シェーンコップ×ヤン

Alive

 ヤンが背中に触れて来る。くすぐったいと言うほどでもなく、好きにさせておいた。
 指のたどる位置に何となく覚えがあって、シェーンコップは肩越しに振り返り、
 「傷跡が、珍しいですか。」
 意地悪でも皮肉でもなく、ただ訊く。
 ヤンが、ばつが悪そうに肩をすくめた。
 シェーンコップの周囲では、体が傷跡だらけでない方が珍しい。今、ヤンが数えるように触れていたシェーンコップの傷跡も、数から言えば大したことはない。ローゼンリッターの中には、一体何があったのかと、訊くのも憚られるようなむごい傷跡の持ち主も少なくなかった。
 シェーンコップのそれは、どれも比較的小さかったし、まれにいまだ痛む痕もあるけれど、どれもきちんと治っている。
 シェーンコップの表情を読んだのか、ヤンが小さな声で言った。
 「・・・痛そうだね。」
 別に、と苦笑交じりに首を振って見せる。
 「死んだわけじゃありませんからね、そういう意味では全部軽傷ですよ。」
 強がるつもりではなく、隊員相手なら一緒に笑って済む言い方をした。ヤンが途端に頬を歪める。
 「軽傷のわけがないじゃないか。」
 左脇にある、ひと際長い深い傷へ、ヤンが揃えた指先を添えながら、かすかに声を震わせた。
 わずかにえぐれて、引き伸ばされた皮膚の薄くなったように、白っぽく、皮膚の下の肉色を透けさせて、触れていると内臓へ届くような気すらした。ヤンは眉をしかめ、まるでその傷を受けた時のシェーンコップの痛みを感じているように、こわごわと触れるか触れないかに掌を乗せている。
 内臓をかすめた傷だった。もうほんの少し、小指の爪の先くらい深かったら、死んでいたろうと言われた傷だ。致命傷にわずかに足らない、ローゼンリッター流に言うなら、それも軽傷だった。
 死ぬに至らない傷は、全部軽傷だ。死なないならかすり傷だ。誰も皆、かすり傷を背負って生きている。かすり傷でなかった連中は、みんな死んだ。血を吹き、内臓を垂れ落とし、血だまりで溺れて死んだ。
 シェーンコップは死ななかった。かすり傷ばかりで、そのひとつびとつ、負った時の記憶がある。それをすべて、笑い飛ばしながら生きて来た。洒落にならない生き方を、洒落のめして生きて来た。毒舌も皮肉も、傷跡がそれぞれ流した血の量に比べれば、砂糖の固まりのように甘い。
 敵と味方の流した血の海を、泳ぎ切って、シェーンコップは今ここにいる。
 ゆっくりと寝返りを打ち、ついでのようにヤンへ体を寄せて、シェーンコップは無言でヤンを抱き寄せた。
 突然重なったぶ厚い胸に、驚いたようにヤンが少しばかり暴れて、それでも額を触れ合わせればおとなしくなる。
 「死ななかったんですよ、私は。」
 誰に対してなのか、言い聞かせるようにシェーンコップが言う。
 鼻先の触れ合う近さで、ヤンが軽く唇を尖らせ、意地悪でもされた子どものような表情で、シェーンコップの分までつらそうにする。
 「私は生きてますよ、提督。」
 当然だ、こんなあたたかい体が、死んでいるわけがない。生きて動いてしゃべって、いつだってヤンをからかうように、長い腕を巻いて来て、ヤンに、もっと生きたいと思わせる。
 何が何でも生き延びてやると、そう思っていたのは、この気に食わない世界に対する抵抗だった。無様な作戦を投げ渡されるたびに、死んでたまるかと、戦斧を振るった。殺した分だけ生き延びた。シェーンコップはそうして生きて来た。
 自分の足の下にあるしゃれこうべの山の高さを、無視するつもりも誇るつもりもない。いずれ自分も、そのひとつになるのだと知っている。
 それでもまだ、自分の骨に肉があり、その肉が動き、流れる血のあたたかい間に、ヤンに出逢えてよかったとシェーンコップは思う。
 傷の数だけヤンへ近づき、そうしてヤンに出逢い、生きて、こうしてヤンに触れている。
 ヤンに巻く腕にも傷跡がある。ヤンはそれを見て、自分の許へ来るために、シェーンコップが削った血肉の量を思った。
 「そうだね、君は生きてる。」
 そしてわたしも、と唇で言わずに、ヤンの闇色の瞳が後を続けた。
 人を殺しながら生きて、自分の魂の削れる音を聞きながら生き続けて、まだ死には至らずに、ふたりはここにいる。かすり傷の数を数えて、互いのぬくもりに今日も生き長らえたことを知って、もうそれに負い目を感じる余裕すらない。
 生きている人間には生きている人間の義務があり、その生がどんな形で続いているにせよ、死ななかったのなら生き続けるしかない。
 かすり傷でできた生。死ななければ生きている。そうして、ヤンの傍らに在り続ける限り、死ぬのはごめんだとシェーンコップは思う。
 自分の下で体を伸ばすヤンの、目立つ傷跡はないなめらかな皮膚へ、傷跡だらけの体をこすりつけて、ヤンがその痛みを写したように口元を歪めるのを、シェーンコップはなだめるように自分の唇を落としてゆく。
 シェーンコップの脇腹の傷跡を探って、ヤンが、自分の指先を埋め込むように触れて来た。皮膚の上からよりも近い、血の流れの伝わるように、ヤンは喉を伸ばして目を閉じる。
 重ねる胸には鼓動が、こすり合わせる首筋には脈が、もう一度繋げる躯の奥では互いの魂が触れ合って、生きたい、一緒に生きたいと、叫ぶ声が絡まって響く。
 二重奏の旋律が、一瞬、ただひとつの音になってふたりを慄わせ、ヤンの食い込んだ爪が、シェーンコップの背中に、明日には消える跡を残した。

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