ツリーを飾ろう
ツリーを一緒に飾りませんかなんて誘い言葉があるなんて、思ったこともなかった。「独り者にはクリスマスは単なる飲む口実ですが、ツリーくらいはあってもいいかと思いましてね。」
ミルクチョコレート色の前髪を、ちょっと鬱陶しそうに耳の方へ上げながらシェーンコップが言う。何を言っても気障になる男の、こういう卑下の物言いはもっと気障だ。
「君がひとり者なんて、君と過ごしたい女性なんか掃いて捨てるくらいいるだろう。」
こちらは正真正銘独り者の、クリスマスのイブは、養い子のユリアンが作ってくれるご馳走が楽しみのヤンが、ちょっと憮然と言い返す。
「私と過ごしたいと言ってくれる誰かと、私が一緒に過ごしたい誰かが一致しなければ、それは独り者と同じことですよ、提督。」
「贅沢な話だなあ。」
同じ部屋にいるだけで、彼に一目惚れした女性たちが列をなすと言う噂の美丈夫が、ふっと意味ありげな笑い方をして、それ以上は独り者云々には言及しない。
「ツリーを飾るくらい、手伝って下さってもいいでしょう。私も正直、ツリーを飾るなんて初めてでしてね、まったく勝手が分からない口です。」
「わたしだって同じだよ。クリスマスなんて祝ったことはないよ。ユリアンのために、プレゼントくらいは用意するがね。」
「──初心者同士、仲良くやることにしましょう。」
あれ?いつ一緒にツリーを飾ることになったんだっけ? よし、一緒に飾ろうなんて言ったかなと思ったけれど、面倒くさくてヤンはそのままシェーンコップの言ったことを受け流してしまった。
約束したとは特に思ってはいなかったけのに、通り掛かりの洒落た雑貨屋で、山のようにクリスマスツリーの飾りを売っているのをみて、あまりのきらきらしさについ足を止め、子どもは喜びそうだなあとユリアンの顔を思い浮かべた後で、自分の新参の部下の、年上のくせに少年っぽくうきうきした表情を自分に向ける、犬みたいな様子を思い出した。
まあ、いいか。イゼルローンを落とすと言うめちゃくちゃな作戦を、ヤンのために実行してくれたねぎらいもある。クリスマスにも、酒の1本くらい渡そうかと考えながら、ヤンは店の中へ入って行った。
ユリアンには、文房具も扱う大きな書店のギフトカードと言うのが毎年の定番だ。それに、新しい服がひと揃い加わった年もあった。ユリアンには、小遣いと言う名目で決まった額の現金を与えていたけれど、くれぐれもそれは自分だけの楽しみのために使うようにと言い渡して、ヤンに対して何か贈り物など考えなくていいと、少し強めに言ってある。
おまえが楽しそうに過ごしてくれるだけで、わたしには大きな贈り物なんだ。
ユリアンは申し訳なさそうに肩をすくめるけれど、ヤンの言いつけは守って、特にプレゼントと言うことではなく、ちょっと値の張る茶葉を用意したり、いつの間にか洒落たティーカップがキッチンの棚に増えていたりする。
外で飲む紅茶の温度がぬるいと文句を言うくせに、自分で淹れる時は、素っ気ない白いマグにティーバッグをただ放り込むだけと言うヤンは、ユリアンが少しずつ揃える紅茶の道具に、ひそかに心をときめかせている。
自分では絶対に選ばないし買わないし、だからこそ、ユリアンが自分のために選んでくれたそのひとつびとつが物珍しくもあって、へえ、わたしがこういうのが好きだと思うのかと、ユリアンの選んだ食器を気に入りながら、ヤンはゆるむ口元を隠せない。
だから、シェーンコップのツリーのためのオーナメントを選ぶ時に、ヤンは、ユリアンが自分のことを思い浮かべているのを思い浮かべながら、シェーンコップのことを考えていた。
あの男は、どんな飾りが好きだろう。きらきらしい、派手なのが好きなのか、それとも素朴で心のぬくもるようなのがいいのか、丸や四角や三角や、立体のそれや、触れただけで壊れそうな華奢なものや、どれにもそっと指先を触れさせて、ヤンは考え続ける。
ユリアンも、こんな風に自分のことを思いながら選んでくれるのかと、思えばまたありがたみが増す。ユリアンの淹れた紅茶が飲みたいなあと、無意識に口の中で舌を動かした。
様々なオーナメントを吊るした、本物らしいもみの木を見上げて見下ろして、ほとんど足元近くに、ふらふら揺れるティーカップの形の飾りを見つけて、ヤンは思わず声を上げた。
触れてみると、ごく軽い、木を彫ったものと分かる。皿に乗ったティーカップは、きちんと内側がくり抜いてあって、そのまま紅茶を注げそうだった。
濃い茶色に塗られたニスがそのまま紅茶の色のようにも見え、その飾りはそれひとつなのか、他に木で彫られた飾りは見当たらない。ティーポットか、同じカップがもうひとつあればよかったのにと、思いながらヤンはそれを枝から外し、シェーンコップが気に入ってくれるようにと思うよりも、自分が気に入って、もう買うことに決めてしまっている。
それひとつをまず決めると、後はあれもこれもと結局手が止まらず、定員の女性がにこにこしながら、ヤンの差し出したそれらを壊さないようにとひとつびとつを紙に丁寧にくるみ、ひと抱えもある大きな紙袋に入れてくれた。
来年は、ユリアンのためにツリーを飾ってもいいかもなあと、抱えた袋に向かって思って、微笑んでいることにヤンは気づいていない。
ついにツリーを飾ると言う当日、ヤンは店で渡されたままの紙袋を抱えて、シェーンコップのフラットを訪れた。
招き入れられた玄関から真っ直ぐ進んで、リビングに入った途端に目に入って来たまだ裸のツリーは、ヤンの予想よりは少し背が低く、木の根元を固定してある金具を隠すために、それ用のスカートが床に広げて履かされていた。
「本で見たなあ、あの根元のところにプレンゼントを置くんだっけ。」
「らしいですな。私も写真や何やらで見たことしかありません。」
ほんとうに、クリスマス初心者同士だ。帝国側の祝い方はまた違うのだろうかと、訊きそうになって、まあいいやとヤンは口をつぐむ。
「ところで閣下、その包みは?」
ヤンの胸の前から包みを取り上げようとしながら、シェーンコップが訊く。まだ部屋の真ん中へは進まずにツリーを見ていたヤンは、慌てたように自分の胸元を見下ろした。
「いや、もし君が気に入ったら、使ってくれてもいいかなと思って・・・。」
自分が気に入ってわざわざ買ったくせに、まるでシェーンコップのためのように言いながら、ヤンはその包みをシェーンコップへ差し出す。
受け取って、袋の口を開けて、おやとシェーンコップが丸くした唇をそのままの形で、中身を確かめる瞳が動いている。
「私も、一応見繕ってはみたのですが──。」
あごを振ってヤンに示す方を見ると、平たい大きな箱が床に置いてある。赤と白の線の斜めに走るそれは、いかにもクリスマス用と言った風に、ヤンは好奇心を丸出しに、その箱へ小走りに駆け寄った。
案外しっかりとしたその箱の中身は、ちょっと豪華なチョコレートのような、様々の形と色の、オーナメントのセットだった。ガラス製ではないだろうけれど、見るからに壊れもので、サテンに見える布の、中に敷いてあるそれぞれのくぼみに収められて、ざっと数えて20個近くある。
「すごいなあ。」
ちょっと心躍るおもちゃみたいにきらきら光って、ツリーに下げればさぞかしきれいだろう。
ヤンの選んだそれらは、きらきらしさは似たようなものだけれど、豪華さは少し劣る、どちらかと言えば地味な類いだったから、一緒に吊るすのはどうかなと思ったのが顔に出たのか、ヤンが渡した包みを手に傍にしゃがみ込んで来るシェーンコップが、
「こちらもきれいですな。」
すでにふたつみっつ、個別に包まれた紙を外して中身を取り出して、おべっかと言うわけでもなく言う。口元が、それらを買った時のヤンと同じ形にゆるんでいる。
「飾るなら、君のだけの方がいいんじゃないかな。せっかく揃いだし。」
「そんな決まりはありませんよ。何を吊るして飾ろうと好きにすればいい。」
「でも君のツリーだ、准将。」
「あなたが一緒に飾って下さるなら、あなたのツリーでもあると言うことです。」
床に、ヤンのオーナメントを取り出して眺めるシェーンコップの手が、ふと止まった。
これは、とつぶやいたその指先にぶら下がったのは、例の木彫りのティーカップだ。ヤンは思わず微笑んで、
「ああそれ、他にもうひとつカップかティーポットでもあればよかったんだがね──」
ヤンが言い終わるより先にヤンの前へ腕を伸ばし、オーナメントのセットの箱の向こうに、ぽつんと置かれていた白い紙の包みを、シェーンコップが取り上げる。
膝の上で、片手にはカップのオーナメントをぶら下げたまま、もう一方の手でくるまれた紙を開き、シェーンコップは中身を、ほら、と言う風にヤンの目の前へ取り出して見せた。
「あれ? これは、准将──」
同じ色のニスの、同じ艶の、こちらはティーポットだ。あたたかげな胴体の丸みが、木肌のせいで余計にふっくらとして見える。ほんとうに、そのままほんとうのお茶に使えそうだった。
シェーンコップが見せるそれを、ヤンは自分の手に引き取って、
「君が買ってたのか。カップが1客だけなのは淋しいなと思ってたんだ。」
「私の行った店では、カップは見当たりませんでした。残念に思っていたんですが、まさか──」
互いが、同じことを考えてこれを買ったことは想像に難くなく、その偶然をヤンはひどく可笑しいと思って、思わず吹き出していた。
「もしかしたら同じものが入るかもしれないって言われたから、また同じ店に見に行くつもりだったんだが・・・君のおかげで手間が省けたよ。」
シェーンコップから、カップとティーポットのペアへ視線を移し、
「良かったな、相方が見つかって。」
思ったそのままが、知らずに声になって唇からこぼれていた。
どれも、たいていは落とせばそれで終わりそうな、華奢な造りのオーナメントばかりの中で、木で作られたそれは落としても壊れそうにないと、そう思って手に入れたことも、きっとシェーンコップにはばれているだろう。
いかにも自分向きだと、ヤンが思ったまったく同じことを、シェーンコップも思ったに違いないのだ。
「・・・飾り終わったら、お茶を淹れましょう。」
今すぐでもいいよと、茶化して言おうと顔上げたヤンの、前髪に触れる近さにシェーンコップの額がすでにあった。
軽口はそのまま合わせた唇に吸い取られて、ふたりの手の中で、ぎゅっと握り込まれても壊れる心配のないお茶道具のオーナメントが、ふたりの肌のぬくもりを吸い取ってあたたまってゆく。
来年もまた、一緒にツリーを飾りましょう。
ほどけた唇の間でそう言われて、うなずくヤンの潤んだ瞳が、オーナメントに負けずにきらめいていた。