から、白い循環液がどくどくあふれている。ちぎれたコードや、黒く焦げたねじれた部品や、ふらふら揺れる防護服の切れ端や、機械にしては生々しすぎて、ハインリヒはうめくよりも先に、そこから目をそらした。
 自分の名を、次々に叫ぶ仲間たちに、心配ないと示すために、黒く汚れた顔に笑顔を浮かべる。大丈夫だ、意識ははっきりしている。けれど、このままでは、ひとりでは逃げられない。
 ようやく、うまく力の入らない体をうつ伏せにして、ハインリヒは、残った左腕と左足で這うために、肩や肘をむやみに地面にこすりつけた。
 いつの間に傍に来ていたのか、さっき、考えれば唯一自分を呼ぶ声を聞かなかったその本人が、ひどく心配そうな顔で、ハインリヒの肩に手を掛ける。
 「動くな。」
 浅黒い膚の、大きな手が、包み込むようにハインリヒの体を引き寄せる。
 「悪いな。」
 素早い、けれど丁寧な手つきで、ジェロニモはハインリヒを両腕に抱き上げて、
 「しゃべらない方がいい。舌を噛む。」
 低くそう言う表情に、心底心配げな色が浮かんでいて、ハインリヒは軽く笑って見せようと思ったタイミングを、うっかり外してしまった。
 無事に残った左腕を、自分を抱くジェロニモの厚い肩に回して、ちぎれ飛んだ右手足の分、自分の体が軽くなっていてよかったと、そんなことを考えた。いつもなら、冗談めかしてそれを口にできると思ったのに、ここから一刻も早く立ち去るために──そして、壊れてしまっているハインリヒを、一分でも早くギルモア博士の元へ連れてゆくために──走り出したジェロニモに、そんな冗談は不謹慎だという気がして、ハインリヒは、いつもよりもしっかりと唇を引き結んだ。
 落とさないように、自分をしっかりと抱きかかえているジェロニモに、ハインリヒは残った左腕で、しっかりとしがみついていた。


 ドルフィン号に戻ると、ギルモアがすぐにハインリヒの損傷を調べ始めた。
 「応急処置というわけには行かんのう・・・。」
 ひとり言めいてつぶやく声が、少しばかり深刻に聞こえて、ハインリヒは思わず苦笑を浮かべる。
 「腕も足も、直すのに少々手間がかかりそうじゃ。」
 「じゃあその間、俺はゆっくり休めるってわけですか。」
 「後のことはジョーたちがうまくやるじゃろう。君は少し無茶を控えた方が良い。」
 まだ防護服に包まれたままの左肩を、ハインリヒはギルモアに見えるようにすくめて見せた。
 特殊な刃の、サイボーグ手術用の鋏で、ギルモアが防護服を切ってゆく。本格的な修理をまだ始めないにせよ、ちぎれた手足の循環液コードくらいは何とかしなければならない。爆発に巻き込まれてあちこち焦げて裂けたハインリヒの防護服は、もう役には立たないから、ギルモアは容赦もなく切り裂いてハインリヒの体を剥き出しにした。
 「人工皮膚も全部張替えじゃな。ワシみたいな老いぼれをこき使うのは遠慮してくれんかね004。」
 もう、首を折って自分の体を見下ろす気にもならず、裂けた防護服と一緒に人工皮膚も破れてしまっているのだろうと見当をつけて、こんな時には罪悪感ばかりが浮かぶらしいギルモアの、わざと自分をナンバーで呼んだ気遣い──親身になりすぎることは、科学者としては、こんな時には特に避けなければならないことだから──に、ハインリヒは感謝もすると同時に、うっすらと憎悪も湧く。
 俺は壊れた人形だ。正しく自分のことを理解してから、ハインリヒは一度ゆっくりとまばたきをした。
 ギルモアが使っている鋏の刃先が、無事な足の方へ冷たく触れる。白くて硬いベッドの上で、動かない体を横たえて、襲ってくる眠気に、ハインリヒは逆らおうとはしなかった。
 「少し、眠ります。」
 手を止めずに、ギルモアが、ハインリヒの方へ顔を振り向けた気配があった。
 「ああ、そうしなさい。ワシはしばらく、君の腕と足の処置をすることにしよう。」
 痛覚は切っておくからと、ギルモアがそう言ったのが聞こえたのに、ハインリヒはもう返事をしなかった。
 重くなるまぶたの裏で、どうしてか、自分を心配そうに見下ろしていたジェロニモの、いつも大きく見開いたような色の深い瞳を思い出して、その瞳に映っていた、ぼろきれのような自分の姿を、確かに見たと思った。思って、舌打ちをしたような気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。


 肩を叩きながら施術室を出ると、一体いつからそこにいたのか、ジェロニモが壁に背中を寄せて、胸の前で腕を組んで立っていた。
 あごを胸元に引きつけて、目を閉じているのが、まるで立ったまま眠っているように見えた。
 「どうかしたのかね005。」
 ギルモアは、長い間ベッドに傾けていて、今は少し痛む腰を伸ばしながら、低めた声を掛けた。
 「・・・004は?」
 深みのある、耳の奥に溶け込んでゆくようなジェロニモの声が、心配そうにさらに声音を低めて、大きな体を1歩ギルモアの方へ近づけてくる。
 ギルモアは、疲れた笑みを浮かべて見せた。
 「眠っておるよ。大丈夫じゃ。心配はない。」
 ジェロニモの半分もない体で、ギルモアは、まるでジェロニモを慰めるように、安心させるように、一言一言を丁寧に置くように言った。
 「・・・直るのは、いつ。」
 珍しく、口ごもるように、やけに食い下がるのに、ギルモアは白い眉の端をちょっと下げる。
 ふむ、とちょっと下を向いて、困ったようにギルモアが言葉を探す間に、ジェロニモは何か良くない想像をしたらしかった。
 「もし、部品がないなら、おれの体を──」
 胸の辺りに大きな掌を当てて、今にも胸の前を開きそうに、厳しい顔つきをする。ギルモアは慌てて両手を前に突き出し、ジェロニモを止めるような仕草をした。
 「そういうことではない、005、キミの体を004のために使うのはかまわんが、そうなって動けなくなったキミを、一体誰が運ぶのかね。万が一004をどこかへ移動させることになったら、キミの手を借りることになる。004のことは心配ない。ちゃんと直るよ。」
 そう言いながら、今は少し艶を失くしている白いヒゲを、ギルモアは手持ち無沙汰に撫でる。ジェロニモが、まだ安堵はしてない表情で、まるで問い詰めるようにギルモアを見つめていた。
 その目に気圧されて、元々嘘や隠し事のあまり上手でないギルモアは、うっかり、ただ、と言葉を継いでしまっていた。
 「──腕と足はともかく、あちこちガタが来ておる。もう少し大事に、自分の体を扱ってはくれんかのう。生身の人間だって、ムチャをすればあちこちが傷む。サイボーグだから部品を交換すれば良いとは言っても、ひとつ取り替えてそれで済むわけではない。キミらの体は機械かもしれんが、だからこそ生身以上に注意が必要なんじゃ。」
 まるで目の前に当の本人のハインリヒがいるかのように、ギルモアの視線が、苦しげに床のどこかをさまよう。その視線をとらえることはせずに、ジェロニモは、黙ってギルモアの口元に視線を当てていた。
 「少し、長くかかるかもしれんな。」
 それが、ジェロニモの質問への答えのすべてだと言いたげに、ギルモアがもう一度疲れた表情のまま笑みを浮かべ、そうして、悲しげにジェロニモを見つめ返した。


 少し念入りに直すとしよう。ギルモアがそう言った通り、ハインリヒはギルモア邸の地下へ運び込まれたまま、ほとんど眠り続けていた。
 手足を取り替えるなら、片方だけというわけには行かず、両手足をすべて替えるなら、上半身も調整しなければならず、そうなれば下半身にもあれこれと影響する。どちらにせよ、人工皮膚は全部張り替えなければならない。確か、そんな説明だった。うつらうつらと、全身のあちこちをコードで様々な機械に繋がれて、ハインリヒはもう、日にちを数えることもやめてしまっている。
 ギルモア邸へ戻って来て1度だけ、ここまでジェロニモが、わざわざ会いに来た。
 心配そうだという表情ではなく、単に、ハインリヒをギルモアの元まで運んだ本人として、様子を見届ける義務があるとでも言いたげな、やけに律儀な様子だった。
 硬いベッドの上に寝かされて、シーツに覆われた全身は、その時すでに皮膚を剥ぎ取られていたから、体から伸びるコードはともかくも、装甲が剥き出しの体が見えなくてよかったと、ハインリヒは、ジェロニモにうっすらと笑いかけながら考えていた。
 普段から、必要がない限りは、半分は元々皮膚では覆わない体だ。それなのに、やはりその半分でもなければ、裸のように感じるのか、あるいは、あまりにも機械じみていすぎて、それはやはりひとらしい羞恥なのか、損傷の部分を見せたくないと思うよりは、機械の体を見られたくはなかった。
 気分はどうだ。
 控え目に、低い声でジェロニモが訊く。
 悪くはない。だが、早く元通りになりたいな。ここは退屈だ。
 おれたちが退屈なのは何よりだ。
 珍しく、冗談めかした口調で、ジェロニモが微笑みを浮かべた。
 寝てばかりで、腕がなまる。
 いっそ、使うことが二度となければ、いちばんいい。
 ハインリヒの、決して口にはしない本音を、まるで読み取ったように、ジェロニモが、その時だけは笑みを消して言った。
 そう目論んだわけでもなく、上と下で見つめ合う羽目になって、どうしてか、そこから視線を外すことはしなかった。ハインリヒは、自分を見下ろすジェロニモの、悲しい優しさに満ちた瞳の色を、自分への慰めだと受け取って、そうして、それを侮辱だと感じることはせずに、素直に、感謝を込めて微笑みを返す。
 仲間の誰も、抱え上げることのできない自分の重い体は、武器庫と呼ぶにふさわしく、その自分を軽々と抱き上げるジェロニモが倒れたら、運ぶのはやっぱり自分なのだろうと、今はない右の手足を、懐かしく思い出す。
 体が元通りになったら、ジェロニモが動けなくなった場合の予行練習をした方がよさそうだと、そう思って、もう一度笑った。
 ハインリヒの笑みを写したように、ジェロニモもまたうっすらと笑って、それから、そっとハインリヒの左肩に、その大きな掌を置く。
 大事にしてくれ。
 やけに親身で真剣な口調に、何を大袈裟なと、言葉にせずに笑みに表して、それでも、気遣われるのが鬱陶しくないのは、動けないせいで気が弱っているのかもしれないと、心のどこかで考えた。
 ハインリヒは、さまざまな種類の感謝を込めて、シーツの下から左手を出して、ジェロニモの掌に触った。
 右手と左手ではあったけれど、握手のつもりで握ると、あたたかなジェロニモの手が、ハインリヒの手を握り返してくる。握手とは少し違う形で、ふたりはしばらくの間、手を繋ぎ合ったままでいた。
 あの手を離すのが、何となく惜しい気がしたのがなぜかと、ハインリヒは、夢の中でずっと考え続けている。


 白い肌の人間たちを、見慣れていないわけもなかったけれど、色素の抜け切ったような姿は、母や姉が語ってくれた昔話の中にだけ出てくる、雪の化身を思わせた。
 ふわふわと、空から降ってくる。掌で受け止めれば、そこですぐに溶けてしまう、白い白い結晶。そう言われてもうまく想像はできずに、初めて雪を見た時には、思わず曇った空を見上げて、目を輝かせた。
 あの雪に、ハインリヒはどこか似ている。
 触れても、溶けてしまうわけもなく、けれど雪のはかなさが、どうしてか、ためらいもせずに敵の中へ真っ先に突っ込んでゆく背中に、重なって見える。
 何重もの装甲に覆われた、戦車のような自分の体と、実のところ変わらない体だ。銃やナイフでは傷をつけることさえできず、熱さや寒さや圧力にもびくともしない。空から降る雪を思い起こすのは、きっとあの、いつもどこか遠くを見つめているような瞳のせいだ。
 ベッドにひとり横たわり、ジェロニモは天井を見上げていた。
 眠れないわけではなかったけれど、無理に眠る気にならず、あれこれと埒もないことを考え続けて、その大半はハインリヒのことだった。
 長くなると、ギルモアがそう言った通り、ハインリヒが地下へ運び込まれて、もう随分になる。数日で姿を現すかと思っていたのに、1週間を過ぎて、すでに2週間目が終わろうとしていた。
 今回の損傷がひどかったのは、間近で見たジェロニモにもよくわかっているけれど、多分それだけではなく、あれこれと修理の必要な部分があるのだろう。
 地下の施術室で、ハインリヒは眠り続けている。何本ものコードに繋がれて、それは、BGの基地での実験室の様を思い起こさせた。あまり眺めの良いものではない。ジェロニモにとってというよりも、それを見られることを、ハインリヒが良しとはしないだろうと、そう思った。だから、施術室のハインリヒを見舞ったのは、1度きりだ。
 答えを必要とすることでもなく、あまりにも考えすぎて、ハインリヒは、きちんと直って戻ってくるだろうかと、そんな不吉な考えが、ふと頭をよぎる。
 9人の仲間から、ひとりでも欠けるということは、決して楽しい想像ではない。そこにハインリヒがいないことなど、考えられないと思った。自分がいなくなるのはかまわないがと、そう思ってから、それでも、ひとり欠けてしまった自分のことを、ハインリヒは惜しがってくれるだろうかと、珍しく、そんなことを考える。
 仲間のためには、ハインリヒの方が必要だ。それは間違いない。優劣はない。ただ、たまたまハインリヒの方が、重要な役割を常に担っているという、ただそれだけの話だ。
 武器を抱えたあの重い体は、その肩に、もっと重い責任を背負っている。今だけは、そんなことを忘れて安らかに眠っているといいと、ジェロニモは天井に向かって、小さくつぶやいていた。
 ようやく、眠るために目を閉じながら、おやすみと、ジェロニモはここにはいないハインリヒに向かって、届くはずもない声を掛ける。


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