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10/15に轢き逃げに遭遇 - 2007/11/19(Mon)
 10/15午後7時ちょっと前、正確には6時52分頃、仕事場から20分、家まで15分辺りの交差点で、轢き逃げに遭った。
 高速のすぐ傍の、わりと交通量の多い場所で、青信号を自転車で漕ぎ出した瞬間、左側から赤信号を105kmで突っ込んで来た車に跳ねられて、そこから20m跳ね飛ばされた。自転車は30m飛んだらしい。
 たまたま市バスを降りた女性が事故を目撃、車はそのまま走り去って、1時間後くらいに、すぐ近くに乗り捨てられてたのを警察が発見。
 救急車がやって来て、その場でこいつを裸にして、首と頭と背中を固定。それに30分くらいかかって、それからすぐに、そこから車で数分の病院に運ばれた。
 初見では、内臓出血(破裂)、背骨や首の骨折、頭の傷はかなり重傷という見た目だったらしく、CATスキャンとレントゲン、それからあれこれ検査をされて、結局怪我は、
 
 ☆ 肋骨の右側にヒビ(これは怪我のうちには数えない)
 ☆ 恥骨(骨盤)の、右腿との関節近くに3ヶ所の骨折
 ☆ 背骨の、肩甲骨の間辺りの柔らかな組織が押し潰されてて5割減
 ☆ 顔に範囲の広い擦過傷(見た目は、やたらと爪で引っかかれたみたいな感じ。いくつか深いえぐれ)
 ☆ 両足膝下にひどい打撲と擦過傷
 ☆ 左肩から腕全体に打撲
 ☆ 頭に切り傷(縫われなかった)

 90km以上のスピードで対生身だと、まず間違いなく死亡に近いのが普通だとかで、手術もギプスも必要ない程度の怪我ですんだというのは奇跡だと、医者を含めてあらゆる人に言われた。
 路上で1度、救急室にいる間に数度ショック状態(低体温)があったようで、医者としてはそっちの方が心配だったらしい。
 目が覚めたのは翌日の早朝4時頃。何だか目の前で、人やら手やらががちゃがちゃ動いてるなあとぼんやり思ってたら、医者らしい人(覚えてないけど、アジア系だったらしい)が、
 「これから唇を縫うから、麻酔をするから。」
と言って、ああ唇に麻酔の注射なんて痛いなあ、いやだなあと考えてたのを覚えてる。実際には注射の痛みは全然記憶にない程度のもので、事故後の痛みと比べたら無痛だったと言ってもいいくらい。
 その直後に同居人がふらっと傍に現れて、車に轢かれたんだと教えてくれた。ああそうなんだ、としか思わなかった。

 事故のことは、本人は無自覚にショックだったらしく、その日自転車に乗っていたという記憶すら消し去りたかったらしくて、その日の午後から記憶がない。仕事場を出て、ドアの鍵を閉めた記憶もなく、もちろん自転車にまたがって、そこから離れた記憶もない。そして、事故の記憶も一切ない。目が覚めたら、唇を縫われて、事故に遭ったと言われて、寒さに震えてるこいつを見て、お医者さんが毛布を持って来い、早く!と看護婦さんに怒鳴って、その毛布はとても温かかったけど、重くて表面がざらざらしてて、擦り傷やら打撲やらに当たってやたらと痛かったことだけ覚えてる。
 目が覚めてからは、とにかく両足が痛くて、体は両手以外動かせなくて、何度か痛みに耐えられずに、看護婦さんを呼んだ。モルヒネを点滴で入れられた。喉が渇いてたけど、唇を動かせなくて、ストローで吸う力もなくて、スポイドみたいに、口の中に注いでもらった。
 背骨の傷をいちばん心配されて、足のどこかに麻痺がないかと、何度も訊かれた。
 午後には、Observation(観察)と呼ばれる場所に移されて、同居人の家族とか、仕事先のオーナーとか、友人とかと対面。顔が傷だらけだったのと、体が動かせないのとで、見た目はかなり悲惨だったらしい。鏡をやっと見せてもらって(家族には拒否された)、顔の傷を確認。確かに見た目はひどかった。口の中も血まみれ。これは鼻血なのか口の中の出血だったのか不明。でも、頬の内側には傷はなかったし、歯も全部揃ってた。包帯もなし、唯一、左の爪先や足首の辺りに、湿潤治療用の透明なシールが数ヶ所貼ってあるだけ。唇を2、3針縫われたのが、いちばん深い裂傷だった。結局ちょっとだけ剥がれた皮膚と、ちょっとだけ流れた血が、見た目のダメージの全部。
 そこで事故の状況を聞いて、日本で買ったばっかりだった真新しい下着も、お気に入りでまだ数えるほどしか来てなかったカーキ色のダウンのベストも、普段着で重宝してたパーカーも、全部治療のために切られて脱がされて、警察が証拠として押収したと言われた。道理で手術着の下は、まったくの裸なわけだ。
 それから、買ってから14ヶ月ほどだった自転車は、とても修理というような状態ではなく、現場で自立できた程度には原型を留めていたけれど、あちこち折れ曲がって、サドルも吹っ飛ばされて(これが恥骨骨折の原因)、もちろん証拠として警察へ。ちなみに現場での写真。
 そろそろ新しいのを買わないとなあと、そんなことを考えてた厚底のサンダルは、原形を留めていたのかどうか不明のまま、これも証拠として押収。
 2005年の帰国時に買った眼鏡は、幸いにこいつより先に地面に放り出されたらしくて、少しレンズに傷らしきものがあったのと、フレームが少しだけ歪んでたのと、それだけで破壊は免れて、警察に押収されたけど、2週間くらい後で、自転車のバッグに入れてたこいつの持ち物と一緒に、こちらに戻って来た。
 Obsevationでは少し元気になってて、わりと元気に喋りもしたし、それなりに食欲もあって、クッキー&クリームのアイスクリームが食べたいと言ったり、アイスカプチーノが欲しいと言ったり、事故にショックを受けてる周囲に比べると、死ななかったからラッキー、この程度の怪我ですんだのは、同居人の亡くなったおばあちゃんと、今年6月に死んだ実家猫のらんまるが守ってくれたからだと、こいつはずいぶんと能天気だった。
 夜8時頃に、最上階のひとり部屋へ移された。基本的に、体を動かせない人たちのいる階だったらしくて、こいつは電動ベッドの背が持ち上がる振動にさえ耐えられないくらいの痛みに、それから4日ほど泣き喚くことになった。

 何しろ入院なんて、物心ついてから初めて。期間も不明。日本の親には、日本人の友人が連絡を取ってくれて、事故直後にわざわざお見舞いに来てくれた後に、見たそのままを再度連絡してくれた。5日目くらいには痛みもやわらいで、モルヒネも必要なくなって、少しは動けるようになったからと、自分で親に電話した。やっぱり心配してたらしくて、電話の終わりには、お袋の声には涙が混じってた。
 事故2日目には、すでにリハビリの話をされ、5日目くらいには、背骨の保護のためのBraceと呼ばれる固定器具を胸周りに着けて、とにかく動けと言われた。きれいに折れてる骨折ばかりだから、心配せずに動けと言われた。無理だっつーの。
 1週間目辺りで、リハビリの人が来るようになって、無理矢理ベッドから起こされて、まず車椅子に坐る練習。これが、右足がまったく動かせなくて、立ち上がると眩暈がひどくて、さらに坐ってるととにかくお尻が痛くて、15分ともたない。それでも毎日、同じことをやらされた。とにかく坐っていられるようになりなさいと言われて、何とか必死で頑張った。でも眩暈がひどい。お尻も、死ぬかと思うほど痛い。お尻に関しては、こっちの人と比べれば、東洋人の女性の腰というのはとても肉が薄いからだという結論で、車椅子にはぶ厚いクッションを敷いてもらい、ベッドの背を立てて、そこに坐ってることもできないくらいだったので、マットレスの上にジェルのシートを敷いてもらった。それでも痛かったけどさ、マシにはなった。
 2週目には、一応ひとりで食事もできるし、助けなしで清拭もできるようにはなって、さらに歩行補助器を使って、数歩なら何とか歩けるようにもなってて、そうなると欲が出て、まだ血だらけで汚れたままの頭が気になり始める。シャワーを浴びたい。
 事故からちょうど1週間過ぎたところだったか、自力で起きられるならシャワーを浴びてもいいと、看護婦さんから許可が出る。そして導尿も取ってもらえると言われた。自力とは言っても、起きるのに手を貸してくれるんだろうと思ってたらとんでもない、そこに立った看護婦さんは、
 「自力で起きられないのなら、シャワーは無理ね。」
と、冷たく言い放ってくれた。起きたよ、必死でベッド両脇のレール掴んで、動かない足を滑らせて、必死の形相で、ひとりで起き上がったよ。ハレルヤ。看護婦さんが鬼に見えたけどありがとう。坐ったままで浴びられるシャワーへGo!
 翌日くらいに、自力で動けるようになったせいか、4階へ移される。そこは短期入院が基本の、手術前後の患者さんの階で、階の一部は、隔離病棟にもなってた。隔離が必要なわけはないし、手術もないので、実際どうして4階なのかこいつも首をひねったんだけど、こいつの担当医が外科医さんだったので、恐らく自分の身近に置いておこうということだったんだろうと思う。
 残念ながらこの階には、椅子に坐ったまま入れるシャワーの設備がなくて、入れられた4人部屋のトイレも、椅子ごと入るには少々狭くて、まだ歩けないこいつにはひどく不便なところで、挙句導尿のせいで膀胱炎を起こしてたこいつは、抗生物質を飲まされることになって、これが後々副作用でひどい目に遭う原因のひとつになった。
 入院の最初から血圧が低いということ、やたらと眩暈と失神寸前が多いことを、この段階で心配され始め、担当のお医者さんには一度も会わなかったけど、内科のお医者さんが毎日顔を出してくれるようになった。
 血圧が低いのは昔から、ストレスのせいの自律神経失調症で、子どもの頃から思春期辺りにいろいろ症状が出たけど、今は基本的には健康と言うんだけど、かかりつけのお医者さんがいないので、こいつの言うことは基本的にあまり信用されず、何だかえらい大事(おおごと)な検査をいろいろされた。心臓の病気まで疑われたよ!ストレスで熱なんか出ないとか、断言されたしな! さすが37度が平熱の国だ!
 ここで過ごすことになった入院2週目は、それでもきちんと回復してるのがわかったし、本格的に歩行器で歩くリハビリも始まって、眩暈さえなければ順調な感じだった。
 3週目、やっと再びシャワーを浴びる話になったけれど、問題はこの階ではシャワーが浴びられないこと、この階には隔離病棟があるので、他の階に行くのは少々問題があること、というわけで、看護婦さんに話をしたら、6階に交渉してみてもいいと言われた。6階に交渉しに行ったら、たまたま最初の1週間、ずっとこいつの面倒を見てくれてた看護士の人がいて、婦長に当たる人に話を通してくれ、すんなり許可が下りた。ハレルヤ!
 でもこのシャワーがまずかった。このシャワーの前週から、排便がまだきちんとないということで下剤を飲まされ始めてて、それでも効果がなくて、下剤を数種いっぺんにということになって、それでやっと事故後初めての排便があって、同じ日にまたさらに下剤を飲まされて下痢を起こして、脱水症状を起こしてたことに気づかなかった。
 38度越えの熱が、シャワーの直後から約1週間続いた。また点滴と導尿に逆戻り。胃が痛くて、水すら飲めなかった日が4日。やっと何か食べても全部吐く、食べなくても胃液を吐く、痛み止めのせいだと思うと言ったら、前述の内科の先生が、膀胱炎の抗生物質も痛み止めもやめなさいと言ってくれた。そしたら途端に、眩暈がなくなった。
 この辺りから、骨折の痛みが突然消えて、4階の廊下を、ぐるっと一回りできるようになった。足を動かすのも、ずいぶんと楽になった。
 4週目は、熱も下がって楽になって、何より食欲が戻って、1週目の終わりにはすでに転院を打診してたリハビリ施設に、一体いつ移れるのか、そればかりを気にしてた。

 4週目の木曜日、やっとリハビリの施設に転院。通ってた大学のすぐ隣りにある病院。細身のストレッチャーに移され、シーツでミイラみたいにくるまれた上から、しっかりストラップで固定されて、まるで羊たちの沈黙のあの殺人鬼みたいだと思いながら、緊急ではない救急車(?)で運ばれた。
 リハビリの病院は、明るくてきれいで、今度はふたり部屋。電話はそれぞれにある。部屋にあるトイレも広い。でも隔離病棟のある階から来たということで、検査を2種類パスするまでは部屋から出れない。部屋に出入りする人たちは、みんなマスクを着けて、手袋をして、体を覆う長袖の手術着みたいなのを着る。ああめんどくさい。
 5週目が終わる今現在、Braceはひとりで着脱できるし、自力で歩こうと思えば歩けるし、歩行器つきならかなりの距離行けるし、トイレもシャワーもひとりで大丈夫、服の脱ぎ着(下着とか靴下も含)も助けはいらない、床のものも自分で拾える、階段も監視つきなら心配なく上り下りできる、少なくとも病院と言う環境でなら、基本的にすべてのことはひとりでやれる。
 と言うわけで、週末の帰宅が許された。外ではまたいろいろと大変で、その大変なことを今から学んで、退院した時にはすでに対応できる状態になっているために、いろいろやっている最中。
 外出は2時間が限度。まめに横になって、背中の痛みをあんまり我慢しないように。ソファは案外と、坐ってるのも立ち上がるのも大変。横歩きは右足の痛みがひどい。車の乗り降りは、4回目くらいから右足の痛みが増す。寝る時は、右膝の下にクッションを入れると楽。右足が滑ってベッドから落ちると、自力で元に戻せないので、あまりそちらの端には寝ないように。左腕を使う時は気をつけて。
 まだもう少し、退院には時間がかかりそう。

 加害者について。
 32歳で前科持ち、以前にも事故で前科があるそう。警察には、非常に悪い意味で有名な家族のひとりだそうで。
 今回の轢き逃げでは、それぞれ10年求刑されるだろう罪状がふたつ、事故の時には別件で保釈中で免停中で保険もなくて、さらに友人に偽のアリバイを頼んだというおまけつき、現在刑務所で裁判待ちという状態。こいつが証人として呼ばれるかどうか知らないけれど、とりあえず裁判が始まったら、あちらの弁護士が何を言うのか、ぜひ聞きたい。
 こいつの自転車もすごい有様だったけど、彼の車も相当なダメージだったらしい。よくやった自転車。105kmの勢いをほとんど引き受けた形になって、こいつを救ってくれた自転車、どうもありがとう。警察から万が一面会を許してもらえたら、ぜひ直接お礼を言いたい。
 彼の家族の悪名のせいか、こいつの個人名はきっちり伏せられて、新聞で一面を飾る、ローカル外でもニュースになるという不名誉にも関わらず、年齢と自転車だったという情報以外は一切流れなかった。もちろん、彼の家族だとか知人だとかいう人たちが、こいつと連絡を取ろうとした形跡は、一切ない。逆恨みがないようでありがたいと思うか、謝罪もなしかと憤慨すべきか。
 こいつが死ななかったということで、過失致死にはならない彼は、とても幸運だと思う。彼が轢いたのが、お年寄りとか妊婦さんとか子どもとかでなくて、彼は幸運だったと思う。彼はそうは思ってないだろうけれど、こいつと同じくらいに、彼も運が良かったことは間違いない。

 事故の記憶がないせいで、死んでも気づかなかったなあと、何だかしみじみと思った。最初に心配したのが、まあ日本への連絡とサイトのことだったっていうのは半分笑い話で。
 死ぬというのは、わりと簡単にあっさりと起り得る、痛みの心配すら必要ないかもしれないのだと、身を持って知った。苦痛のない死というのを、ある意味常に夢見てるこいつには、ひどく驚いた発見だった。だから今日をきちんと生きようってのは、まあ今さらわざわざ思うことでもないけれど。
 事故前と事故後の自分が、もう同じ人間でないのだという自覚(思い込み?)はあるらしくて、病院で見る夢では、いつも事故後の自分だった。
 背骨の組織が5割減というのは、もう一生このままだし、足も顔も、ひどくはないけれど傷跡だらけだし、打撲は今もアザのまま、脚の筋肉がずいぶんと落ちた。個人ではなくて、入院患者という個性のない存在として扱われるということで、少々削げてしまった尊厳というものもある。一時的とは言え、いわゆる健常者ではないという状態になって、それがどれほど不便で大変なことか、そういう状態で普通に生きている人たちのバイタリティの凄さとか、そういうことは身に染みた。事故は一応トラウマになってるらしくて、車に乗って外に出るのは少々怖い。まだ事故現場には行ってない。自転車に乗れるようになるには、まだまだ時間がかかる。入院中に、何度か悪夢も見た。これから忙しくなるクリスマス前に、仕事はもちろん休職。ほとんど寝たきりで過ごしたひと月だった。
 事故後の自分という、傷跡だらけの自分に、慣れるだけという問題だとは思う。それには、思ったよりも時間が掛かりそうだと、今は思う。

 多分11月中には、リハビリも一段落して、完全に退院できると思う。完治はまだまだ先だろうけれど、ひとまず普通の生活には、近い内に戻れると思う。
 仕事に戻れるのは春先か。1月には両親がこっちに会いに来てくれる予定。その頃には、歩行器なしで普通に歩けるようになってたい。
 退院直後は、同居人のお母さんのところへしばらくいる予定。自宅の階段が不安なので。猫たちとの生活は、もう少しお預け。今のところ、そんな日々。
 
らんまるという猫がいた - 2007/08/02(Thu)
 太陽を浴びない時間が長くなったせいか、鬱が悪化して、シャレにならない状態に陥ってた95年の終わりから96年の初め、少しでもマシな状態になるために、猫の世話でもするしかないかなーなんて、そんな軽口を叩いてた、96年の春先だった。
 我ながらひどい状態にうんざりして、現実逃避のために、久しぶりに長期の日本滞在をお袋に打診したら、あっさりいいわよと言われて、喜び勇んで飛行機に乗ったのが4月の終わり。9月の新学期まで戻らない、久しぶりの長期休暇としゃれ込んだ、そんな状況だった。
 日本ではGWの始まり、そろそろ暑くなり始めの頃、バイト先へ自転車で走る路上に、大きなゴミを見つけたのは、確か散髪屋さんと喫茶店の前。
 誰だよこんなデカいゴミ放置したのはーと、ペダルを止めて顔をしかめたのを覚えてる。近づいて、それがゴミではなくて、汚れた子猫だとわかった背後で、中学生だか小学生だか、数人がちゃがちゃ近づいてくるのが聞こえた。
 近づいても、逃げる様子もない。このまま放っておいたら、目の前の道路に出て行くか、お店の人に見つかって保健所送りになるか、今近づいてくる子どもたちに何かされるかも、あれこれ一瞬のうちに考えて、結局、自転車のカゴの中に、その猫を取り上げて入れた。そのままバイト先へ走った。
 前の年に、バイトの上司が猫を拾って飼い始めたというのを知っていたので、あわよくば彼女に押し付けようという算段だった。
 片手に乗る大きさしかない子猫は、鳴いても声も出なくて、目は汚れてぐちゃぐちゃにつぶれたままで、ほんとうに憐れな姿だった。
 上司は、薄汚れた子猫を抱いて現れたこいつの思惑を先読みしたのか、
 「獣医さんに連れて行かないと。連れて帰るのに箱がいるわね。」
と、さっさと押し付けられないように、あれこれとこいつのために世話を焼いてくれた。この段階で、うわーどーしよーと、後に引けずにちょっと青くなるこいつ。
 財布には、お袋からもらった4千円。野良子猫だし、もしかしたら請求に手心を加えてもらえるかもと、拾ったものをまた捨てるわけにも行かず、上司が教えてくれた獣医さんに、すぐ電話を入れた。
 「野良猫拾っちゃったんです。見てもらえますか。」
 「じゃあ、すぐ連れて来て下さい。」
 面倒見の良い先生だと聞いたのは、後で猫絡みで親しくなった、バイト先関係の別の知人からだった。
 色黒の、丸四角い顔をした男の先生。獣医は生まれて初めてのこいつ。銀色の診察台の上で、何だかおとなしい子猫。
 「目、大丈夫ですか。」
 「治ればね、ちゃんと開くから。ひどい風邪だね、これは。」
 「母親に捨てられたんでしょうか。」
 こんな子猫を、誰かが捨てるとは思えなくてそう言ったら、先生は言下に否定した。
 「母猫は子ども捨てたりしないよ。」
 優しそうな先生が、その時だけ、厳しい顔になった。
 衰弱が心配だから、ブドウ糖を打っておこうと言って、小さな注射が出て来る。かわいそうな子猫を押さえて、ちょっと怯えてるのに声を掛けながら、大丈夫だから大丈夫だからと、主に自分に言い聞かせてた。
 「ちょっと元気になったみたいに見えるかもしれないけど、それはブドウ糖のせいだから。」
 先生が笑いながら言った。
 受付で、子猫の名前を聞かれて、いや捨猫拾っただけなんでと言ったら、看護婦さん(?)に笑われた。
 「・・・すいません、今手持ちが4千円しかなくて・・・残りは後でもいいですか。」
 よくあることなのか、特に困惑と言う反応もなく、いいですよーとあっさり言われ、3千円だけ払った後で見たら、請求書の初診料のところが2重線で消されて、合計が安くなってた。ありがたやありがたや。
 先生がそう言った通り、診察が終わってバイト先に戻ってみたら、まあ動く動く。路上でさっきまで死に掛けてたのは演技だったのかよ!と言うくらい、何だこの元気なの。
 でも目がつぶれてるせいで、無残な見かけは相変わらず。もらった目に塗る薬を、嫌がられながらさっそくぬりぬり。元気になれよ。

 夕方遅く、家に帰る。
 こいつが抱えた箱を見て、お袋が怖い顔で、玄関で、
 「何それ。」
 「・・・猫。」
 親父が2階から降りてくる。
 「そんなものどうする気だ。」
 でもなぜか、そのまま捨てて来いとは言わず、2階に戻ってしまう親父。母親も、勝手にしなさいと言っただけで、奥に引っ込んでしまった。
 とりあえず、仮の宿の了解は得たということかと、ちょっと安心して、自分の部屋もすでにないこいつは、本棚ばかりの部屋へ、猫と一緒に閉じこもる。
 小さな箱を持ってきて、いらないタオルを敷いて、牛乳パックの下の部分を切り取って、即席の皿を作る。猫に食べさせられるものはないし、財布の残高は0に等しいので、今夜はミルクだけで我慢してもらう。ごめんよ甲斐性のない拾い主で。
 とりあえずミルクは飲んだ。粗相をされると困るので、一晩つききりのつもりになる。抱えて帰った箱には、汚されても心の痛まないこいつのシャツを入れて、匂いがあれば安心してくれるかと、そんなことを思う。
 数年前に、初めての同居猫(ホームステイ先の)を撮るために買ったカメラで、写真を撮りまくる。何しろこんな子猫が手元にいるなんて、そんな機会は滅多とない。
 元気になれよと思いながら、あれこれ里親探しのことを考える。まあ何とかなるさと、案外元気そうな子猫を見て、ちょっと安心した。
 一晩過ぎれば、目も少し開いて、ずいぶん元気になって、部屋から出てちょこちょこうろつくようになる。
 「飼い主見つかるまでだから。」
と本気で言って、ついでに、獣医さんの支払いがまだ残ってることと、猫のゴハンを買いたいことを伝えて、お袋のちょっと厳しい顔にひたすら頭を下げて、何だか鬱のことなんか、すっかり忘れてた。
 そのまま3日、目は汚れてはいるけれどすっかり開いて、毛並みもまあまあそれなりになって、薄汚れた感じはずいぶんなくなった頃、でもまだウンチもオシッコも出ない。ゴハンちゃんと食べてるのに、全然そんな様子がない。
 さすがに心配になって、獣医さんに電話をした。
 「すいません、この間の捨て猫、全然ウンチとかオシッコとかないんですけど。」
 「ああそう、えーとね・・・」
 猫の様子だのを詳しく聞こうとしてくれる獣医さんに、こいつは半分涙目であれこれ説明してて、その前を、肝心の本人はうろちょろ元気にうろついて、ふっと目の前の床をふんふん嗅いで、ちょこんとおしりを落としたと思ったら、ちーっとやらかしてくれた。
 でっかい水たまり。さすが数日分だ。
 「・・・すいません、たった今オシッコしてくれました。」
 向こうで大笑いする獣医さん。あーもー恥ずかしいー!とか言いながら、どこ吹く風の子猫を避けて、オシッコの水たまりをきれいにするこいつ。でもうれしかったなあ。
 ところで子猫は、拾われた翌日には、理由も何もなく、単なるこいつの直感で、"らんまる"という仮名を与えられてて、お袋も特にそれに異議を申し立てるわけではなく、足元をうろちょろする小さな毛玉を、すでに愛しげに眺め始めていた。
 親父の方は、早くどうにかしろということも言わず、とりあえずらんまるを邪魔扱いしつつも、追い出そうとはまったくしなかった。
 お袋が後で言ったところによると、最初の夜に追い出せと言わなかった段階で、すでに飼うということには同意したに等しかったということらしい。
 結局、憐れな薄汚れた子猫の、あまりの可愛さに、うちの親たちは最初からメロメロだったってことか。
 それでもしばらくは、飼い主を探すと言う話は、きちんとこいつの中では本気だった。
 運悪くGW中、まだ仮宿という状態にも関わらず、こいつは泊まりの出張が入って、らんまるを置いて出掛けることになり、不本意ながらお袋に世話を頼むことになり、お袋はこいつに怒りつつ、ちゃんと面倒を見てくれると言った。
 驚いたことに、こいつが出張から戻って来た時には、お袋の手でトイレの躾もできてしまっていて、1度、親たちが昼間出掛けた間に粗相はあったものの、それを笑い話として語るお袋の顔は、間違いなく母親の顔だった。
 厳しく優しく、らんまるはお袋に躾けられ、それを見ながらこいつは、自分もこうやって育てられたんだなあと、言葉には出さずに、お袋(と親父)に、深く深く感謝してた。
 らんまるはお袋が大好きで、そして親父のことも大好きだった。
 わかりやすく愛情を表すと言うことを、基本的には一切しない親父が、らんまるを邪険に扱いながらも、膝に乗られてもそのまま、傍に寄り添われてもそのまま、おもちゃを投げて遊んでやったり、何気ない仕草を笑ったり、親父も丸くなったなあと、こいつはただただ驚くばかり。
 結局、夏の終わりに、こいつは本気でらんまるをこっちに連れて戻るつもりでいたのに、
 「いや、置いて行っていいから。うちにいるから。」
というお袋の一言で終了。らんまるは、めでたく親たちの飼い猫となった。
 こいつは、思い出深い夏が終わり、らんまるに後ろ髪引かれながら、ひとり大学に戻った。
 らんまるは元気?というのが、しばらくは電話での会話の大半で、拾った時には体重450g、推定2ヶ月(でも後で考えたら、まだ1ヶ月くらいだったのかも)だったらんまるが、すっかりふわふわの成猫になり、躾の行き届いた、ご近所に恥ずかしくないりっぱな飼い猫になっているというのを、お袋が送ってくれた写真を眺めながら、ひとりにまにまするこいつ。
 らんまるに救われたなあと、ほんとうに、心の底から思った。

 軟禁生活の約8年間、らんまるに会いたくて会いたくて、こいつのこと覚えてるかなと、そればかり訊いてたような気がする。
 病気らしい病気もなく、海苔に目がなく、お袋が飲み終わった後に丸めた薬包紙に目がなく、親父が朝食に用意したメザシを、テーブルから盗んで行って叱られたとか、友達がくれたキーホルダーのマスコットを気に入って、あちこちに連れ回してるとか、相変わらず親父と仲良くしてるとか、そうして、いつの間にか拾ってから10年が過ぎ、このまま順調に行ったら、親たちとの同居生活は、らんまるの方が長くなるなあと、高校で家を出されたこいつが、思い始めたこの頃だった。
 ほんとうに、賢い猫だった。少々利かん気なところもあったし、やんちゃで手を焼いた時期もあったけど、子猫の頃から聞き分けのいい、ほんとに手の掛からない猫だった。
 季節のいい頃には、夜のパトロールの後に、ベランダにぽつんといて、それを親父が寝る前に迎えにゆく。親父に抱かれて、たまには冗談で、頭を下に逆さに抱かれて、家の中に連れ戻される。冗談は好きでも、それをわざわざ態度に表すということはしない親父の、珍しい仕草だった。らんまるも、それをわかっていて、おとなしく親父に抱かれてた。
 親が、こいつが高校の頃から住んでた家を出て、老後の住処にとマンションを飼い、一応ペット禁という建前のために、外歩きは禁止され、人の出入りがある時はケージに入れられた。それでも、それなりに、居心地良く暮らしてたように見えてた、らしい。
 でもやっぱり、ストレスだったんだろうな。
 しばらく前に肺炎をやらかして、危ない状態だったけど、獣医さんのおかげできちんと完治し、やれやれと思ってたところに、急性糖尿病の発作。
 エサを食べなくなって、お風呂場に横たわって、動かずにぜえぜえ息をしてたのを、お袋は一晩ずっと傍にいたらしい。
 入院して、大丈夫でしょうとは、今回は言ってもらえず、その夜そのまま息を引き取った。6月27日のことだった。

 11年とちょっと。今時の猫の寿命として、決して長い方ではなかったにせよ、外猫として気ままに暮らし、それなりに緑の多い環境(すでに過去形になるけど)で、賢く他の猫とは争わず、適当に親たちに甘やかされ、けれどきちんと躾けられて、不満がなかったわけではないだろうけど、らんまるは幸せだったと思う。
 あの時、あのまま路上に放置してたら、その日中に死んでたかもしれない。どうしてあの時、らんまるを拾う気になったのか。鬱でなかったら、財布に4千円なかったら、上司がすでに猫を拾ってなかったら、あの時ほんの少し違う時間に家を出てたら、らんまるとは縁がなかったかもしれない。
 らんまるは、確かにあの時のこいつを救ってくれた。らんまるのおかげで、ほんとうに楽しく過ごせた4ヶ月だった。
 拾った時には死に掛けてたように見えたくせに、ほとんど世話に手間も掛からない猫だった。死んだ時だって、思わず、「ほんとうに手の掛からない猫だった」と、お袋と思わずつぶやき合った。
 放浪中のひどい風邪でやられた目は、結局涙腺が一部壊れた状態のまま、特にこれと言って不都合はないけど、いつも目を潤ませて、くるんとした大きな目で人を見上げる猫だった。
 らんまるは、こいつに拾われるためではなくて、こいつを救うために、あの日あの時、あの場所にいたんだろう。そして、きっと、こいつよりも親と長く過ごせば、こいつがやきもち焼くと見通して、逝ってしまったんだろう。らんまるは、そういう猫だった。そんな気遣いをするだろうと、思わせてくれる猫だった。
 出会ってくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。愛させてくれてありがとう。ほんとうにほんとうに、ありがとう。
 わざわざ口にするような親父じゃないけど、きっと多分、らんまるがいなくなったことを、誰よりも淋しく思ってると思う。
 親たちが、どんなふうにこいつに対して愛情を表現してくれてるのか、わかりやすく見せてくれたのがらんまるだった。一緒には暮らさない親子同士、ある種の照れと距離のせいで、なかなか素直になれないこいつらのために、間に立って、いろんなものを見せてくれた。らんまる、どうもありがとう。
 生まれて来てくれて、ありがとう。あの時まで、生き延びてくれてて、ありがとう。あの場所にいてくれて、ありがとう。こいつと一緒に来てくれて、ありがとう。我が家に、耐えない笑い声を運んで来てくれて、ありがとう。親に感謝するチャンスを与えてくれて、ありがとう。あの人たちが、どれほどの愛情をこいつに注いでくれてたか、間接的に見せてくれて、ありがとう。あの人たちが、生来持ってる、でもなかなか素直には表現できない優しさを注げる対象になってくれて、ありがとう。人という生きものとの同居は、いろいろ息苦しいこともあったと思うけど、家出もなく、不満を表すような素振りもなく、ありがとう。親父がたまに短気を起こしてたらしいけど、それでも親父を好きでいてくれて、ありがとう。あの人が、ほんとうはとても優しい人なんだということを、自覚させてくれて、ありがとう。
 一緒に生きてくれて、ありがとう。
 ありがとう。ありがとう。ありがとう。100万回言っても足らないけど、ほんとうにどうもありがとう、らんまる。
 もし毛皮を替えて生まれ変わってくるなら、できたらこいつのところにして欲しいな。先客が6人いるけど、きっと大丈夫。一応一軒家で、一応裏庭もあるから。猫じゃないなら、何でもいいから、こいつのところに現れて欲しいな。ありがとうって、できたら直接言いたいから。
 もう一度、会いたかった。こいつを救ってくれて、ありがとう。今もきっと、こいつのことを心配そうに見てるんだろうな。妹分のくせに、年上みたいなところのあるらんまるだったから。
 こいつが逝ったら、その時覚えててくれるかな。先に逝ったCoalとは、もう出会ったかな。Layneには声掛けてくれたかな。
 また出会いたい。今度は、数ヶ月だけじゃなくて、もっとずっと一緒にいたいな。
 らんまる、ほんとにほんとに、どうもありがとう。ゆっくり休んで下さい。おやすみ。
 
見たらすぐやるバトン - 2006/08/13(Sun)
回って来たのでひとまず答えてみる。


【見たらすぐやるバトン】

■ステータス
HN: みの字
年齢: 言わぬが花
職業: 雑貨に個人の名前刺繍して売ってる会社の下っ端新米雑用係
病気: AちゃんS、ある種のやかましい系音楽、アニメとマンガ
口癖: Eh?
【靴のサイズ】 22か22.5、でも25cmくらいのでかいのが履くのは好き
【兄弟】 いない

■好きなもの
【色】 緑、オレンジ
【番号】 4と5
【動物】 猫、抱けるサイズの柔らかい動物
【飲みもの】 ミルクたっぷりの紅茶、韓国製柚子茶、麦茶
【本】 瀬戸内晴美、黒岩重吾、一部のハードボイルド、スティーブン・キング
【花】 いぬふぐり

■質問
【髪染めてる?】 No
【髪の毛巻いてる?】 No
【タトゥーしてる?】 No
【ピアス開けてる?】 右にふたつ
【カンニングしたことある??】 ある、かな
【お酒飲む?タバコ吸う?】 滅多と飲まない、喫わない
【ジェットコースター好き?】 スピード恐怖症
【どこかに引っ越しできたらな〜と思う?】 ロンドンかベルリンか北欧のどこか、あるいは日本の東京近郊か実家の近く
【もっとピアスあけたい?】 舌とか憧れないでもない
【掃除好き?】 人の家なら好き
【ウェブカメラ持ってる?】 No
【運転の仕方知ってる?】 免許取りかけたから動かせるけど、駐車できない
【コンピューターから離れられる?】 大丈夫
【殴り合いのケンカしたことある?】 そんなこともあったな
【犯罪犯したことある?】 普通程度には
【お水/ホストに見間違えられたことある?】 Yes
【嘘ついたことある?】 ないわけはないな
【誰かを愛したことある?】 ・・・あるかな。現実的に生身かどうかはともかく
【友達とキスしたことある?】 あるある、友達というのは言い訳
【誰かの心をもてあそんだことある?】 あった・・・うっかりで、悪かったと思ってる
【人を利用したことある?】 利用の定義をもうちょっとはっきり・・・
【使われたことは?】 しょっちゅう、現在進行形
【何かを盗んだことある?】 ・・・普通程度に
【拳銃を手にしたことある?】 ある、あまりのことに記憶がすっ飛んでるけど

■今現在
【今着てる服】 Tシャツとぴらぴらの短パン
【今のムード】 ネットでリラックス
【今のテイスト】 ケニアのロイヤルミルクティー
【今のにおい】 猫のにおい
【今の髪型】 伸ばしっ放し、外出時はバンダナで上げてる
【今やりたいこと】 帰国してみんなに会いたい
【今聞いてるCD】 Color/Red
【一番最近読んだ本】 ブルー・ダイアモンド/瀬戸内晴美
【一番最近見た映画】 ロード・オブ・ザ・リング三部作
【一番最後に食べたもの】 お豆腐
【一番最後に電話でしゃべった人】 トロントの友達Aさん
【ドラッグ使ったんは?】 マ○○ァナ(日本でね)
【地球のほかの惑星にも人類がいると思う?】 いると思う、笑われてるかも
【初恋覚えてる?】 覚えてるけど、男と女どっち?
【まだ好き?】 女の子の方は今もよく考えるな、会いたいと思う
【新聞読む?】 Yes
【ゲイやビアンのともだちはいる?】 Yes
【奇跡を信じる?】 Yes
【成績いい?】 成績は、良かった
【帽子かぶる?】 サッカー帽大好きだった、今はバンダナ
【自己嫌悪する?】 そんなもんしょっ中、でも昔よりマシ
【なんかに依存してる?】 いっぱい、楽しく、してる
【親友いる?】 難しい言葉だけど、いると思ってる
【身近に感じられる友達いる?】 Yes、物理的距離は考えないことにして
【自分の字すき?】 大っきらい
【見た目気にする?】 気にした方がいいんだろうなと人を見て思うけど実行する気は全然ない
【一目ぼれって信じる?】 信じるけど、実際に起こると後で気づくから、一目惚れって自覚がない
【ビビビ!を信じる?】 何それ?
【思わせぶりははげしい方?】 何それ?
【シャイすぎて一歩を踏み出せない?】 うん、それですごく大変なことが多いと思う

■自分のこと
【よく物思いにふける】 妄想は人生の糧
【自分は性格悪いと思う?】 悪いというか・・・どうでもいい人には、はっきりそういう態度を隠さない
【いやみっぽい?】 嫌味も皮肉も通じない人が多いので・・・
【天使?】 猫は天使だね
【悪魔?】 悪魔でもあるね、連中は
【シャイ?】 Yes
【よくしゃべる?】 楽しい人には途切れなく、迷惑なくらい、多分 
【疲れた?】 Not yet

まー、持って行って答えてやると言う奇特な方、いたら名乗り上げよろしく(笑)。
 
鬱と恋と死体 - 2005/02/16(Wed)
 淋しかったり切なかったり人恋しかったり、2月の半ばは冬の真ん中で、軽く鬱を挑発する。
 あとひと月もすれば、こんな気分はすっかり忘れて、またへらへらしているのだろうなと思う今日この頃。
 死にたがり病が少し顔を覗かせていて、アメリカの暴力映画(苦笑)を見ながら、柘榴みたいにはじけた、自分の頭を想像する。死体の後始末が大変だよなあと冷静に考えて、そんな死体を、身元確認させられる人たちにも激しく迷惑だなあと、へらへら笑いながら思う。
 信頼なく、過保護に育てられてしまった人間と、信頼があるからこそ放置され、けれどきっちりと庇護されていた人間と、結局人生が噛み合うわけもなく、それでも何とかほころびを繋ぎ合わせて、けれど終わりなく続くそんな作業に、近頃疲れ果ててもいる。
 猫の方が、よほど人を見る目は確かだ。先に逝ったCoalに、しょーもねーヤツと、嘲笑われているような気がする。

 Whitesnakeの、「Is This Love?」をリピートで。
 アルバムとはまったく違う当時のメンバー、Adrian VandenbergとVivian Campbellに夢中で、東京と横浜で6回くらい見たのか。よくわからない英語の歌詞を、必死に覚えて一緒に歌った。
 David Coverdaleに、3日間だけ恋をして、Neil Murrayはその後Vow Wowで再会して、至上のベーシストになった。
 John Sykesは、今も大好きなギタリストのひとり。Blue Murderも大好きだったんだけどな。今どうしてるんだろう。
 この曲は、歌詞も声もメロディーラインも、ギターのリフもベースラインも、ドラムの音もギターソロも、何もかもが切ない。
 あの頃、この曲だけを60分テープに入れて、そのテープを、ウォークマンに入れっ放しにして、何万回聞いたのか、自分でもよくわからない。好きで好きで、聴くたびに切なくて、あの頃、一体どんな恋をしていたのか、相手の顔も状況もきっちり思い浮かぶけれど、自分のこととして、この悲しいラブソングを聴いていたわけではなかったりもする。
 誰と誰が、どんな恋をしていると思って、ひとりで切ながっていたのか、それはともかく(苦笑)。
 今聴いても、同じ切なさが甦る。
 今は、誰と誰の恋を思い浮かべているのかは、内緒で(笑)。
 少なくとも、自分のことではない。恋に縁のない今は、こんな切ない曲を聴いても、自分の胸は痛まない。むしろ、恋をしていないからこそ、いっそうこの曲が、切ないのかもしれない。
 泣くほど、生身の誰かを好きだとか、その人と一緒にいたいとか、離れていると死にそうにつらいとか、思い出せる感覚はあるけれど、今その状況には、自分はいない。
 恋の機会もなければ、あったところでそれは一応ご法度なわけで、人を恋うることが、今とても懐かしい。欲しいとは思わないけれど、あってもいいとも思っているわけではないけれど、人を恋うることのできるだけの心の余裕というのか、瑞々しさというのか、そういうのが、とても懐かしい。
 最後に生身の恋をしたのは、いつだったろうかと、ある人の顔を思い浮かべる。
 今、どこにいるのかは知らない。何をしているのかも定かではないけれど、ここにこうしている限り、いつかまたここに戻ってくるのかもしれないと、ぼんやりと思う。
 指先が触れることだけに、24時間を費やせる、そんな想いだった。
 恋をすることが許されないというのは、恋することを忘れてしまっている自分への、ただの言い訳なのだろうか。

 恋するというのは、自分の幸福を夢見ること。
 愛するということは、相手の幸せを願うこと。
 夢を見るには少しばかりすれすぎてて、愛というものは、もう信じられなくなっている。
 生身の恋は、もうないかもしれない。生身の人間は、自分の思い通りにはならないから、時々、とてもめんどくさくて、怖い。
 恋するよりも、恋というものを、掌に乗せて眺めている方が楽しそうな気がする。別々の存在が、魅かれ合って、関わり合おうとするそれを、ただ眺めていたい。そこから生まれる、悲しみや切なさや暖かさを、外側の視線で、眺めていたい。
 恋をするにも、それなりの資格はいるわけで。それなりに可愛いとか、それなりに気に入られようと努力できるとか、それなりにそれなりであるとか。それなりにさえ疲れてしまっているから、それなりになる努力さえ、今は鬱陶しい。
 生身の恋をする資格は、だからない。

 Jerryに恋をしている。もうずっと、長い間。間に、Layneを置いて。
 Layneがいなければ、多分ずっと前に風化してしまっているに違いない想いだけれど。

 誰かを愛することが、いつかできるんだろうか。恋らしきものは、昔いくつもしたけれど、生身の誰かを愛したことが、あったのだろうか。
 恋愛が、対人でしか語れないのなら、誰かを愛したことはないと、言ってしまうしかないんだろうな。
 愛って何だろう。求めても求めても、どこにもないような気がする。
 すべての人に手に入れるチャンスはあるにせよ、そのチャンスが見つかるかどうかすら怪しい。必要ない気もするし、けれど、せめて知ってはみたいとも思う。
 愛って何だろう。愛って、一体、何なんだろう。
 恋愛は、するものではなくて、眺めているもの。そんな気がする。自分でするには、資格が足りない。

 恋する気分を、再生する。「Is This Love?」をリピートするように。
 会いたい誰かがいるのは、きっと幸せなことだ。
 一緒にいたい誰かがいるのは、とても幸せなことだ。
 そんな幸せを、生身で味わいたいと思いつつ、でもちょっと資格が足りない(笑)。
 誰かのする恋を、眺めていたい。その人の感じる、ぬくもりや淋しさや切なさを、想像して、自分も恋をしているのだと、わざと勘違いするのが、今はいちばん平和かもしれない。
 恋をしたいわけではなくて、ただ、恋という存在が、恋しい。
 人を恋うることができるのは、きっと、人が人らしいという、あかしでもあると思うので。
 恋をする資格がないなら、いっそ、人をやめて猫になって、優しい誰かに飼われたいと思うのは、恋の変形なのだろうか。
 「Is This Love?」のギターソロを、自分で弾いてみたいと、何となく思った。弾けないけどさ。
 2月の鬱は、3月には終わるだろう。きっと。自分の死体を想像して、世間への迷惑を思い知ろう。死体は恋をしないし。多分。
 
Coal, My Buddy - 2004/12/03(Fri)
 1998年の10月5日、午後になったばかりの路上で、Coalに出会った。
 足元にまとわりつく、やけに人なつっこい黒猫。可愛らしい声で鳴いて、2階にある、目の前のアパートメントに、振り返り振り返り上がって行ったら、後ろを着いて来た。
 そのアパートメントに越して来たのはその年の初め。前の住人が外の猫を招き入れてたのか、引っ越してすぐ、見知らぬ猫が2匹、別々の時にいきなり入って来て、数時間くつろいで帰って行った、そんな場所だった。
 だから、その黒猫が我が家に入って来て、ためらいもせずにくつろいでしまったことに、さして驚きもしなかった。
 貧乏生活の中、人間が食べるのに少し困ってた頃、猫にあげられる何もなく、ミルクを出して、黒猫を歓待してみた。
 午後中、まったく外へ出る素振りも見せず、夜になって玄関の外で一緒にくつろいでいると、同居人が仕事の初日から帰宅。階段を上がる大男の足音に驚いたのか、黒猫は怯えたように飛びすさって、そのまま階段を駆け下りて行ってしまった。
 「脅かしちゃったじゃんか。」
 そう言うと、同居人は、黒猫が消えた方を眺めて、微笑んだ。
 翌日、階段の下にドライフードと水を発見して、どうやらあの黒猫は、この近所で可愛がられてるらしいと知る。誰かの飼い猫なのだろうとは、けれど思わなかった。
 さらに翌日、水曜日、雨が降っていて、あの黒猫は雨を避けて、どこかにいるんだろうかと、買い物に出るついでに、ちょっとだけアパートメントの周辺を探す。階段を下りた建物の左側、わずかなひさしの部分に体を縮めるようにして、あの黒猫がいた。
 財布には10ドル、明日のための食料を買って、その残りで、安いキャットフードくらい買えるかもしれないと、近づいても逃げる気配のない黒猫を抱え上げ、階段をまた上がってゆく。ドアの中に入れて、ドアを閉めて、すぐそこにあるスーパーマーケットに急いだ。
 ミルクをあげて、水も出して、買ってきたドライフードを出して、小さな小さなアパートメントでふたり、同居人の帰りを待った。
 「・・・雨が降ってたから。」
 「ほんのちょっと、今夜だけ、置いてあげてもいい?」
 「また来たら、ゴハンあげてもいい?」
 その夜、黒猫はリビングのソファの真ん中で丸くなり、我々は、笑いの絶えないまま、彼のことばかりを話し合った。
 2週間、黒猫は狭い我が家から立ち去る気配を見せず、まだその黒猫を飼う決心のつかなかった我々は、トイレを用意するふんぎりがつかず、出掛ける時は猫も一緒に外に出し、帰って来ると、車の音や足音を聞き分けて、猫はにゃーと泣きながら出て来る。階段の下で、いつも我々を待っていた。
 そして、黒猫がどこへも行かないことを確認して、獣医さんへ連れて行くことを決めた。名前はCoal。黒いから石炭、という、単純な理由だった。
 真っ黒の毛並み、緑がかった金色の瞳、ヒゲは1本だけ白くて、とても大きな声で鳴いて、喉を鳴らす。
 たいていはリビングで寝て、明け方、ベッドの方へやって来る。こいつのすぐ傍に上がって来て、一緒に寝る。
 同居人が、通勤のせいで5時起きだったので、それをすぐに覚えてしまい、仕事のない日でもその時間になると、ものすごい声で鳴いて、外へ出せ!腹が減った!と起こしに来る。
 子はかすがいと言うけれど、決して完璧でも完全でもないこいつと同居人の関係を、繋ぎ止めてくれてたのは、Coalだった。Coalの飼い主という形で、我々は常に結びついていた。
 我々は、どうやら2人か3人目の飼い主だったらしく、その当時、おそらくすでに4〜6歳くらいだったと思われるCoalは、食べることに非常に主張の激しい、人間の食べ物に目のない、けれど基本的には付き合いやすい猫だった。
 外へ出て、パトロール中に出会った人間たちに愛想を振りまくのが大好きだったらしい。なかなか帰って来ないCoalを探しに出掛けると、「赤い首輪の黒い猫?」とすぐにCoalのことだと伝わる。
 以前の近所でも、今の近所でも、Coalは人気者だった。
 野良生活で、少し荒れてた毛並みも、食事の心配がなくなったせいか、じきに烏の濡れ羽色になった。程よく長い手足、すっきりと締まった体、黒猫らしく、Coalはとてもハンサムな猫だった。
 半年後にCristalがやって来て、新しいルームメイト兼義理の妹に辟易したCoal(前の飼い主のところを飛び出したのも、新しい猫が原因だったとか)は、別宅を見つけてそちらへ入りびたり始める。首輪には、しっかり住所と電話番号のタグがついてたので、どこが別宅かを突き止めた我々は、とりあえず探し回らなくてすむようにはなった。
 2000年になると同時に、そのアパートメントを出て、地下室と小さな裏庭がある、猫好きおばあちゃんが隣人の一軒家へ引っ越した。
 その家へは、Cristalと一緒に、同時に移り住んだせいか、とりあえずCristalとの仲は、以後それなりに円満になる。
 ウチへやって来るおじさんたち、特に中近東系の人たちが大好きで、Cristalを連れて来たのがこいつだと思ってるせいか、こいつとの間は妙にぎくしゃく。でも、みんなに可愛がられて幸せそうだった。
 もちろんすぐに近所でも人気者になり、ただ、残念ながら、隣りの大きなメスのぶち猫とは、ケンカばかりでロマンスは生まれなかった。おまけに負けるのはいつもCoal。
 裏の家との境にある、背の高いフェンスにうっかり上がって、降りられなくて、「助けろー!」と鳴いてたこともあった。声を聞きつけて、庭に助けに出たこいつは、けれど背が低かったからなのか、やっぱりCristalの件なのか、お助け隊として信用されず、同居人が代わりに出動。しぶしぶ、という表情で、同居人にフェンスから抱き下ろされて、でも、「・・・助かった」という顔をしてたのを、こいつはしっかり見た。
 
 一度、ひどく怯えた様子で、がたがた震えながら戻って来たことがある。
 眉の上に当たる辺りに大きくて深い穴、アゴの下からも出血、真夜中だったから、朝を待って獣医さんへ行った。
 「アライグマだね。こうやって噛まれたんだよ。」
 Coalの顔の前を、大きな掌で包むようにして、揃えた指を、Coalの額とアゴの下に当たるようにして、見せてくれた。
 「噛み殺されなくてラッキーだったよ。」
 Coalの顔を丸飲みできるなら、相当大きなアライグマだったんだろうなと思いながら、怯えて、声も立てないCoalをそっと抱いた。
 アライグマの噛み傷は、少しだけ痕を残すだけにとどまり、けれど1年後に、同じ場所が化膿して腫れ上がり、右眉の上から耳までをばっさり毛刈りされるという、もしかすると、アライグマに襲われたよりも、もっと不名誉かもしれない羽目になった。

 Cristalが、48時間行方不明になった時、最初それに気づいていなかった我々に向かって、丸1日鳴き続け、ようやくCristalを見つけて戻って来た時、開けたドアの向こうで待っていて、最初にCristalに"頭こっつんこ"をやったのはCoalだった。
 Cristalという新しいルームメイトを、家出してまで嫌がったCoalは、ねねとぽっぽを、とにかくも穏やかに受け入れ、その後やって来たザジのことも、渋々ながら認めてくれた。

 数年消えてた、1本だけ白いヒゲが戻って来て、ここ1年で2本に増えていた。
 黒いだけだった毛並みに、白い毛が見えるほど混じるようになり、体重は、少しやせ気味で定着した。毛艶が少し鈍って、それでも毎年の検診では極めて健康と太鼓判を押され、小さい頃のひどい栄養不良のせいか、アレルギーがあって病気がちなCristalに比べると、オスで外猫というわりに、Coalはまったくもって健康体だった。
 Coalも年を取りつつあると、思いながら、それでも少なくとも後数年、もしかすれば10年、今まで通り、我が家の主君として君臨するだろうと、疑ってもみなかった。
 2004年12月1日、朝遅く、Coalがひどく吐いた。いつもの、エサを慌てて食べた時の嘔吐とは違って、大量で水っぽくて、色も黒くて、固形の食べ物らしいものの一切見当たらない吐瀉物だった。ぽつぽつ赤い小さな塊があって、それはトマトみたいに見えた。
 そのまま、ソファのすみに、クッションの上に丸くなり、その日はほとんど動かなかった。出してあるエサを食べているのを見かけ、でもあまり積極的ではなく、「ちょっと風邪でも引いたのかな」くらいにしか思ってなかった。
 耳に触っても、熱もない。でも目が少し涙目で、触れると、背骨がごつごつしている。毛にも艶がない。1日様子を見ようと、そっとしておいた。
 夜、珍しく夕食をリビングで食べてたのに、Coalが邪魔しに来ない。いつもなら「くれくれくれ!!!」と口元にまで爪を伸ばしてくるのに。さすがにおかしいと思った。鳴かない、ゴハンを食べない、外へ出たがらない、人間の食べ物を欲しがらない、これはかなり具合が悪いようだと、翌日の朝も、ベーグルについたクリームチーズをねだりに来ず、しかもコンピューターデスクの下でうずくまってじっとしてるのを発見し、その場で獣医さんに電話をした。
 ひどい脱水症状で、体重も夏には11パウンドあったのが9.4パウンドに減っていて、血液検査をしようと、獣医さんのところへ預ける羽目になった。
 猫白血病ウイルスの疑いが濃いと言われ、半泣きになりながらネットで検索をかけてみる。"ウイルス陽性であっても、普通に生きることはできる""病気らしい様子を見逃さないことが大事""インターフェロン投与で改善もできる"等々、目の前真っ暗というわけではないのだと、少し安心する。
 12月2日、血液検査の結果がまだ出ない。とりあえず会いに行く。前足を両方、点滴のために剃られ、管の繋いである方はピンクの包帯でぐるぐる巻き。液の入る感触がいやなのか、時々ぶるぶるっと腕を震わせる。
 鳴かない。妙に不安そうな表情と態度で、こいつを見ている。とりあえず、食べて飲んで(少しだけど)、トイレにも行ったし、今日は吐かなかった、体重も減ってない、そう言われて、少しほっとする。
 Cristalが、Coalがいないことを不安がって、やけに静かだということを伝える。わかってるのかどうか、妙に澄んだ目で、こちらを見上げる。
 普段のふてぶてしい態度との、あまりの違いに、ひとりでこっそりうろたえる。早く元気になってウチに帰ろうと、何度も言った。
 明日の朝には検査の結果が出るはずだからと、そう言われてひとり家に帰った。
 12月3日、前夜は冷えて雪、凍って残った雪と屋根の氷柱と、青い澄み切った空が、やけに眩しい。
 HIV陽性。昨夜凄まじく嘔吐したこと、もう自力では水も食事も取れず、無理矢理食べさせても吐くだけ、今は点滴で延命しているだけだということ、余命は、最善を尽くしてせいぜい1ヶ月、きっぱりと安楽死を勧められた。
 Cristalを、最後に会わせるために、一緒に獣医さんに連れて行った。Cristalは病院の匂いに怯えて、ロクにCoalとは話もしなかったけど、家に戻ったら、少し元気になったように見えるので、Coalに(最後に)会えて、安心したのかもしれない。
 ポテトチップスを、2枚、ビニールに入れて持って行く。コーヒーショップに寄って、小さなカップのミルクとクリームをひとつずつもらう。鶏肉を持って行けなくてごめんねと、そう思いつつ。
 最後まで、家に連れて帰って、せめて1日でも数日でも一緒に過ごしてから、と思ってたけれど、Coalを見て、もう、ほとんど動かない彼を見て、終わらせようと、思った。
 今までの病気知らずを思えば、最後がこれかよと、悔しさもあるものの、Coalとの生活に、自分の中に悔いはなく、プライドの高い彼も、"泣くな、うるせー。仕方ねえだろ"というふうに、必死に撫でるこいつに向かって、うるさそうにしっぽを振って、だから、もういいんだろうと、そう思った。
 小さなカップのミルクとクリームは、口元を真っ白にしながら全部飲んだ。砕いたポテトチップスは、でも食欲をそそらなかったらしく、鼻先に差し出しても、匂いをかぐ素振りも見せなかった。
 一度、そっと抱いてみた。20秒も立たずにいやがったので、そっと下ろした。それから、いろいろとついてごわごわになった毛(しっぽの付け根、アゴの下、首の周り、前足)が気になるのか、後ろ足の間に顔をうずめて、毛づくろいを始める。
 それを見て、もしかして元気になってるんじゃないかと、一瞬思う。けれどそれは、診察室に入ってきた獣医さんに、"長引かせるだけだよ"と言われて、へこんとしぼむ。
 黒い肉球は、たった2、3日外へ出なかっただけなのに、もう柔らかくなってて、だからよけいに、ごつごつした背骨としっぽの近くの骨の硬さが、悲しかった。
 同居人は、"見てられない"と外へ出て、こいつだけが、注射の現場へ立ち会った。
 点滴の管から、点滴の袋を外して、そこへ、小さな注射器を差し込む。15mlという数字が見えたような気がする。獣医さんが、ひどくゆっくり注射器を押す。Coalが、"なんだ? 急に眠くなったぞ"という風に、軽く瞬きをして、視線を動かすと、注射液は、もう完全に管の方へ押し込まれていた。
 頭を落として、目の辺りが脱力して、呼吸が遠くなる。呼んでも、反応がない。10数秒で、獣医さんが聴診器を当てて、"心臓は止まったから"と教えてくれた。
 まだ、瞳はいつものままで、けれど少しずつ、瞳孔が広がってゆく。鼻と口から、黄色い体液(乾くと茶色になったけど、あれは肺にたまってた水か何かだったんだろうか)が大量に流れ出す。目の、金色の部分が見えなくなるほど瞳孔が開いて、そうして、白っぽく、妙に透明に、幕のかかったような、空ろな目に変わる。
 この間、恐らく15分くらい。
 Coalを撫でて、抱いて、名前を呼び続けた。喉の奥ががくがくしてるのに、涙は出ない。反応のないCoalに焦れて、いつものように耳を動かしたり、しっぽを振ったりしてくれないかと、馬鹿なことを思いながら、名前を呼び続けた。
 もしCoalが動いたら、HIVもどこかへ吹っ飛んでしまっているのだと、頭のすみで信じてた。
 いつまでも、Coalは動かず、最後には、流れ出してた体液も止まり、同居人が持って来た、白いシャツ(同居人の汚れた洗濯物が大好きだったから)にくるまれて、少しずつ冷え始めていた。
 診察台の、こいつがいる側に向いて、ずっとそこから動かずにいてくれた。単に動けなかっただけかもしれないけど、Coalが、こいつの傍にいられて良かったと、そう言ってくれたような気がした。
 ああすればよかった、こうすればよかった、という悔いは、自分の中にはない。安楽死させたことを、正しいことだと信じてはいないけれど、いやなことはきっぱりいやだと態度に表して、絶対に自分を曲げないCoalが、頭も上げずにただそこに横たわってるだけの姿は、彼自身が晒し続けるに忍びなかったと思うので。
 それでも、診察台の上で、もう二度と動かない彼を残して立ち去りながら、自分が、とても大きなものを失ったのだと、いつまでもドアを閉めることができなかった。

 Coalの体は、少しばかり北にある街に送って、焼いてもらうそうだ。灰を受け取れるのは来週だろうと言われた。
 受け取って来たら、裏庭にまこうと思う。Coalがいつも、歩いてたところへ。

 真っ赤な、名札のついた首輪を外して、それは、薬とかエサとかよだれなんかで汚れていて、そのまま、大事に取っておくつもりでいる。
 Coalに、早朝起こされることもない。ベッドを占領されて、眠れなくて困ることもない。夜中に脱走されて、ひやひやすることもない。雨だ雪だと、玄関のドアのところで、見上げられて文句を言われることもない。食事のたびに、きっちり部屋のドアを閉めて、ねだりに来る彼を撃退する必要もない。
 それは、とても淋しいことだ。とてもとても、淋しいことだ。
 Coalがいない家は、とてもガランとしていて、静かで、今、逝ってしまった彼のあまりの大きさに、ひとりで奥歯を噛み締めている。
 彼は、こいつの子どもではなかった。弟とか、少し手のかかる兄とか、あるいは、とても親(ちか)しい友達とか、そういう存在だったのだと思う。年の近いイトコ、くらいかもしれない。
 同居人が仕事で忙しくて、学校もやめ、友達とも疎遠になって、ひとりきりになってたこいつのところに、Coalは現れた。足元にすり寄って、鳴いて、こいつの傍にいてくれた。
 いつまでも、傍にいてくれるのだと、思ってた。
 1998年の10月、彼はこいつのところへやって来て、そして2004年の12月、ひとりで先に去って行った。6年と2ヶ月、こいつと同居人の間を、のほほんと繋いで、そして、去って行った。
 Coal、我々は、おまえさんが大好きだったよ。この近所の人たちも、ウチで働いてる人たちも、みんなおまえさんが大好きだったよ。
 おまえさんを知るすべての人が、おまえさんを大好きだったと思うよ。
 出会ってくれて、ありがとう。一緒に暮らしてくれて、ありがとう。最後まで看取らせてくれて、ありがとう。またどこかで会おう。その時までさようなら。今だけ、Coal、さようなら。
 
2004年8月13日の金曜日 - 2004/08/15(Sun)
 え〜と、本題に入る前に、自分のために記憶の整理を。自分でもよく覚えてないので(苦笑)。
1997年3月末、出会い。この段階ではもちろんシングルという話。離婚歴2回、子持ち(別居)、人生建て直し中と言われ、学生しかやったことなかったこいつは、あまり深くも考えてなかった。
1998年1月末、母親宅を追い出されてた同居人、やっと就職が決まり、同居に踏み切る。ダウンタウンの小さなアパートメントに落ち着いたその当日、衝撃の一言、「あ、俺、離婚すませなきゃなー。」←この段階で、すべてを放り出さなかったことを、後に大後悔。数ヶ月で手続きが終わるという言葉を信じたのが大間違い。すでに大学休学中。今よりさらにガキだった・・・。
1998年9月、日本への、最後となった一時帰国から帰宅。ビザの手続きをするためのアポが数週間後。離婚の手続きを、母親と進めていると、毎週言ってたのが全部ウソだったと、帰宅早々バレる。もちろんこいつはブチ切れ。しかし、自分のビザの手続きにまだ希望があったため、一応許したのがこれまた大間違い。
1998年10月、ビザ取得却下。退去命令が出る。真っ青になって友人に相談したら、移民局勤めの彼の友人を紹介され、こっそりと入れ知恵をされ、翌年3月まで命を繋ぐ。同じ頃、こちらでは最初の同居猫、黒猫のCoalと出会い、彼が居候を決め込む。
1999年4月、就職先をとっととクビになっていた同居人は、新たに自営業に向けて意欲だけ満々な日々。2匹目のメス猫、Cristal入居。離婚手続きは放置のまま。
1999年7月、ついに仕事面で自立。再びの極貧生活の覚悟を決めるこいつ。
2000年1月、仕事が何とか軌道に乗り、アパートメントから一軒家に引越し。離婚は弁護士に任せたまま、放置。
2000年8月、後に同居となる、ねねとぽっぽの親子(当時は名無し)を、裏庭のガレージで発見。エサやりの日々。
2000年12月、クリスマス直後、猫親子を捕獲、ねねとぽっぽと名づける。離婚に進展はまったくなし。

 こうやって改めて並べると、自分のバカさ加減がよくわかっていいなあ!(自嘲)
 一番最初の奥さんに、「まだ別れてないの? よく耐えられるわね。人生無駄にしちゃダメよ」と諭されたり、女性用のシェルターに逃げ込んだり(←これはさすがに笑えない)、向こうがウツっぽいのを何とかしようとしてるうちに、自分がマジでヤバい状態になったり、日本からもここの世間からも、ほぼ完全に遮断された生活に陥って、すべてに投げやり、無気力、諦めモード充満状態で約2年、ネットの世界に飛び込んで、少しずつ自分らしさを取り戻し始めて、ここに至る、と。
 その間に、5匹目の同居猫、オスのザジも登場。
 こいつはまた、好き勝手に文章を書き散らし始め、同居人が(狭くて小さな)世界の中心でなくなってから、やっと自力で呼吸を再開した。
 最近は、すっかりアニメオタクまっしぐら(爆笑)。自分だけの幸せを追求中。

 さて、去年の10月に心臓発作(らしきもの)を起こして、仕事から離れているうち、ボスという権威を失ってしまった同居人、働いてる人たちほぼ全員に暴言を吐きまくり、事務所の中心人物を不当解雇し、周囲の人間ほぼすべて(こいつ含)に背中を向けられるという事態が発生。
 1ヶ月後に、身内からの泣きが入って(けっ)、こいつが復帰。最少限の人数で仕事を回すこと半年。ついに思うように行かない事態に、ブチ切れ。
 雇用者数50%↑減、という事態を招いて、経営者退陣!という素振りで、仕事放棄! 仕方ないので、仕事の建て直しをしつつ、同居人の子守り中のこいつ。
 周囲が自分を慰めてくれないのがよほどショックだったのか、2週間、(傷心)旅行へ行くと言い出した。勝手に行け、と思うこいつ。
 旅行も決まり、仕事のプレッシャーもなくなり、少々機嫌が良くなって、今さらまた離婚の件で弁護士と連絡を取り始める。
 今年の5月の時点で、同居人によれば(←疑い率85%)、弁護士は書類を全部揃え、裁判所へ提出済み、後は裁判官の判決を待つばかり!というニュースを受け取っていたものの、それからまた音沙汰はなし。放置には慣れっこだったので、けっと思いつつ、そんなことすら忘れてた。
 そして8/13、今日はジェイソンな金曜日だね〜とそんな話をしていたら、「俺、離婚とっくにしてたらしい。連絡が行き違ってたみたいだ」という電話。はあ?となりつつ、また素晴らしい日に素晴らしい冗談をと思いつつ、弁護士のところへ行ってみたら、「いや、ほんとです」と離婚証明書を手渡される。
 ある小説に、「女は、気に入った着物を買う時は、必ず不機嫌な態度になる」という描写があって、まさしくそんな感じに、なぜか不機嫌に、弁護士に料金を払い(額のせいで不機嫌だったわけではない。時間をかけて、同居人みたいなめんどくさい依頼人の面倒を見てくれたわりには、と思える額だったし)、不機嫌に事務所を出て、実のところ、まだほんとかどうか疑ってた。
 「で、したかったら、そこらの女の子を今捕まえて、結婚できる状態なわけ?」と訊いたら、「うん、猶予期間の1ヶ月は過ぎてるから」という返事。
 ・・・誓ってもいい。これが、13日の金曜日でなかったら、我々は、あそこまでハイパーに悪乗りはしなかったと思う。
 「じゃあ、今からできる?」「しちゃおう。」ということになって、そのまままっすぐ裁判所へ。そこで、Justic Of Peaceとかいう人に、結婚させてもらおうと思ったら、「JOPは、もう結婚は扱わなくなった」と言われ、今度はCity Hallへ、婚姻手続きをするために送られる。
 その間に、結婚させてくれる人たち(JOPと、同じような人たち)に連絡を取って、「今日結婚させてくれますか」と訊く。
 電話に出てくれた、市内在住の女性は、「ダメ、もうすでに3、4組待ってるし、明日も結婚式が2組あるの」とすげないお返事。
 金曜の午後に、誰が仕事なんかわざわざしたがるかっての。仕方なく、ナイアガラフォールズの、小さなチャペルで予約を取る。こちらは、さすがにそれが商売だけあって、「書類が揃ったらいつでもどうぞ〜☆」と明るい声。
 さて、City Hallで、書類をもらって記入。名前と住所、出生地(国)、両親の名前(母親は旧姓←父親が姓変えてたらどうすんだよと、内心ツッコミ)、離婚の有無、結婚の有無を訊かれる。さすがだ。離婚証明書、写真つきの身分証明書(免許証とか)と出生証明書(こいつの場合はパスポート)のコピーを提出させられ、受け付けてくれた人が、タイプで、いわゆる婚姻届に、記入したばかりの書類の情報を打ち込む。
 タイプ済みの書類を目の前に、係の女性が説明してくれるのだが、「この部分は、あなたたち用の、再発行はできない記録。こちらは、あなたたちを結婚させてくれた人が、政府の機関に送付する分。結婚証明書は、結婚の日付から3ヶ月経ったら申し込めます」うんちゃらかんちゃら。
 ・・・何だかよくわからない。今渡されて、政府に送るとか言ってるのが、あちらへの証明書じゃないのか? 違うらしい。ここには戸籍がないため、我々が結婚してると証明するための公的な文書として、その結婚証明書とやらを、3ヶ月後に発行してもらうための手続きを、自分たちで、改めてやらなきゃならないらしい。
 日本だと、最寄の市役所に、記入済みの婚姻届出すだけで終わりだよね? これも実はまったくよく知らないんだけど。
 ややこし〜・・・っていうか、この人に結婚させてもらわなきゃいけない!っていう人たちがいる、っていう段階で、こいつはすでに「もーどうでもいー」と投げやり。
 それでも書類は揃い、じゃあ、結婚しに行くかと思ったら、「立会人がふたり必要だ」・・・えー。
 後でわかったのだけれど、チャペルの方で、必要なものは最低限揃えてくれるので、我々はほんとに書類だけ持って行けば良かったんだけどさ・・・だけどさ。
 まったく個人的に、ふたりっきりでやりたかったんだよう。こいつはどうせ、急に声掛けられる日本人の友達もいないし、家族もいないし、だったら立会人も、その場で誰かに声を掛けてやってもらって、ふたりっきりで家族もなし、というのがフェアだと、ひとりで思ってたので。
 でも同居人は、同然ながら、「母さんと妹のドナを連れて行けばいい!」・・・えーえー。別にいいけど・・・ごにょごにょ。
 お母さんのところへ行って、「これから結婚しに行くから」と言ったら仰天され、「じゃあ、せめてもうちょっとマシな服装とか、指輪とか、花とか、もっと色々きちんと」とごねられた・・・←こういうのがイヤだったんだよ、実は。
 幸い、同居人が、「母さん、今日は13日の金曜日だよ。何だっていいじゃないか」と、だらしない普段着のままでにっこり。お互い、サンダル履きにトラックパンツにTシャツ(爆笑)。
 んなものは一切いらない、っていうか、チャペルに行かなきゃいけないってのがすでに、ものすごくイヤだったこいつ。
 指輪もねー、一応はめてた婚約指輪も、白々しくて、すでに外しちゃって1年近く経ってたし・・・今さらって感じ〜。
 でまあ、いつものように、車の中で始まる会話が、基本的に言い争い・・・そうだった、同居人とお母さんが一緒にいると、口論にしかならないんだった。しかもそれで、ドナがヒートアップするので、こいつはもう、黙して語らず。貝の世界。すでに、すべてを後悔し始めてたりして。
 チャペルに着くまでに、「これで子どもができても大丈夫ね」とにっこり言われ、渋々うなずきつつ、その直後の会話が、「どこそこで自宅から誘拐された幼児が、死体で見つかった」とかっていうのは、デリカシーないとか、言っちゃいけませんかそうですか。萎え萎え萎え。
 いつものことだけどねー、ネイティブの人がこれこれの殺人事件を起こしたとか、黒人のギャングのうんちゃらが何とかとか・・・ふたりで来てたら、少なくとも悪乗りのまま、冗談飛ばし合いだけしてれば良かったんだよな〜と、ひとりでどんどん不機嫌になるこいつ。
 ・・・せめて、一応、こういう日くらい、もうちょっと明るい話題とかさ・・・求めるこいつがバカですかそうですか。
 チャペルに着いて、牧師とか神父とか、それっぽい男性が書類の記入をしてくれ、コピーをくれ、「じゃあ、通路を歩きますか? 音楽は?」と言われて、こいつは即行で却下。苦笑いする神父/牧師さん、「じゃあ、正面に立ってやりましょう」。
 式というのか、儀式というか、その間中、こいつはず〜っとあらぬ方向を見つめて、正直、笑いを吐き気をこらえるのに必死だった。
 彼の言ったことを全部繰り返すのだけど、「この人を夫として、生涯、どんな時も、愛し尽くすことを誓います」って、言わされるんだぜーーー!! いや、天邪鬼なのはわかってるんだけど、マジで、「そうなるといいと思ってます」とか「努力します」とか「多分」とか「どうでしょうねえ・・・」とか、そういう答え方があってもいいと思うんだよ、いやマジで。
 そういう風に、仮に答えてしまっても、同居人とふたりきりなら冗談になったんだけど・・・お母さんが後ろで見てるとこじゃ、それも無理(保険金の額の話をしてると、そんな話をするんじゃありませんと、叱られるような人なので・・・)。
 すべてのことの白々しさに、何かこー目眩というか・・・車の中の会話で萎え萎えだったので、「やっぱりやめようよ」とうっかり言ってしまいそうになるのに、必死で耐えてたというのは、人としてどうかと自分。
 で、指輪の交換して(生涯の愛の誓いの印なんだって←棒読み)、書類に名前を、自分たち、お母さんたちが記入して、一応終わり。
 パッケージなので、親戚知人に、結婚のお知らせをするための絵葉書が数枚、我々の名前と今日の日付の入った、式の内容とメッセージを書いた、小さな冊子、額に入れて飾る人がいるとかで、きれいな紙に、きれいに印刷された、このチャペル発行の結婚証明書をまとめてもらう。
 すべてが終わるまでに、約20分。しめて225(カナダ)ドル。ついでに言うと、婚姻届の手続きに100ドル。
 届け出すだけなら、日本の方が簡単そうな気が。
 でまあ、車の中で、お母さんに、「これであなたもVan Doornね」とうれしそうに言われ・・・何も言わなかったというか、何も言えなかったというか・・・家族を介入させるべきじゃなかったなあと、痛感した。
 まあ、こんなことは流してしまえばいいんだろうけど。
 City Hallでも、係の女性が、こいつだけを見て、「この書類は、あなたが名前を変える時に必要だから」と言われ・・・夫婦別姓が普通に通ってるはずのここでも、名字を変えるのは女の方だという前提で話をするのか・・・萎え。
 ビザ取るのに、とにかく結婚という手続きを取るのがいちばんだから、というだけのことだとは、100%そうだとは、さすがに言わないけど、でも結婚が、ほぼイコールで、女という個人であるはずの存在が、男の中に取り込まれてしまうという事態を引き起こすことに対して、誰も意義を唱えない、ということに対して、個人的に萎え萎え。
 これもすべて、こいつが同居人のことを、きちんと大事な人として思ってないからなんだろうなあ←これが一番の元凶だろう(苦笑)。
 ふたりっきりで、ほんとうに、最初から最後まで、冗談みたいにすべてを終わらせられたら、ここまで落ち込まなかったのかも。周囲の、「おめでとう、Mrs. Van Doorn」という扱いがすでに始まってるのに、個人的にうんざり。
 違います、とこいつは、頑固に、醜悪に、言い続けるんだろうな。さらに、「ありがとうございます、でも、おめでとうは、ビザが取れた時にして下さい」と可愛げもなく返してみたり(いや、一応冗談っぽくね)。
 自分としては、結婚はビザを取るための手続きの一部に過ぎないのだけれど、まあ、あちら側にしてみたら、ある意味念願の、という感じなのだろうし。
 ぶっちゃけた印象としては、相手なんか誰でもいい、とにかく結婚して、落ち着いてくれ!という感じ。離婚2回もした後で、3回目の結婚(しかもサンダル履きで。苦笑)のことを、家族全部に触れ回る、というのは、こいつにはよく理解できません。
 これが、婚約(苦笑)当初は、それなりに挙式と披露宴をやるつもりでいたんだから、大笑い。いや、あっちがね。こいつは書類に記入以上のことをやる気は、昔からまったくございませんでした。
 しかし、一応キリスト教っぽいんだけど、あれ、宗教が違う人たちって、どうやって結婚してるんだろう。自分たちのやり方で式をやって、結婚の部分は、あの牧師/神父さんっぽい人たちにやってもらうのかなあ。それも何だかなあ。
 書類に記入させるだけじゃなくて、あの、誓いの言葉を言わされて、指輪を、永遠の愛の証しとして交換させられる、っていう段階で、こいつとしては、「すいません許して下さい」っつー感じで。日本なら、選択があるんだよなーと、知りもしないくせに思ったり。
 こうしなきゃいけないっていうのしか見えなくて、調べれば、もっと別の方法もあったんだろうなとも思うんだけど、この国の、妙にいやんに保守的なところが目について、個人的に腹の中にたまったことがあれこれと・・・。
 人が結婚するのは、いいな〜と思って眺められるけど、自分のこととなると、こうまで白々しい気分になるとは思わなかったなあー。まあ、白々しくなったのは、彼の家族が直接関わった時点からだったのですが(←オニのような言い方)。
 ビザのことがなければ、いわゆる内縁のままで良かったんだけどな・・・仕方ないけどさ。
 ま、とりあえず日本の戸籍はいじらないし。日本では独身のまま! 重婚が可(削除。不謹慎な発言があったことをお詫び申し上げます)
 っていうか、日本では、結婚うんぬんの心配は、こいつは一生必要ないと思う(爆笑)。
 13日の金曜日、冗談はここから始まったって感じで、冗談で終わらせられなかったのが残念ですが、ひとまず、ビザへ向かっての大きな1歩。
 不法滞在なのは相変わらずなものの、少なくとも、移民局から何かあれば、「結婚してるのに!」とごねるりっぱな理由はできました。さ〜て、同居人がひとりのハネムーン(爆笑。今日からキューバへ2週間)から戻って来たら、今度こそ、本当にビザの申請だ〜。申請が終わったら、日本に戻る算段だ〜。イベントだ〜(おい)。

 追伸。まあ、おもしろい経験ではあったなあ。ちなみに、13日の金曜日には必ず、ヘルズ・エンジェルズの人たちは、ポート・ドーヴァー(海辺の観光地)に集まるんだとか。結婚にまつわる保守性というのを目の当たりにして、簡略の結婚を実際にしてみて、ネタになると思ってたのは内緒(大笑)。
 
昭和のひとつ - 2004/03/23(Tue)
 ドリフターズのいかりや長介が亡くなったそうで・・・。ああ、また、自分の生きた時代がひとつ終わったなあと、ため息つきつつ。
 「8時だよ全員集合」は、残念ながら家にいる間は、一度も親に見せてもらえなかった。見れるのは、母親の実家に、たまたま土曜の夜に行った時だけ。
 まあ、低俗で下品な番組だから、という親の見解(そして、これは非常に正しい)に従って、こいつにとってのドリフターズは、そういう大人たち、という印象で、実のところ、あの番組が終了してから、メンバーのそれぞれがソロで活動し始めてから初めて、あの人たちのプロの芸人としてのすごさというのを認識する羽目になった。
 放送の時期と、実家にいた時期が、ぴったり重なってるにも関わらず(実家を出てからは、テレビなし生活)、あの番組をリアルタイムでは、ほとんど見てない。
 それでもやっぱり、友達が話すのを聞いたり、ごくまれにテレビで見たりで、間接的に経験はしてるわけで、さらにあの時代、ドリフターズに影響されずに生きられたわけもなく、自分の中に、例えば手塚治虫のようなはっきりとした影響を見出せないにせよ、自分のドリフターズの子どもだなあと、いかりや長介の訃報を聞いて、思った。
 ビートルズの初来日の時の前座をやったという、ものすごい話もあったりして、彼らが、お笑い芸人であると同時に、実は一応グループサウンズというジャンルに組み込まれる人たちでもあった、というのは、実のところ、中学でハードロックを聞き始めた時には、ものすごいショックだった。
 こいつが、ドリフターズについて、いちばん印象が強いというか、これしかない思い出と言うのは、志村けんと仲本工事が、賭博をやって番組にしばらく出れなくなった、という事件だったか。新聞記事の写真で見た、どう見ても反省、というより不貞腐れてるとしか思えない表情の、志村けんを、今もよく覚えてる。
 おそらく今、ドリフターズの番組を見たら、ものすごい衝撃を受けるのかもしれないと、ちょっと思う。
 こっちのコメディはどうも肌に合わず(当たり前)、かと言って、日本のバラエティも今ひとつ、というこいつにとっては、ドリフターズは、もう一度、きちんと経験すべき昭和のひとときなのかもしれない。
 古いものが必ずしもいいとは思わないけれど、でもやっぱり、今70前後の俳優さんとか、そういう人を見ると、例えば演じるということに対する真摯な態度というのか、ああ、すごいなと、素直に思う。
 プロというのは、そうなるために、やっぱり犠牲にしなきゃいけないものがあるんだなあと、自分が、おそらく何のプロにもならずに一生を終えるんだろうなと、そう思い始めて、思う。
 犠牲にする気概がないと、なれないのが、きっとプロなんだろう。
 いかりや長介が、ドラマで声があまり出てなかった、とか、そういう記事を読むと、「男はつらいよ」の寅さんである、渥美清を思い出す。最後の辺りは、足元がふらついてたとか、そこまでしても、仕事をする人の、ものすごい気力と言うか責任感と言うのか・・・。
 プロであるという、一部であるはずの部分が、その人そのものになってしまうというのは、その人にとっては、うれしいことなんだろうか、それとも、ヤバいことなんだろうか。
 さすがプロフェッショナルだよなと、つぶやきのもれる人が、どんどん少なくなってゆく今日この頃。ま、それはそれで、仕方のないことなんだけれど。
 どんな人生であれ、命を賭けた生き様というのは、胸を打つものだと思う。
 今ある日本を作り上げたに違いない人たちのひとりが、逝ってしまったのだなあと、また背中が少し寒くなった。
 知っている、覚えている日本が、どんどん遠くなる。
 下品で低俗でもいいから、「8時だよ」のDVD、全部手に入れちゃおうかな(苦笑)。
 泣き笑いしつつ、合掌。長さん、お疲れさまでした。
 放送終了して、約20年、いまだ最前線で頑張ってる加藤茶や志村けんに、実は驚きつつ、実力がなければ生き残れない世界であることを思えば、彼らの才能のすごさは、実は放送終了後に証明されたんだなあと、低俗で下品という、こいつが抱いてた印象を思い出しつつ、思う。
 クレイジー・キャッツとかも、リアルタイムで見てみたかったなあ。
 昭和が、いつの間にか、とても遠い。かなり淋しい。
 
敵前逃亡<グチ&暴言モード> - 2003/10/27(Mon)
 自分のやってる仕事が、実は大嫌いだったり。いや、同居人の自営業を、手伝ってるだけなんですが、同居人が体を壊して(とっくに回復中、でも要安静)不在なので、仕方なく(←50倍角)、経営者代理で、矢面に立って3週間。
 はっきり言って、今すぐでもトンズラしたい。
 そもそも、人を使う技量もないし、人に使われることには慣れてても、人にあれやれこれやれと命令するってのは、ごく自然に、ある種のカリスマってもんを要求するわけで。そんなものは、生まれつきか、きちんと努力で手に入れるしかないもんで・・・そんなもん、こいつにはねえ。
 大体、アカだアカだと言われ続けてる家族の中で育った人間が、経営者やるっつーのは、そもそもが矛盾してないか。してるよ。と、自分で頭抱えながら、ツッコんでみたり。
 経営者っつーのは、やっぱり選ばれた人たちがなるもんで、そこらに転がる人間が、誰でもなれるっつーもんでもないんだなあと、感嘆。お金は必要ですが、それ以上に、経営者になれるだけの、精神的強靭さ、柔軟度が、絶対に必要だと思う。
 ここから↓暴言モード。
 そもそもさ〜、自分は絶対悪くない、と主張するだけしか能のない人間なんか、使い物になるわけないじゃん。失敗しても、絶対にそれを改めないし、それどころか、他の誰かを責めることに腐心する。口を開けば、言い訳ばっかり。
 あのな〜、こいつはな〜、ほとんどボランティアで、ここで働いてるんですが。働いてる人は言うこと聞いてくれねーし(相手がガキで、女で、白人でなくて、英語もしゃべれないこいつだから、というのは、絶対にある)、言うこと聞いてくれる人だけを、大事にするわけにも、これまた行かず、客は客で好き勝手言うし・・・だから〜、文句言いたいなら、これが文句です、ってのを筋道立てて説明してくれよ。もっとも、言われたって、善処します、としか答えようがないけどさ〜。
 っつーか、こいつなんかじゃ、どうにもならない(人対人である限り、どうしようもないことはもちろんある)ことはさ〜、どうしようもないんだってば〜。こいつ、全部ひとりでやってるんだからさ〜、大事じゃないことは、後回しなんだよ〜。
 ああもう、地図も読めない、読み方も知らない、困ったちゃんの白人と付き合うのには、もう疲れたよ・・・車持ってて、免許証あるだけで、うちで仕事が(好き勝手に)できると思ってんじゃねーぞ。
 おととい、久しぶりに仕事に戻ってきたキミ、こいつはキミが大好きだよ、友達になりたいと、思うと思うよ、普通に出会ってたら。音楽の趣味も合うし、キミはこいつがどんな人間だろーと、気にもしないみたいだし、こいつの名前も、きちんと覚えててくれてるし、イイやつだと思うよ、友達としてなら。
 でもね、我々は、友達じゃないんだよ、残念ながら。友達以前に、キミとこいつは、事務所で働く人間と現場で働く人間なんだよ。同僚である以前に、残念ながら、雇い主と働いてくれてる人なんだよ。
 だからさ、残念ながら、こいつがキミにまず求めるのは、仕事をきちんとしてくれるっていうクオリティであって、友人としてのクオリティじゃないんだよ。
 キミはこいつを、仕事以前に友達だと思ってくれてるみたいだけど、それはキミが、甘えてるからだと思うよ。こいつが、キミの仕事ぶりについて、少々苦言を呈したのを、ものすごくパーソナルに取ったみたいだけど、キミの今の態度だと、どこでも同じことになると思うよ。
 こいつ、キミが大好きだよ。友達として出会えたら、どんなに良かったかと思うし、でも、友達が先だったら、もっと今悩むんだろうなと思う。仕事に戻ってきてくれて、うれしいと思うと同時に、キミのことで、胃の痛い思いをするんだろーなーと、今から考えてもいる。
 もっとも、事態が深刻になる前に、キミはきっと、また仕事をやめてしまうんだろうけど。
 偏見でなく、ウチでしか働けないと思ってる人って、他では仕事できない人ばっかりだから、どうせまた、戻ってくるんだろうけどさ、いずれ。
 まあ、そんなことを言いつつ、こいつも同じことを、働いてる人たちに言われてるんだろうなあ。人として、仕事はしにくい相手ではないけど、仕事の出来る人間ではない、彼らの経営者の器では、まったくないと、そう評価されてるのが、自分でわかる。
 この仕事には、まったく適切でない人間だってのは自覚してるから、開き直ってる部分もあるとは言え、それなりに時間こなして、仕事はできなくもない、というレベルに達して、でもやっぱりプロフェッショナルになんかなれっこない、という辺りには、ひそかにヘコむ。
 っつーか、なれない以前に、なりたくないけどさ。
 客も、失礼なのばっかだしな〜・・・いや、いい人もいっぱいいるけど、そうじゃない人は、目立つし、何しろ、うるさい(苦笑)。同居人を、他人として、大量に接しなきゃいけないようなもんだ・・・。
 だからさ〜、いくら慣れたとは言っても、自分が常に正しいのが、この世の中だと信じきらないと、自我も保てないような連中とは、やっぱり付き合いたくないんだよ〜。
 悪いんだけどさ〜、アンタ、何様?と言いたくなっちゃうんだよ〜。
 自分が常に正しいと信じるようにしつけられた人間にとっては、まずは自分が悪いと思うように育てられた人間は、格好の餌食です。とことん食いものにされる。
 ・・・人間なんか、嫌いだ。
 なんかも〜、自分も含めて、人生に問題の多すぎる連中となんか、付き合いたくないよ〜。貯金がないから、失業すると明日から路上生活とか、彼女とか彼氏とうんちゃらかんちゃらで、子どもがどーのこーの、踏み倒した借金があるから、あれができないこれができない、だから何とかしてくれ・・・知るか。
 月の給料が20万で、半分以上がクレジットカードの利息の返済とか、払ってない携帯電話の料金のせいで、電話止められたとか、家賃払えないとか、車の修理代がないとか、そんなこと、こいつの知ったこっちゃありません。
 子どもがいない人間には、こんな苦労はわからないって、だからこいつは、子どもをつくらないことを、選択してるんですってばよ。自分のことと、同居人の世話と、仕事だけでひいひい言ってるから、子どもの面倒見るような余裕はありません。
 っつっかさ〜、早い話、ウチで働いてる人の、母親の気分を、始終味わってます・・・。お客さんからもだけどね(苦笑)。
 もっとも、異様に冷たい母親だから、滅多と助けることはしないし、滅私奉公なんて、絶対にしないけど。何を置いても、自分がいちばん大事。
 正直、自分の人生つぶしてまでも、手を差し伸べたいよーな、魅力的な人間は、今は周囲にはいないし。
 自分の方が可愛い。
 ・・・良識も常識もない連中と付き合うのは、神経が傷む。こういう連中よりも、社会的には、自分の方が劣等だと思われてる、というのも、気持ちがやさぐれる。
 自分が、ほんとに、踏みつけにされる虫ケラみたいな気分になる。
 こいつが、どんな人間であろうと、どんな長所があろうと(いや、あるとしたら、の話で)、踏みつけにされるための虫ケラである、という以外の部分は、無駄でしかない、という状況は、ほんとうにこう、自分か、誰かを、殺したくなる。
 死にたいと、思うわけではないんだけれど、死なない限りは、この状態から、逃亡さえさせてもらえないっていうか、すべてを捨てて逃げ出すと、比較的まともな、一生懸命人生立て直すために、働いてる人に迷惑がかかるから、その人たちのためだけにでも、とにかく仕事を続けなきゃ、と思うんだけど・・・。
 こう、毎日同居人のコピーみたいな人たちに、少しずつ、入れ替わり立ち代わり踏みつけにされると、ほんとになんかこう、完全に現実逃避したくなる。
 こいつは、この仕事が、大っきらいだ。この仕事に関わる、半分くらいの人と、多分できたら完全に縁を切りたいと思う。っていうか、こいつが消えるのが一番早いよ・・・日本帰りてえ・・・。字の読める人と話をしたい・・・生まれてから、きちんと静かに本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたりしたことのある人と、話をしたい。大学までとは言わないから、一応きちんと高校まで卒業した人と、話をしたい。できたら、薬とかマリファナとか、やらない人と話をしたい。できたら、お酒も飲まない人だとありがたい。もっとわがまま言っていいなら、移民2世辺りだと気が楽。ホモセクシュアルに嫌悪がなかったらいいなあ。
 ・・・そんな人、いません。
 ・・・こんな時に、どヘテロの友達に、またホモセクシュアルについての、勘違いな発言されるし・・・。わかってないだけだろうから、流したけどさ・・・生暖かく苦笑いしたよ。
 あ〜あ〜、ゲイの友達が懐かしいよう。
 人と付き合うのが、苦痛で仕方ない。ひとりで閉じこもって暮らしたい。そもそも対人関係は、こいつはとってもこう、点数の低いヤツだったような気が・・・人とあまり接する必要のない仕事をする予定だったのになあ・・・どうしてこんな、1日に数千回も電話で人と話をしなきゃいけない仕事してるんだろう・・・絶対間違ってるよな・・・。
 結局、結論としては、場違いなところにいて、場違いなことをしてる自分が悪いんだよな、という辺りに落ち着くわけで。
 人生すべて間違いでした。生まれて来てすみません。
 
人生疲労<暴言モード> - 2003/08/29(Fri)
 何もかもいやだ。放り出したい。人の人生に、これ以上責任持たされるのなんか、もうやだ。
 文句を言える筋合いではないと思う。家があって、とりあえず貯金もまあまああって、明日のゴハンの心配もいらなくて、好き勝手する毎日で、何が不満だと言われても、文句言えない立場だと思う。
 きっぱりと、自分を消してしまえない程度に、この世に未練のある自分を、おめでたいヤツだと思う。
 でもね、やなもんはやだ。
 同居人の世話焼きを、最低限にしてから、1年半、1ヶ月ほど前から、ついに残ってた興味も失せた。復活する可能性もあるけど、今はもう、あの人が何をしてようが、誰をどうしようが、誰に何をされようが、もう知ったこっちゃない。
 というスタンスになって、とにかく頭の中は、ビザ取得のことばかり。
 取ったら、別れられる。
 いいんだよ、お母さんの老後の面倒を見るのは、やぶさかではない。お世話になってるし、とにもかくも、我々が、こんなになってもまだ一緒にいるのは、お母さんのためで、お母さんのおかげだし。
 でもね、それは、お母さんだけであって、同居人の、一番下の妹のことではない。
 出産時の事故で、脳損傷による知能障害がある彼女の、ガーディアンになってくれないかと言われた。いわゆる保護者、ということなんだけど。
 はあ? 正気ですか?
 あの、すいません、こいつの立場、わかってますか? 今現在こいつ、犯罪者予備軍です。明日にも出国命令で、一生この国に戻って来れなくなるかもしれないんです。そんなこいつに、とりあえず若干の手が掛かる、あなたの大事な娘を託したいと?
 大体、こいつにそんな責任感はございません。ぶっちゃけ、あなたの愛する息子である、現在の同居人も含め、あなた以外の誰とも、あなたの家族とは、正直関わりたくないです。
 あなたの、50になる○○息子のベビーシッターを6年やって、すでに疲れ果ててるこいつに、あなたの娘の面倒を見ろと? あなたの出来の良い子どもは、とっとと人生を見切って、ひとり歩きをしているから、そういう点ではアテにできず、出来の悪いのは、明日のことさえ定かではないから、もちろん若干の保護を必要とする、いちばん下の妹の面倒なんて、とても見れず・・・その尻拭いを、いまだ、家族のメンバーにすらなってない、6年経ってもまだ犯罪予備軍のままで捨て置かれてるこいつに、押し付けようと?
 申し訳ないですが、面と向かっては言いませんが、こいつは、あなたの息子さんとすら、口聞きたくないです。一緒に暮らしてますが、ビザさえ取れたら自由の身、というのが正直な心境です。
 あの息子さんもこいつも、結婚にも親にも、全然向いてません。あの人が、あの悪化する一方の人格障害を何とかしてくれない限り、こいつは精神的な自殺を選んでるよーなもんです。っつーか、選んでるけど。
 そういうあなたの家族の、よりによって悪いとこばっかり、集めて凝縮したような、あなたの娘さんの、保護者になれと? でもって、最近、急に辞めちゃった、ウチで働いてた女性のことを、色々言って下さいますが、あの人は、ウチで雇っていた人で、単に経営者の母親であるというだけのあなたとは、何の関わりもないはずです。
 彼女が、どういう理由で急に辞めたのか、それはあなたの知るところではありません。彼女には、「あんなとこで働くのは、もう耐えられない」と言うだけの理由があったし、それをいちばんよく知ってるのは、他の誰でもない、あなたの愛する息子さんです。
 彼女のことを、あなたがあれこれ言うのを、正直聞きたくもないです。あんなに良くしてやった、他にもっと良い仕事なんかあるわけない、大して働きもしなかったのに、それはあなたの主観です。いくらお金をもらおうと、あなたの息子さんに、ボス面で、虫ケラ扱いされるのは、耐えられないってことです。
 それがどうして、わかりませんか? 彼が、あなたに対してする、人でなしな扱いと、まったく同じ扱いを、他の人たちにすると知っていて、それに耐えられずに去ってしまった人を、そういう風に言えますか?
 あなたが、彼が、あなたの息子だから、しかもたったひとりの息子だからこそ、我慢して付き合ってるんだろうし、愛してるんだって、思ってるんだろうと、こいつは勝手に思ってますが、ぶっちゃけ、あなたの息子さんは、ようやく人生が破綻し始めて、慌てふためいてます。
 今まで、放置していたすべてが、自分に降りかかって来て、友達は去る、仕事は下降線、こいつは放置。正直なところ、50にもなる息子が、いまだあなたの手助けなしでは、車の免許さえ書き換えに、自分では行かない、という事態を、一体どう思ってるのか、聞きたいなあと思います。でも、話し合いは勘弁。
 あの人が、こんなになったのは、あなたのせいではないです。全部彼が、ひとりで悪いだけです。彼は、すべてをあなたや、昔の奥さんや、こいつのせいにしたがってますが、そんなことは聞かないで下さい。この際、すっぱり切り捨てたらどうですか?
 そうしたら、あなたの人生は、今からでも、もっとマシになると思うんですけど。
 少なくとも、善意と慈愛でやったことに、一から十までケチつけられた挙句に、感謝もなく、与えられるのは罵詈雑言だけという事態は、避けられると思います。
 あなたの子どもたちの誰も、あなたに対して、きちんと感謝の意を示さないのに、こいつは正直吐き気がします。母親であるあなたが、どれだけ身を粉にして、彼女らの世話を焼いて来たのか、まったく考えようともしない彼女らと、正直付き合いたくはないです。
 あなたが、こいつを、最初から受け入れて、可愛がってくれてるのに、心の底から感謝してます。すべてに同意するわけではないけれど、あなたに対して、深い敬意を抱いています。
 あなたがしたいこと、必要なもの、出来る限り、協力は惜しみません。
 でも、あなたの家族と、これ以上関わるのは、ごめんです。こいつは自分がいちばん可愛いので、人でなしとしか思えない、あなたの子どもたちと、今以上に関わるのはごめんです。
 お金とか家とか車とか、そういう話しかしないあの人たちと、うまく付き合っていけるとは思わないし、所詮、貧乏人アジア人のこいつには、中途半端に金持ちだったことのある白人の精神性は、まったく理解できません。
 いかに女らしくあるべきかなんてことには、こいつは興味はないんです。それについて、あなたの息子さんが文句を言うなら、「じゃあ、もっと女らしい女を、捕まえて来い」と言ってやって下さい。あの人が欲しいのは、優しい家政婦兼売春婦であって、パートナーじゃないんです。売春婦にも、家政婦にもなれないこいつが欲しいのは、敬意を持って付き合える、一生の同居人なんです。
 不満なら、いつだって別れる気でいますが、正直、こいつに去られて困るのは、あなたの息子さんの方だから、それで荒れれば、八つ当たりでひどい目に遭うのはあなただから、とりあえずビザのこともあって、こいつも、我慢してるんです。
 正直、いつもいつも、同居人の家族が、常に世界の中心なのに、うんざりです。
 こいつも、その家族の一員だそうですが、こいつは所詮、どこまで行っても他人です。彼の母親、彼の妹、彼の姉、彼の家族、それは、彼の家族であって、こいつの家族じゃないんです。こいつの家族は、日本にいて、こいつの帰国を、首を長くして待ってるんです。ぶっちゃけ、あなたの息子と、いつ別れるんだろうかと、そう思ってます。
 ・・・別れないこいつが、いちばんバカだけど。
 こいつの親は? 親っていうと、それはいつも、あなただけで、こいつは、自分の祖母が亡くなったことさえ、教えてもらえませんでした。ちなみに、あなたのお母さん(同居人のおばあちゃん)の死に目を看取ったのは、こいつでした。
 こいつは、どこまで行っても、こいつです。Van Doornを名乗る気はさらさらないし、あなたの擬似家族にはなれても、家族にはなれません、なりません、なりたくありません。
 家族ってのは、こいつにとっては、日本の親と、猫と、ここで一緒に暮らしてる猫たちです。すいません、あなたの息子さんは、こいつの家族認定するには、あまりにも人でなしすぎます。
 そういうわけで、すいません、あなたの娘のガーディアンは、まったく期待しないで下さい。

 って、面と向かって言えたらね・・・。
 最近、周囲のカナダ人が、何か喋るのを聞くと、本気で吐き気がする・・・あの、視野狭窄の知ったかぶり・・・日本帰りてえ・・・きちんとした、語り合いがしたいよ・・・。ひとりになりたい・・・。
 
ウツとホームシック - 2003/07/12(Sat)
 もしかすると、思ったより事態は深刻かもしれないと、思い始めた。
 この時期のウツは、毎度のことだと思うのだけれど、症状が、段々とそれらしくなくなってて、自分で自分の状態が、ヤバくなるまで、よくわからない。
 夏は、いつも帰国の時期だから、また日本に帰れないのかと、そう思うせいなのだと思うけれど、それにしても、何となく、ヤバい感じがする。
 体調が元に戻らないことはもちろんだけれど、体では感じるのに、一応体がきちんと機能してることを知らせてくれることが、なかなか起こらないとか、食欲がまったくないこととか、(たとえお腹が空いてると感じてても)何を食べたいとも思わないとか、食べても全然おいしくないとか、幸せになるのに、ものすごく努力が必要だとか、すべてがうっとうしいとか、すべてを投げ出してしまいたいとか、何もしたくないとか、したって無駄なのに、どうしてしなきゃいけないよだとか、無気力、投げやり、無力感、笑って誰かと話しながら、天井からロープを吊るすところを探してるとか、そんなことはないから、まあ、大丈夫なのだろうとは思うけれど、自分がわりと冷静で、大丈夫なんだろうと、思ってるところがまた怖かったり。
 大丈夫だと、信じ切れない。
 中耳炎らしい耳は、1ヶ月薬を飲み続けた(抗生物質)にも関わらず、まだ完治せず、これもまた、「日本にいれば、耳鼻科にほいっと行って、それで終わりなのに」と思う理由になる。
 こっちだと、まあ、医者(専門医)に予約を取って、その医者に会えるのは早くて1月先になる。救急病院は、抗生物質は処方してくれる(副作用でおそらく死にそうになるおまけつきは、まず間違いなしだけど)けど、治療はしてくれない。
 周りにいる人間たちの話すことと言ったら、誰かの悪口か、お金の話か、フカシばっかりだし・・・読んだ本の話とか見た映画の話とか、好きな音楽の話とか、できる相手がいない。
 どうして、借金抱えてる人に限って、楽にお金の儲かる話しかしないかなあ。そんなうまい話、あるわけないじゃんと、こいつは夢がないから真っ先に思うのだけれど、こうしたらこれだけ(何もせずに)儲かる、こうできたら、(これだけお金が入って)こうなるって、そんな話ばっかり・・・何百万も借金のあるその人は、自覚はないんだろうが、かなりの浪費家だったりする。
 金銭の問題抱えてる人って、それはお金だけの問題じゃないって、わかってないんだろうなあ。
 欲しいものがあるなら、買えばいいじゃないかと言われるけど、欲しいものを、即座に買わないから、こいつは借金がないんだよと言っても、多分わからないんだろうなあ。
 もっとも、ほんとに欲しいものなんて、何もないんだけどさ、ここじゃ。
 品質を考えれば、とてもそれだけのお金を出す気になんかならないものばかりだし、基本的には何を買っても、安物買いの銭失いになるし、高いお金を出したところで、求める品質は絶対に得られない。
 買い物でストレス解消もできない(苦笑)。
 映画見てる時は、話しかけられたくないんだよ。最初の瞬間から、字幕が流れて、完全に終わってしまうまで、意識を逸らしたくないんだよ。字幕が終わって、ほんとうに終わってしまうまでが、1本の映画なんだよ、その間、できるだけ集中してたいんだよ。面白いと思った映画は、何度も見返したいんだよ。ほんとなら、映画館でちゃんと見たいんだよ。でも、とてもじゃないけど、ロクな場所じゃないから、仕方なくテレビで見てるんだよ。映画好きな人の集まる、そういう映画館で、好きな映画を見たいんだよ。こいつが見たいのは、アメリカ映画じゃないんだよ。ヨーロッパとかアジアの、字幕じゃないと見れないような、そういう映画なんだよ。
 だから、うるさい、話しかけるな。申し訳ありませんが、「グレイト・ブルー」を見て泣いてたこいつに、「主人公が死んだからって、泣かなくてもいいだろう」と言ったあなたと、映画の話をする気はございません。
 あの映画が、ただのメロドラマにしか見えないあなたと、映画の話をするのは、巨大な無理です。
 ・・・だから、頼むから、放っておいて。
 楽しみたいことが、色々あっても、邪魔が入ると思っただけで、萎える。映画を1本、1時間半、一言の邪魔も入らずに見切ることさえできないと思うだけで、見る気が失せる。
 アルバム一枚、雑音入れずに聞き込もうとしても、どこかで必ず一度音を止めなきゃならなくなると思うだけで、聞く気が失せる。
 何か書こうと、机に向かっても、集中してる時に限って、5分置きに邪魔をする。
 うるさい。放っておいてくれ。
 あなたが不幸になりたいなら、ひとりでやって下さい。こいつは幸せになりたいんです。
 ああ、めんどくせ。

 何をしても、無駄だと思う。やり遂げたという、満足感へはたどり着けないと、始める前から思う。
 自分を幸せにするのが、また少しずつ、難しくなる。興味が失せたわけではなく、ただ、無気力で、自分のやることなすことがすべて、虚しい。
 自分が明日消えたところで、何が変わるわけではなく、少なくとも自分の見渡せる周囲では、世界はまったく変わらないと思うと、それが現実なのだと、いきなり気づく。
 自分が大事だと思うことが、あまりにも現実感がなくて、膚に感じる現実は、すべてが気の滅入ることばかりで、心地よい方を信じたいのに、そちらがあまりに自分から遠くて、そのギャップに、落ち込む。
 関わりたい人たちは、手の届かない場所にいて、そちら側には、そちら側の、こいつにはわからない現実がある。
 人と、関わりたい形で、関わりたい。
 電源を切れば、ぷっちり切れてしまう繋がりが、時々ひどく悲しい。常に繋がっているのだと自覚できない繋がりが、時々嫌になる。
 そう自覚できないのが、自分の問題だとわかってるから、よけいに、痛い。
 声を聞きたい人たちと、その形で繋がることは滅多になくて、まれに繋がれば、病的にはしゃぐ自分がいる。ガキだなあと思う。声が途切れた途端、落ち込む。
 話したいことは、山ほどある。でも、大半が、聞くことの苦痛なグチになるのがわかってるので、口を開けない。
 グチにならないために、共通の話題を探すと、でもその話題を共有できる人たちと、どう繋がっていいのか、よくわからない。
 繋がってるんだろうとか、そもそも思う。
 優しい会話をしたいのだけれど。けらけら笑ってばかりいるような、そんな会話が欲しいのだけれど。右から左へ流すのではなくて、必死に耳を傾ける会話がしたいのだけれど。相手の内側が見えて、それに対して、敬意を持てる会話が欲しいのだけれど。
 人の話を、意識して聞かない、というのも、ひどく苦痛だったりする。聞けば、一言一言に腹が立つから、意味を遮断して、音だけを聞き流すというのも、これはこれで非常に神経の立つ作業だったりする。
 ごく自然に、流れてくる言葉を、自分の中に滲み込ませることのできる、そんな会話をしたい。
 自分が思うところの、人間らしいすべてのことに、飢えている。
 お腹が空くこと、ゴハンをおいしいと思うこと、生きていて良かったと思うこと、家族に会えること、友達だと思ってる人たちと、繋がっていると、きっちり常に自覚できること、したいことをやって、満足感を得ること、何かについて、優しさと敬意を持って、語り合えること・・・。
 孤独は、今はいらないけれど、ひとりになりたい。
 また、簡単に幸せになれなくなってる。幸せな気分を味わうのに、ものすごい努力が必要になってる。
 死にたいとは思わないから、大したウツではない(と思う)けれど、こういう、普通の気分のウツは、何となく怖い。致命傷ではなくて、じわじわと、失血死してゆく感じ。
 死なないけれど、いつか死ぬのかもしれないと、根拠もなく、漠然と思う。
 そんな感じで、1日が始まって、終わる。何もしないまま、また眠ることになって、落ち込む。
 早く、元に戻りたい。早く、些細なことで、幸せになれるようになりたい。ホームシックはめんどくさい。
 好きな人たちと、大事な人たちと、生で関わりたい。自分の中が満たされる、そういう繋がりが、生で欲しい。
 贅沢なだけだと、わかっちゃいるが・・・。
 早く日本に帰りたいよ。英語の生活はもういいよ・・・。

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