追悼その3
- 2002/06/01(Sat)
まだ、聴けない。自分から進んで、彼らに触れようと、まだ思えない。
たかが一月で素面になれるほど、彼らの対する想いは浅くはないらしい。もちろん、深いのは自覚してたけど。
昨日の新聞で、いつものようにコミックのページに辿り着いたら、上から3番目くらいの、作者がバンドを演ってる4コマが、Layneだった。彼に対する追悼。
まさか彼が、AちゃんSのファンだとは思ってもみなかった。
要するに、偉大なミュージシャンであると同時に、あがき続ける苦痛の人だった、Layne Staley、安らかに、そんな感じの代物で、こいつは、この不意の遭遇に、あやうくまた泣きそうになった。
泣かなかったのは、自分で、それなりに大丈夫になりつつあるって、信じたかったからだと思う。
もちろん、大丈夫なんかじゃないんだけどさ、全然。
レインって、言葉の入った歌はけっこうあって(日本語ね)、雨って意味なんだけど、もちろん、それは。でも、我々には、音的には両方同じだし、そういうとこでも、こいつはなんだかこう、背骨の辺りが痛くなる。
雨の歌って、悲しいのが多いし、涙に通じるとこでも、こいつには全部Layneに繋がる。
彼がこの世にいないってのが、ひどく痛い。痛くて、その痛みを忘れるために、現実逃避ばっかりしてる気がする。
VowWowも聴けない、Doomも聴けない、Panteraも、Gluelegも、Mad Seasonも、何にも聴けない。あれからずっと、ほんとうにLinkin Parkしか聴いてない。
NirvanaのKurtが死んだ時、Jar of Fliesばっかり聴いてた。あれが、Kurtへの、追悼アルバムだった。今回は、何故だかLinkin Park。詞の内容も、ヴォーカルのタイプも、AちゃんSに似てるようで、あんまり似てないのがいいのかもしれない。後ろにモタるDrは似てるかもしれないけど。でも、Gソロは全然ない。ありがたい。今、とてもJerryを思わせるようなGソロなんて、聴く気になれない。
愛しいから、痛い。
自殺だろうと何だろうと、人間、死んだ時が寿命なんだと思う。自殺だってさ、成功しなきゃ死ねないでしょ。まあ、好きで死ぬ人は、そうそういないとしても。
不思議だね、死にたくなくて、あがいてる人もいっぱいいるのに、死にたくてあがいてる人もいっぱいいる。どっちがどうなんて、わからない。こいつはいつも、死にたくてあがいてる方だから。
死にたいってのは、そんなに、忌むべき感情なんだろうか。もちろんこいつだって、友達が死ぬだなんて言えば、慌てふためくんだろうけどさ。矛盾してるけど、でも、そう思うにはそう思うだけの理由があるんだろうし、それを下らないこと言ってんじゃねえよ、なんて、言えない。
まあ、自殺の仕方を一緒に考えるほど親切でもないけどさ。心中くらいは、ふと考えるかもしれないけど。
死にたい気持ちを否定するのも、死にたがるのを止めようとするのも、どちらもそう親切だとは思わない。放っとけば、とももちろん言わないけど。まあ、もっとも、ホントに死ぬ気でいる人間は、その前に誰かにその決意を打ち明ける、なんてことは、実際しないと思うから、死にたいっていう台詞が出るのは、そのくらい苦しいから、助けてくれって、要するに言ってるってことだろうから、まあ、普通の神経なら、まず、死にたいなんてダメだよ、って言うべきなんだろうな。聞いてる方には、どんなに虚しく響く台詞だろうと。
こいつはそうだな、死ぬなって言われるより、そっか、じゃあ、まあ決行する時は一言電話くらいちょうだいね、なんて言われると、嬉しくなって死ぬ気が失せるような気がする(笑)。
こいつ、神経切れてるのかもしれないけど、誰かが死にたいって言って来たら、そっか、試して失敗すると、やる気が失せるだろうから、試してみたら、とかって言っちゃいそう。極悪かも。
自殺の何がいやって、死体の始末のことを考えるのと、失敗した時の後味の悪さ。まあ、傷も痛いしね。この程度で自殺に歯止めがかかってるんだから、こいつの死にたがりも、年季は入ってても、根性も入ってなければ、性根も全然座ってない。だからこいつは、まだ生きて、あがいてる。
生きてて良かったと思うことは、まれにある。AちゃんSに出会った時が、そうだった。下らないのかもしれないけど、こいつにとっては、ああいうハイが、幸せに欠かせない。彼らに出会うために生きて来たんだって、本気で思った。そして今も、心からそう思う。
Layneに出逢って、彼の声に惚れ込んで、彼の苦しみを見て、彼の死に遭遇した。それがこいつの人生の目的だったんなら、それはそれでいい。納得する。Layneは、こいつに出来ないことを、いっぱいした人だから。Layneを通して、こいつは、色んなことを見たから、感じたから。そしてこれからも、こ いつはLayneを通して世の中を見てゆくんだろうと思う。
Layneはもう、こいつの自我の中に組み込まれてしまっていて、彼のものではない感覚で世の中を見ることは、出来ないような気すらする。
色んな人が、色んな形でLayneの死を悼んでるのが、単純にうれしい。少なくとも、それだけLayneは愛されてたってことだから。もっとも、それはLayneが欲しがった愛の形では、なかったのだろうけど。
ただのLayneとして愛されるには、彼の音楽は巨大過ぎたし、彼自身が、ひどく難しい存在だったんだろうと思う。愛って何?って、そう彼は問い続けて、結局、答えを見つけられなかった。
愛されることがすべてではないけれど、それを求めている時に、見つからないのは、ひどく虚しい。
愛の代わりが、薬だったってのは、あまりに陳腐過ぎるけどさ。
愛って何だろうって、こいつは自分自身に問い続けてる。薬に手を出す勇気も機会もなければ、自分を消せる度胸もないこいつは、それでも死にたがりながら、愛って何?って、考え続けてる。自分のためと、そして先に逝ってしまった、Layneのために。
日本語浮浪者
- 2002/06/13(Thu)
メインで使ってるコンピューターで、日本語の使用が制限されるとゆーのは、非常にうっとうしい。
うちのComは、HDがふたつあって、ひとつが英語、もうひとつが日本語、という設定なんだが、同居人のupgrade気狂いのせいで、WinXPを入れるためにマザーボードを変えたいという、必要もない処置のせいで、日本語の方が2ヶ月近く使用不可になってたりする。
原因は不明。あれこれ、わかる範囲でいじってはいるけれど、WinMeの日本語版を入れて、さてビデオカードのドライバーを入れると、そこですべてはおしまいになる。
幸い、XPがとにかくも日本語オッケーなので、自分の化石のようなラップトップで日本語を打ち、HTMLファイルで保存し、それをXPの方で開く、という、死ぬほどうっとうしいことをしている。
日本語の(Win95)ワードパッドで保存すると、XPの方では開けられない。文字化けしまくって、せっかく打った文章をパーにする羽目になる。それで、苦肉の策として、HTMLファイルとして保存して、互換性を維持してたりする。
しかしながら、これにも落とし穴があって、Netscapeの6.23で作業、保存すると、ラップトップの4.78では開けない。これもまた、文字化けする。
Win95/HD800M/Ram16Mなんて、ゴミみたいなラップトップじゃ、Netscapeの6.23は、インストール出来ても、作動しない。するけど、ひとつボタンを押す度、10分かかる。起動に15分くらい。とてもじゃないが、ページの更新すら出来ない。それで仕方なく、どうしても必要な時だけ、ラップトップの方で、4.78を使う。
うっとうしいいいいいいいいいい。
早く原因追求して、とっとと直していただきたいもんだが、まあ、しばらくムリだろう。自分の方に問題がなけりゃ、わざわざ時間割いて、人の問題解決に手を貸してくれるような人ではないのだ、同居人は。
そういうわけで、こいつはいまだ、家内ネット浮浪者してて(ラップトップは、モデムがないので、ネットには繋げない)、おまけに、自分のラップトップと、デスクトップの間を、行ったり来たりする毎日だったりする。
行ったり来たりしながら、せっかく打った文章が、文字化けなんかしちゃったりしちゃった日にゃ、もう、何をする気も失せる。
HTMLは、ごく最初の頃、ちょっとだけ学校で勉強した。でも、それだけでページを作れ、と言われたら、笑ってごまかすしかない。いまだに(笑)。
ずーっと使ってるのは、Netscape Composer。色々まあ、批判はあるんだろうけど、こいつは好き。楽だし。特に6.23は、HTMLの状態でもページをいじくれるので、便利。
まあ、こんな大して芸のないページでも、HTMLだけで作ろうと思えば、それなりに大変なんだろうから、こういう便利なソフトには感謝。
ところで、Netscapeは7が出たらしいんだが、一体どんなもんだろう。
6も、出たばっかの頃は、ざけんじゃねーと喚き散らすような代物だったが、一体7は、どんな仕様になってることやら。
そういうわけで、ラップトップが欲しい。しかも、日本のヤツ。こっちで買う気は、あったけど、サイズがでかいのでやめました。やっぱB5サイズが欲しいんだもん。
日本に帰って最初にすることは、サイボーグ009のブツ集めと、ラップトップのリサーチ。多分どうせ東芝だろうけど。
最低P3で、HDが10Gくらいで、Ramは256欲しい。CDとフロッピーは、出来たら内蔵がいいな。DSLオッケーでないと困ります。え? ゼイタクですか?
サイズは、小さくて軽いほど良しってことで、みなさん、クリスマスも近いことですし(爆殺っ)。
あ、キーボード、打ちやすさ最重要視です、ちなみに。何しろこいつは、一応物書きっ。
まあ、帰る頃には、P4が当然になってるだろうけど。
早く落ち着きたいです。ネット/コンピューター浮浪者は、ちょっともう疲れたっす。
追悼その4
- 2002/06/13(Thu)
数の少ないAちゃんSの本(同人誌)など、ちょっと広げてみる。ギャグなのが救い。
まだ10代のSilver Chairなんかのネタもあって、しみじみ、時間の流れを感じる。
さり気なくウツってたりするんだけど、どうしていいのか、よくわからない。もっとも、ここ5年くらいで、こんな量、こんな期間に書いたことないので、それはまあ、良しってことで。
いかに生活に追われて、物書きをサボってたかがわかる。
脳みその半分が、壊疽を起こしてる自覚症状がある。ただでさえ、働きの悪い頭なのに、一体どうしろってんだ。
Layneが恋しい。頭の中で、今日Them Bonesが流れて、心臓発作が起きるかと思った。まだ聴いてない。他のものにウツツを抜かしてるふりをして、現実から、目をそらしまくってる。後ろ向き。
LayneをかばうJerryとか、ありだよね。Jerryのことも、しみじみ愛しい。
こいつの人生は、すっかり暗転して、呼吸をきちんとしてるかどうかも、けっこう怪しい。他にコケてるのは、まあ、生きてる証拠なんだが、しかし、自分の動向が、よく掴めてない。自分が何をしてるのか、よく分かってない。
わかってるのは、ひとりになりたいってことである。ひとりきりになって、だらだら下らないことだけ書き散らしてたい。他のことは、今は忘れたい。面倒見なきゃいけないヤツのことなんか、放ったらかしにして、旅にでも出たい。猫と一緒に。
いいかげん、Linkin Parkだけ聴いてるのにも、ウンザリし始めてはいる。でも、代わりの音が見つからない。今Vow Wowなんか聴いたら、本気で首でもくくりたくなる。
ひとりきりは、痛いよ、Layne。半分、空っぽだよ。まだ、もう少し、頑張ってみるけどさ。
安全地帯なんか聴いてみたいけど、尾崎豊は泣くからダメ。痛い人の人生についての歌なんか、今はとても聴けない。
うーん、安全地帯は、安全かもしれない(<-シャレではない)。
井上陽水の、リバーサイドホテルは、AちゃんSにトリップしちゃうからダメって言ったら、両方のファンに殴られるんだろうか。だって、ジャンキーの歌だもん。それにあれは、LayneとJerryなんだもん。痛い。
愛する対象を失くすと、やっぱり生きる気力が失せる。お酒も薬も、逃避にハマる趣味はないので、お手軽ではなく、立ち直るしかない。このウツは、徹底的に中途半端で、井戸の底はまだ遠い。落ちきってしまえば、そこで這い回るもよし、這い上がるもよし。でも、宙ぶらりんはつらいよう。痛いよう。
何て言うか、体中の末端の血管を、一本一本引き抜かれてるような感じ。痛い。でも、致命傷ではない、まだ。
今コケてる最中の、サイボーグ009のキャラ、004は、Layneに似ている。外見が、なんだけど。仲間の中で、いちばん機械じみた体の彼は、自己嫌悪から来る機械アレルギーがあって、自己否定が人一倍激しい。機械の体の自分を、出来損ないだと思ってる。りっぱな人殺しでもある彼は、けれど自分がいちばん死んでしまいたいのかもしれない。
かっこいい彼は、実は、キャラの中で、一番痛々しい。こいつは、彼の、そういう出来損ないだと自覚してるところに、魅かれてたりする。Layneだ。
死にたい時に、自分を殺してくれる誰かがいるのは幸せだ、ってのが、こいつの人生観だけれど、これはつまり、自分を殺したい程度に憎んでくれる誰かか、またはそのくらい理解してくれて、愛してくれてる人がいるっていうことなんだけど。自分で死ねないこいつは、とことん弱虫。
どうして命ってのは、分配とか相続とかが可能じゃないんだろう。ほんとに生きたい人に、ほらって上げられたら、いいのに。
死にたい気分ではないけど、頭の上に黒雲がいて、うっとうしい。しばらく太陽を見てない。
そしてこいつは、こんな代物を、部屋に閉じこもって、つらつら書いてる。
Layneに逢いたい。
DOOMで昔話
- 2002/06/14(Fri)
こいつは、日本が世界に誇る伝説のバンド、DOOMのファンだったりする。
一番人気だったベースの諸田耕、諸さんが亡くなって以来、こいつの中ではバンドはもう現存はしない、ってことに勝手になっちゃってるので、一応限定すれば、こいつは広川さん(ドラム)時代のDOOMのファン、てことにしとこう。
で、何を今頃喚いてるかと言えば、この諸さん追悼のためのサイトがあって、そこの常連さんに、諸さんのベースの弟子だったM氏がいる。
諸さん追悼のサイトも、M氏個人のサイトも、こいつのここでやってる悪行がバレるとまずいので、ここからはリンクしてませんが、まあ、興味のある方、先方にこいつのことバラさないって条件で、URL、ご連絡します。わはは。
で、このM氏、広川さんと個人的に親交があるのはもちろん、生前の諸さんと親しくて、こいつにしてみたら、ようするにうらやましー人物のひとりなわけだったりする。
おまけに、ベース弾きで物書きで、コンピューター(Mac)系の仕事をしてて、WWF(現WWE)が好きで、もちろんDOOMのファンで、こいつと恐らく同年代。
よーするに、お友達になりたかったわけだ。一応、彼のサイトに顔を出しては、うだうだ下らない足跡なぞ残してはいたんだけれど、一体、サイトの管理人さんに、どれくらい、お近づきになりたいです光線を発していいものか、ネット素人のこいつには、皆目見当がつかない。
で、今日、たまたま彼のサイトに、いつものように足を運んだら、なんと、彼が以前からアップすると言っていたチャットのリンクがっ。
まさか、と思いつつ、行ってみたら、彼がいたっ!
後はもう、図々しいを通り越して、困ったちゃんなこいつ。日本語が使えないのを理由に、MSNメッセンジャーの方へ移ってもらい、2時間は話したのかなあ。
迷惑ヤロー。
だって、うれしかったんだもん。諸さんとか広川さんとか、DOOMの話が、通じる。あの頃の話が、説明抜きで通用する。
すいません、飢えてんです、そのテの話に。音楽の話できる連中もいないしさ、こっちには。
ああ、何か、こいつが勝手に振りまくる話題に、苦笑いしつつ付き合ってくれた、M氏の表情が見えるようだ(笑)。
やっと、彼と、出逢った。諸さん広川さんって言う、こいつにはもう手の届かない人を媒介にして、彼らについて語るために、やっとこいつは、彼と繋がった。
こういう時には、ほんとにネットに激感謝。まあ、日本にいりゃ、もっと手軽に会えるんだろうけど。飲み会とかさ。
ノリはほとんど片思い(笑)。冗談ですが。
いやまあ、興味のある人物だったわけです、実際。すごいマトモそうな、実際マトモらしい人なので、一体、こいつなんかが声なんかかけちゃっていいのかなって。
まあ、あちらはサイトの管理人ってことで、こちらは、言ってみれば、どんなロクデナシでも客。だから、まあ、相手をしてもらったのを深読みはすまい、と。
でも、MSNのID、もらっちゃったー(<-アホ)。
今頃彼は、頭痛に苦しんで、こいつとの邂逅を後悔してるかもしれないけど。
彼と今度ゆっくり、広川さんについて、語りたい。今度が、あれば(大笑)。あるといいなあ(爆笑)。
追悼その5 そしてザジがやって来た
- 2002/06/25(Tue)
猫がうちに来ました。
少々奇形があって、どうやら母猫の飼い主に見捨てられたようです。生後3ヶ月くらいの濃茶のトラ。男の子です。
すでにオス1匹、メス3匹の身では、とてもとてもオス猫なんて、と思ったんですが、まあ、境遇があんまり惨めなんで、うちで仮預かり、と言いつつ、結局うちで引き取ることになるようです。
色々言ってましたが、ザジと名づけました。Zazie、1960年のフランス映画、地下鉄のザジ、のザジです。
彼がうちに来る前、猫が欲しいとは、いつのもようにわめいてたんですが、その頃は、実は名前をLayneにしようかと思ってました、実は。まだ、彼が逝ってしまう前だったので。
彼が来て、最初に浮かんだのはそれでしたが、あんまり痛くて、ボケてごまかしました。その時の候補が、ジェット(大笑)。はい、例の、裏の反則コンテンツ系のキャラです。それもあんまりなんで、よしました。日本語と英語で、あんまり発音も違い過ぎるし。
それで、ザジ。フランス語の名前なんだと思いますが、不明です。勉強不足だし、フランス語習うなんて、業腹だし(笑)。
同居人のひざに、気持ち良さそうに寝てる彼を見て、ふと、浮かんだ疑問。
「ねえ、ザジって、3月生まれくらいだよね。」
計算する一瞬前、もしかして、Layneの生まれ変わりかと、ふと思ったわけで。
ちょっと時間が合わないやね。生まれ変わりかと、思った瞬間、涙が出て、そう思った自分が、けっこう不憫だった。
まだ、痛いっす。
Jerryのとこに、きっと電話して、最期に話くらいしたよね、とか、そんなことを考えながら、自分が痛いのを、どうしても止められない。
Layneのための現実逃避で、けっこう長期に渡ったウツの根っこの辺りが、少しばかり軽くなって、表面はまだウツだけど、頭のどこかは、わりと昂揚してたりする。悪い傾向ではない。少なくとも、自分の好きなことをやらなきゃ、と思う。他人のために、自分の楽しみを全部犠牲にするんじゃなくてさ。
こいつにとって、ザジは多分、ある意味での、Layneの代わりになるんじゃないかと思う。出来損ないで生まれて来て、そのせいで捨てられて、でも本人は、この上ないほどみんなのことが好きで、とりあえず元気に育ってる。
まだ、聴けない。歌詞カードを目にして動揺するくらいだから、まだ、痛くて聴けない。ふと、自分で歌うことはあるけど。でも、それも痛い。
Layneに会いたい。もう、会えないから、会いたい。
無理して、長生きしてもらおうとは思ってなかったけど、もう少し、普通の死に方でも良かったかもね。改めて、彼のヤク中度を、ああいう風に思い知るってのは、ファンとしては痛い。いいけどさ、別にヤク中だろうと。死体がきちんと確認できる辺りで発見されたのは、ある意味では幸福だったのかも。ほんとに、路地裏で身元不明死体とかさ、そういうのも、Layneなら有り得たろうし。
自分の死にたがりの部分は、Layneによって癒されてた部分はある。彼の歌で、彼の人生で、こいつは擬似の死にトリップできた。今は、Layneがほんとに逝っちゃって、これからは自分で、死にたがりの部分をなだめなきゃならないんだけどさ。それとも、また別のLayneを見つけるか。
死ぬ気は、今はない。とりあえず。やりたいことを、少しだけでもやりたいようにやってるので。
ねえ、Layne、今幸せ?
近況って?
- 2002/06/27(Thu)
このサイトのタイトルは、まあそのまんま物騒に、こいつの現在の状況を示してたりする。知ってる人は笑うし、知らない人は、冗談だよね?と心配そうに尋いてくれる。
で、こいつはカナダに不法滞在今年で4年目。最期にビザを持ってたのがいつか、すでに記憶にすら定かでない。
別に悪いことしてるわけでもないし、移民局の捜査官の人たちは、トロントとかでっかい街にいる、不法滞在中犯罪者を追っかけるのに忙しくて、こんな、学生くずれで警察のお世話になったのは被害者としてだけ、なんてガキなんて、頼んでも追いかけ回してなんてくれない。それでけっこうなんだけど(笑)。
まあ、それでもさすがにこう長期に渡ると、少々居心地も悪くて、いつ通報されるかなーと思ったりもする。
だってさ、ビザがないから仕事も探せないし、学校にも行けなし、国境も越えられない。この4年、こいつはこの街に閉じこもったままでいる。
別にいいんだけど、でも選択がないのは、つらい。アメリカだって、行きたいなんて思ったこともないけど、でも行けないのと行かないのでは、大きな違いがある。日本にも、帰れないしさ、まだ。
弁護士さんは、日本に一回帰っちゃって、また戻って来れば、国境でビザがもらえるよ、とは言うんだが、もし移民局の人が、ちょっと出来心でこいつのレコードを調べたらそれでチョン。そういうわけで、こいつはここに幽閉状態。
とっととビザ取れるようにしてくれよ、同居人。
と、4年間言い続けて、そろそろ疲れてもいる、今日この頃。まあ、それでもこうして、自分でHPなんか作って、それなりに日本と繋がってるので、まだ耐えてるけどさ。
そんなに日本に帰りたいのか、と同居人は言う。当然じゃん、とこいつは返す。
生まれてこの方、親から30分以上の距離、離れたことのないヤツに、そんなこと言われたかない。いまだ料理洗濯ひとつまともに出来ないヤローに、そんなこと言われる筋合いはない。
あったり前じゃん、親がいて、友達がいて、少なくともそれなりの、自分の過ごした時間があって、自分と同じ言葉をしゃべる人たちがいる。こいつは、日本を離れたけど、日本を捨てたつもりはない。捨てたんなら、こんなに帰りたいって毎日わめくかい。
で、一方で、日本に帰って来ればと言われて、カナダを離れたくない、と呟く自分がいる。
10年ここにいて、自分の故郷だとは全然思わないけど、でも自分の街だとは、思う。
東京にいた頃、とにかく凄まじいストレスに晒されてて、それでも何とか生活してたけど(ただの学生だったけど)、でも地元にはまた別のストレスがあって、とにかく日本にいると、いつも胃が痛んで死にそうだった。
今考えると、よく耐えたと思うんだけど、家から一歩も出れないとかしょっ中だったし、まあ自殺未遂はすでにお友達、原因はともかく、カナダに来る気になったのも、日本で最後にハマったウツのせい。
ウツの最中に、大事な、大きな決断をしては、いけません(大笑)。
カナダに来て、そういう日本で苦しんだストレスは、消えた。で、別のストレス(苦笑)。でも、何故か、こっちでストレスに対処すう方が楽なんだよな。ひとつは、無視されるのが当然なので、差別されても笑っていられるってことかな。
日本にいて差別されるって、どうして?って思っちゃうでしょ、やっぱ。こっちだと、まあアジア人で女で、見た目がガキで男にコビも売らないとなれば、まあ、まず透明人間として扱われる。でも、ここでなら、こいつはたいていそれを笑っていられる。
日本の方が、こいつの好きなことはできる。特に今は。でも、ストレスなんてことを考えると、こっちで暮らす方が楽。だからこいつは、ずるいけど、両方のいいところを取りたいと、思ってる。ずるいよな、ホントに(苦笑)。
ひとつ確実なのは、こいつがここでこうしてノホホンとしてられるのも、日本にいる、友達のおかげ。ひとりひとりにここでお礼は言えないけど、特に高校時代から、カナダに来るまで、来てからも、こいつの不義理にも関わらず、友達続けてくれてる人たち、ほんとにどうもありがとう。いろんな形で繋がって、今があるけど、あんまり態度では示してないけど、ほんとにどうもありがとう。
今は、ネットを通じて日本に繋がって、また別の関係が出来つつある、のかな(笑)。
もうちょっと、不義理しないように、がんばりたいなあ。
友達してくれて、ほんとにどうもありがとう。ふつつか者ですが、これからもどうぞよろしく。
Linkin Park
- 2002/06/27(Thu)
全然他の事は知らないんだけれども、音だけは今のとこ気に入りまくってる、Linkin Park。
AちゃんSに似てるとか、言われてもいるらしい。個人的には、似てるのはリズム隊のモタり方だけで、ヒラメと金魚が同じ魚で似てるねって言う程度しか似てないと、思ってる。つまり、音楽のジャンル的には一括りにされちゃうかもしれないけど、出してる音はかなり違うぞ、と。
まあ、それでもこいつが好みってことで、どっかに共通項があることは間違いないですが、リズム隊以外は、今のとこ好みな音って以外、あんまりどうこう共通する部分を見つけようという気、まるでなし。
この冬中、ずっとラジオで、一日4回は必ず流れてた"Crawling"。でも、曲名もバンドもわからなくて、ただ、初めと中のフレーズの繰り返しが、異様に印象深い曲で、まあ、気に入ってた。
ある日、初めてハードロックカフェに足を踏み入れる。流れてたビデオのひとつが、彼らの"In The End"。もっとも、この段階では、曲以外は大して印象にも残らず、好きな音ではある、という程度で、その時は終わった。
この時、名前と曲は覚えたものの、まだ"Crawling"のバンドだとは知らず、Layneの死亡報道の一週間ほど前に、たまたま手元にあったCD(自分のではなく、誰かが置き忘れてそのままになってたもの)の中に、Linkin Parkを発見。この時は、あのビデオのバンドか、って思っただけ。
それでも聴いてみたくて、とりあえずケースから取り出した。
そして何故か、プレイヤーに入れる直前に、あ、あの、ラジオで散々流れてた曲のバンドだと、直感で確信する。
どうしてそうだと思ったのか、どうしてこれがあれだとわかったのか、いまだ不明。
まあ、お気に入りの曲を発見して、もちろんハッピーだったけど、もっと意外だったのは、ビデオで大して印象も残らなかった曲が、アルバムでは非常に印象深くて、曲のフレーズのほとんどを覚えてたこと。一回しか、聴かなかったにも関わらず。
こういうバンドは、意外と珍しい。ビデオではけっこう印象深くても、アルバムで聴くとつまんないってことはよくある。だからこいつは、最近あんまりアルバムを買わない。ハズレがあまりに多いので。ビデオのトリックだよね。
このバンドはその逆で、ビデオは大したことがなかったのに、アルバムが良くて、その日以来、ほとんどそのアルバム以外、聞いてない。今も。
バンドにどうやら日系人がいるらしいってのも、もちろん親近感を抱く理由になる。
音の印象としては、Backstreet BoysがPanteraを演ってるって感じ。どんなんだ、それって言われると困るんだけど。
歌のフレーズがきれい。後ろの音が全部ひずんでるのに、歌の声がきれいで優しい。一緒に歌えるし。
一応ハードロックなんかに分類されてるのかなあ。でも、Gソロが全然ないとこは、つまりはパンクだよね。そこがいいのかも。
曲も、今時珍しく3分前後。全然無理してません、ってとこが、今時のバンドかも。ルックスも、全然地味だし。そういうとこでは転ぶ心配のないバンド。曲だけ、安心して、うっとり聴ける。
昔、Nirvanaが知名度を上げつつあった頃、噂しか聞いてなかったにも関わらず、ある場所で流れてる曲を聞いて、タイトルもわからなかったくせに、Nirvanaの"Smell Like Teenage Sprit"だって、直感したことがある。
そして、Kurtが死んだ時、AちゃんSがこいつにとっての、彼への葬送曲だった。
今は、Linkin Parkが、Layneへの葬送曲だったりしてる。
この辺の符丁が、まれに痛い。どこかで、過去から現在と、そして未来が繋がってる。奇妙な、予定調和で。
Linkinのドラムは、典型的モタりの音。もっとも、ちゃんと意識してわざわざモタってるのかは、かなり疑問。下手の一歩手前でモタってるだけじゃないかと、推測(大笑)。
それでも、すごく好みだけど。
好みな音だけど、5年後に、同じように聴けるかどうかはわからない。でも、今、好き。
次のアルバムも、面白い音だといいな。頑張ってね、ドラムくん、特に君。
はっ、もしかして、彼らの曲が短い(今時の標準よりは)のは、ドラムくんに体力とセンスがなくて、長い曲を叩けないからとか。ありえそうで、怖いかも。
スポーツって
- 2002/06/29(Sat)
サッカー、好きなんですけどね、実は。中学の頃とか、一応それらしいこともやってたし。
今回生まれて初めて、ワールドカップをリアルタイムで見て、なんか感動してたりして。
中学以来、自分でテレビって持ったことがなかったんで、今回初めて、自分の家で、テレビで見たんですけど、トルコ・韓国戦、いや、良かった。
何故かGKに目の行くこいつは、言わずと知れた、キャプテン翼、若林源三のファン。プーマの帽子、まだ持ってるよん。
残念ながら、テレビの入ったのがつい最近で、やっと見たのが韓国・ドイツ戦の最後の30分だったんですけど、でも今日やっと、3位決定戦を全部見ました。
かっこいいいいいいいいいい。やっぱいいなあ、体ひとつでボールを追い駆けるってのは。防具なし、足と胸と頭、手はダメ。何か、サッカーっていうスポーツの、原始的な部分てのが、すごく新鮮です。
何しろ、ここはホッケー(と野球)の国。山ほどの防具に、氷のリンク、使うのはスティック。で、こいつはホッケーが嫌い。
元々金持ちのスポーツには、貧乏人の嫌悪があって、どうもやたらと道具を使うスポーツってのは、あんまり好きじゃないんです。
バスケットとサッカーに、やたらと黒人と南米人が多いのは、これは明らかに、このスポーツをするのにお金がかからないから。まあ、こういうとこに政治を持ち込むべきじゃないんでしょけど、だからこいつは、アメリカがサッカーやるのに、少しムカつくことがある。選手に文句はないけど、お金の出所に、むかつく。
いいんだけどさ、別に。
手を使うってのは、人間と動物を区別する、かなり大きな違いだったりしますが、その手を使わずにやるサッカーって、何だか意味深とかって思ってたりして。何て言うか、人間の、まだ動物の部分を強調するって言うか、動物としてプレイするって言うか。自然に還れって言うわけでもないけど、何て言うか、サッカーっていう、極めて原始的なスポーツに、こいつはある種の愛しさを感じる。
それは多分、都会に住んで、田舎がいいなあっていうのと、同じような心境なんだと思う。
文明に対する、ちょっとした、そうとは見えない抵抗、みたいな。
もちろんサッカーだって、ごく生まれた初期の頃に比べれば、今は文明まみれのスポーツになってるんだろうけど、少なくとも、体ひとつで、丸いボールを追うっていう原型の部分は、まだまだ原始的なままだと思う。
けっこう乱暴なスポーツでもあるし。
こいつがホッケー嫌いな理由は、ゲームにすでに、あの乱闘が組み込まれちゃってるってとこ。あれがないとつまらないとまで、人は言う。スポーツっつーのは、殴り合いの代用品として生まれたもんじゃないの? どうしてそれで、今さら殴り合いを、余興として組み込んじゃうかな。スポーツマンっつーなら、手を出したくてもガマンするだけの精神的強さってのを、養えよ、ってのが、こいつの無言の叫び(笑)。
ホッケー神様の集団の中で、こんなことを叫ぶ度胸はない(大笑)。
スポーツそれ自体が乱暴なのは、まあ、体のぶつかり合いとかそういうので、それはスポーツそれ自体の一部として見れるんだけど、腹が立って殴り合いってのは、オイそりゃ違うだろ、って。
まあもっとも、こんな寒くて雪が多いと、外でするスポーツはなかなかムリがあるんだろうけどさ。でも、バスケットなんて、(ホッケーに比べると)単純で簡単すぎてつまらないとか言われると、だからいいんじゃん、と言いたくなる。複雑なだけがいいわけでもねえだろって。複雑なの、きらいじゃないけどさ(苦笑)。
どうしてだろう、こいつ、ホッケー嫌いなんだよね、なんか肌に合わない。ゴキブリ嫌いとか、ああいうノリで嫌い。ホッケーとかゴキブリのせいじゃないんだけどね、でも嫌い(笑)。