逝く人、去る人
- 2003/05/04(Sun)
ちょっと気まぐれで、検索をかけて、人見さんの、教壇に立つ姿を見つけた。
髪はもちろん短くて、ラフな姿で、黒板から振り向いて、生徒を見ている、人見さん。
喋る声は、少し平たいあの声で、教室で、ファンの子たちよりももっと年下の、自分の子どもであってもおかしくない年齢の生徒に、英語を教える。
歌うための声は、今は、授業のため。
歌詞すら必要なく、ほんとうに、声だけで、人を感動させられるあの人が、今は、歌うことを、二の次にして、教師をやっている。
人の人生をとやかく言うべきではないし、それが人見さんの選択なら、にっこり笑って受け入れるべきなんだろうな。
それでもこいつは、彼の歌う声が、恋しい。
色んな意味で、歌うしか能のない人だったのかもと思うけれど、それでも、歌うことで認められて、歌うことだけは認められてて、彼自身も、自分のすごさを、きちんと認識してて・・・だから、見てて、痛々しい。
もったいないって、言っちゃいけないと思いながら、それでも、教師になってしまった彼を、まだ、歌を歌う人見さんとして以外、認識できない。
歌う彼は、空を飛ぶ鳥のようで、今の彼は、鳥かごの中の鳥。鳥は、あの羽で、空を飛ぶからこそ鳥で、飛ばない鳥は、鳥ではない。
歌うからこそ人見さんであるあの人は、歌わない今は、人見さんではない。
こんなことを、言うべきでないとわかってて、それでも、言わずにはいられない。どうしても、どうしても、歌う以外の人見さんを、こいつは受け入れられない。
あの人が、おそらくもう、プロとしては歌わないと、そう思うだけで、世界の半分くらいが消滅するような、そんな脱力感に襲われる。
あの声、その場の色を、一瞬で塗り替える、あの、声。
彼が歌い始めると、世界が変わる。
一瞬で、すべてが、彼の声になる。
歌う声で、世界を変えることができる、あの人。
VowWowというバンドに出会えて、幸せだったと思う。ほんとうに短い蜜月だったけれど、呆れるほど熱中して、泣くほど惚れた。今も、愛してる。世界でいちばん好きな音楽の、ひとつ。
こいつにとっての、音楽における官能は、女性的なかわいらしさ(色っぽさ)か、男性的なかっこよさかのどちらかで、けれど、人見さんに出会って、それが変わった。
ただ、官能的である、官能。女性的とか男性的とか、かわいいとかかっこいいとか、そんな、何にでもあてはまる言葉すら越えて、人見さんは、官能に直結する。
かわいいでもなく、かっこいいでもなく、彼は、歌って、官能を具現化する。
デビッド・ボウイは、存在で、人たちを魅了する。誰もが、彼に恋する。
人見さんは、歌で、人を魅了する。誰もが、彼の歌に、惚れる。
人ではなく、歌、という、極めて具体的でありながら、形のない、ひどく抽象的なもの。
彼は、歌そのものでありながら、ひどく人間くさくて、その隙間に、こいつは時折はまって、戸惑う。
歌が、頭の中に流れる。目を閉じて、歌の中に入り込む。
愛していると、痛烈に、思う。
人見さんは、決して歌う機械ではない。彼の感情と、彼の思考と、彼の経験と、彼のすべてが、あの声に込められてこその、あの歌なのだとわかっていて、それでも、こいつは、彼の人格に、さして興味はない。
あるけれど、歌わない彼に、興味は、ない。
冷たい言い草だとわかっていて、それでも、彼の歌を愛している事実の方が、何にも勝る。
あの声を、また聞きたい。世界を、一瞬で変える、あの声を、聞きたい。
ほんとうに、天国へ連れて行ってくれるんだよ、あの声は。他のものが、いらなくなるんだよ。見えなくなるんだよ。聞こえなくなるんだよ。
だから、歌をやめたことを、心の底から、悲しんでる。VowWowが解散して、もう、10年を越えたのに。今も、あの時と同じほど、悲しんでる。
世界は、色を失い続けている。
人見さんが歌うのをやめ、広川さんがDOOMをやめて、諸田さんが死んだ。Layneも逝った。
現実の輝きが、失せてしまえばしまうほど、心の中の記憶は、輝きを増してゆく。それにすがって生きてゆくのは、バカのすることなんだろうか。
あの声が、恋しい。自分の中を、一瞬で満たしてくれる、あの声が、聞きたい。人見さんの、歌う姿が見たい。
5/7は、諸さんの命日。痛いよ。あの人の、音も、仕草も、生き方も、死に様も。
また、泣いてもいいですか。あの日、日本から電話をもらった時のように。突然で、信じられなくて、それでも心のどこかで、少しだけ安堵してた、あの時みたいに。
もう、待たなくていい、もう、信じてなくていい、もう、ゼロに近い希望にすがらなくていい、そう思ったこいつを、いつか許してくれますか。
広川さんのいるDOOMを待ち続けて、諸さんが回復したDOOMを待ち続けて、あり得ないさと、心の中の声を押し潰しながら、待つのに疲れていたから。
だから、いっそそうなって、もう、待たなくていいんだと思って、悲しんで、安堵したこいつを、いつか許してくれますか。
それくらい、好きでした。大好きでした。今も大好きで、だから、そうでないDOOMを、認められません。
藤さんのGと、諸さんのBと、広川さんのDrと、それだけが、こいつにとってのDOOMで、どんなに努力しても、すいません、他のDOOMは好きになれません。
だから、待ちくたびれました。
だから、ほっとしました。
だから、泣いてもいいですか。
ごめんなさい。あなたが大好きです。ベースを、DOOMで弾くあなたが、大好きです。広川さんのDrと藤さんのGで、ベースを弾くあなたが、大好きです。
そう思えば思うほど、あなたには、よけいなプレッシャーにしかならなかったのだと、今ならわかるけれど・・・。
ごめんなさい、それでも、あなたのベースが、DOOMであるあなたが、大好きです。
あなたのことを、話したい。どんなにあなたが好きか、自分勝手に語りたい。あなたに届かない場所で、あなたについて、語り合いたい。
またいつか、どこかで会えたらいいなあと、思います。
Layneが逝ったのも春。春は、いろんなことが痛い。色を失った世界に、必死で、自分で色を塗る日々。
Eminem
- 2003/05/10(Sat)
白人のラッパーで、いまだ名前がよくわからない(スペルも覚えられないし、発音もよくわからない) 、Eminem。一説によると、M&M(チョコレートか?)から来た名前だとか何とか。
彼については、全然個人的なことは、興味がないので知らないのだけれど、何というか、いろいろ、言ってみたいことはあったり。
最初に耳に飛び込んで来たのは、歌詞が非常に暴力的で、女性嫌悪や同性愛者嫌いを、隠しもせずに歌ってるとか何とか。
その後、エルトン・ジョンと共演したりで、汚名(?)を晴らそうとしてるとか何とか。
周囲は、アンチ彼ばかりで、好きだとはとても言えない雰囲気(笑)。
好きとは言っても、アルバム買うわけでもないし、わざわざ雑誌買うとかもしませんが、なんていうか、共感できるって言うのかなあ。もちろん、彼の書いた歌詞を、完全に理解してないこと前提で。
一応読んで、「そんなに腹が立ったのかい?」と言いたくなる歌詞もあるし、別れた奥さん(なのかな)の実名を出して、あのクソ女とか言ってるのは、痛いヤツだな〜と思うし、そんなことを全世界に向けて歌われた奥さんもたまったものではないと思うけれど、それでも、何と言うか、歌詞にこもる彼の負の感情に、実は共感してたり。
ラップはよくわからないので、彼がラッパーとして、どの程度の実力があるのかわかりませんが、こいつは彼の声とか曲が好きです。
どれ聞いても、わりと同じに聞こえるラップっていうジャンルで、まあ、白人というせいなのか、聞けばとりあえず彼とわかる声と個性はすごいなあと思うし、全部が全部素晴らしい曲ではなくても、少なくとも、フレーズが耳に残る、インパクトの強い曲がある。
主役をやった映画の、主題歌は、特に好きだ。
人生に、一度だけのチャンスを逃すな、と繰り返すあの歌が、とても好き。
歌全体に漂う、拭いようのない負け犬くささと、けれど這いつくばってても、頭を必死で高くかかげようとしてる、そういう底辺の人間の(少なくともプライドはまだ生き残ってる)姿が、浮かぶ。
そういう姿に、こいつは、共感する。
彼は多分、底辺の人間としては、かなり幸運な方なんだろうな。お金と名声だけは、とりあえず手に入れた。もっとも、それで幸せは買えないんだけれど。
ラッキーではあっても、ハッピーだとは、あまり思えない。
でもこいつは、その彼の、あのハッピーになれない救いようのなさが、好きなんだろうな。
こいつの周りの大人たちは、彼のあの、過激な歌詞で、「ロクでなしだ」と彼のことを言うけれど、こいつは、正直に自分のことを語ってる彼に、少なくとも好感を持ってる。
オレは(この)女が嫌いだ、殺してやりたい、オレは、ゲイの連中が嫌いだ、気持ち悪い、そう、正直に言うことが、良いというわけではないけれど、少なくとも、そう口に出さずに、フェミニストやゲイ擁護を気取って、人を差別してる連中より、よっぽどこいつは、素直でいいと思うんだが。
えせフェミニストとか、えせ平等主義者とか、こいつは、吐き気がするほど、そういう連中が嫌いだ。
自分は差別をしないと思い込んでる差別主義者は、死ぬほどたちが悪い。
どうして、いちいち、膚の色を、話題に上げなきゃいけないんだろう。「オレは、君の膚が黒いからって、差別なんかしない」って、どうして、わざわざ言うんだろう。口にするってことは、常にそれが頭の中にあるってことだって、どうしてわからないんだろう。
オレの娘は、相手が黒人だろうが何だろうが、全然気にしない、すごいだろうって、どうしていちいち、言わなきゃいけないんだろう。
しかも、恥ずかしげもなく。
そして彼は、Eminemが大嫌い。
こいつは、彼の前では、決して、Eminemの正直さが好きで、彼の負の感情に共感するなんて、口が裂けても言わない。わかってもらえないのが、わかってるから。説明するのも、時間の無駄だから。
白人でもなくて、女で、ヘテロでもないこいつがEminemを許容できて、体のデカい白人で、実のところ、女嫌いで、人種差別大好きな彼が、Eminemを受け入れられない。同類嫌悪かい?って、言ってみたいな、いつか。
こいつは、Eminemみたいな、痛々しい人間が、好きらしい。ラッキーさを最大限利用しても、ハッピーになれない、ああいう救いようのない人に、無性に魅かれるらしい。
Eminemに、みんながヒステリックに反応するのは、まあ、あれを聞くお子ちゃまたちへの影響ももちろんだけど、ようするに、醜い自分たちのほんとうの姿を、彼が見せつけるからなんだろうな。
ふりしたって、疲れるだけだって、思うんだけど。もちろん、声高に、差別主義を主張されても、困るんだけどさ。
Eminemに、ひそかにエールを送ってみたり。
若死にしそうな人だから、できれば、吐き出して、穏やかになって、愛する娘と、きちんと大事にできる人と(女でも男でも)、ハッピーになってほしいなあ。もし、できるなら。
長生きするのが、必ずしもいいことではないにせよ、もう少し、狂言回しで楽しませてほしい。そしていつか彼が、あんなことを歌った彼自身に、照れ笑いとか苦笑いができるような、そんな時代が来るといいな。
さらば愛しき女よーFarewell, My Lovely
- 2003/05/12(Mon)
「さらば愛しき女よ」("Farewell, My Lovely")っていう、ハードボイルドの長編がある。こいつは、どちらかというと、「八百万の死にざま」の方が好みなんだけれど、そんなことはどうでもよくて。
元々、ハードボイルドは苦手で、とにかく、服とか食べ物とかの描写を延々と書いてあるのがうるさくて、こっちに来るまでは自分で読んだことは全然なく、まさか、ロバート・パーカーなんて、シリーズを読む羽目になるなんて、思ったこともなかった。
ロバート・パーカーなんて、こいつの苦手最たる文体のはずなのに、その頃日本語に飢えてたこいつは、本を貸してくれるという話に、飛びついた。
ここに来て、ものすごく残念だったのが、読書が趣味な人が、まずほとんどいないこと。
大学で知り合った日本人の大半が、英語をやるなら、日本語は必要ない、あるいはそもそも日本語なんか、好きでも何でもないという連中ばっかりで、活字中毒で、日本語の辞書まで読んでたこいつには、とてもじゃないけど、信じられない話ばかり。
1年後、同じクラスになった、少し年上のタケちゃんが、こいつ同様の活字中毒。読書の傾向は全然違ったんだけれど、当時、とにかく良質の小説に飢えてたこいつは、本を貸してくれるというタケちゃんの話に飛びついた。
で、そのタケちゃんが、ハードボイルド狂い(笑)。
英語に慣れて、まあ、それなりに、こちらの生活のこともわかるようになって、それゆえか、以前はうるさく感じてた、登場人物の細かい描写もそれほど気にならず---もっとも、気になるより、字を読める喜びの方が、当然でかかった---、とにかく借りて、読みまくった。
その後、ちゃんと原語(英語ね)でも読んでみたし、今考えれば、日本語英語両方で、同じ作品を読めるっていうのは、面白いなあと。
アンドレア・ドウォーキンは、ちなみに英語で読むと、すっげえ攻撃的で、むしろ文章がくだけてて(卑語をよく使うせいで)、あれはもしかすると、英語(原語にも関わらず)だと、彼女の真意は伝わりにくいのかな、と思ったり。
攻撃の部分ばかりで、主張が隠れちゃうのかなあと、思った記憶があったり(ちなみに彼女は、小説も書きますが、ラディカル・フェミニズムの理論をいろいろ書いている。こいつは大ファン)。
タケちゃんも、本を読む人間が回りにいないせいなのか、我々は、仲良しではないけれど、何となく一緒につるむようになって、大学に進んでも、専攻もクラスも一緒、朝から晩まで一緒、家に帰っても、遅くまで電話でしゃべりと、知らない人が端から見る分には、付き合ってると、思われるような状態だった。
そう言われるたびに、お互い、必死で否定してたけど(笑)。
タケちゃんは、その頃、隠れて付き合ってた女性がいたので、こいつはある意味ちょうどいい隠れみのだったらしく、こいつはこいつで、ゲイに偏見のないタケちゃんと一緒にいるのは、気が楽で、ふたりで、ひーこら言いながら、一緒に社会学の勉強をしてた。
タケちゃんはとにかく、いわゆる二枚目で、どこから来た誰が見ても、「かっこいい」とか「ハンサム」とかいう人で、特のヨーロッパ系の女の子に群がられて、いっつも困ってたんだが・・・ひとりくらい分けろよ(苦笑)。
そういう本人は、「みんな、俺の外見だけで寄ってくる。それがいやだ。俺の中身を、それだけで見ようとしてくれない」と、自分が、誰もが認めるかっこいい外見であることにコンプレックスのある、それが嫌味にならない、いい人だった。
そういう人だから、嫉妬されるよりも、むしろ誰にでも好かれて、男にも女にもモテて(でも本人は、またそれで、「俺は外見ほど中身に価値がない人間なんだ。申し訳ない」って悩んでたけど)、もちろん、こいつのゲイの男友達は、いつも大騒ぎだった(大笑)。
タケちゃんについては、こいつは、まあゲイの素質があるよねと言ってて、本人は試す気もなかった(彼女がいたし)らしいけれど、あの時、こいつの友達の数人が、本気でアタックしてたら、もしかしたら、タケちゃん、その気になったかな、と思ってもいたり。
今は、その彼女と結婚して、子どももいて、日本で新聞社(だっけ?)に勤めてる。
派手な外見に似合わない地味さで、でも、少しずつ、不器用ではあっても、自分の信じる通りに、我が道をゆこうとしてるタケちゃんが、こいつは大好きだ。
女と男の間に、友情が成立しない人も多いのかもしれないけど、こいつは、男との間では、むしろ友情しか成り立たなかったり(笑)。
幸せになってね、タケちゃん。
でもって、Sparky。こいつが、人生で初めて、一緒に暮らした猫。
Sparkyってのは、一般的には犬の名前らしく、ポチとかコロとか、そういう類いの名前らしいです。
暮らし始めた時、彼女はすでに14歳くらいで、もうおばあちゃんの三毛猫。甘い、優しい声で鳴いて、ほんとうに、穏やかな猫だった。
暮らし始めたのは、ちょうど夏休みで、こいつとSparkyは、一日中テレビの前に坐って、一緒にセサミストリートを見た。
こいつが、Rの発音がうまく出来なくて、最初は、名前を呼んでるんだとわからなかったらしい彼女も、こいつの、Rが怪しい発音に慣れると、今度は、本来の家族の呼ぶ声に反応しなくなったっていう、笑い話。
一緒に寝て、一緒に起きて、ずっと一緒にいた。
ソファにいれば、傍に来るし、部屋にいれば、入って来るし、寝てれば、胸に乗ってくるし、初めて旅行に出掛けるために、スーツケースに荷作りしてたら、いつのまにか、スーツケースの中に、坐り込んでた。
旅行に出掛ける当日は、スネて、姿を現さなかった。
初めて日本へ帰った時も、何度出しても、スーツケースから出てくれず、部屋から追い出して、荷作りする破目になった。
帰国の2、3日前から、こいつにまといついて、一瞬も離れてくれなかった。
こいつも、Sparkyが、大好きだった。好きで好きで、離れてることが耐えられないくらい、好きだった。
引っ越しが決まって、その家を出て、引っ越し当日の夜、新しい部屋で、寝ながら、泣いた。
Sparkyが恋しくて、もう、一緒に暮らせないのが悲しくて、泣いた。
おばあちゃんだったから、もし、何かあったらって、不安で不安で、仕方なかった。
引っ越しから2週間経って、元の家に遊びに行ったら、Sparkyが、ちょうど芝生にいて、まだ、やっと家が見える角を曲がったばかりのこいつを見つけて---多分、足音が聞こえたんだと思う---、一生懸命、こいつに向かって、駆けてきた。
道の真ん中で、Sparkyを抱き上げて、実は泣いてたのは、内緒。
そのSparkyも、今はこの世になく、眠るように穏やかに逝ったと、家族から聞いた。
Sparkyと暮らさなければ、らんまるを、あの日路上で拾うことはなかった。Coalを家に招き入れて、一緒に暮らそうとは思わなかった。やせこけて、貧相な体で、必死に喉を鳴らしてたCristalを、家に連れて帰ろうとは思わなかった。裏庭のガレージで、必死に冬を越そうとしてた、ねねとぽっぽの親子を、引き取ろうとは思わなかった。奇形のせいで捨てられたらしいザジの、面倒を見ようとは思わなかった。
Sparkyがいなければ、こいつはもっと早く、大学へ行って、ここで勉強することをあきらめてたかもしれない。Sparkyがいなければ、ひどいウツのまま、自分が消えてたかもしれない。Sparkyがいなければ、小さないきものの暖かさと柔らかさと優しさを知らずに、平気で自分と周囲を傷つけ続けてたかもしれない。Sparkyがいなければ、起こらなかっただろうことが、たくさんある。
「さらば愛しき女よ」と、Sparkyに言うのは、少し的外れかもしれないけれど、こいつにとってSparkyは、My Lovelyだから。
My Lovely、Sparky、愛してたし、愛してるし、今も、会いたい。
小さな体で、穏やかな声と瞳と仕草で、いろんなことを、こいつに教えてくれた。
人間ではなかったけれど、猫ではなかったけれど、言葉は通じなかったけれど、でも、ふたりで、いろんなことを伝え合った。
こいつを、あんなに、真っ直ぐに、真摯に、好きでいてくれて、ありがとう。こいつと一緒にいたいと、いつも伝えてくれて、ありがとう。
どれくらい愛し返せたのか、わからないけれど、少なくとも、Sparkyのおかげで、猫が6匹、路上で死なずにすんだ。
天国で、誉めてくれるかな。天国で、会えるかな。天国で、待っててくれるかな。こいつの足音が、聞こえるかな。
また、会えたらいいなあ、My Lovely、Sparky。
言葉についての毒吐き
- 2003/05/29(Thu)
日本語を肉声で喋るチャンスの、ほとんどない日常で、日本語を使うと言えば、書くことばかりだけれど、最近、もしかして、ものすごく思いやりのない日本語ばかり使ってるんだろうかと、ちょっと思ったり。
いわゆるチャットという、文明の利器を利用して、人と「話し」ながら、何て言うか、自分の「口調」が切って捨てるような、そういう言い方になってるのかもしれないなあと。
日本に帰って、喋るのが怖い。いや、帰国の予定はないんだけれど(爆)。
仕事のほとんどが、常に時間に追われて電話対応をするということのせいか、要領の悪い喋り方をする人相手は、非常に神経が尖る。
ほんとうに、電話1本が10数秒という仕事で、だらだら余計なことを言われると、思わず、「必要なことだけ言って下さい」と冷たく言って、相手を遮るクセがついてたり。
英語の勉強してた時に、まず最初に言われたのは、英語では、必要なことをまず言うということだったから、いわゆる、回りくどい表現をする日本語思考を、とりあえず捨てないとねと、当時はけっこう必死だった。
もっとも、こいつの身辺で、いちばんだらだら要領悪く喋るのは、同居人なんだけどさっ(毒)。
どうも、だらだら話すことをしたい相手というのは、好意を持ってる相手らしい。一分でも長く話してたいんだろうなあ。いや、こいつがね。
友達となら、まったく苦痛にならない、だらだらとりとめもないことを話すというのが、好意の少ない相手(仕事先の人間に、そういう私的な好意がないのは当たり前だけれど)とだと、途端に地獄の苦痛になる。
こいつは、口数が多いくせに、頭の悪い喋り方をする人間だけれど、少なくとも、ものを書くということをするせいか、伝わるように話す、伝わらなければ、自分の伝え方が悪いと思うんだが、世の中には、極めて要領の悪い話し方をしつつ、相手がすぐに理解できないと、即座に怒り出す、感情的になれば、ますます話は混乱するという、できたら関わり合いを避けたい人がいたりして。いや、同居人なんだけど(苦笑)。
要領はともかく、相手に伝えたいというのは、ごく自然に起こる感情なのではなく、好意とか、礼儀とか、育ち方とか、そういう諸々の元に生まれる、その人それぞれの思いやりらしい。
何もかも、すべて他人が悪いんだと、そういう思考の仕方を子どもの頃から叩き込まれると、素晴らしく自己中心的な、理解不能なほどてめェ勝手な人間ができます。
できるかもしれない、なんて言いたくない。なっちゃうんだよ、そういう大人に!
言葉ってのは、一方的に賜るものでもなければ、一方的に、相手に浴びせるものでもないと、思う。受けて、応えて、そこから新たに生まれる思考の流れを、楽しむものではないかと思う。
言葉を使う人間として、特に最近、色々と、周囲との会話(ではなく、一方的な言葉の垂れ流し)が苦痛でならない。
ほんとに最近、引きこもって、タイプばっかりしてるよ・・・・。
口開くと、自慢しかしないとか、ホラばっかりだとか、自分語り満載で、人の話なんか聞きゃしねえ、こっちの話は覚えてない、自分の言ったことは、すぐ忘れるか、頭の中で記憶をすり替えちゃう、しかも、ムダに声がでかい・・・思わず伏字な言葉を、浴びせてやりたくなる。
英語で、べらべら無駄なことばかり喋る人を、信用してはいけないのは、自分の中でディフォルト。
英語もロクにしゃべれねえアジア人のガキが、何様だてめえと思われてるのは百も承知で、英語に関しては、話し言葉で人を判断させてもらう。
笑っちゃうのは、お父さんと会社をやってて、17歳からずっと働いてて、今はとりあえず超中小企業の経営者ヅラしてる某もうすぐ50歳より、ずっと学生やってて、仕事きちんとしたことなくて、世間知らずのこいつの方が、人を見る目はマシってのは、どうよ?
どうして、人を雇って使うことをやってて、信用できる人間としちゃいけない人間の区別がつかない?
こういう人間と並んで、自分の方が、ずっと年下とか、女に見えるとか、アジア人であるとか、背が低いとか、英語が母国語でないとか、そういうので、あちらは一応(まともな)人間扱い、こちらは3流市民として扱われるっつーのは、理不尽だと思う。
相手を傷つけるから、そんなことは言ってはいけないんだと、思いつつも、心の中では、×××な○○なクセしやがって、てめーは○○だろうが!と、つい言いたくなる。言わないけどね。言ったって、事態は悪化するだけだから・・・人は、ほんとうにことを言われると、烈火の如く怒る。ぼそ。
(こいつが)まともと思える会話をしたい。怒鳴るとか、罵るとか、そういうののない会話をしたい。一方的な、ホラの垂れ流しではなくて、言葉のキャッチボールをしたい。自分のことを棚上げしまくった、「あいつはどうしようもないヤツだ」的内容ではなく、「自分はいい人に囲まれて幸せだなあ☆」的な話をしたい。
○○○○な人間と付き合うのは、骨が折れるんです←本音。
あ〜あ、もう、こんな伏字ばっか・・・。
書き言葉と言うのは、脳を活性化してくれると思うんだけれど、でも、話し言葉がなければ、人間らしさが削られてゆくような、そんな気がする。
口と舌と喉を使って、人と、「会話」を楽しみたい。耳に入る言葉を受け止めて、頭を使って、話をしたい。
FとかGとかBとか、そんなロクでもない語彙を挟まないと、会話にすらならないコミュニケーションに、非常に疲れてる。
優しい人と、優しいナマの言葉と、優しい日常が欲しい。人を傷つけずにすむ1日が、せめて週に1日欲しい。
物事は、とりあえずやっと、こいつが望む方向に、進み始めたらしいけど、事が成就するまで、自分の神経が保つかどうか、実はちょっと怪しかったり。
サイバーワールドで、優しい時間を持てば持つほど、現実のすさみように、胃が痛くなる。
やなヤツだ、自分。伏字だらけの日常を、とりあえず何とかしたいな。とりあえず、頑張ってみよう・・・かな(笑)。