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2004年8月13日の金曜日
2004/08/15(Sun)
 え〜と、本題に入る前に、自分のために記憶の整理を。自分でもよく覚えてないので(苦笑)。
1997年3月末、出会い。この段階ではもちろんシングルという話。離婚歴2回、子持ち(別居)、人生建て直し中と言われ、学生しかやったことなかったこいつは、あまり深くも考えてなかった。
1998年1月末、母親宅を追い出されてた同居人、やっと就職が決まり、同居に踏み切る。ダウンタウンの小さなアパートメントに落ち着いたその当日、衝撃の一言、「あ、俺、離婚すませなきゃなー。」←この段階で、すべてを放り出さなかったことを、後に大後悔。数ヶ月で手続きが終わるという言葉を信じたのが大間違い。すでに大学休学中。今よりさらにガキだった・・・。
1998年9月、日本への、最後となった一時帰国から帰宅。ビザの手続きをするためのアポが数週間後。離婚の手続きを、母親と進めていると、毎週言ってたのが全部ウソだったと、帰宅早々バレる。もちろんこいつはブチ切れ。しかし、自分のビザの手続きにまだ希望があったため、一応許したのがこれまた大間違い。
1998年10月、ビザ取得却下。退去命令が出る。真っ青になって友人に相談したら、移民局勤めの彼の友人を紹介され、こっそりと入れ知恵をされ、翌年3月まで命を繋ぐ。同じ頃、こちらでは最初の同居猫、黒猫のCoalと出会い、彼が居候を決め込む。
1999年4月、就職先をとっととクビになっていた同居人は、新たに自営業に向けて意欲だけ満々な日々。2匹目のメス猫、Cristal入居。離婚手続きは放置のまま。
1999年7月、ついに仕事面で自立。再びの極貧生活の覚悟を決めるこいつ。
2000年1月、仕事が何とか軌道に乗り、アパートメントから一軒家に引越し。離婚は弁護士に任せたまま、放置。
2000年8月、後に同居となる、ねねとぽっぽの親子(当時は名無し)を、裏庭のガレージで発見。エサやりの日々。
2000年12月、クリスマス直後、猫親子を捕獲、ねねとぽっぽと名づける。離婚に進展はまったくなし。

 こうやって改めて並べると、自分のバカさ加減がよくわかっていいなあ!(自嘲)
 一番最初の奥さんに、「まだ別れてないの? よく耐えられるわね。人生無駄にしちゃダメよ」と諭されたり、女性用のシェルターに逃げ込んだり(←これはさすがに笑えない)、向こうがウツっぽいのを何とかしようとしてるうちに、自分がマジでヤバい状態になったり、日本からもここの世間からも、ほぼ完全に遮断された生活に陥って、すべてに投げやり、無気力、諦めモード充満状態で約2年、ネットの世界に飛び込んで、少しずつ自分らしさを取り戻し始めて、ここに至る、と。
 その間に、5匹目の同居猫、オスのザジも登場。
 こいつはまた、好き勝手に文章を書き散らし始め、同居人が(狭くて小さな)世界の中心でなくなってから、やっと自力で呼吸を再開した。
 最近は、すっかりアニメオタクまっしぐら(爆笑)。自分だけの幸せを追求中。

 さて、去年の10月に心臓発作(らしきもの)を起こして、仕事から離れているうち、ボスという権威を失ってしまった同居人、働いてる人たちほぼ全員に暴言を吐きまくり、事務所の中心人物を不当解雇し、周囲の人間ほぼすべて(こいつ含)に背中を向けられるという事態が発生。
 1ヶ月後に、身内からの泣きが入って(けっ)、こいつが復帰。最少限の人数で仕事を回すこと半年。ついに思うように行かない事態に、ブチ切れ。
 雇用者数50%↑減、という事態を招いて、経営者退陣!という素振りで、仕事放棄! 仕方ないので、仕事の建て直しをしつつ、同居人の子守り中のこいつ。
 周囲が自分を慰めてくれないのがよほどショックだったのか、2週間、(傷心)旅行へ行くと言い出した。勝手に行け、と思うこいつ。
 旅行も決まり、仕事のプレッシャーもなくなり、少々機嫌が良くなって、今さらまた離婚の件で弁護士と連絡を取り始める。
 今年の5月の時点で、同居人によれば(←疑い率85%)、弁護士は書類を全部揃え、裁判所へ提出済み、後は裁判官の判決を待つばかり!というニュースを受け取っていたものの、それからまた音沙汰はなし。放置には慣れっこだったので、けっと思いつつ、そんなことすら忘れてた。
 そして8/13、今日はジェイソンな金曜日だね〜とそんな話をしていたら、「俺、離婚とっくにしてたらしい。連絡が行き違ってたみたいだ」という電話。はあ?となりつつ、また素晴らしい日に素晴らしい冗談をと思いつつ、弁護士のところへ行ってみたら、「いや、ほんとです」と離婚証明書を手渡される。
 ある小説に、「女は、気に入った着物を買う時は、必ず不機嫌な態度になる」という描写があって、まさしくそんな感じに、なぜか不機嫌に、弁護士に料金を払い(額のせいで不機嫌だったわけではない。時間をかけて、同居人みたいなめんどくさい依頼人の面倒を見てくれたわりには、と思える額だったし)、不機嫌に事務所を出て、実のところ、まだほんとかどうか疑ってた。
 「で、したかったら、そこらの女の子を今捕まえて、結婚できる状態なわけ?」と訊いたら、「うん、猶予期間の1ヶ月は過ぎてるから」という返事。
 ・・・誓ってもいい。これが、13日の金曜日でなかったら、我々は、あそこまでハイパーに悪乗りはしなかったと思う。
 「じゃあ、今からできる?」「しちゃおう。」ということになって、そのまままっすぐ裁判所へ。そこで、Justic Of Peaceとかいう人に、結婚させてもらおうと思ったら、「JOPは、もう結婚は扱わなくなった」と言われ、今度はCity Hallへ、婚姻手続きをするために送られる。
 その間に、結婚させてくれる人たち(JOPと、同じような人たち)に連絡を取って、「今日結婚させてくれますか」と訊く。
 電話に出てくれた、市内在住の女性は、「ダメ、もうすでに3、4組待ってるし、明日も結婚式が2組あるの」とすげないお返事。
 金曜の午後に、誰が仕事なんかわざわざしたがるかっての。仕方なく、ナイアガラフォールズの、小さなチャペルで予約を取る。こちらは、さすがにそれが商売だけあって、「書類が揃ったらいつでもどうぞ〜☆」と明るい声。
 さて、City Hallで、書類をもらって記入。名前と住所、出生地(国)、両親の名前(母親は旧姓←父親が姓変えてたらどうすんだよと、内心ツッコミ)、離婚の有無、結婚の有無を訊かれる。さすがだ。離婚証明書、写真つきの身分証明書(免許証とか)と出生証明書(こいつの場合はパスポート)のコピーを提出させられ、受け付けてくれた人が、タイプで、いわゆる婚姻届に、記入したばかりの書類の情報を打ち込む。
 タイプ済みの書類を目の前に、係の女性が説明してくれるのだが、「この部分は、あなたたち用の、再発行はできない記録。こちらは、あなたたちを結婚させてくれた人が、政府の機関に送付する分。結婚証明書は、結婚の日付から3ヶ月経ったら申し込めます」うんちゃらかんちゃら。
 ・・・何だかよくわからない。今渡されて、政府に送るとか言ってるのが、あちらへの証明書じゃないのか? 違うらしい。ここには戸籍がないため、我々が結婚してると証明するための公的な文書として、その結婚証明書とやらを、3ヶ月後に発行してもらうための手続きを、自分たちで、改めてやらなきゃならないらしい。
 日本だと、最寄の市役所に、記入済みの婚姻届出すだけで終わりだよね? これも実はまったくよく知らないんだけど。
 ややこし〜・・・っていうか、この人に結婚させてもらわなきゃいけない!っていう人たちがいる、っていう段階で、こいつはすでに「もーどうでもいー」と投げやり。
 それでも書類は揃い、じゃあ、結婚しに行くかと思ったら、「立会人がふたり必要だ」・・・えー。
 後でわかったのだけれど、チャペルの方で、必要なものは最低限揃えてくれるので、我々はほんとに書類だけ持って行けば良かったんだけどさ・・・だけどさ。
 まったく個人的に、ふたりっきりでやりたかったんだよう。こいつはどうせ、急に声掛けられる日本人の友達もいないし、家族もいないし、だったら立会人も、その場で誰かに声を掛けてやってもらって、ふたりっきりで家族もなし、というのがフェアだと、ひとりで思ってたので。
 でも同居人は、同然ながら、「母さんと妹のドナを連れて行けばいい!」・・・えーえー。別にいいけど・・・ごにょごにょ。
 お母さんのところへ行って、「これから結婚しに行くから」と言ったら仰天され、「じゃあ、せめてもうちょっとマシな服装とか、指輪とか、花とか、もっと色々きちんと」とごねられた・・・←こういうのがイヤだったんだよ、実は。
 幸い、同居人が、「母さん、今日は13日の金曜日だよ。何だっていいじゃないか」と、だらしない普段着のままでにっこり。お互い、サンダル履きにトラックパンツにTシャツ(爆笑)。
 んなものは一切いらない、っていうか、チャペルに行かなきゃいけないってのがすでに、ものすごくイヤだったこいつ。
 指輪もねー、一応はめてた婚約指輪も、白々しくて、すでに外しちゃって1年近く経ってたし・・・今さらって感じ〜。
 でまあ、いつものように、車の中で始まる会話が、基本的に言い争い・・・そうだった、同居人とお母さんが一緒にいると、口論にしかならないんだった。しかもそれで、ドナがヒートアップするので、こいつはもう、黙して語らず。貝の世界。すでに、すべてを後悔し始めてたりして。
 チャペルに着くまでに、「これで子どもができても大丈夫ね」とにっこり言われ、渋々うなずきつつ、その直後の会話が、「どこそこで自宅から誘拐された幼児が、死体で見つかった」とかっていうのは、デリカシーないとか、言っちゃいけませんかそうですか。萎え萎え萎え。
 いつものことだけどねー、ネイティブの人がこれこれの殺人事件を起こしたとか、黒人のギャングのうんちゃらが何とかとか・・・ふたりで来てたら、少なくとも悪乗りのまま、冗談飛ばし合いだけしてれば良かったんだよな〜と、ひとりでどんどん不機嫌になるこいつ。
 ・・・せめて、一応、こういう日くらい、もうちょっと明るい話題とかさ・・・求めるこいつがバカですかそうですか。
 チャペルに着いて、牧師とか神父とか、それっぽい男性が書類の記入をしてくれ、コピーをくれ、「じゃあ、通路を歩きますか? 音楽は?」と言われて、こいつは即行で却下。苦笑いする神父/牧師さん、「じゃあ、正面に立ってやりましょう」。
 式というのか、儀式というか、その間中、こいつはず〜っとあらぬ方向を見つめて、正直、笑いを吐き気をこらえるのに必死だった。
 彼の言ったことを全部繰り返すのだけど、「この人を夫として、生涯、どんな時も、愛し尽くすことを誓います」って、言わされるんだぜーーー!! いや、天邪鬼なのはわかってるんだけど、マジで、「そうなるといいと思ってます」とか「努力します」とか「多分」とか「どうでしょうねえ・・・」とか、そういう答え方があってもいいと思うんだよ、いやマジで。
 そういう風に、仮に答えてしまっても、同居人とふたりきりなら冗談になったんだけど・・・お母さんが後ろで見てるとこじゃ、それも無理(保険金の額の話をしてると、そんな話をするんじゃありませんと、叱られるような人なので・・・)。
 すべてのことの白々しさに、何かこー目眩というか・・・車の中の会話で萎え萎えだったので、「やっぱりやめようよ」とうっかり言ってしまいそうになるのに、必死で耐えてたというのは、人としてどうかと自分。
 で、指輪の交換して(生涯の愛の誓いの印なんだって←棒読み)、書類に名前を、自分たち、お母さんたちが記入して、一応終わり。
 パッケージなので、親戚知人に、結婚のお知らせをするための絵葉書が数枚、我々の名前と今日の日付の入った、式の内容とメッセージを書いた、小さな冊子、額に入れて飾る人がいるとかで、きれいな紙に、きれいに印刷された、このチャペル発行の結婚証明書をまとめてもらう。
 すべてが終わるまでに、約20分。しめて225(カナダ)ドル。ついでに言うと、婚姻届の手続きに100ドル。
 届け出すだけなら、日本の方が簡単そうな気が。
 でまあ、車の中で、お母さんに、「これであなたもVan Doornね」とうれしそうに言われ・・・何も言わなかったというか、何も言えなかったというか・・・家族を介入させるべきじゃなかったなあと、痛感した。
 まあ、こんなことは流してしまえばいいんだろうけど。
 City Hallでも、係の女性が、こいつだけを見て、「この書類は、あなたが名前を変える時に必要だから」と言われ・・・夫婦別姓が普通に通ってるはずのここでも、名字を変えるのは女の方だという前提で話をするのか・・・萎え。
 ビザ取るのに、とにかく結婚という手続きを取るのがいちばんだから、というだけのことだとは、100%そうだとは、さすがに言わないけど、でも結婚が、ほぼイコールで、女という個人であるはずの存在が、男の中に取り込まれてしまうという事態を引き起こすことに対して、誰も意義を唱えない、ということに対して、個人的に萎え萎え。
 これもすべて、こいつが同居人のことを、きちんと大事な人として思ってないからなんだろうなあ←これが一番の元凶だろう(苦笑)。
 ふたりっきりで、ほんとうに、最初から最後まで、冗談みたいにすべてを終わらせられたら、ここまで落ち込まなかったのかも。周囲の、「おめでとう、Mrs. Van Doorn」という扱いがすでに始まってるのに、個人的にうんざり。
 違います、とこいつは、頑固に、醜悪に、言い続けるんだろうな。さらに、「ありがとうございます、でも、おめでとうは、ビザが取れた時にして下さい」と可愛げもなく返してみたり(いや、一応冗談っぽくね)。
 自分としては、結婚はビザを取るための手続きの一部に過ぎないのだけれど、まあ、あちら側にしてみたら、ある意味念願の、という感じなのだろうし。
 ぶっちゃけた印象としては、相手なんか誰でもいい、とにかく結婚して、落ち着いてくれ!という感じ。離婚2回もした後で、3回目の結婚(しかもサンダル履きで。苦笑)のことを、家族全部に触れ回る、というのは、こいつにはよく理解できません。
 これが、婚約(苦笑)当初は、それなりに挙式と披露宴をやるつもりでいたんだから、大笑い。いや、あっちがね。こいつは書類に記入以上のことをやる気は、昔からまったくございませんでした。
 しかし、一応キリスト教っぽいんだけど、あれ、宗教が違う人たちって、どうやって結婚してるんだろう。自分たちのやり方で式をやって、結婚の部分は、あの牧師/神父さんっぽい人たちにやってもらうのかなあ。それも何だかなあ。
 書類に記入させるだけじゃなくて、あの、誓いの言葉を言わされて、指輪を、永遠の愛の証しとして交換させられる、っていう段階で、こいつとしては、「すいません許して下さい」っつー感じで。日本なら、選択があるんだよなーと、知りもしないくせに思ったり。
 こうしなきゃいけないっていうのしか見えなくて、調べれば、もっと別の方法もあったんだろうなとも思うんだけど、この国の、妙にいやんに保守的なところが目について、個人的に腹の中にたまったことがあれこれと・・・。
 人が結婚するのは、いいな〜と思って眺められるけど、自分のこととなると、こうまで白々しい気分になるとは思わなかったなあー。まあ、白々しくなったのは、彼の家族が直接関わった時点からだったのですが(←オニのような言い方)。
 ビザのことがなければ、いわゆる内縁のままで良かったんだけどな・・・仕方ないけどさ。
 ま、とりあえず日本の戸籍はいじらないし。日本では独身のまま! 重婚が可(削除。不謹慎な発言があったことをお詫び申し上げます)
 っていうか、日本では、結婚うんぬんの心配は、こいつは一生必要ないと思う(爆笑)。
 13日の金曜日、冗談はここから始まったって感じで、冗談で終わらせられなかったのが残念ですが、ひとまず、ビザへ向かっての大きな1歩。
 不法滞在なのは相変わらずなものの、少なくとも、移民局から何かあれば、「結婚してるのに!」とごねるりっぱな理由はできました。さ〜て、同居人がひとりのハネムーン(爆笑。今日からキューバへ2週間)から戻って来たら、今度こそ、本当にビザの申請だ〜。申請が終わったら、日本に戻る算段だ〜。イベントだ〜(おい)。

 追伸。まあ、おもしろい経験ではあったなあ。ちなみに、13日の金曜日には必ず、ヘルズ・エンジェルズの人たちは、ポート・ドーヴァー(海辺の観光地)に集まるんだとか。結婚にまつわる保守性というのを目の当たりにして、簡略の結婚を実際にしてみて、ネタになると思ってたのは内緒(大笑)。



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