Wake Up
ベッドが、ひどくきしんだので、床に降りて、シーツを敷いた。
その上に、体を横たえて、手足を伸ばした。
その、濃い茶色の瞳に、自分の体がどんな風に映るのか、見てみたいと、そう思った。
柔らかさはなく、皮膚すらなく、サイボーグであること、破壊のための兵器であることを、隠す術もない、体。
破壊のためであり、そして、ゆえに壊れることを宿命づけられた、体。
煙を吐く、ちぎれた手足を、痛みすらなく見下ろして、またやっちまった、と、落ちて割れた皿のように、眺める。顔の半分を吹き飛ばされ、生身なら、ふた目と見られないほどになりながら、修理が終われば、何ごともなかったかのように、元の体に修復される自分の、機械の体を、冷たく見下ろす。
自分の後ろに、そして、彼が、常にいた。
壊れた体を、軽々と抱え上げ、守りながら、運ぶ。
鉄くず同然の姿を、真っ直ぐに見て、その澄んだ目を反らさず、命を繋ぐために、運ぶ。
命。未来へ、違う形で繋がることのない、命。続いてゆくのは、繰り返し再生された、機械にまみれた、不様な体だけだ。
それでも、続いてゆくことを、定められてしまった命。それを、大きな体が、見つめ、守る。
ゆっくりと重なってくる、静かな体は、信じられないほど大きく、厚く、そして、傷痕だらけだ。
どんな人生だったのだろう。鋼鉄の体に、改造されてしまう以前、こんなふうに、痛めつけられる、一体どんな人生を送ってきたのだろう。
口数は極端に少なく、いらないことは、一切言わない。だから、知らない。
腕を回して、冷たい、マシンガンの右手を、わざと、背中に押しつけた。
誘う媚態は、わからない。こんなことが、起こるとすら、信じていなかった。剥き出しの胸を重ねて、長い手足を絡めて、ひっそりと、親密に、抱き合う。かなうと思ったことは、なかった。
闘いながら、後ろを守る気配に、実のところ、いつも甘えていた。壊れても、死ぬには至らない。そうなる前に、あの太い腕が自分を抱き止め、あの、大きく厚い、頑丈な背中で、守ってくれるのだと、知っていたから。
大きな、静かな胸に抱き寄せられて、眠るように、意識を手放しながら、いつも、安心していたのだと、そう言ったら、あの茶色の瞳は、どんな色に変わるだろうか。
欲情ではないのだと、思った。
躯を繋げて、吐き出すためではなく、もっと、親(ちか)しくなりたいのだと、決して語ってはくれない言葉を聞き取りたくて、心の奥深くに触れるために、膚を重ねたいのだと、思う。
それがたとえば、柔らかさのない、ふたつの機械の体を、醜悪に触れ合わせることだとしても、その醜悪ささえ気にならないほど、知りたいことがあった。
触れてくる、浅黒い膚。刺青の入った顔、ひどく奇妙な、その髪の形。
そのどれも、違う種の人間であったこと、そして、人よりはむしろ、自然と精霊に近く生きる、人生を歩んできたことを、表している。
馴染みのない、生き方だった。
ごくまれに、人とさえ、知覚されない種の人間であることを、悲しむ様子はない。むしろ、軽蔑の眼差しを向ける人間たち---生身の---を、澄んだ目で、見下ろし、ただじっと、見つめ返す。
そこに感情はなく、それはただ、そういうことだと、受け入れるだけの、おそろしいほどの静謐がある。
優越感にひたるために、他人を貶めることも、へつらうために、自己を卑下することもない、ただ、自分が在る、ということ。
木や、空気や、水と、それは同じように、ただ、在るだけだ。
思っていた通りの、静かな、穏やかなやり方で、触れてくる。
弾んでくる息を隠すために、唇を噛んだ。
引き結ばれた、そこにだけは、強い意志の常にある、唇を、少し乱れた仕草で、奪ってみた。
受け止めるように、応えてくれながら、なだめるように、また、手が動く。
大きく、厚い体には、いくら触れても、際限もないようで、左手の指先に、覚えている限りの体の傷痕を、必死で追い駆けて、触れさせた。
穏やかさに焦れて、体を起こし、位置を入れ替えた。
押し倒して、薄く染まった頬で、相手を見下ろしながら、闇でも見える目に映る、その無数の傷痕に、敬意を込めて、ひとつびとつ、唇を触れさせる。
小さく薄い傷も、大きく深い傷も、それをまるで、自分の、内側に隠している傷でもあるかのように、癒すために、舐める。
自分を、動物だと思って、その思いに、心のどこかが、澄んだ音を立てた。
機械ではない。機械だけれど、機械ではない。
生きている動物なのだと、自分のことを思って、じゃあ、これはきっと発情期だと、そう冗談めかして思う。
上で、かすかに笑った顔が見えたのか、下から、どうしたと、低い声が言った。
上に乗ったままで、首を振り、それから、どうしていいのかわからないまま、胸からみぞおちに顔をずらし、触れた。
躯は、静かに、反応してゆく。
思うままに、動いて、欲しいと思う気持ちを、吐き出してみたかったけれど、どうしていいのか、よくわからない。
知っているだけの知識を、総動員して、舌と唇を、使ってみた。
大きな、太い指が、信じられないほど繊細に、髪をすく。髪の先から、触れられるたびに、びりびりとしびれた。
命の息吹に、常に触れている、その、指と手。
人工皮膚のかかった辺りを選んで、その手を、自分の胸に触れさせた。
聞こえるのは、にせものの、人工心臓の鼓動だったけれど、その深い内側に宿る、心は生身のまま、ほんものだった。
大きなその掌が、撫でるように、動いた。
声を上げると、初めて、その腕が、伸びて、腰を抱き寄せた。
刺青のある頬が、みぞおちにすりつく。仕草がまるで、動物のようで、その太い首に、両手を回した。
組み敷かれて、傷だらけの肩が、目の前に、迫る。厚い胸に、のしかかられて、息を止めた。
背中に固い床は、ひどく即物的で、そそくさと体を合わせる、人目を忍ぶ恋人たちのような、そんな気になる。
人目を忍ぶ部分だけは、確かにそうだと、思って、できる限り、足を大きく開いた。
上で、動きが止まる。体が浮いて、澄んだ瞳が、また静かに見下ろしていた。
ゆっくりと、首を振るのに、目を見開いた。
「・・・必要ないこと。他にも方法、ある。」
諭すように言われて、それに向かって、首を振った。
おそらく、正しいのだろう。けれど、わかりやすい形で、互いを知りたいと思った。
「こうしたいって、言ってもか?」
思いやりだとわかるのに、無理をさせたくないと、そう言っているのだと、わかっているのに、この、自身が精霊のような、体の大きな男に、包み込まれたいと、思った。
望んだのは、自分の方だけれど、相手にも、求めて欲しいと、そう思う。無茶だとは、わかっていても。
優しさだけで、わがままを受け入れてくれようとしているのに、それを越えて、自分を押しつけようとしている。子どもっぽい、自分勝手だと知っていて、それでも、どこまで甘やかしてくれるのか、見届けたかった。
誰にも、変わらない態度で接する、この優しい男が、もしかすると、自分にだけは、他の誰も知らない貌を見せてくれるのではないかと、そう思った。
たとえば、こんな表情を。
瞳が、すっと細くなった。切なそうな、悲しそうな、珍しく憐れむような、そんな感情が、うっすらと浮いて見えた。
誰に対してなのだろうかと、背中にしがみついて、思った。
ただ、繋がるためだけに、躯を繋げる。
感覚は置き去りにして、求めても、今はまだ得られないと知っているから、ただ、ひどく親密な形で、躯を触れ合わせているのだと、それだけに満足して、繋がった形を、繋がった感触を、覚えておこうと思う。
こんなことをするには、ひどく勇気がいるから。
唇を、切れるほど、噛みしめた。痛いほど、大きく開いた脚の間で、体の重みと大きさを気にして、じっとしたまま、気配は動かない。それでも、知らずに、涙がこぼれるほど、躯の内側がきしんで、壊れそうな音を立てた。
「・・・むり・・・つらい・・・すぐやめる。」
涙を、唇で拭いながら、低く言う。
首を振って、もっと近く、体を抱き寄せた。
入り込んでくる、その奥で、行かないでくれと、声がした。
ずっと、ひとりで耐えてきた惨めさを、吐き出してしまいたかった。
自分を、醜いと思って、人ではないと思って、求められたぬくもりも、求めていたあたたかさも、すべて、拒んで来たから。
力を、破壊のためではなく、守護のために使うこの男なら、生まれながらに、人ではない扱いを受けたことのあるはずのこの男なら、醜さを剥き出しに、死神の鎌をふるうことを強いられた自分を、理解してくれるかもしれないと、そう思ったから。
茶色の瞳は、闇の中で、眺めていると、泣きたくなるほど、澄んでいた。
世の中の醜さを、拒むでなく、受け入れるでなく、ただ、在ることとして、静かに見守り続けてきた、瞳の色だった。
そこに映る、小さな自分の姿は、ゆらゆらと揺れて、ひどく心細そうに見え、けれど、その自分が、ほんとうの自分なのだと、思う。
銀色の髪を、大きな浅黒い膚の掌が、優しく撫でた。
あやすような口づけが、まぶたに降ってきて、それから、唇が、目の前で、うっすらと微笑んだ。
白い肩に顔を埋め、大きな肩が、ゆっくりと、静かに動き出す。
傷だらけの背中にしがみついて、ダンケ、と小さく言ってみた。
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