10/15午後7時ちょっと前、正確には6時52分頃、仕事場から20分、家まで15分辺りの交差点で、轢き逃げに遭った。
高速のすぐ傍の、わりと交通量の多い場所で、青信号を自転車で漕ぎ出した瞬間、左側から赤信号を105kmで突っ込んで来た車に跳ねられて、そこから20m跳ね飛ばされた。自転車は30m飛んだらしい。
たまたま市バスを降りた女性が事故を目撃、車はそのまま走り去って、1時間後くらいに、すぐ近くに乗り捨てられてたのを警察が発見。
救急車がやって来て、その場でこいつを裸にして、首と頭と背中を固定。それに30分くらいかかって、それからすぐに、そこから車で数分の病院に運ばれた。
初見では、内臓出血(破裂)、背骨や首の骨折、頭の傷はかなり重傷という見た目だったらしく、CATスキャンとレントゲン、それからあれこれ検査をされて、結局怪我は、
☆ 肋骨の右側にヒビ(これは怪我のうちには数えない)
☆ 恥骨(骨盤)の、右腿との関節近くに3ヶ所の骨折
☆ 背骨の、肩甲骨の間辺りの柔らかな組織が押し潰されてて5割減
☆ 顔に範囲の広い擦過傷(見た目は、やたらと爪で引っかかれたみたいな感じ。いくつか深いえぐれ)
☆ 両足膝下にひどい打撲と擦過傷
☆ 左肩から腕全体に打撲
☆ 頭に切り傷(縫われなかった)
90km以上のスピードで対生身だと、まず間違いなく死亡に近いのが普通だとかで、手術もギプスも必要ない程度の怪我ですんだというのは奇跡だと、医者を含めてあらゆる人に言われた。
路上で1度、救急室にいる間に数度ショック状態(低体温)があったようで、医者としてはそっちの方が心配だったらしい。
目が覚めたのは翌日の早朝4時頃。何だか目の前で、人やら手やらががちゃがちゃ動いてるなあとぼんやり思ってたら、医者らしい人(覚えてないけど、アジア系だったらしい)が、
「これから唇を縫うから、麻酔をするから。」
と言って、ああ唇に麻酔の注射なんて痛いなあ、いやだなあと考えてたのを覚えてる。実際には注射の痛みは全然記憶にない程度のもので、事故後の痛みと比べたら無痛だったと言ってもいいくらい。
その直後に同居人がふらっと傍に現れて、車に轢かれたんだと教えてくれた。ああそうなんだ、としか思わなかった。
事故のことは、本人は無自覚にショックだったらしく、その日自転車に乗っていたという記憶すら消し去りたかったらしくて、その日の午後から記憶がない。仕事場を出て、ドアの鍵を閉めた記憶もなく、もちろん自転車にまたがって、そこから離れた記憶もない。そして、事故の記憶も一切ない。目が覚めたら、唇を縫われて、事故に遭ったと言われて、寒さに震えてるこいつを見て、お医者さんが毛布を持って来い、早く!と看護婦さんに怒鳴って、その毛布はとても温かかったけど、重くて表面がざらざらしてて、擦り傷やら打撲やらに当たってやたらと痛かったことだけ覚えてる。
目が覚めてからは、とにかく両足が痛くて、体は両手以外動かせなくて、何度か痛みに耐えられずに、看護婦さんを呼んだ。モルヒネを点滴で入れられた。喉が渇いてたけど、唇を動かせなくて、ストローで吸う力もなくて、スポイドみたいに、口の中に注いでもらった。
背骨の傷をいちばん心配されて、足のどこかに麻痺がないかと、何度も訊かれた。
午後には、Observation(観察)と呼ばれる場所に移されて、同居人の家族とか、仕事先のオーナーとか、友人とかと対面。顔が傷だらけだったのと、体が動かせないのとで、見た目はかなり悲惨だったらしい。鏡をやっと見せてもらって(家族には拒否された)、顔の傷を確認。確かに見た目はひどかった。口の中も血まみれ。これは鼻血なのか口の中の出血だったのか不明。でも、頬の内側には傷はなかったし、歯も全部揃ってた。包帯もなし、唯一、左の爪先や足首の辺りに、湿潤治療用の透明なシールが数ヶ所貼ってあるだけ。唇を2、3針縫われたのが、いちばん深い裂傷だった。結局ちょっとだけ剥がれた皮膚と、ちょっとだけ流れた血が、見た目のダメージの全部。
そこで事故の状況を聞いて、日本で買ったばっかりだった真新しい下着も、お気に入りでまだ数えるほどしか来てなかったカーキ色のダウンのベストも、普段着で重宝してたパーカーも、全部治療のために切られて脱がされて、警察が証拠として押収したと言われた。道理で手術着の下は、まったくの裸なわけだ。
それから、買ってから14ヶ月ほどだった自転車は、とても修理というような状態ではなく、現場で自立できた程度には原型を留めていたけれど、あちこち折れ曲がって、サドルも吹っ飛ばされて(これが恥骨骨折の原因)、もちろん証拠として警察へ。ちなみに
現場での写真。 そろそろ新しいのを買わないとなあと、そんなことを考えてた厚底のサンダルは、原形を留めていたのかどうか不明のまま、これも証拠として押収。
2005年の帰国時に買った眼鏡は、幸いにこいつより先に地面に放り出されたらしくて、少しレンズに傷らしきものがあったのと、フレームが少しだけ歪んでたのと、それだけで破壊は免れて、警察に押収されたけど、2週間くらい後で、自転車のバッグに入れてたこいつの持ち物と一緒に、こちらに戻って来た。
Obsevationでは少し元気になってて、わりと元気に喋りもしたし、それなりに食欲もあって、クッキー&クリームのアイスクリームが食べたいと言ったり、アイスカプチーノが欲しいと言ったり、事故にショックを受けてる周囲に比べると、死ななかったからラッキー、この程度の怪我ですんだのは、同居人の亡くなったおばあちゃんと、今年6月に死んだ実家猫のらんまるが守ってくれたからだと、こいつはずいぶんと能天気だった。
夜8時頃に、最上階のひとり部屋へ移された。基本的に、体を動かせない人たちのいる階だったらしくて、こいつは電動ベッドの背が持ち上がる振動にさえ耐えられないくらいの痛みに、それから4日ほど泣き喚くことになった。
何しろ入院なんて、物心ついてから初めて。期間も不明。日本の親には、日本人の友人が連絡を取ってくれて、事故直後にわざわざお見舞いに来てくれた後に、見たそのままを再度連絡してくれた。5日目くらいには痛みもやわらいで、モルヒネも必要なくなって、少しは動けるようになったからと、自分で親に電話した。やっぱり心配してたらしくて、電話の終わりには、お袋の声には涙が混じってた。
事故2日目には、すでにリハビリの話をされ、5日目くらいには、背骨の保護のためのBraceと呼ばれる固定器具を胸周りに着けて、とにかく動けと言われた。きれいに折れてる骨折ばかりだから、心配せずに動けと言われた。無理だっつーの。
1週間目辺りで、リハビリの人が来るようになって、無理矢理ベッドから起こされて、まず車椅子に坐る練習。これが、右足がまったく動かせなくて、立ち上がると眩暈がひどくて、さらに坐ってるととにかくお尻が痛くて、15分ともたない。それでも毎日、同じことをやらされた。とにかく坐っていられるようになりなさいと言われて、何とか必死で頑張った。でも眩暈がひどい。お尻も、死ぬかと思うほど痛い。お尻に関しては、こっちの人と比べれば、東洋人の女性の腰というのはとても肉が薄いからだという結論で、車椅子にはぶ厚いクッションを敷いてもらい、ベッドの背を立てて、そこに坐ってることもできないくらいだったので、マットレスの上にジェルのシートを敷いてもらった。それでも痛かったけどさ、マシにはなった。
2週目には、一応ひとりで食事もできるし、助けなしで清拭もできるようにはなって、さらに歩行補助器を使って、数歩なら何とか歩けるようにもなってて、そうなると欲が出て、まだ血だらけで汚れたままの頭が気になり始める。シャワーを浴びたい。
事故からちょうど1週間過ぎたところだったか、自力で起きられるならシャワーを浴びてもいいと、看護婦さんから許可が出る。そして導尿も取ってもらえると言われた。自力とは言っても、起きるのに手を貸してくれるんだろうと思ってたらとんでもない、そこに立った看護婦さんは、
「自力で起きられないのなら、シャワーは無理ね。」
と、冷たく言い放ってくれた。起きたよ、必死でベッド両脇のレール掴んで、動かない足を滑らせて、必死の形相で、ひとりで起き上がったよ。ハレルヤ。看護婦さんが鬼に見えたけどありがとう。坐ったままで浴びられるシャワーへGo!
翌日くらいに、自力で動けるようになったせいか、4階へ移される。そこは短期入院が基本の、手術前後の患者さんの階で、階の一部は、隔離病棟にもなってた。隔離が必要なわけはないし、手術もないので、実際どうして4階なのかこいつも首をひねったんだけど、こいつの担当医が外科医さんだったので、恐らく自分の身近に置いておこうということだったんだろうと思う。
残念ながらこの階には、椅子に坐ったまま入れるシャワーの設備がなくて、入れられた4人部屋のトイレも、椅子ごと入るには少々狭くて、まだ歩けないこいつにはひどく不便なところで、挙句導尿のせいで膀胱炎を起こしてたこいつは、抗生物質を飲まされることになって、これが後々副作用でひどい目に遭う原因のひとつになった。
入院の最初から血圧が低いということ、やたらと眩暈と失神寸前が多いことを、この段階で心配され始め、担当のお医者さんには一度も会わなかったけど、内科のお医者さんが毎日顔を出してくれるようになった。
血圧が低いのは昔から、ストレスのせいの自律神経失調症で、子どもの頃から思春期辺りにいろいろ症状が出たけど、今は基本的には健康と言うんだけど、かかりつけのお医者さんがいないので、こいつの言うことは基本的にあまり信用されず、何だかえらい大事(おおごと)な検査をいろいろされた。心臓の病気まで疑われたよ!ストレスで熱なんか出ないとか、断言されたしな! さすが37度が平熱の国だ!
ここで過ごすことになった入院2週目は、それでもきちんと回復してるのがわかったし、本格的に歩行器で歩くリハビリも始まって、眩暈さえなければ順調な感じだった。
3週目、やっと再びシャワーを浴びる話になったけれど、問題はこの階ではシャワーが浴びられないこと、この階には隔離病棟があるので、他の階に行くのは少々問題があること、というわけで、看護婦さんに話をしたら、6階に交渉してみてもいいと言われた。6階に交渉しに行ったら、たまたま最初の1週間、ずっとこいつの面倒を見てくれてた看護士の人がいて、婦長に当たる人に話を通してくれ、すんなり許可が下りた。ハレルヤ!
でもこのシャワーがまずかった。このシャワーの前週から、排便がまだきちんとないということで下剤を飲まされ始めてて、それでも効果がなくて、下剤を数種いっぺんにということになって、それでやっと事故後初めての排便があって、同じ日にまたさらに下剤を飲まされて下痢を起こして、脱水症状を起こしてたことに気づかなかった。
38度越えの熱が、シャワーの直後から約1週間続いた。また点滴と導尿に逆戻り。胃が痛くて、水すら飲めなかった日が4日。やっと何か食べても全部吐く、食べなくても胃液を吐く、痛み止めのせいだと思うと言ったら、前述の内科の先生が、膀胱炎の抗生物質も痛み止めもやめなさいと言ってくれた。そしたら途端に、眩暈がなくなった。
この辺りから、骨折の痛みが突然消えて、4階の廊下を、ぐるっと一回りできるようになった。足を動かすのも、ずいぶんと楽になった。
4週目は、熱も下がって楽になって、何より食欲が戻って、1週目の終わりにはすでに転院を打診してたリハビリ施設に、一体いつ移れるのか、そればかりを気にしてた。
4週目の木曜日、やっとリハビリの施設に転院。通ってた大学のすぐ隣りにある病院。細身のストレッチャーに移され、シーツでミイラみたいにくるまれた上から、しっかりストラップで固定されて、まるで羊たちの沈黙のあの殺人鬼みたいだと思いながら、緊急ではない救急車(?)で運ばれた。
リハビリの病院は、明るくてきれいで、今度はふたり部屋。電話はそれぞれにある。部屋にあるトイレも広い。でも隔離病棟のある階から来たということで、検査を2種類パスするまでは部屋から出れない。部屋に出入りする人たちは、みんなマスクを着けて、手袋をして、体を覆う長袖の手術着みたいなのを着る。ああめんどくさい。
5週目が終わる今現在、Braceはひとりで着脱できるし、自力で歩こうと思えば歩けるし、歩行器つきならかなりの距離行けるし、トイレもシャワーもひとりで大丈夫、服の脱ぎ着(下着とか靴下も含)も助けはいらない、床のものも自分で拾える、階段も監視つきなら心配なく上り下りできる、少なくとも病院と言う環境でなら、基本的にすべてのことはひとりでやれる。
と言うわけで、週末の帰宅が許された。外ではまたいろいろと大変で、その大変なことを今から学んで、退院した時にはすでに対応できる状態になっているために、いろいろやっている最中。
外出は2時間が限度。まめに横になって、背中の痛みをあんまり我慢しないように。ソファは案外と、坐ってるのも立ち上がるのも大変。横歩きは右足の痛みがひどい。車の乗り降りは、4回目くらいから右足の痛みが増す。寝る時は、右膝の下にクッションを入れると楽。右足が滑ってベッドから落ちると、自力で元に戻せないので、あまりそちらの端には寝ないように。左腕を使う時は気をつけて。
まだもう少し、退院には時間がかかりそう。
加害者について。
32歳で前科持ち、以前にも事故で前科があるそう。警察には、非常に悪い意味で有名な家族のひとりだそうで。
今回の轢き逃げでは、それぞれ10年求刑されるだろう罪状がふたつ、事故の時には別件で保釈中で免停中で保険もなくて、さらに友人に偽のアリバイを頼んだというおまけつき、現在刑務所で裁判待ちという状態。こいつが証人として呼ばれるかどうか知らないけれど、とりあえず裁判が始まったら、あちらの弁護士が何を言うのか、ぜひ聞きたい。
こいつの自転車もすごい有様だったけど、彼の車も相当なダメージだったらしい。よくやった自転車。105kmの勢いをほとんど引き受けた形になって、こいつを救ってくれた自転車、どうもありがとう。警察から万が一面会を許してもらえたら、ぜひ直接お礼を言いたい。
彼の家族の悪名のせいか、こいつの個人名はきっちり伏せられて、新聞で一面を飾る、ローカル外でもニュースになるという不名誉にも関わらず、年齢と自転車だったという情報以外は一切流れなかった。もちろん、彼の家族だとか知人だとかいう人たちが、こいつと連絡を取ろうとした形跡は、一切ない。逆恨みがないようでありがたいと思うか、謝罪もなしかと憤慨すべきか。
こいつが死ななかったということで、過失致死にはならない彼は、とても幸運だと思う。彼が轢いたのが、お年寄りとか妊婦さんとか子どもとかでなくて、彼は幸運だったと思う。彼はそうは思ってないだろうけれど、こいつと同じくらいに、彼も運が良かったことは間違いない。
事故の記憶がないせいで、死んでも気づかなかったなあと、何だかしみじみと思った。最初に心配したのが、まあ日本への連絡とサイトのことだったっていうのは半分笑い話で。
死ぬというのは、わりと簡単にあっさりと起り得る、痛みの心配すら必要ないかもしれないのだと、身を持って知った。苦痛のない死というのを、ある意味常に夢見てるこいつには、ひどく驚いた発見だった。だから今日をきちんと生きようってのは、まあ今さらわざわざ思うことでもないけれど。
事故前と事故後の自分が、もう同じ人間でないのだという自覚(思い込み?)はあるらしくて、病院で見る夢では、いつも事故後の自分だった。
背骨の組織が5割減というのは、もう一生このままだし、足も顔も、ひどくはないけれど傷跡だらけだし、打撲は今もアザのまま、脚の筋肉がずいぶんと落ちた。個人ではなくて、入院患者という個性のない存在として扱われるということで、少々削げてしまった尊厳というものもある。一時的とは言え、いわゆる健常者ではないという状態になって、それがどれほど不便で大変なことか、そういう状態で普通に生きている人たちのバイタリティの凄さとか、そういうことは身に染みた。事故は一応トラウマになってるらしくて、車に乗って外に出るのは少々怖い。まだ事故現場には行ってない。自転車に乗れるようになるには、まだまだ時間がかかる。入院中に、何度か悪夢も見た。これから忙しくなるクリスマス前に、仕事はもちろん休職。ほとんど寝たきりで過ごしたひと月だった。
事故後の自分という、傷跡だらけの自分に、慣れるだけという問題だとは思う。それには、思ったよりも時間が掛かりそうだと、今は思う。
多分11月中には、リハビリも一段落して、完全に退院できると思う。完治はまだまだ先だろうけれど、ひとまず普通の生活には、近い内に戻れると思う。
仕事に戻れるのは春先か。1月には両親がこっちに会いに来てくれる予定。その頃には、歩行器なしで普通に歩けるようになってたい。
退院直後は、同居人のお母さんのところへしばらくいる予定。自宅の階段が不安なので。猫たちとの生活は、もう少しお預け。今のところ、そんな日々。
太陽を浴びない時間が長くなったせいか、鬱が悪化して、シャレにならない状態に陥ってた95年の終わりから96年の初め、少しでもマシな状態になるために、猫の世話でもするしかないかなーなんて、そんな軽口を叩いてた、96年の春先だった。
我ながらひどい状態にうんざりして、現実逃避のために、久しぶりに長期の日本滞在をお袋に打診したら、あっさりいいわよと言われて、喜び勇んで飛行機に乗ったのが4月の終わり。9月の新学期まで戻らない、久しぶりの長期休暇としゃれ込んだ、そんな状況だった。
日本ではGWの始まり、そろそろ暑くなり始めの頃、バイト先へ自転車で走る路上に、大きなゴミを見つけたのは、確か散髪屋さんと喫茶店の前。
誰だよこんなデカいゴミ放置したのはーと、ペダルを止めて顔をしかめたのを覚えてる。近づいて、それがゴミではなくて、汚れた子猫だとわかった背後で、中学生だか小学生だか、数人がちゃがちゃ近づいてくるのが聞こえた。
近づいても、逃げる様子もない。このまま放っておいたら、目の前の道路に出て行くか、お店の人に見つかって保健所送りになるか、今近づいてくる子どもたちに何かされるかも、あれこれ一瞬のうちに考えて、結局、自転車のカゴの中に、その猫を取り上げて入れた。そのままバイト先へ走った。
前の年に、バイトの上司が猫を拾って飼い始めたというのを知っていたので、あわよくば彼女に押し付けようという算段だった。
片手に乗る大きさしかない子猫は、鳴いても声も出なくて、目は汚れてぐちゃぐちゃにつぶれたままで、ほんとうに憐れな姿だった。
上司は、薄汚れた子猫を抱いて現れたこいつの思惑を先読みしたのか、
「獣医さんに連れて行かないと。連れて帰るのに箱がいるわね。」
と、さっさと押し付けられないように、あれこれとこいつのために世話を焼いてくれた。この段階で、うわーどーしよーと、後に引けずにちょっと青くなるこいつ。
財布には、お袋からもらった4千円。野良子猫だし、もしかしたら請求に手心を加えてもらえるかもと、拾ったものをまた捨てるわけにも行かず、上司が教えてくれた獣医さんに、すぐ電話を入れた。
「野良猫拾っちゃったんです。見てもらえますか。」
「じゃあ、すぐ連れて来て下さい。」
面倒見の良い先生だと聞いたのは、後で猫絡みで親しくなった、バイト先関係の別の知人からだった。
色黒の、丸四角い顔をした男の先生。獣医は生まれて初めてのこいつ。銀色の診察台の上で、何だかおとなしい子猫。
「目、大丈夫ですか。」
「治ればね、ちゃんと開くから。ひどい風邪だね、これは。」
「母親に捨てられたんでしょうか。」
こんな子猫を、誰かが捨てるとは思えなくてそう言ったら、先生は言下に否定した。
「母猫は子ども捨てたりしないよ。」
優しそうな先生が、その時だけ、厳しい顔になった。
衰弱が心配だから、ブドウ糖を打っておこうと言って、小さな注射が出て来る。かわいそうな子猫を押さえて、ちょっと怯えてるのに声を掛けながら、大丈夫だから大丈夫だからと、主に自分に言い聞かせてた。
「ちょっと元気になったみたいに見えるかもしれないけど、それはブドウ糖のせいだから。」
先生が笑いながら言った。
受付で、子猫の名前を聞かれて、いや捨猫拾っただけなんでと言ったら、看護婦さん(?)に笑われた。
「・・・すいません、今手持ちが4千円しかなくて・・・残りは後でもいいですか。」
よくあることなのか、特に困惑と言う反応もなく、いいですよーとあっさり言われ、3千円だけ払った後で見たら、請求書の初診料のところが2重線で消されて、合計が安くなってた。ありがたやありがたや。
先生がそう言った通り、診察が終わってバイト先に戻ってみたら、まあ動く動く。路上でさっきまで死に掛けてたのは演技だったのかよ!と言うくらい、何だこの元気なの。
でも目がつぶれてるせいで、無残な見かけは相変わらず。もらった目に塗る薬を、嫌がられながらさっそくぬりぬり。元気になれよ。
夕方遅く、家に帰る。
こいつが抱えた箱を見て、お袋が怖い顔で、玄関で、
「何それ。」
「・・・猫。」
親父が2階から降りてくる。
「そんなものどうする気だ。」
でもなぜか、そのまま捨てて来いとは言わず、2階に戻ってしまう親父。母親も、勝手にしなさいと言っただけで、奥に引っ込んでしまった。
とりあえず、仮の宿の了解は得たということかと、ちょっと安心して、自分の部屋もすでにないこいつは、本棚ばかりの部屋へ、猫と一緒に閉じこもる。
小さな箱を持ってきて、いらないタオルを敷いて、牛乳パックの下の部分を切り取って、即席の皿を作る。猫に食べさせられるものはないし、財布の残高は0に等しいので、今夜はミルクだけで我慢してもらう。ごめんよ甲斐性のない拾い主で。
とりあえずミルクは飲んだ。粗相をされると困るので、一晩つききりのつもりになる。抱えて帰った箱には、汚されても心の痛まないこいつのシャツを入れて、匂いがあれば安心してくれるかと、そんなことを思う。
数年前に、初めての同居猫(ホームステイ先の)を撮るために買ったカメラで、写真を撮りまくる。何しろこんな子猫が手元にいるなんて、そんな機会は滅多とない。
元気になれよと思いながら、あれこれ里親探しのことを考える。まあ何とかなるさと、案外元気そうな子猫を見て、ちょっと安心した。
一晩過ぎれば、目も少し開いて、ずいぶん元気になって、部屋から出てちょこちょこうろつくようになる。
「飼い主見つかるまでだから。」
と本気で言って、ついでに、獣医さんの支払いがまだ残ってることと、猫のゴハンを買いたいことを伝えて、お袋のちょっと厳しい顔にひたすら頭を下げて、何だか鬱のことなんか、すっかり忘れてた。
そのまま3日、目は汚れてはいるけれどすっかり開いて、毛並みもまあまあそれなりになって、薄汚れた感じはずいぶんなくなった頃、でもまだウンチもオシッコも出ない。ゴハンちゃんと食べてるのに、全然そんな様子がない。
さすがに心配になって、獣医さんに電話をした。
「すいません、この間の捨て猫、全然ウンチとかオシッコとかないんですけど。」
「ああそう、えーとね・・・」
猫の様子だのを詳しく聞こうとしてくれる獣医さんに、こいつは半分涙目であれこれ説明してて、その前を、肝心の本人はうろちょろ元気にうろついて、ふっと目の前の床をふんふん嗅いで、ちょこんとおしりを落としたと思ったら、ちーっとやらかしてくれた。
でっかい水たまり。さすが数日分だ。
「・・・すいません、たった今オシッコしてくれました。」
向こうで大笑いする獣医さん。あーもー恥ずかしいー!とか言いながら、どこ吹く風の子猫を避けて、オシッコの水たまりをきれいにするこいつ。でもうれしかったなあ。
ところで子猫は、拾われた翌日には、理由も何もなく、単なるこいつの直感で、"らんまる"という仮名を与えられてて、お袋も特にそれに異議を申し立てるわけではなく、足元をうろちょろする小さな毛玉を、すでに愛しげに眺め始めていた。
親父の方は、早くどうにかしろということも言わず、とりあえずらんまるを邪魔扱いしつつも、追い出そうとはまったくしなかった。
お袋が後で言ったところによると、最初の夜に追い出せと言わなかった段階で、すでに飼うということには同意したに等しかったということらしい。
結局、憐れな薄汚れた子猫の、あまりの可愛さに、うちの親たちは最初からメロメロだったってことか。
それでもしばらくは、飼い主を探すと言う話は、きちんとこいつの中では本気だった。
運悪くGW中、まだ仮宿という状態にも関わらず、こいつは泊まりの出張が入って、らんまるを置いて出掛けることになり、不本意ながらお袋に世話を頼むことになり、お袋はこいつに怒りつつ、ちゃんと面倒を見てくれると言った。
驚いたことに、こいつが出張から戻って来た時には、お袋の手でトイレの躾もできてしまっていて、1度、親たちが昼間出掛けた間に粗相はあったものの、それを笑い話として語るお袋の顔は、間違いなく母親の顔だった。
厳しく優しく、らんまるはお袋に躾けられ、それを見ながらこいつは、自分もこうやって育てられたんだなあと、言葉には出さずに、お袋(と親父)に、深く深く感謝してた。
らんまるはお袋が大好きで、そして親父のことも大好きだった。
わかりやすく愛情を表すと言うことを、基本的には一切しない親父が、らんまるを邪険に扱いながらも、膝に乗られてもそのまま、傍に寄り添われてもそのまま、おもちゃを投げて遊んでやったり、何気ない仕草を笑ったり、親父も丸くなったなあと、こいつはただただ驚くばかり。
結局、夏の終わりに、こいつは本気でらんまるをこっちに連れて戻るつもりでいたのに、
「いや、置いて行っていいから。うちにいるから。」
というお袋の一言で終了。らんまるは、めでたく親たちの飼い猫となった。
こいつは、思い出深い夏が終わり、らんまるに後ろ髪引かれながら、ひとり大学に戻った。
らんまるは元気?というのが、しばらくは電話での会話の大半で、拾った時には体重450g、推定2ヶ月(でも後で考えたら、まだ1ヶ月くらいだったのかも)だったらんまるが、すっかりふわふわの成猫になり、躾の行き届いた、ご近所に恥ずかしくないりっぱな飼い猫になっているというのを、お袋が送ってくれた写真を眺めながら、ひとりにまにまするこいつ。
らんまるに救われたなあと、ほんとうに、心の底から思った。
軟禁生活の約8年間、らんまるに会いたくて会いたくて、こいつのこと覚えてるかなと、そればかり訊いてたような気がする。
病気らしい病気もなく、海苔に目がなく、お袋が飲み終わった後に丸めた薬包紙に目がなく、親父が朝食に用意したメザシを、テーブルから盗んで行って叱られたとか、友達がくれたキーホルダーのマスコットを気に入って、あちこちに連れ回してるとか、相変わらず親父と仲良くしてるとか、そうして、いつの間にか拾ってから10年が過ぎ、このまま順調に行ったら、親たちとの同居生活は、らんまるの方が長くなるなあと、高校で家を出されたこいつが、思い始めたこの頃だった。
ほんとうに、賢い猫だった。少々利かん気なところもあったし、やんちゃで手を焼いた時期もあったけど、子猫の頃から聞き分けのいい、ほんとに手の掛からない猫だった。
季節のいい頃には、夜のパトロールの後に、ベランダにぽつんといて、それを親父が寝る前に迎えにゆく。親父に抱かれて、たまには冗談で、頭を下に逆さに抱かれて、家の中に連れ戻される。冗談は好きでも、それをわざわざ態度に表すということはしない親父の、珍しい仕草だった。らんまるも、それをわかっていて、おとなしく親父に抱かれてた。
親が、こいつが高校の頃から住んでた家を出て、老後の住処にとマンションを飼い、一応ペット禁という建前のために、外歩きは禁止され、人の出入りがある時はケージに入れられた。それでも、それなりに、居心地良く暮らしてたように見えてた、らしい。
でもやっぱり、ストレスだったんだろうな。
しばらく前に肺炎をやらかして、危ない状態だったけど、獣医さんのおかげできちんと完治し、やれやれと思ってたところに、急性糖尿病の発作。
エサを食べなくなって、お風呂場に横たわって、動かずにぜえぜえ息をしてたのを、お袋は一晩ずっと傍にいたらしい。
入院して、大丈夫でしょうとは、今回は言ってもらえず、その夜そのまま息を引き取った。6月27日のことだった。
11年とちょっと。今時の猫の寿命として、決して長い方ではなかったにせよ、外猫として気ままに暮らし、それなりに緑の多い環境(すでに過去形になるけど)で、賢く他の猫とは争わず、適当に親たちに甘やかされ、けれどきちんと躾けられて、不満がなかったわけではないだろうけど、らんまるは幸せだったと思う。
あの時、あのまま路上に放置してたら、その日中に死んでたかもしれない。どうしてあの時、らんまるを拾う気になったのか。鬱でなかったら、財布に4千円なかったら、上司がすでに猫を拾ってなかったら、あの時ほんの少し違う時間に家を出てたら、らんまるとは縁がなかったかもしれない。
らんまるは、確かにあの時のこいつを救ってくれた。らんまるのおかげで、ほんとうに楽しく過ごせた4ヶ月だった。
拾った時には死に掛けてたように見えたくせに、ほとんど世話に手間も掛からない猫だった。死んだ時だって、思わず、「ほんとうに手の掛からない猫だった」と、お袋と思わずつぶやき合った。
放浪中のひどい風邪でやられた目は、結局涙腺が一部壊れた状態のまま、特にこれと言って不都合はないけど、いつも目を潤ませて、くるんとした大きな目で人を見上げる猫だった。
らんまるは、こいつに拾われるためではなくて、こいつを救うために、あの日あの時、あの場所にいたんだろう。そして、きっと、こいつよりも親と長く過ごせば、こいつがやきもち焼くと見通して、逝ってしまったんだろう。らんまるは、そういう猫だった。そんな気遣いをするだろうと、思わせてくれる猫だった。
出会ってくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。愛させてくれてありがとう。ほんとうにほんとうに、ありがとう。
わざわざ口にするような親父じゃないけど、きっと多分、らんまるがいなくなったことを、誰よりも淋しく思ってると思う。
親たちが、どんなふうにこいつに対して愛情を表現してくれてるのか、わかりやすく見せてくれたのがらんまるだった。一緒には暮らさない親子同士、ある種の照れと距離のせいで、なかなか素直になれないこいつらのために、間に立って、いろんなものを見せてくれた。らんまる、どうもありがとう。
生まれて来てくれて、ありがとう。あの時まで、生き延びてくれてて、ありがとう。あの場所にいてくれて、ありがとう。こいつと一緒に来てくれて、ありがとう。我が家に、耐えない笑い声を運んで来てくれて、ありがとう。親に感謝するチャンスを与えてくれて、ありがとう。あの人たちが、どれほどの愛情をこいつに注いでくれてたか、間接的に見せてくれて、ありがとう。あの人たちが、生来持ってる、でもなかなか素直には表現できない優しさを注げる対象になってくれて、ありがとう。人という生きものとの同居は、いろいろ息苦しいこともあったと思うけど、家出もなく、不満を表すような素振りもなく、ありがとう。親父がたまに短気を起こしてたらしいけど、それでも親父を好きでいてくれて、ありがとう。あの人が、ほんとうはとても優しい人なんだということを、自覚させてくれて、ありがとう。
一緒に生きてくれて、ありがとう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。100万回言っても足らないけど、ほんとうにどうもありがとう、らんまる。
もし毛皮を替えて生まれ変わってくるなら、できたらこいつのところにして欲しいな。先客が6人いるけど、きっと大丈夫。一応一軒家で、一応裏庭もあるから。猫じゃないなら、何でもいいから、こいつのところに現れて欲しいな。ありがとうって、できたら直接言いたいから。
もう一度、会いたかった。こいつを救ってくれて、ありがとう。今もきっと、こいつのことを心配そうに見てるんだろうな。妹分のくせに、年上みたいなところのあるらんまるだったから。
こいつが逝ったら、その時覚えててくれるかな。先に逝ったCoalとは、もう出会ったかな。Layneには声掛けてくれたかな。
また出会いたい。今度は、数ヶ月だけじゃなくて、もっとずっと一緒にいたいな。
らんまる、ほんとにほんとに、どうもありがとう。ゆっくり休んで下さい。おやすみ。
自分のやってる仕事が、実は大嫌いだったり。いや、同居人の自営業を、手伝ってるだけなんですが、同居人が体を壊して(とっくに回復中、でも要安静)不在なので、仕方なく(←50倍角)、経営者代理で、矢面に立って3週間。
はっきり言って、今すぐでもトンズラしたい。
そもそも、人を使う技量もないし、人に使われることには慣れてても、人にあれやれこれやれと命令するってのは、ごく自然に、ある種のカリスマってもんを要求するわけで。そんなものは、生まれつきか、きちんと努力で手に入れるしかないもんで・・・そんなもん、こいつにはねえ。
大体、アカだアカだと言われ続けてる家族の中で育った人間が、経営者やるっつーのは、そもそもが矛盾してないか。してるよ。と、自分で頭抱えながら、ツッコんでみたり。
経営者っつーのは、やっぱり選ばれた人たちがなるもんで、そこらに転がる人間が、誰でもなれるっつーもんでもないんだなあと、感嘆。お金は必要ですが、それ以上に、経営者になれるだけの、精神的強靭さ、柔軟度が、絶対に必要だと思う。
ここから↓暴言モード。
そもそもさ〜、自分は絶対悪くない、と主張するだけしか能のない人間なんか、使い物になるわけないじゃん。失敗しても、絶対にそれを改めないし、それどころか、他の誰かを責めることに腐心する。口を開けば、言い訳ばっかり。
あのな〜、こいつはな〜、ほとんどボランティアで、ここで働いてるんですが。働いてる人は言うこと聞いてくれねーし(相手がガキで、女で、白人でなくて、英語もしゃべれないこいつだから、というのは、絶対にある)、言うこと聞いてくれる人だけを、大事にするわけにも、これまた行かず、客は客で好き勝手言うし・・・だから〜、文句言いたいなら、これが文句です、ってのを筋道立てて説明してくれよ。もっとも、言われたって、善処します、としか答えようがないけどさ〜。
っつーか、こいつなんかじゃ、どうにもならない(人対人である限り、どうしようもないことはもちろんある)ことはさ〜、どうしようもないんだってば〜。こいつ、全部ひとりでやってるんだからさ〜、大事じゃないことは、後回しなんだよ〜。
ああもう、地図も読めない、読み方も知らない、困ったちゃんの白人と付き合うのには、もう疲れたよ・・・車持ってて、免許証あるだけで、うちで仕事が(好き勝手に)できると思ってんじゃねーぞ。
おととい、久しぶりに仕事に戻ってきたキミ、こいつはキミが大好きだよ、友達になりたいと、思うと思うよ、普通に出会ってたら。音楽の趣味も合うし、キミはこいつがどんな人間だろーと、気にもしないみたいだし、こいつの名前も、きちんと覚えててくれてるし、イイやつだと思うよ、友達としてなら。
でもね、我々は、友達じゃないんだよ、残念ながら。友達以前に、キミとこいつは、事務所で働く人間と現場で働く人間なんだよ。同僚である以前に、残念ながら、雇い主と働いてくれてる人なんだよ。
だからさ、残念ながら、こいつがキミにまず求めるのは、仕事をきちんとしてくれるっていうクオリティであって、友人としてのクオリティじゃないんだよ。
キミはこいつを、仕事以前に友達だと思ってくれてるみたいだけど、それはキミが、甘えてるからだと思うよ。こいつが、キミの仕事ぶりについて、少々苦言を呈したのを、ものすごくパーソナルに取ったみたいだけど、キミの今の態度だと、どこでも同じことになると思うよ。
こいつ、キミが大好きだよ。友達として出会えたら、どんなに良かったかと思うし、でも、友達が先だったら、もっと今悩むんだろうなと思う。仕事に戻ってきてくれて、うれしいと思うと同時に、キミのことで、胃の痛い思いをするんだろーなーと、今から考えてもいる。
もっとも、事態が深刻になる前に、キミはきっと、また仕事をやめてしまうんだろうけど。
偏見でなく、ウチでしか働けないと思ってる人って、他では仕事できない人ばっかりだから、どうせまた、戻ってくるんだろうけどさ、いずれ。
まあ、そんなことを言いつつ、こいつも同じことを、働いてる人たちに言われてるんだろうなあ。人として、仕事はしにくい相手ではないけど、仕事の出来る人間ではない、彼らの経営者の器では、まったくないと、そう評価されてるのが、自分でわかる。
この仕事には、まったく適切でない人間だってのは自覚してるから、開き直ってる部分もあるとは言え、それなりに時間こなして、仕事はできなくもない、というレベルに達して、でもやっぱりプロフェッショナルになんかなれっこない、という辺りには、ひそかにヘコむ。
っつーか、なれない以前に、なりたくないけどさ。
客も、失礼なのばっかだしな〜・・・いや、いい人もいっぱいいるけど、そうじゃない人は、目立つし、何しろ、うるさい(苦笑)。同居人を、他人として、大量に接しなきゃいけないようなもんだ・・・。
だからさ〜、いくら慣れたとは言っても、自分が常に正しいのが、この世の中だと信じきらないと、自我も保てないような連中とは、やっぱり付き合いたくないんだよ〜。
悪いんだけどさ〜、アンタ、何様?と言いたくなっちゃうんだよ〜。
自分が常に正しいと信じるようにしつけられた人間にとっては、まずは自分が悪いと思うように育てられた人間は、格好の餌食です。とことん食いものにされる。
・・・人間なんか、嫌いだ。
なんかも〜、自分も含めて、人生に問題の多すぎる連中となんか、付き合いたくないよ〜。貯金がないから、失業すると明日から路上生活とか、彼女とか彼氏とうんちゃらかんちゃらで、子どもがどーのこーの、踏み倒した借金があるから、あれができないこれができない、だから何とかしてくれ・・・知るか。
月の給料が20万で、半分以上がクレジットカードの利息の返済とか、払ってない携帯電話の料金のせいで、電話止められたとか、家賃払えないとか、車の修理代がないとか、そんなこと、こいつの知ったこっちゃありません。
子どもがいない人間には、こんな苦労はわからないって、だからこいつは、子どもをつくらないことを、選択してるんですってばよ。自分のことと、同居人の世話と、仕事だけでひいひい言ってるから、子どもの面倒見るような余裕はありません。
っつっかさ〜、早い話、ウチで働いてる人の、母親の気分を、始終味わってます・・・。お客さんからもだけどね(苦笑)。
もっとも、異様に冷たい母親だから、滅多と助けることはしないし、滅私奉公なんて、絶対にしないけど。何を置いても、自分がいちばん大事。
正直、自分の人生つぶしてまでも、手を差し伸べたいよーな、魅力的な人間は、今は周囲にはいないし。
自分の方が可愛い。
・・・良識も常識もない連中と付き合うのは、神経が傷む。こういう連中よりも、社会的には、自分の方が劣等だと思われてる、というのも、気持ちがやさぐれる。
自分が、ほんとに、踏みつけにされる虫ケラみたいな気分になる。
こいつが、どんな人間であろうと、どんな長所があろうと(いや、あるとしたら、の話で)、踏みつけにされるための虫ケラである、という以外の部分は、無駄でしかない、という状況は、ほんとうにこう、自分か、誰かを、殺したくなる。
死にたいと、思うわけではないんだけれど、死なない限りは、この状態から、逃亡さえさせてもらえないっていうか、すべてを捨てて逃げ出すと、比較的まともな、一生懸命人生立て直すために、働いてる人に迷惑がかかるから、その人たちのためだけにでも、とにかく仕事を続けなきゃ、と思うんだけど・・・。
こう、毎日同居人のコピーみたいな人たちに、少しずつ、入れ替わり立ち代わり踏みつけにされると、ほんとになんかこう、完全に現実逃避したくなる。
こいつは、この仕事が、大っきらいだ。この仕事に関わる、半分くらいの人と、多分できたら完全に縁を切りたいと思う。っていうか、こいつが消えるのが一番早いよ・・・日本帰りてえ・・・。字の読める人と話をしたい・・・生まれてから、きちんと静かに本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたりしたことのある人と、話をしたい。大学までとは言わないから、一応きちんと高校まで卒業した人と、話をしたい。できたら、薬とかマリファナとか、やらない人と話をしたい。できたら、お酒も飲まない人だとありがたい。もっとわがまま言っていいなら、移民2世辺りだと気が楽。ホモセクシュアルに嫌悪がなかったらいいなあ。
・・・そんな人、いません。
・・・こんな時に、どヘテロの友達に、またホモセクシュアルについての、勘違いな発言されるし・・・。わかってないだけだろうから、流したけどさ・・・生暖かく苦笑いしたよ。
あ〜あ〜、ゲイの友達が懐かしいよう。
人と付き合うのが、苦痛で仕方ない。ひとりで閉じこもって暮らしたい。そもそも対人関係は、こいつはとってもこう、点数の低いヤツだったような気が・・・人とあまり接する必要のない仕事をする予定だったのになあ・・・どうしてこんな、1日に数千回も電話で人と話をしなきゃいけない仕事してるんだろう・・・絶対間違ってるよな・・・。
結局、結論としては、場違いなところにいて、場違いなことをしてる自分が悪いんだよな、という辺りに落ち着くわけで。
人生すべて間違いでした。生まれて来てすみません。