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昭和のひとつ - 2004/03/23(Tue)
 ドリフターズのいかりや長介が亡くなったそうで・・・。ああ、また、自分の生きた時代がひとつ終わったなあと、ため息つきつつ。
 「8時だよ全員集合」は、残念ながら家にいる間は、一度も親に見せてもらえなかった。見れるのは、母親の実家に、たまたま土曜の夜に行った時だけ。
 まあ、低俗で下品な番組だから、という親の見解(そして、これは非常に正しい)に従って、こいつにとってのドリフターズは、そういう大人たち、という印象で、実のところ、あの番組が終了してから、メンバーのそれぞれがソロで活動し始めてから初めて、あの人たちのプロの芸人としてのすごさというのを認識する羽目になった。
 放送の時期と、実家にいた時期が、ぴったり重なってるにも関わらず(実家を出てからは、テレビなし生活)、あの番組をリアルタイムでは、ほとんど見てない。
 それでもやっぱり、友達が話すのを聞いたり、ごくまれにテレビで見たりで、間接的に経験はしてるわけで、さらにあの時代、ドリフターズに影響されずに生きられたわけもなく、自分の中に、例えば手塚治虫のようなはっきりとした影響を見出せないにせよ、自分のドリフターズの子どもだなあと、いかりや長介の訃報を聞いて、思った。
 ビートルズの初来日の時の前座をやったという、ものすごい話もあったりして、彼らが、お笑い芸人であると同時に、実は一応グループサウンズというジャンルに組み込まれる人たちでもあった、というのは、実のところ、中学でハードロックを聞き始めた時には、ものすごいショックだった。
 こいつが、ドリフターズについて、いちばん印象が強いというか、これしかない思い出と言うのは、志村けんと仲本工事が、賭博をやって番組にしばらく出れなくなった、という事件だったか。新聞記事の写真で見た、どう見ても反省、というより不貞腐れてるとしか思えない表情の、志村けんを、今もよく覚えてる。
 おそらく今、ドリフターズの番組を見たら、ものすごい衝撃を受けるのかもしれないと、ちょっと思う。
 こっちのコメディはどうも肌に合わず(当たり前)、かと言って、日本のバラエティも今ひとつ、というこいつにとっては、ドリフターズは、もう一度、きちんと経験すべき昭和のひとときなのかもしれない。
 古いものが必ずしもいいとは思わないけれど、でもやっぱり、今70前後の俳優さんとか、そういう人を見ると、例えば演じるということに対する真摯な態度というのか、ああ、すごいなと、素直に思う。
 プロというのは、そうなるために、やっぱり犠牲にしなきゃいけないものがあるんだなあと、自分が、おそらく何のプロにもならずに一生を終えるんだろうなと、そう思い始めて、思う。
 犠牲にする気概がないと、なれないのが、きっとプロなんだろう。
 いかりや長介が、ドラマで声があまり出てなかった、とか、そういう記事を読むと、「男はつらいよ」の寅さんである、渥美清を思い出す。最後の辺りは、足元がふらついてたとか、そこまでしても、仕事をする人の、ものすごい気力と言うか責任感と言うのか・・・。
 プロであるという、一部であるはずの部分が、その人そのものになってしまうというのは、その人にとっては、うれしいことなんだろうか、それとも、ヤバいことなんだろうか。
 さすがプロフェッショナルだよなと、つぶやきのもれる人が、どんどん少なくなってゆく今日この頃。ま、それはそれで、仕方のないことなんだけれど。
 どんな人生であれ、命を賭けた生き様というのは、胸を打つものだと思う。
 今ある日本を作り上げたに違いない人たちのひとりが、逝ってしまったのだなあと、また背中が少し寒くなった。
 知っている、覚えている日本が、どんどん遠くなる。
 下品で低俗でもいいから、「8時だよ」のDVD、全部手に入れちゃおうかな(苦笑)。
 泣き笑いしつつ、合掌。長さん、お疲れさまでした。
 放送終了して、約20年、いまだ最前線で頑張ってる加藤茶や志村けんに、実は驚きつつ、実力がなければ生き残れない世界であることを思えば、彼らの才能のすごさは、実は放送終了後に証明されたんだなあと、低俗で下品という、こいつが抱いてた印象を思い出しつつ、思う。
 クレイジー・キャッツとかも、リアルタイムで見てみたかったなあ。
 昭和が、いつの間にか、とても遠い。かなり淋しい。
 
イノセンスとAちゃんS - 2004/03/31(Wed)
 士郎正宗という名前を、こいつは、かの極悪HRパロマンガ(大苦笑)「バスタード」で、まだ日本にいる時に知った。知っただけで、識ることもないまま時間は過ぎて、映画の「マトリックス」も未見のまま、いきなり「攻殻機動隊」という、士郎氏の作品を手にすることになる。
 読み込まないと、まったく理解のできないこの作品の第一印象は、「いちばん苦手なタイプ」。
 ゲームもやらない、機械類は、ソフトはともかくハードには無知、戦争ものは好きだけれど、傭兵については知識はなし、SFは自分からはほとんど読まない、というわけで、カルトな人気があるらしい「攻殻」の良さが、こいつには今ひとつピンと来ないまま、それでも読むうちに、何となく魅かれるポイントもあったりして、これはこれで面白い世界観だなあと。
 幸い、たまたま周囲にコアな(日本人)ファンがいて、「攻殻」の面白さというのを、その世界観を説明しつつ説いてくれたおかげで、ああ、なるほど、そういう作品なのかと、何となく納得をして、もっとも今も、特にファンだというわけではなく。
 そんな時に、「うる星やつら」の「ビューティフル・ドリーマー」(未見)を撮った押井監督の作品である「イノセンス」が公開中。北米ではまだ公開日時が未定なので、こいつはもちろん未見。
 原作1冊しか知らないこいつにとっては、ネットで得られる情報、コアなファンからの感想、特別予告編の動画という、極めて限られた、偏向した情報の断片を繋ぎ合わせて自分なりに、今組み立てた「イノセンス」に対する印象というのが、どうしてか、とても痛い。
 ここ2、3日、狂ったように、特別予告編の動画を、1日中流しっ放しにしてる。理由のひとつとしては、「イノセンス」そのものに対する興味より先に、これに使われた曲が、昔バンドで演ったアル・ジャロウの「Spain」と、原曲を同じにした、別アレンジの曲だったせいだったりして。
 元はクラシックの曲だというのは、今回初めて、調べて知ったのだけれど、「Spain」を(必死で)コピーした当時は、歌のない曲に、とにかくアル・ジャロウが無理矢理歌詞をつけて、キーボード(ピアノ)ソロをスキャットで煽る、とんでもねー曲、という認識だった。
 苦労して歌ったのと同じ曲を、もっと陰鬱な曲調で、しかも妙にかっきりした英語の発音の女性が、もの悲しく歌ってるというので、「なんだ、これ?」となったわけで。
 おまけにピアノの音は泣きが入るし、後ろで時々鳴るベースの音は、DOOMの諸さんっぽいし。
 泣けって言うのか、大声で泣けって言ってるのか?!とかモニターに向かってケンカ腰になってどうする、自分。
 でもって、この「イノセンス」、主役のバトーさんの声が、今こいつが明夫タン呼ばわりしてる、平成009のジェロたんの声の大塚さん・・・これでもこれでもかの、クリティカルヒットの波状攻撃(意味不明)。
 曲のせいで、一応まともに、動画の方も見る(ひでえ)。バトーさんは原作でももちろん嫌いなキャラじゃないし、どうやら、原作ではまだ新米扱いのトグサさんらしい人もいっぱい出てるっぽい。
 それから、人形が、いっぱい。
 「彼は(バトー)、生きた人形である」「腕も脚もつくりもの」「残されたのはわずかな脳と、そしてひとりの女性の記憶だけ」「おまえ(バトーさん)と組んで遜色なかったのは、少佐(草薙素子)だけだったな」(←この台詞、違うだろ〜と心の中で突っ込み入れつつ)うんちゃらかんちゃら。
 「ヒトは、人であることを忘れた。それでも自分が人間でありたいと願い続けた男の、孤独な魂の乱交」。"魂"は、ここでは"ゴースト"と読み仮名が振られてる。
 あの原作をベースにして、どこをどうしたら、こういうバトーさんになるんだろうなあと、こいつは頭をひねりつつ、絵はきれいだし、音楽もアレだし、お金がかかってて、しかもアジアの匂いのする、映画。
 大きな劇場で見たいなあと、思った。
 魅かれているのではなくて、でも、どうしても、目が離せない。どうしてなのか、わからなくて、動画を繰り返し繰り返し再生して、「Spain」とはまったく違う「Follow Me」を、聴く。
 そのたびに、どうしてなのか、自分の内側が、泣きたいとわめく。
 痛くて、痛くて、一体どこがどうして痛いのか、わからなくて、この5分強の動画が、いろんな意味で自分の好みにぴったりだということ以外の部分で、こいつの内側をつついていて、それが何なのかわからなくて、わからないまま、また繰り返し繰り返し、再生する。
 夕べ、夢を見た。映画館で、大きな画面で、AちゃんSのLayneの歌う姿を見た。傍にいた誰かの腕にすがって、泣いた。夢の中で流れてたのは、キャメロン・クロウが監督した、「Singles」に使われた「Would?」だった。
 目が覚めて、やっと、「イノセンス」が、こいつのAちゃんSと言う傷口を覆った、まだやわらかいままのLayneというかさぶたを、剥がそうとするのだと気づいた。
 「イノセンス」の、「大事な人を失って、その失意の中、飼い犬を心の支えにしている」らしいバトーさんは、そのまんまJerryになる。白い長髪を後ろでくくってる仏頂面も、こいつにはJerryを思わせる。
 おまえはバカかと、色んな人から言われそうなのだけれど、こいつにとっては、「イノセンス」は「攻殻機動隊」とも士郎氏とも関係なく、いきなりAちゃんSに直結する。
 AちゃんSは、こいつにとっては、傷痕ではなくて、今も傷のままだったりする。新しい皮膚が出来なければ、かさぶたを剥ぎ取るわけにはいかない。血を流したくないなら、おとなしく、新しい皮膚が出来るのを待つしかない。
 「イノセンス」をきちんと見た後でも、まだAちゃんSがどーのとわめくかどうかはともかく、今、Layneの命日を目の前にして、ひどく自虐的に、予告編の動画を繰り返し見てたりする。
 泣きたいのは、Layneのせいだったのだと気づいて、Layneはもうこの世界にはいないのだという絶望に、また襲われる。
 Layneは、もう年を取ることはないし、これ以上、彼にまつわる思い出が増えることもない。動いて呼吸する彼に会うことは、二度とない。
 それが、死んでしまうということなのだと、こいつの内側で声がする。
 こいつにとって、「イノセンス」はAちゃんSであり、Layneなのだと気づいたら、涙が出た。
 Jerryは、きっと今も、Layneを恋しがってるんだろうと、思った。世界のあらゆるところに、Layneの痕跡を見つけてるんだろうなと、思った。こいつが、ずっとそうしてるように。
 AちゃんSの匂いのまったくしない原作から、こんな作品をひねり出した押井監督の感覚っつーのは、一体どんなもんかと思いつつ、傷口を、またえぐってくれてありがとうと、皮肉を残しつつ。
 でも、いちばん皮肉なのは、傷(AちゃんS)の範囲が広ければ広いほど、深ければ深いほど、Layneというかさぶたは、こいつの体の上に、長い間残ることになるという部分なのかもしれない。
 そのかさぶたを、こいつはきっと、失いたくないんだろうな。いつまでも、傷が治らなければいいと、思ってるのかもしれない。だから、世界のあちこちに、Layneを見つけて、また傷から血を流す。
 いるはずのないLayneを、探してる。もしかすると、いつかまた、どこかで会えるのかもしれないと思って、何もないところに、腕を伸ばしている。
 ・・・もっとも、映画をきちんと見たら、AちゃんSだと思ったことなんて、すっかり忘れてしまうのかもしれないけど。
 自虐と自傷と絶望の世界。薬物中毒とその禁断症状の描写。「死ぬことを諦めてしまったからこそ生き続けるしかなかった」ひとりの男と、彼を支えて、失って、今は空っぽになった自分を必死で癒そうとしているもうひとりの男と、そんなLayneとJerryの物語を、「イノセンス」の世界の断片に見出して、こいつはひとりで、ああ、Layneの命日だと、首をくくりたい気分の中にいる。
 こんなにも、Layneを失ったことで、自分が傷ついているのだと自覚するたびに、時間がこれを解決してくれるはずなら、そのために、一体どれほど時間が必要なんだろうと、思う。
 今は、ほんとうに何も手につかない。ヒマさえあれば、頭を抱えてる。Layneが目の前をちらついて、他の思考の邪魔をする。「Follow Me」が流れれば、それがもっとひどくなる。
 早く脱け出してしまいたくて、とりあえず吐き出してみた、おそらく誰も賛同も納得もしないだろう、呆れられるのは覚悟の上のたわ言。
 「イノセンス」のファンにも「攻殻機動隊」のファンにもケンカ売る気は、全然ないです。ただ、吐き出して、少しでも楽になりたかっただけ。
 Layneが恋しい。Layneに逢いたい。あれは彼自身の意志だったのだろうと、納得しながら、同時に、ボロボロになっても、生き続けていて欲しかったと、思う自分がいる。
 「イノセンス」の断片の中に、Layne(とJerry)の姿を見つけて、「Follow Me」と歌う声を、Layneの声にすり替える。Layneは、どこかに、今は人の形をせずに生きているのだろうと、そんなことを思って、そう思いながら、Layneのいない世界で生き続けることが苦痛でなくなるのは、一体いつのことだろうかと、少しだけ、こわくなる。
 とらわれて生きるなら、それはそれで仕方のないことなのだろうけれど。
 いつか、Layneから自由になれる時が、来るんだろうか。
 まだ、血を流し続けている。傷が痛む。色んなことが、LayneとAちゃんSに繋がる。繋がる先のLayneは、もうどこにもいないはずなのに。

 原曲が同じはずの「Spain」と「Follow Me」、こいつの痛みを増幅するのが「Follow Me」の方なのは、アラビア語の編曲にインスパイアされたという、アジア色の強い背景のせいかもしれない。
 「Spain」は、バンドで演ると楽しい曲だった。「Follow Me」は、ひとりで歌いたいと思った。
 人見さんに歌ってもらいたいと思ったけれど、諸さんのベースに、(VowWowの)厚見さんのピアノで、Layneに歌ってもらうのも、悪くはないかもしれない。
 それともJerryが、また泣きたくなるようなGソロを入れて、死にたくなるほどいいアレンジをしてくれるかもしれない。
 とてもとても、Layneが恋しい。春は、痛みを運んでくる。「イノセンス」は、Layneのいない世界を浮き彫りにする。
 Layneのいない世界で、こいつは、「Follow Me」を、きちんと歌えるようになりたいと、つまらないことを考えている。
 Layneの逝ってしまった春は、その後に、諸さんの命日もある。失墜感。瞑目。黙祷。流れる自分の血の海の中。その暗い海の上に、手足を伸ばして漂っている幻想。
 Layneに逢いたい。


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