シェーンコップ×ヤン

犬も食わない

 ヤンが声を殺したのを、意地悪く声を出させようと、シェーンコップが動いたところだった。
 連絡用の携帯端末が、不意に間抜けな電子音を立てて、シェーンコップはサイドテーブルに素早く手を伸ばし、片手で取り上げたそれを、ヤンを抱いたまま耳元へ運んだ。
 自分のそれとは少し違う鳴り方に、ヤンは無意識にシェーンコップ側の言葉に耳を吸い寄せられ、一緒に眉も軽く寄っている。
 「申し訳ないが、しばらく予定が立たない。忙しいんだ──以前は以前、今は今──」
 さすがにヤンの方は見ずに、一応はさっさと会話を切り上げようと、ひたすら素っ気ない返答を返しながら、ひずみの紗幕の向こうからかすかに聞こえて来るのは、明らかに女の、尖った声。
 なるほど、以前ひと晩くらいは一緒に過ごしたことがあるか、それともその予定だった女か。
 女からの通話は、そうと分かるように着信音が少し変えてあるのかもしれないと、こんな時には自分の察しの良さが癪に障る。そうと分かっていて、こんな状態で女とわざわざ話を始めるこの男もこの男だ。ヤンの眉が、いっそう険しく寄った。
 シェーンコップの声の端が、向こうの声に負けず劣らず、癇癖に尖り始めて、ようやく向こうもしつこくすれば二度と口も聞いてもらえなくなると察しでもしたか、ああ、またいずれ、とシェーンコップが切り捨てた語尾を、半秒早く切り捨てて通話が切れる。
 シェーンコップが投げ捨てるように枕の傍に放った端末機を、ヤンは瞳の動きだけで追った。
 「モテる男はつらいね──。」
 たっぷりと皮肉をこめて言うと、シェーンコップが上で、やれやれと言う風に灰褐色の瞳をぐるりと上へやる。
 「想う相手以外に思われても、扱いに困るだけですよ。」
 「君はいつだって思わせぶりだからな。向こうも気の毒に。」
 「そうですね、貴方の際限なしに付き合って、いつだってへとへとの私も十分気の毒ですな。」
 いつもの、毒をこめた軽口の応酬のはずだった。
 それとは少し違うと、シェーンコップが悟った時にはもうヤンの目尻はいつになく吊り上がっていて、頭の下から素早く抜き出された枕が顔に飛んで来る。こめかみの辺りをかすめはしたけれど、それをきちんと避(よ)けたシェーンコップに、ヤンが何か喚く。おやおや、とシェーンコップは思った。
 「まさかヤキモチですか、貴方らしくもない。」
 「誰が、君みたいな、見境いなしに!!」
 「その見境いなしと、今寝てる貴方は一体何だと?」
 「わたしにつけ込んで来たのは君だろう!」
 「随分一方的な言い分ですな。じゃあ私は貴方にたらし込まれたとでも言いましょうか。」
 大人がふたり、合意の上で関係を始めたのに、つけ込んだも何もないものだ。シェーンコップはヤンをあしらいながら、先を続けようと躯を沈めた。
 「シェーンコップ!!」
 ヤンが珍しく声を荒げたままなのに、やっとシェーンコップも、これは単なる馴れ合いのやり取りでないと気づいて、とりあえずはヤンの腕を軽く押さえ込みながら、躯の動きだけはそこで止める。
 「人のことを、際限なしって言っておいて、君はこんな──」
 ずっと繋げたままの躯が、萎えも冷めもしないのを、ヤンは呆れたように言いながら、もがくように腰の辺りをねじった。
 言葉を続けるために軽く開いたままの唇の間で、明らかにヤンの舌先が迷っている。ひどい言葉を投げつけようとして、その言葉を思いつけないのか、あるいはヤンの理性がそうさせないのか、シェーンコップは真顔をぐいとヤンに近づけ、代わりに続きを引き取った。
 「──色きちがいとでも?」
 すっとヤンの顔から血の気が引く。
 語彙の低俗さに、聞くだけで耳が穢れると言う風に、肩をすくめるようにヤンがあごを胸元へ引き寄せた。
 「色情狂なのはお互いさまだ。」
 そう言ったのは、互いに対してだけ、と言う意味だった。少なくともシェーンコップはそのつもりで言い、普段のヤンならシェーンコップの声音に、その意味を間違いなく聞き取るはずだった。
 けれど今のヤンは、明らかにいつものヤンではなく、不意に湧いた自分の激情を自分で扱いかねて、なぜ自分がこんな態度を取るのかと困惑して、その何もかもをまとめた混乱を、八つ当たりでシェーンコップにぶつけている。
 そう分析する余裕はあっても、シェーンコップはシェーンコップで、会うのを断った──恐らく、永久に──女との通話に、これほど腹を立てられるのも理不尽だと思うのをやめられない。
 十代の終わりの頃、血気ばかり盛んで、何もかもにけちをつけなければ心の落ち着かなかった頃、これは一体まるでそんなのと同じじゃないかと、自分で呆れながら、まさかヤンと、こんな時にこんな陳腐で下らない口論をする羽目になるとは思わず、今になってやっと、端末を取り上げてしまったタイミングを恨み始めている。
 「わざわざ、その色きちがいに付き合ってくれなくて結構だ。」
 わざと、シェーンコップが言ったままを繰り返して、ヤンは下からシェーンコップを睨みつけ、肩を起こして躯を外そうとする。
 「提督──。」
 「こんな時に、そんな風に呼ぶな!」
 「では何とお呼びすれば?」
 シェーンコップは冷静に言ったつもりだった、その声のトーンを、一種の嘲笑とでも取ったのか、ヤンの目に明らかな怒りが走り、
 「それ以上何か言ったら、殴るぞ、シェーンコップ少将。」
 押し返したシェーンコップから躯を遠ざけ、もう背中を向けるために肩を回しながら、ヤンが低めた声で言う。本気なのは伝わって来るけれど、殴り慣れずにそんなことをしたら、拳を痛めるのはヤンの方だ。そちらを心配して、シェーンコップはきちんと身構える。
 「殴りたければどうぞお好きに。貴方では、どうせ痣も残せませんよ。」
 半分は煽るつもりで、そうしてただ真実をシェーンコップが口にする。
 暴力沙汰はヤンには恐ろしく不似合いだったけれど、この男にも何か、もやもやと言葉にできずに吐き出せない何かがあるのだろうと、シェーンコップは考えていた。
 ヤンが心底悔しそうに、奥歯を噛んだのが頬の線に現れる。
 お互いに、吐いた言葉は取り返せない。
 そうして、有言実行を決意したのかどうか、ヤンの肩がシェーンコップの目の前で動き、やっと腕が続いて飛んで来る。ローゼンリッター相手に売る喧嘩にしては、ハエの止まれそうな速度だったけれど、シェーンコップはわざと避(よ)けなかった。
 拳にしなかったのは、単に不慣れなせいか、あるいはシェーンコップに対する遠慮かいたわりのようなものか。手の甲が耳の下辺りへぱちりと当たり、せめて痛がる振りでもした方が良いだろうかとシェーンコップが考えていると、ほんとうに手を上げてしまったことに動きの途中で後悔を始めたヤンの指先が、引き際のついでのようにシェーンコップの白目を引っ掻いて行った。
 そちらにはほんとうに痛みを感じて、シェーンコップは思わず呻き、片目を掌で覆い、すぐに視界には問題のないことを確かめても、眼球のどこかに傷がついたのではと不安が先に走る。
 その間にヤンはベッドを駆け下り、シェーンコップの様子を心配はしながら、けれど謝罪の言葉は口にしないまま、床に散らばった服を手早くかき集めて、物陰へ駆け込む。
 「超過勤務は終わりだ、要塞防御指揮官どの。」
 わざとのように、身支度を整えながら声を張って、衣ずれの音の後に、足早の気配を残して去ってゆく。
 ドアの開閉の音へ向かって、
 「閣下──」
 呼び掛けた声が届いたかどうか、片目だけで薄闇に取り残されたシェーンコップには分からなかった。


 翌日、昼前にはもう、ささやきは、りっぱなゴシップとして要塞内を駆け巡っていた。
 シェーンコップが黒い眼帯で右目を覆って現れ、よそ見をしていてどこかの角にぶつけてちょっと目を腫らせてしまったと言う、彼にはあり得ない言い訳に、無責任な憶測や推察が混じり込んで、アッテンボローがヤンのところへその噂を運んで来た時には、一体どこの女にやられたんだろうと、いかにもシェーンコップらしい内容にすり変わっている。
 「いや、大したことはないらしいんですけどね、女にだったら殴られてやるなんて、案外あのオヤジも妙に軟派なところがあるなって、ポプランが──」
 明らかに聞き流されていても、アッテンボローは構わずに話し続ける。ヤンの不愉快だと言う顔は、書類にうつむいて見えないのかどうか、
 「しかしどこの誰なんでしょうね、ローゼンリッターをひっぱたく度胸のある女なんて。」
 「シェーンコップがどこで誰と何をしてようと、わたしには関係ない話だ。興味はないね。」
 さすがに付き合いの長いアッテンボローは、無関心と言う以上のヤンの声の険に気づいて、ごにょごにょと言葉の終わりを濁し、そろそろ失礼しますと敬礼の素振りをする。
 そのアッテンボローの背後で、ドアが開いて、当の噂の本人が敬礼しながら入って来た。
 ヤンは思わず狼狽が先に立って、シェーンコップから視線を外し、ついアッテンボローを睨みつける形になった。
 そんな風に見られる覚えのないアッテンボローは、明らかな戸惑いをそばかすだらけの頬に刷いて、まるで救いを求めるようにシェーンコップの方を見る。シェーンコップはこの空気を救おうともせずに、じろりと、ヤンに負けない冷たい視線をアッテンボローに送って来た。
 ドアの向こうに、ヤンとの会話が聞こえたに違いないとようやく思いついて、アッテンボローは慌てたように部屋を出て行く。
 「失礼しました!」
 敬礼と声にいつもより力を込めて、気の毒なアッテンボローは今日1日、あれこれ必要もないのに思い煩うことだろう。
 シェーンコップは来訪の理由を特には告げず、黙ってヤンの前に立っている。ヤンはシェーンコップをまともに見れずに、気まずそうに頭に手をやって髪をくしゃくしゃにしていた。
 分が悪いのは、明らかにヤンの方だった。
 「その──シェーンコップ少将、傷は、大丈夫なのかな。」
 「大したことはありません。ただ赤くなって、見た目が悪いだけです。他人をおどかす趣味はありませんので。」
 慇懃無礼にシェーンコップが答える。
 眼帯姿の方がよほど見栄えは恐ろしいのではないかと、ヤンは思ったけれど口にはできない。それにしても、片目を隠してさらに男振りが上がると言うのはどういうことだと、ヤンはやっと横顔からちらりとシェーンコップを見て、昨夜の自分の醜態に、あれからの続きで、穴があったら生き埋めになりたい気分になっていた。
 宇宙じゃあ墓穴も掘れない。冗談のように思ってもちっとも面白くもなく、ヤンはやっと心を決めて椅子から立ち上がると、机を回ってシェーンコップの傍へゆく。
 「──その、わたしが、悪かった。言い訳はできない。あれは、完全に、100%わたしが悪かった。」
 気弱に言いながら、まだシェーンコップを直視できず、視線は床のどこかをうろうろさまよっている。それを見てシェーンコップがいたずらっぽく唇の端を一瞬上げたのを、ヤンはすっかり見逃してしまった。
 「目の件は単なる事故です。それとも司令官どのは、わざと私に目潰しを食らわせたと?」
 「まさか!君にそんなこと──」
 平たい声で言うシェーンコップに、思わず声が高くなり、ヤンは慌てて自分の口を自分で塞いだ。外に聞こえては困る。
 「それなら単なる事故です。閣下が気に病まれる必要はありません。」
 まさしく木で鼻をくくったような、と言う言い方で、取り付く島もない。
 ヤンは見えないように唇を噛んで、声を落とした。
 「必要はないかもしれないが、部下のことを心配する義務はある。わたしは首から下は役立たずだが、君はいつだって五体満足でないと困る。君が役目を果たせないと、わたしが困る。しかも、わたしがその怪我の原因だ。君がもし、この件で正式にわたしに対して罰を課したいと言うなら、わたしはそれを黙って受ける覚悟はできているよ。」
 悄然と、それでも毅然と言うヤンに、ついにシェーンコップは耐え切れなくなったのか、肩を揺すって吹き出した。
 「まったく、貴方って人は──まったく。」
 心底可笑しそうにシェーンコップは笑い続け、呆気に取られたヤンが、やっと現実に戻って来て顔を真赤にしたのを、さらにおかしそうに眺めて笑い継ぐ。
 「痴話喧嘩の後始末で、一体誰の手を煩わせるおつもりですか。キャゼルヌ事務監辺りにお小言を食らうのは、私は真っ平ですね。」
 痴話喧嘩と言い切られて、ヤンはいっそう顔を赤くした。半分くらいは憤りだったけれど、昨夜晒した醜態の上に、さらに恥の上塗りをする蛮勇は、確かにヤンにもない。
 痴話喧嘩とこの場で断じて笑い飛ばそうとしているのは、シェーンコップの気遣いだ。それなら素直に、それを受け入れようと思いはしても、悪あがきにひと言釘を刺さずにはいられない。
 「言っておくが、シェーンコップ少将、わたしの謝罪は君を殴ったことについてであって、君の言動に対して怒りを表したことにじゃあない。」
 「ええ、その点については、私が軽率でした。心から謝罪いたします。これでよろしいですか、司令官閣下?」
 半ばまでは見事な棒読み台詞で、最後の部分は明らかに揶揄を込めて、シェーンコップがいつもの調子でさらりと言った。
 ヤンは言葉に詰まり、この男はヤンのことを食えない男だと言うけれど、煮ても焼いても食えないのはこの男の方がはるかに上だと思う。毒だと分かっていても、味に魅かれて口にせずにはいられない、そこまで思考が滑ってから、不謹慎だと慌てて自分を諌めた。
 それから、半歩シェーンコップへ近づいて、ヤンはシェーンコップの方へ手を伸ばしそうにしながら、
 「目の具合を、見せてもらってもいいかい。」
 禍々しい──とは言え、シェーンコップが着けると、何か特別な装飾のようにも見える──眼帯を示して訊く。シェーンコップは親指の先で眼帯を押し上げ、昨夜から疼いて痛む、真っ赤に充血した目をヤンに見せた。
 現れた、思ったよりも不気味な見た目にぎょっとして、確かにこれは隠すと言う判断は正しいと思わずにはいられず、改めて、自分が原因と思うと申し訳なさが先に立ち、ヤンは無言で肩を落とした。
 「ご心配なく。2、3日で元通りだそうです。」
 眼帯を元に戻しながら、ヤンのこんな表情を見れるなら目のひとつやふたつくらいと、思う素振りは微塵も見せない。シェーンコップは少しばかり図々しさを表に出して、ヤンの方へ自分から数センチ近寄った。
 「ところで、お許しをいただけるなら──」
 言いながらヤンのあごを指先に持ち上げようとして、片目の遠近感の狂いにまだ慣れず、珍しい不様さでシェーンコップの手が空回った。
 おっと、と言いながら改めてヤンのあごに触れようとすると、それより先にヤンの両手がシェーンコップの首筋に伸び、
 「超過勤務の続きの件を──」
と言い継いだその後は、言い終わらずにヤンの唇へ吸い取られた。
 今は決して力をこめないように気をつけてヤンを抱き返しながら、罰とやらは何にしようかと、シェーンコップはこっそり考え始めている。
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 陳腐な成り行きではある。明らかに、自分に怪我をさせたと言うヤンの罪悪感につけ込んだ、そういう自分の卑怯さを、シェーンコップは楽しんでいた。
 互いの謝罪を受け入れて、それだけで終わらせるのを惜しがったのはシェーンコップだけではなく、ヤンのひそかな望みを叶えた形になるのだとは決して匂わせない。
 どうせそんな腹の探り合いも、ヤンは忌々しく理解しているのだろうけれど、あえて口にもせず、意に染まないことをさせられるのはいつものことだと言うポーズで、シェーンコップに腕を引かれて、素直に腰をまたいで来た。
 仰いで見るヤンの表情がいつもより遠くて、片目だけの視界が今ひどく惜しい。見ることに問題はないのだしと、シェーンコップは眼帯をずらし、真っ赤な目を晒した。
 シェーンコップの厚い腰の上で、躯をやや不安定に揺らして、受け入れるだけで精一杯の風に、自身のためかシェーンコップのためか、とにかくも必死に動こうとしているヤンに目を細め、倒れないようにシェーンコップは腰の辺りを支えてやる。
 体温が上がると、目の痛みが少しひどくなる。もう気にするほどではない。明日には色も落ち着いているだろう。眼帯を外してもぎょっとされることもなくなるのは、明後日頃か。
 ヤンに連れ去られないように、少しだけよそ事を考えながら、シェーンコップは何度も下唇を噛んだ。
 慣れないなりに、ヤンはいつでも必死だったし、それを下手と断じるよりは、つたないとか不器用とか、そんな言葉で表す自分の、この上官へののめり込みようにはいつでも苦笑を誘われる。
 ヤンが見せた嫉妬らしき感情は、シェーンコップにすればまったく必要のないものだったけれど、そう思いながら、自分もアッテンボローがヤンの肩に触れていたり、キャゼルヌがヤンに話し掛けていたり、そんな場面に遭遇するたびに口の端が引きつる気がするのは気のせいではないと知っている。
 お互いさまだと、昨夜から何度か思ったことを、また思う。
 知らない互いが多過ぎる。出逢ってはいなかった時間の長さが、今はひどく惜しくて、性急なのはそのせいだ。時間を埋めるように、ヤンはシェーンコップを求めて来るし、シェーンコップはそれに応えたがる。
 そんな自分たちの態度を、分かりやすい言葉で表すことはできたけれど、そうすることをヤンは望まないだろうと先読みして、シェーンコップは何も変わってはいないのだと言う振りをする。
 ただの上官と部下、恐ろしく切れ者の司令官と命知らずの斧使い、けれどヤンはシェーンコップを抱きしめるためにひと時本を手放し、シェーンコップは女からの誘いをすべてしりぞけていた。
 そんな変化に、気づいていてまだ気づいていない振りをする。そうと示し合わせたわけでもなく、ふたり別々に、一緒に。
 惚れたと思ったのは、一体どの瞬間だったろう。信用すると言われた時か、それとももう、ヤンの元へ配属が決まったと告げられた瞬間には、もうこんな予感があったのか。
 赤い目が疼く。果てには導き切れないヤンをもう数秒眺めてから、シェーンコップはやっと体を起こしてヤンを抱き直す。この辺で勘弁して差し上げると言う表情は、はっきりとヤンに見せつけるように浮かべて、枕に頭が戻るとやや正気に戻った風に、ヤンが下からシェーンコップを見つめて来た。
 眼帯のない、不気味な色違いの目にやっと気づいたのか、ヤンは一瞬目を見開いたけれど、直後に始まったシェーンコップの動きにさらわれて、反った喉から割れた声を上げて、途切れ途切れにシェーンコップを呼んだ。
 腰に回した脚が揺れ、ただ受け入れるのが精一杯と見えても、躯の奥の熱はとめどもなくあふれ続けて、シェーンコップを溶かして飲み込もうとし続ける。
 突き当りはない奥へ、進みながら引いて、ぬるりと内臓の熱さが一緒にかき出される動きに、ヤンが繰り返し躯をねじった。
 互いに応え続けて、始まりも終わりも脳の中で混ざり合い、何が起こっているともう知覚もできない段階まで進む頃には、もうシェーンコップの方が耐え切れなくなっている。
 我を忘れてヤンの中へ溺れ込んで、火に焼かれるような気分を味わいながら、そこで自分の肉も骨の焼け溶けるまま、束の間息絶える感覚を自ら手繰り寄せる。
 ヤンだけが、自分をそこへ連れて行ってくれる。この世のヴァルハラ。
 分け合うのは体温だけでも汗だけでもなく、生きているから死ねるのだし、死ぬからこそ生きたいのだと言う、命の根源のような感覚。触れ合って、躯の奥でこすり合って、そうして触れているのは、互いの魂のようなものの気がした。
 ヤンの上から動かず、シェーンコップはヤンの額へ自分の額をごしごしとこすりつけた。汗に湿った髪がきしきし音を立てて、その下から覗くヤンの額が、なめらかにシェーンコップの額に触れて来る。
 まぶたすら触れそうな近くでシェーンコップの赤い目を見て、またヤンが、ひどく切なそうな表情を浮かべる。それをずっと眺めていたくて、口づけでごまかそうとした時、重なる頬の間にヤンの指先が入り込んで来て、シェーンコップの赤い目の、すぐ下辺りをそっと撫でた。
 傷のせいで潤んだ目は、泣いているようにヤンには見えて、その涙を拭うために、ただそっと触れる。涙に湿った長い柔らかい下まつ毛が、指の先をくすぐって来た。
 シェーンコップはヤンのその手を取り上げて、指先に口づけた。自分の涙のせいで塩辛い指の腹へ、きりきりと歯を立て、目の痛みの代わりにする。
 ひとつ枕を分け合い、額と肩を寄せ合う。もう不気味さにも慣れ、ヤンは近々とシェーンコップの、自分が傷つけた目に見入り、飽きもせず涙を拭い続けていた。
 外された眼帯がぽつんと、枕の近くに放り出されたまま、明日の朝まで出番はない所在なさで、ふたりの眠りを見守っている。

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