痛い
2003/07/22(Tue)
自分がどんなに、AちゃんSとLayneを愛してるか、思い知る瞬間がある。
痛くて、泣きたくて、先に逝ってしまったLayneを思って、彼の、胸の内の痛みを想像して、死にたいほど、苦しくなる。
何がそんなに、良かったんだろうかと、自分に訊いて、答えられないまま、泣きたくなる。
愛してたし、愛してるし、もう、どこへも行けない想いなのだと知っていて、それでも、想うことを止められない。
Layneに結びつく、すべてのことが、自分の世界のそこここに転がる、Layneのかけらが、痛みを思い起こさせる。
Layneが、存在しないのだという、痛み。
どこを探そうと、どれだけ待とうと、もう、とりあえずは、2度と会うことはないのだという、痛み。
自分だけが、生き続けてしまうのだという、痛み。
泣きながら、まだ、Layneの声を聞けない自分の臆病さを、情けないと思う。
聞くのが怖い。生きているLayneを感じるのが、怖い。逝ってしまったLayneを、そこに見つけてしまうから。
死にたかったのだと、わかる。生きたくなんかなかったのだと、わかる。わかるから、だから、責めたくはない。止めたくもない。でも、求めてしまう自分がいる。
やっと死ねて、良かったんだよねと、多分それが、正しい言い方---極悪な言い草であっても---なのだと、自分で信じていても、自分の中の、ぽっかりと空いた穴を、泣かずには見下ろせない。
そこにいたLayneが、今はどこにもいない。
この世界の中で、同じ空気を吸って、同じ空を見上げていたはずのLayneが、今はどこにもいない。
世界の半分が、崩れ落ちてしまったような、そんな感覚。
灰色の世界の中で、まだ色を見つけられずに、Layneの色を視線が探す。あるはずも、ないのに。
こんなにもこんなにもこんなにもこんなにも。
愛しているのだと思って、失った痛みを、こうやって抱え込んだまま、必死で、回復の時間を待っている。
1年が過ぎて、まだ、Layneの気配は、あちこちに残っていて、もう、存在しないというのがうそのように、ゆらっと、影を見せる。
心臓と呼吸が、止まる。
そのまま、永遠に、止まってしまっても、いいのに。
会いたいと、言うべきではないのだろうか。戻って来て欲しいと、叫ぶべきではないのだろうか。あの声が、もっともっと聞きたいと、願うべきではないのだろうか。
死にたがる、すべての人間が不幸だとは思わないけれど、生きたいと、積極的に思えないことは、不幸かもしれない。
死ぬという希望に絶望して、屍のように生き続けることを、選択せざるを得ないという生き方を、痛々しいと思うのは、傲慢なのだろうか。
Layneに、日本で会ってから、もうすぐ10年になる。
DOOMの諸さんも逝った、Layneも逝った。みんな、先に逝っちゃう。
・・・30半ばで死ねるのは、それでもある意味、幸せなんだろうか。
死にたいと、思うわけではないけれど、取り残されたのだと思う。人の死を通して、擬似死を体験して、今は、ひとりで、死を考えている。
死ぬ理由がないから、とりあえず生きている。
生きてて良かったと、たまに思う。
幸せだと思いながら、幸せであるということが、頭でよくわからない。
猫が、こいつを見上げて、触って触ってと言いたげに、頭を寄せてくる。求められているのだと、思う瞬間。
そんな瞬間が、重なって、とりあえずは、死にたいと思う気持ちを、逃れてる。
色々と、言葉にならない想いがある。
愛してると、何度繰り返そうと、もう、届かないのが、痛い。