YJシェーンコップ×ヤン。

Breakable

 人に触れる時にことさら優しくなるのは、もうこんな大きな体になってしまってからの習い性だ。
 気がつけばどこにいても頭ひとつ飛び出して、自分より小さな人間には、ただ手を伸ばしただけで暴力に見えると悟ってから、そう受け取られないように、普通の何倍も気をつけるようになった。
 その俺が軍人か。これ以上的確な職業選択もないなと、顔に出さずに自嘲して、それでも自分が優秀な軍人であること、優秀な人殺しであること、そしてローゼンリッターを率いて、リーダーとしてもそこそこ優秀らしいこと、そんなことを考えながら、シェーンコップは自分に乗り掛かって来る男の薄い腰に、大きな掌をそっとあてがった。
 任務のために鍛えた体は、まるで筋肉の鎧で、そこに乗る自分の上官の体と言えば、ひょろりと頼りなく、自分で武器を持つ必要もなさそうな指揮官と言うのはこういうものなのか、ことに東洋系は筋肉のつき方が、元帝国人のシェーンコップたちとは違うのかどうか、掌を乗せただけで骨が折れそうだと、触れ方に気を使う。女に対する時と同じだなと、シェーンコップは口にはせずに思う。
 抱いて、と女に迫られることはよくあるけれど、同性から、そして上官からとなれば、これは拒む権利すら最初からない。
 勃つのかと、珍しい一抹の不安に駆られ、けれど素肌に触れた後には、それはすべて霧散した。こちらにすべて吸い付いて来て、ただ1枚の皮膚になってしまうような、そのなめらかさに驚いて、敷き込むと自分の体に隠れ切ってしまう薄い体を、後はただ壊さないようにするだけだった。
 一体どういう経緯なのか、こんなことに、明らかに不慣れな様子と馴染んだ様子とが混在して、いちいち詳しく訊く気もなく、周囲の女にも男にもまったく視線の動かない、何に対しても平静と言えば聞こえはいいけれど、悪く言えば無関心のこの上官の体(てい)が、シェーンコップの心に小さなさざなみを立ててゆく。
 この人の関心を引きたいと、妙に必死になる輩もいるのだろうなと、シェーンコップは思った。そしていつの間にか、自分もそのひとりになっていた。
 ヤン・ウェンリー。少年じみた見掛けの、魔術師。幼い頃──まだ帝国にいた頃──読んだ絵本の、不老不死の魔法使いを思わせるこの男は、30年前に生まれたと言うのがまったくのでたらめのような、この宇宙の過去千年をその小さな頭に詰め込んだような、隙だらけの佇まいのくせに、近づいてこの男のまとう空気に飲まれると、それは一体魔法なのかどうか、この男以外のことは一切合切どうでもよくなってしまう。
 シェーンコップは喜々としてイゼルローンに乗り込み、それを奪い、獲物をくわえた猟犬よろしく、主人に褒められたくて駆け戻る。そしてこの男は、イゼルローンの主となり、シェーンコップに、イゼルローンを護れと命じた。
 喜んで、と言う以外、シェーンコップに何ができたろう。
 今ヤンは、シェーンコップの下から顔をこちらにねじ曲げて、いつもよりさらに空ろな、けれど熱っぽい瞳を向けて来て、
 「そんなにそっとしなくても、壊れないよ、わたしは。」
 吐息混じりのくせに、しっかりとした声で言う。
 抗議なのか、それとも誘いなのか、あまりに優しく扱われて、あるいは戸惑っているだけなのか。
 シェーンコップは、自分の性根を特に優しいと思ったことはないけれど、ヤンが痛がる様など見たくはなく、それはこの男があまりに少年じみていて、触れるたび湧く罪悪感のせいなのかもしれない。自分の、人より大きな掌がその膚を滑るだけで、あるはずもない害意が見えるような気がして、ヤンを抱く時には、シェーンコップはことさら思いやりをこめて動いた。
 ただ掌を乗せただけで跡の残りそうなすべらかな皮膚に、静かに、けれど熱を込めて唇を押し当てて、今ではそれほど時間も掛からずに溶け合うようになった躯を、しゃぼん玉でも抱え込むように抱き込んで、シェーンコップは自分の滴る汗がヤンの背中を濡らすのを見ながら、こんなに薄い体が自分をすっぽりと飲み込んでいる不思議を思う。
 大丈夫ですかとしきりに声を掛けながら、柔らかな、音のないノックのように、ヤンの躯を穿って、汗の湿りと匂いがシェーンコップをヤンと言う森の奥へ引きずり込んでゆく。
 ヤンの繁らせた森。木陰の大きな、縦横無尽に枝を拡げた樹。自分はその樹なのだと思いながら、枝の1本にヤンが憩い、気まぐれに位置を変え、あちこち楽しげに飛び回る様を想像している。
 小鳥かリスか、いずれ自分と言う樹に巣を作って、連れ合いを見つけて家族を増やす、小さな動物。自分にとってヤンがそのようなものだと思うと、心臓を針で突き刺されたような痛みを覚える。
 ただ憩うための枝。葉。光。ヤンにとって、自分はそのようなものなのか。
 樹は、そこに生きる生き物を守るために、根を張り、幹を育み、枝を伸ばし、葉を繁らせる。生き物たちは、いずれ樹を置き去りに、どこかへ行ってしまう。
 この男が不老不死の魔法使いだと思うのは、この男の死ぬところなど見たくはないと思うからなのか。この男のための死なら、無駄死にでも犬死でもないと思い決めて、先に死ぬのは自分なのだと、いつの間にか思い込んでしまっている。
 大丈夫ですかと、何度目か問うと、大丈夫だよと声が返って来る。そしてまた、
 「そんなに優しくしなくても、壊れないよ。」
 今度は少しからかうように、ヤンが言った。
 体を伏せ、少しだけ繋がりを深めて、シェーンコップはヤンの耳元でそっとささやく。
 「人は、簡単に壊れてしまうものですよ、提督。」
 低めた声の息が耳に掛かったせいか、ヤンが喉を反らして、そして内側でシェーンコップを絞め上げた。
 「それは、君の、実感かな。」
 絞め殺されそうになったお返しに、シェーンコップはほんの少しだけ、ヤンの奥へ押し入った。そのリズムと一緒に、ヤンの声が途切れ途切れになる。
 「人とはそういうものです。ご自分で、よくご存知でしょう。」
 否定の声はなく、どちらかと言えば肯定のように、シェーンコップの眼下でヤンの背中がうねった。
 肉付きの薄い背中は、そうして動くと骨の形がよく見える。シェーンコップならいくらでも素手でへし折れそうな、そして決してそうすることはないだろう、軍人らしさのかけらもない、ヤンの体。
 焦れたのか、ヤンがシェーンコップから躯を外し、下で肩を回して来た。自分で大きく開いた脚の間へ、シェーンコップを導いて、息を大きく吐きながら、みぞおちの辺りをはっきりと震わせながら、再び、今度は正面から躯を繋げに来る。
 「君は、わたしに、むやみに優しいからな。」
 心底そう思っているのか、あるいは単にシェーンコップをからかって煽りたいのか、珍しくヤンが微笑んで、シェーンコップが動き出すのを待たずに、自分から腰を揺すり上げた。
 その誘いに乗るのは簡単だったけれど、たがをひとつ外せば、必ず際限がなくなると言う予感があった。だからシェーンコップは、相変わらず優しいだけでヤンに触れて、入り込んだその奥でも、決して無茶な動き方はしない。
 ヤンの瞳が、シェーンコップを真っ直ぐに見上げて、そして空ろになりながら、腕を伸ばして来てシェーンコップのあごに触れた。整えているようには見せないやり方で伸ばしているひげをヤンの指先が撫でて、そして懐いた獣に向けるように、にっと唇の両端が上がる。
 シェーンコップは顔の位置をずらし、そのままで、ヤンの指と掌へ口づけた。
 そうして、ヤンを押し潰さないようにしながら抱き込んで、そっと動く。痛みの声を聞き分けるために、耳だけは鋭く澄まして、滅多と声を上げないヤンのその声は必ず聞き取れるように、もう聞こえるのは皮膚のこすれる音だけだった。
 この優しさを、いつまで続けられるだろうと、思って、そこへすがり続けるのは自分の人としての矜持なのだと、シェーンコップは気づいている。体の大きさと暴力性を結びつけられた自分に、優しさの発露を許すこの男へ、ありったけのそれを注いで、それを際限なく飲み干すこの男の底知れなさへ、シェーンコップは恐怖に似た敬愛を抱いている。
 この男に対してでなければ生まれなかった、自分と言う存在の持つ、優しさとやら。傷つけたくない、血を流させたくない、死なせたくない、そう強烈に思って、そしてこの男は、シェーンコップが傷つくこと、血を流すこと、死ぬこと、必要と判断すれば躊躇はしないのだと、シェーンコップは思い知っている。
 それでもいい。いや、だからこそ自分は、この男のために死にたいのだと、またシェーンコップは思った。
 壊さないようにヤンを抱くと、ヤンがシェーンコップを力いっぱい抱きしめて来る。背中に触れる腕の骨の硬さとは裏腹の、躯の奥の柔らかさへ全身を飲み込まれて、声を上げたのはシェーンコップの方だった。
 優しいのではない。ヤンを壊して、それを嘆く自分を見たくないだけだ。躯を引きながら、まだヤンの熱さと柔らかさに未練を残しながら、そうして内心でぶちまけるシェーンコップの隠した本音を、まるで見透かしているように、ヤンがまたにぃっと笑って見せる。
 それを写して、シェーンコップもにっと笑った。
 知った上で、自分を優しいとのたまうこの男の、魔物めいた性根に、どうせもう頭まで飲み尽くされている。
 毒を食らわば皿まで、と、毒のくせに妙に甘いそれを味わうために、シェーンコップはヤンの首筋へ額をこすりつけた。犬が飼い主に自分の匂いを移すように、この男は自分だけの飼い主だとしるすように、そうするシェーンコップの頭を、ヤンがいたわるように撫でた。
 シェーンコップの腕の輪の中で、ヤンのどこかの骨がかすかに鳴り、その音を聞き逃したシェーンコップを、ヤンは構わず抱きしめ続ける。

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