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酔っ払いの妄言
2010/02/10(Wed)
Stone Temple PilotとScott Weilandに対して病的に理不尽な言い掛かりがあるので、ファンの人は読まないが吉。

去年、AちゃんSが14年ぶりのアルバムを出した。Layneが逝ってから7年半。
新譜以前に、Jerryがソロを出したり、メンバーそれぞれ活動があったり、同時に、新しいVoを入れてAちゃんSらしきライブもあったり、まったくバンド自体が死んだというわけじゃなかった。
もしかしたらという希望は、多分世界中のファンの心の中にあったと思うし、たとえLayneがいなくても、バンドとして続いてくれるなら、少なくともLayneをずっと覚えていられる、そう思ってた部分もあった。
そしてもちろん同時に、どんなAちゃんSであれ、LayneがいないAちゃんSはもう多分AちゃんSにはなれないのだと、正直に思いもする。
新譜に対する反応は良くて、まさしくこれがAちゃんSだという評判で、Layneもきっと喜んでるよと、そういうコメントも見かけた。
うん、そう思うよ、Layneはきっとどこかで喜んでるよ。メンバーみんなが元気そうで、自分が死んだ後も、とにかくも前に進んでるのを見てきっと、"オレがいなくても大丈夫だろう?"って、あの笑顔で笑ってるんだろう。

新譜発売を横目に見て、2010年になった今、もしかしたら聞けるかもしれないと思って、でもやっぱりだめだろうと思う。
あれは、LayneのいないAちゃんSだ。新しいVoのWilliamが頑張ってて、それをすごいと素直に思って、聞くことはできても、心の中でやっぱり拒んでる。あれは、AちゃんSだけどAちゃんSじゃない。少なくとも、まだ。

AちゃんS以来、基本的にAちゃんS以外はOut of 眼中、Layneが逝って以来、まともに入れ込んだバンドが全然ない。AちゃんSに出会う以前の音楽を新たに聴き直したり惚れ直したり、そういうことはあったけど、相変わらずDOOMもVow WowもGluelegも、こいつの中では真っ直ぐAちゃんSに繋がってしまって、聞けないまま。
ようつべで検索すらできない。怖くて聞けない。痛くて聞けない。Layneがいないということを思い知るのが怖い。Layneのことを語るメンバーの声を聞くのが怖い。JerryやSeanが、Layneいう名を口にするのを耳にするのが怖い。

Layneが逝った時に、ずるいと思った。先に、ひとりで逝って、ずるいと思った。
決して気楽でも楽しいだけでもなかったはずのLayneの34年は、きっと普通の人の90年にも匹敵するくらいに長かったろうと思う。それでも、Layneが逝けたことを心のどこかで喜びながら同時に、やっぱり逝って欲しくはなかった。どんな姿になっても、生きていて欲しかった。でもやっぱり、そんなLayneを見たくはなかったろう。
だから、Layneは2002年の春の始まりに、ああやって死ねて、よかったんだろうなやっぱり。
Layneはいない。どこにもいない。Layneはもう歌わないし、笑わないし、ステージから飛び降りたりもしないし、薬のやり過ぎで死に掛けて、みんなに心配掛けたりもしない。
やっと逝けてよかったねと思う。そして、ひとりで先に逝ってしまって、ずるいと思う。

Layneが死んだ後で、時折Stone Temple PilotのScottの名前を耳にするたびに、彼に対する憎悪が募るようになった。
同じように重度の薬中で、同じようにリハビリ施設に出たり入ったり死に掛けたりで、それなのにどうしてScottは生きてるんだろう、Scottは生きて歌ってるのに、どうしてLayneは死んじゃったんだろうと、Scottにはまったく関わりのないところで、彼を憎んだ。
AちゃんSや他のバンドの焼き直しとしか思えない(個人的意見)アルバムを出すSTPに対して、実のところずっと以前から何となく気に食わないものを感じてたけど、Layneが死んだ後で、彼らと特にScottに対する理不尽な憎悪は、いっそう深まる結果になった。
どうして、ScottじゃなくLayneだったんだろう。何が、Scottを救う結果になったんだろう。完全に救われたとはとても思えないけど、少なくとも死なずに、いまだに歌い続けてるScottと、Layneは何が違ったんだろう。

きっと何か、責めても心が痛まない対象を探してたんだろうと思う。
Scottに対する憎悪を理不尽と自覚していて、今も彼を憎まずにはいられない。アルバムを出すとか、誰かと組んで何かやるとか、聞くたびに、怒りに眉が吊り上がるのがわかる。
誰かがScottとSTPの話をするたびに、心の中が怒りで煮えくり返る。まるで彼らのせいで、Layneが死んでしまったみたいに、AちゃんSが手足をもがれてしまったように、そんな風に感じることで、きっと自分の中の痛みをごまかそうとしてたんだろう。
ScottもSTPも、AちゃんSとは何の関わりもないのに、どうしてもこいつは、誰かを憎まずにはいられなかった。死んでしまったLayneが恋しくて恋しくて、それがLayneの選択だってちゃんとわかっていても、まるでLayneを奪い去られたみたいに、そう感じるのを止められなかった。

新譜のプロモ用か何か、15分ほどの動画を見た。
何かのチャリティに参加した時か、KISSのメイクをしてるAちゃんSのみんな、Williamは、JerryのことをCantrellと名字で呼んでることに、なぜだかほっとする。
以前ほどの猛々しさやトゲトゲしさの和らいで、あれから14年も経っているのだとしみじみ感じる。
Mikeyは決して口にしないけれど、JerryとSeanが言う。"Layne has passed away."
彼らの口から、多分あれ以来初めて聞く、Layneという名。"死んでしまったLayne"という、そこでいつも、口元の辺りの動きが一瞬止まる、彼らの表情。
「大事な友達を失くしたんだ、今でも大事に思って愛してる」、Jerryが、メイクで無表情にされながら言う。
生きて残された人たちは、食べて寝て笑って泣いて、そうやって変わらずに生きてゆくしかない。Layneが逝ってしまったことで、世界が終わったと感じたとしても、世界は相変わらず何もなかったように続いてゆく。
30半ばでLayneを喪った彼らは、今では40を過ぎて、JerryはRoosterに出てたお父さんにそっくりになりつつある。
Layneがいたら、それを笑ったろうか。

2002年の初夏、Layneが逝った直後、偶然Linkin Parkのアルバムを手に入れて、その時はそれがLayneの追悼アルバムになった。
それでも結局、Linkin Parkにはそれほど夢中にならないまま、Dokkenを聴き直したりJudasに惚れ直したりVandenbergにハマり直したり、Layne周辺の音は慎重に避けてた。DOOMもVow WowもGluelegも、今もほとんど封印状態のままだ。
それを、何を一体どう間違ったのか、今Type O Negativeに溺死中。
Layneよりももっと象徴的に、死を語る。明らかに死という概念に魅せられて、神に対して疑問を投げかけて、それでもどうやら、それをすべて冗談と言い捨てられるだけの余裕を持って、Pete Steeleが低い声で歌う。Layneよりももっと囁くように、語るように、もっと強い感情をあからさまに、それでも音楽という点においての表現力は抑えて、Peterが、もっと垢抜けない、もっと粗い音に乗せて、死にたいと叫んで、自殺はひとつの表現の形に過ぎないと歌い吐く。
Layneよりも体の大きな、Layneよりも表面上は愛に満ちた家庭に育って、とりあえずは恵まれているように見えるPeteは、酒と薬に溺れて、両親を失くした後に、姉たちに刑務所に送られる羽目になった。
犯罪歴のついてしまった彼について、他のメンバーたちは、国外ツアーが困難になったと淡々と語る。当のPeteは、50にもならないのに、痛めつけてしまったせいで60近くにも見える外見で、以前よりもずっとのろのろと、言葉足らずに話す。30代初めの頃の、カミソリのような鋭さが失せたのは、単に年齢のせいか、それとも酒と薬で足りなくなった脳細胞のせいか。

あれはきっと、Layneの姿だ。
死なずに生き延びてしまった、Layneそのままの姿だ。
醜悪と思うわけではなくて、ただ単純に、早くに老い過ぎてしまったPeteの姿を見て、そこに、彼よりは少し年下のLayneの姿を重ねる。そして、そのあまりの早さに、心を痛める。Peteの痛々しさを冗談に紛らわせることができずに、せめて彼がこのまま、薬と酒から遠ざかってくれますようにと、心底願わずにはいられない。
Layneよりももっと先に、銃で頭を撃ち抜いてしまったKurtに、Peteは敬意を抱いてると言う。自分ができないことをやって、彼は先に逝ったから、だから彼を尊敬していると、Peteは冗談なのか本気なのか、いつもの仏頂面で言う。
そのKurtの後を追うように逝ったLayneはどうだろう。家族も見分けられない腐乱死体で見つかったLayneはどうだろう。

死にたがって、どうやら生来欝気質で、酔わないとステージに上がれない、世界から人間すべてが消えれば地球が平和になると言い放つ(正論だと思う)、何が理由か女性とまともに関係の結べない、TONのPeteの声と曲に、なぜかLayneを失ったという傷が癒されるような気がする。
Layneと言う、いまだ血を流し続けてる傷を、慰撫されてるような気がする。
癒えなくてもいい、そのままでいい、血を流し続けていてもかまわない、そう言われてるような気がする。Layneという傷ごと抱え込まれて、その血に汚れることも厭わない、なぜかそんなPeteの姿が思い浮かぶ。
溺死の最中に、腹に抱え込んだ大きな石が暖かくて柔らかいような、そんな感じ。死にたがりの自分の丸ごとを、ただ無言で受け入れられてるような気がする。
Peteの、生きてゆくことの苦痛と悲しみに、自分のそれをさらに背負わせて、きっと自分だけ楽になろうとしているんだろうと思う。
誰かの苦しみを通してでしか、Layneについての悲しみを語れない。酔わないと、泣けない。泣いても泣いても、足りない。

飲み終わって、とりあえず涙が止まったら寝よう。眠ってしまったまま、そこから戻って来なかったLayneのことを考えながら寝よう。
いつまでも涙が止まらない。ボトルは空になった。Layneのことが相変わらず痛い。地下室でうずくまって体を丸めて泣いてるみたいだった、Layneの声が耳から離れない。
酔っ払ったこのまま寝よう。
Love ya, Layne, miss ya, Layne. I love you Layne, I still love you deadly. Will I ever get it over? I love you, Layne, I love you too much. I love you, I really love you, Layne.



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